⑥ おいしいトマト(毒入り)


 アウトガンナ山脈が真っ赤に燃えるアスペラの夕暮れに太鼓と鐘の音が響く。



 長老院に出頭せざるを得なくなったカトリは、入口すぐの広間で忙しなく夜祭の支度を続ける女性達の一人を捕まえて、キリュウという人物の所在を聞いた。

 しかし本人は祭りの屋台を見回っており、不在らしい。


 途方に暮れていると、見かねた別の女性が呼んでくると言って建物の奥に消えた。

 思い出してみればリッカが長老を呼んだ時も、リッカ本人は建物の奥に消えたのに当の長老は外から現れた。


 女性が消えて少し待つと、やはり聞き覚えのある破裂音が二度響く。


 ミラは、リズムのない暗号のような音が聞こえると言っていたが、おそらくアスペラには音で呼び出す仕組みのようなものがあるのだろう。



 待つ間は所在無く、目の前を行き来するアスペラの女性達を眺めるしかなかった。

 どうやら長老院前の広場が夜祭の中心地になっているらしく、長老はしきりに何もないと言っていたが、それにしては大量の料理がカトリの目の前を何度も通り過ぎていった。


 しかも、それはことごとく食欲を誘う匂いを残して行く。

 夕飯を食べ損なったカトリからすれば拷問にも近い状況だったが、ここに来た理由が理由だけに、神妙に待つしかない。



「俺を呼んだのはアンタかい?」


 唐突に呼びかけられて、虚ろな目で料理を追いかけていたカトリの瞳に男が写る。

 しかし、その流れで思わず目を見開いた。


「ぷ、ぷらんぷらん男!」

「なんだそりゃ」

「いや、なんでもない。あなた村の人に担ぎ上げられてた人だね? あなたがキリュウさん?」


 カトリは器用に、記憶から下半分だけを消して思い出す。


「ああ、そういうことか……。って、ぷらんぷらんじゃないから、ギランギランだから!!」


 男はせっかく消そうとしているカトリの記憶を掘り返すどころか、あまつさえ都合よく改ざんを試みつつ、肯定した。


「まぁ、俺がキリュウだけど、何か用?」

「リッカさんに、キリュウって人を呼んできてって頼まれたので……」


 あえてそれ以上は言わなかった。

 監督責任とかいうケッタイな風習があるとは聞くが実行犯はルークなのだ。

 そもそも嫌なことを自分に押し付けてこの場に居ないルークが悪いのだ。


 道すがら考えた独自の理論でこの場を切り抜け、キリュウを連れて長老院を後にするカトリだった。




※※※




「ひとつ、聞きたいことがあるんだけれども」


 リッカの待つ門扉にキリュウと向かう間、無言というのも気まずい。

 カトリはせっかくだからと、キリュウからアスペラのことを聞くことにした。色々と聞きたいことはあるのだが、一番気になるのはやはりアレだ。


「なんで、川があんなに高い所を流れてるの?」



「なかなかいい質問だね」


 カトリのことなど何も気にせず、無言で前を歩いていたキリュウだったが、その質問は彼の声を弾ませた。そして当たり前のように屋台の脇に積まれていたトマトを手に取り、カトリに渡す。


「まぁ、いいから食べてみ」


 所々に松明が置かれているとはいえ、薄暗い中で本来の色は良く分からい。しかし手にした質感は柔らかく、とにかくみずみずしい。

 覚悟を決めて服の袖でこすってからかじりつくと、カトリの口の中に予想もしなかった味が広がった。


「おいしい……、というか何これ、甘っ!」


 はじめは恐る恐るといった感じで口にしたが、もはや止まらない。


「どんな言葉を使った感想より、一心不乱に食われるのが嬉しいんだよな」

「何でこんなに甘いの?」

「すげえ大雑把に言うと、こういうのを育てるときは水が少ない方が甘くなるんだ」


 自分から聞いておいてなんだが、小腹を減らしたカトリにとって非常識なまでに旨いトマトの魅力には適わない。あっという間に食べきってしまった。


「で、トマトはすごくおいしいけど、私が聞きたいのは……」

「じゃあ質問。水が少ないのは、ここの土地の水はけが良すぎるからなんだけど、どうしてそんな土地になったんだと思う?」


 カトリの話を遮るようにキリュウが質問する。

 質問に質問で返すとはなんと厚顔な奴だと口答えしようとしたが、それでもキリュウの語り口に押されて考えだした。


「ヒントは、山を流れる川と平野を流れる川の違い」

「山を流れる川は流れが急で、平野は緩やかってこと?」

「んま、そういうことだな。流れが急な所だと大きい石も運びやすいけど、平野に出るとそういう石は置いてかれるだろ」


 つまり、アスペラのように山と平野の境界部では、川が運べなくなった大きな石が地下に敷き詰められているのだそうだ。

 大きな石は隙間も大きいため水が浸透しやすく、それがキリュウの言う土地の原因になっているらしい。

 しかし、それはカトリの疑問の答えとはまた別の話だった。


「それは解ったけど、なんで川があんなに高い所にあるの?」

「大きい石もそうなんだが、少し離れるだけで小さい砂も沢山置いてかれるんだ。そうすると川が流れる場所が少しづつ高くなっていくわけ」

「川が自分で高くなったってこと?」

「まあ、アスペラに最初に住んだ世代が、洪水対策に堤防を作って、砂が溜まりやすくなったってのが原因なんだがな」


 非常に回りくどい話だったが、キリュウの説明をまとめると、元々アスペラ周辺の川は砂を置いていく性質が強いらしい。

 そんな川に堤防を作れば、行き所の無くなった砂は川底に溜まって、当然水面は高くなる。こうなってしまうと、再び洪水が起こりやすくなるので堤防をさらに高くしなくてはいけない。


「なんか、自分で落とし穴を掘ってるような……」

「反対側の堤防は改良したんだが、街道側は理由があってな」


 そう言ってキリュウはため息をもらすが、カトリは素直に感心していた。川の下に集落の入り口があるというのがなんとも面白いではないか。

 件の門扉前に着くと、カトリは堤防を改めて見上げた。




 日は完全に落ち、集落の明かりも届かない堤防はまさに物言わぬ巨大な城壁である。昼間は気づかなかったが、確かに頭の上から川のせせらぎが聞こえてくる。


「リッカ、キリュウって人連れてきたよ?」


 すると堤防の上から人影が現れ、リッカの声が返ってきた。


「キリュウくーん。扉の自動弁がおかしくなっちゃったみたい」

「そりゃ、専門外だな……」


 様子を見に堤防に登るキリュウを見送るカトリ。

 ルークがしでかしたこととはいえ、なんとも居心地が悪い。かといって、このまま帰るわけにもいかず、周りの様子を見まわしていると、開いたままの門扉の外に見慣れない人影があることに気が付いた。

 リッカもキリュウも堤防の上から声がするのだから、鐘の音で家路についたアスペラの住人だろうか。


「あー……、カトリって言ったっけ。ちょっとこれ、明るくならねーと手が付けられないから、閉じといてくれない?」


「わたし?」

「壊したのアンタなんだろ?」

「いやいやいや、そんなの無理に決まってるじゃない。壊したのはルークって男で……」


 責任は確かに自分にあるかもしれないが、壊した本人は自分ではない。

 そもそもそんな巨大な扉を自分ひとりで直せるものかと弁明するカトリ。


「そいじゃあ、そのルークって奴に閉じさせておけよ。お前の仕事はまた別に用意してやるから」


「何て?」

「アンタが責任者なんだろ。弁償って言っても、こんな辺境じゃ金なんて使い所がねえんだよ。だから、その分しっかり働けってのがアスペラの法律だ」

「だったら、ルークに働かせれば……」

「ってことは、食っていいって言ったのは俺だが、勝手にうちの村のトマトを食ったアンタが悪いってことになるんじゃねーか?」


 暴論だとは解っているが、それを言われてしまうと逃げられない。

 ため込むしかない怒りに思わず頭に血がのぼる。


「は、嵌められた……」




 こうしてカトリにはアスペラ滞在1日目にもかかわらず、無償労働者刑が科せられてしまった。


「さーて、何をさせようか」


 声の主の姿は見えないが、いやらしい笑い声が響く。




「ご近所迷惑でしょ!」


 小さくリッカの突っ込みもアスペラの夜に響いた。

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