④ 裸足の文化


 実際にそこで生活するとして、確かに商店の数や品揃えは重要だろう。そういう意味で聞かれればアスペラという集落は、決して住みやすくはない。



 しかし。


「この村はいいですね」


 リッカに導かれるままアスペラの居住区を進むカトリは、そんな感想を漏らすミラに驚いた。前々から思っていたのだが、やはりこの老婆、目が見えないというのはブラフなのではなかろうか。


「私の目は生まれつきこの通りですよ。ですが、見えなくても解ることはきっとカトリ様が思っている以上に多いのです」


 こぼしてしまったカトリの疑問に、目を見せて答えるミラ。

 見た目ではわからないが、少なくとも試すようなことをしたら、淑女としての心構えがどうのと、後始末に困るのは目に見えている。


「この村に来てから、ずっと道が規則的でしょう。それに道を挟んだ建物の距離が同じようです」


 ミラの言葉はその通りであった。造りこそよくある農村のそれであるが、全体を見回したときの統一感。それでいて、ひとつひとつの家々をよく見てみれば個性もあって、さながら王都郊外に見られるような閑静な住宅街の雰囲気がある。



「ンアーッアッアー!! アアツアッツアア!!」



 耳を澄ますと狂った太古からの叫び声が聞こえてくるので、閑静な雰囲気が台無しではあるが……。


「ボロは着ててもなんとやら。というやつでしょうか」


 思ってはいたものの、せっかく黙っていたものを空気の読めないルークは、すぐそこに村の住人がいるというのに口にしてしまう。

 カトリはそんなルークを肘でつつくが、前を行くリッカは笑って肯定した。


「こんな辺鄙な場所なので、便利だったり豪華だったりするのは難しいのですが、それでも住みやすいように知恵を働かせようって意思統一ができてるんですよ」

「それって、結構すごいことだと思う」

「それくらいしか出来ることがなかっただけなんですけどね」


 謙遜するリッカの言葉から、あの丘の上から見たアスペラの不思議な美しさを思い出すカトリだった。



「それでは、みなさんこちらが長老院です」


 広場の中央に位置する、明らかに普通の家とは違う大きな建物を示すと、リッカは靴を脱いで上がった。


「こりゃ立派な建物だ……」


 ルークにつられるようにカトリも建物全体を見上げた。豪華さでは劣るが、建物の大きさはその辺の貴族の館とそう変わらないだろう。


「家というか、村の集会所のようなところでして、神殿とか図書館なんかも併設してる建物なんですよ。ああ、靴はここで脱いじゃってください」

「土足禁止って、珍しい風習ですね」

「カンタブリなら一般的と聞いたことがありますが」


 言われたままに建物の手前で靴を脱いだカトリは、ミラの手を取って慣れない作業を手伝う。隣のルークは鎧が邪魔で苦労しているようだ。


「この辺りは樹木が多いので、建物にも木材を使うんですよ。木材だと土足じゃないほうが掃除がしやすいんです」


 なるほど、確かに全面石造りなら汚れは気にならないが、床が木なら裸足のほうが良さそうだ。見れば石も使われているようだが、床は全面木材である。

 言われてみればカンタブリも森林の多い地域だ。手に入りやすいものを使うというのは理に適っているのだろう。


 カトリは気持ちいいような、くすぐったいような、裸足の感覚に戸惑いながらも、ラザフォードの一般的な建築とは違うが、それでいてしっかり考えられている様子に、素直に感心していた。


「それで、申し訳ないのですがこちらで少々お待ちいただけますか?」


 ルークが靴を脱ぐのを待って建物に上がると、リッカが示したのは入口に入ってすぐの大広間であった。


「あまりお客さんが来るような村じゃないので、建物内に応接室みたいなところはなくて……」


 本当に申し訳なさそうに頭を下げるリッカだが、建物の奥のかしこまった部屋に通されるより、入口の大広間は開かれたままの入り口から入る風が心地よかった。青空に慣れた目にはずいぶん薄暗く感じられたが、その分ひんやりとしている。


「すぐに長老を呼んできますので」


 建物の奥に消えていったリッカを見送り、カトリはしみじみとアスペラのことを考えた。ミラの言葉のとおり、建物も人も少し見ただけでもわかる良い村だ。見る価値が無いだなんてとんでもない。



「あ、ひとつだけ見る価値が無かったものはあったか……」



 カトリの脳裏に何か不思議な物体がぷらりんことしたので、そこは冷静に封印して、建物の外を見つめる。

 おそらくそこに見えるのはアスペラのおよそ中央にあった広場だろう。ヤグラや簡易な出店のようなものが見えるが、それにしては人が見当たらない。


 頭を使おうとすると、衝撃的なぷらんぷらんが邪魔をするので、ゆっくりと流れる静かな時間に身を任せていると、建物の外から乾いた破裂音が二度響いた。

 聞きなれない音にルークは身構えているが、ミラは指を口に当てて静止を促す。


「笛と太鼓の音もしますね」


 あの奇怪な祭りがまたきたのかと、ルークとは違った意味で身構えるカトリだったが、さらにミラは自分にしか聞こえない音を説明する。


「この村に来てからずっと威勢の良い声は響いておりますが、それとは違う、何かもっとリズムのない暗号のような音です」



ミラが耳をそばたてていると、しばらくして建物の外から豪華な衣装に身を包んだ女性がやってきた。女性というかあれ、男性?


「あらあら、お客様かしら。お待たせしてごめんなさいね。なんとも素敵な……、騎士様ですか?」


 挨拶を交わすよりも早く、ルークの鎧にペタペタとさわる彼女、いや彼に、さすがのルークも褒められて顔が引きつっている。


「ええっと、村長殿でしょうか?」


 初対面にしてなるべく関わり合いになりたくないタイプの人間だと判断したカトリだったが、ルークがこれ以上無理だと目で懇願するので、しぶしぶ口を挟んだ。


「あらあら、こちらも可愛らしい。でもね、アスペラには村長は居ないのよ。わたしは長老。って酷いわよね。だからハニーって呼んで下さる?」


「ハ、ハニー……」

「まあ、嬉しい。貴方お名前は何て仰るのかしら?」

「自分は、ルーカン・シェイルであります!」

「あらあら、まあまあ」


 その自己主張の塊のような彼女、いや彼に過激なスキンシップを頂いているルークには悪いが、カトリはルークを通訳に挟めば随分と話がうまく進みそうだと確信していた。役に立つのだから、彼にとっても喜ばしいことだろう。


「ああっ、遅かった……」


 建物の奥から現れたリッカが慣れた手つきで彼女、いや彼からルークを引きはがして、カトリ達を紹介する。


「お初にお目に掛かります。カトリーナと申します」

「ご丁寧にどうも。こちらこそよろしくねカトリちゃん」


 ちゃん付けで呼ばれたことに、若干の気恥ずかしさを覚えるカトリだったが、リッカのおかげでやっとまともに会話が進みそうなので、訂正して話の腰を折るのを避けて早々に要件を切り出す。


「長老殿」


 ジロリと睨まれ、言い直す。


「ハ、ハニーさん……」


「なにかしら?」

「私共はラザフォードの各地を旅しているのですが、アスペラのことをもっとよく見せてもらえないでしょうか?」

「あらあら、旅のお方でしたか。珍しいですわね。どうしてこんなところまで?」


「実はですね……」



「トーフヤトーフヤ!! ヒラヤヒラーヤ!!!」


 カトリと長老が難しい話をしているが、どうにも無視できない一行が現れたため、ミラはリッカに耳打ちする。


「あの、広場では何が行われているのでしょうか?」

「ええ、今日はお祭りなんですよー。すいません、急用を思い出しましたので、すぐ戻りますね!」


 

 建物から飛び出していったリッカを目で追っていたルークは、いつの間にやら長老の態度が変わっており、カトリに深々と頭を下げていることに気が付いた。


「そうでしたか。これはとんだご無礼をお許しください。本日は豊穣祭の最中ですので、明日でもよろしいでしょうか?」

「ありがとうございます。でも、そんなにかしこまらないで下さい」

「ですが、貴方は……」




「コラー!! いい加減服を着て!! 服!!」



 広場からリッカの声が大広間に響いた。

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