第1話(完結)

半数以上の人間が日常的に見ている物を隠すことに意味はあるのか

① はじまりはいつもくもりぞら


 カトリ自身、周囲の反対を押し切ってまで自分で始めたことなのだから、今更とやかく言ってはダメなことくらい理解している。


 けれども、これは、さすがに、どうにも、こうにも、なんとも、かなわん……



「やっぱこんなとこ見ても意味ないよ」


 どこまでも青々と茂る森なんてものを有り難がるのは、その恐ろしさを知らないからだ。

 たしかに彼女も旅のはじめの頃には、刻々と変化する天気に、景色に、人々に、戸惑いつつも、新鮮な出会いを純粋に面白いと受け入れていた。


 だがしかし、今ならきっぱりこう言える。


「飽きた!」


 最後に立ち寄った街から、すでにもう丸1日。馬車の定期便もないというから、しかたなく森の中を歩き続けている。


 歩き続けることについては、この際、目をつぶろう。

 けれども、特有の湿った空気はまとわりつくし、地面もよく見ないと木の根が邪魔して歩きにくい。そのうえ、どこまでも続く代わり映えしない景色に、頭の中には、自分は何をやっているのだろうという根本的な疑問が渦巻きはじめ、いつしか自分の行動が馬鹿らしく思えてきた。


「ダメダメ、もっといいことを考えよう」


 口では言っても、これだけの苦労に割り合うものがこの先にあるのだろうか。小耳にはさんだ噂話だけを頼りにして来てしまったが、結局は無駄な労力を使っているのではないか。不安だけが大きくなっていく。



「カトリさま見えました! アスペラです! もうあと一息です!!」


 カトリの不安をよそに、一足早く小高い丘の上に立った大男が喚ぎたてる。その姿は逆光でよく見えないが、不安が先行し、返事をする気にならない。


 放っておいたにもかかわらず、ソレは場違いな金属音を打ち鳴らし、ドタドタと土ぼこりを立てながら小走り気味に駆け寄ってきた。


「野宿は避けられそうで良かったですね!」


「ルーク。なんで君はそんなに暑苦しいのかな?」

「ラザフォード王国騎士道訓、第5条1項! 騎士たる者、いかなる時も甲冑に身を包まなければいけない! からです!」


 不安定な足場でも踵を正して敬礼するルークには、なぜだか、ため息しか出ない。

 彼のあんまりな脳みそでも理解できるよう、千の言葉を駆使して、この苦悩を伝えようと頭の中で言葉を紡ぐカトリだったが、充満した罵詈雑言を全て消し、敢えて一言だけ選んだ。


「君を選んで正解だったよ……」

「ハッ、有り難き幸せ!」


 いろんな意味を含めて、カトリの言葉は嘘ではない。

 こんな旅に連れまわしても、文句のひとつも言わずにいつもと変わらず能天気な彼を見れば、少しはやる気も出てくる。だが、その瞬間その言葉に込めたのは、諦観という別の優しさだった。



 そんな無益なやり取りをしながら丘の中腹まで登ったところで、突如、ルークはまるで鎧の上からでも見えるかのような大粒の脂汗をかいて動揺しはじめた。


 カトリの嫌味にも気づかなかった彼だが、騎士道だかなんだか知らないが、大層な甲冑で身を守る彼だが、野性的。いや、この場合は野獣的とでもいうのだろうか。ニンゲンには理解しがたいどこか根源的な部分で恐怖を感じ取ったようだ。


 その様子にカトリが首をかしげると、ルークは両手の人差し指を、青ざめた額の横でぐるぐると回すハンドサインを見せ、その巨体を縮ませた。


「!!!!」


 カトリはその時になって気がついた。その身が犯したとんでもない大失態に。

 恐る恐る振り向くと、そこには、おぼつかない足取りのオニババ、もとい。老婆が一人。


「ミ、ミラさん……。ご機嫌麗しゅう」


「カトリ様達はこんな場所でも元気でよろしいですね」


 杖で足元を確認しながら、ゆっくりと二人の前を通り過ぎる老婆に、甲冑の騎士と若い娘は、つかの間、生きた心地とはどういうものだったか忘れて直立不動で身構えた。


「さて、カトリ様。アスペラの様子はいかがでしょうか?」


 咎められることはなかったが、その言葉にカトリは急かされるように丘を登り終えると、感嘆詞をもらしてから、眼下に広がるその光景について率直な感想を述べた。



「聞いていた場所とは大分違う。こんな辺境なのに……」



 目を細め、遠くを見つめるその先には、疲れも吹き飛ぶ雄大なアウトガンナ山脈。そしてその麓に広がる渓谷に流れる2つの河川。


 いやいや、風光明媚な景色を見に来たわけではない。そもそもアウトガンナならもっと近くの一等地から嫌と言うほど見たことがある。


 カトリ達の目的地は、その2つの河川に囲まれた土地に広がる辺境の集落、アスペラであった。



 アスペラ。語源は古い言葉で、を意味する集落。

 確かに王都ラザフォードから近いといっても、名前の通り人の少ない山岳地帯に位置する辺境の地である。しかも、そこに住むのは遥か昔の民族対立によって生じた難民たち。


 それは確かなのだろうが……



「そうですか。ギルバート候の仰っていた話では見る価値ナシとのことでしたが」

「あの狸オヤジ、ロクに視察もしないで適当なこと言いやがって」


 ルークが文句を言うのも、もっともである。

 数日前に謁見した、この地を領有する貴族が言うには、東西を大きな川に囲まれているため、頻繁に氾濫する河川のせいでとても定住には適さない場所なのだそうだ。


 貴族曰く、祖先の慈悲深い処置により、難民達に自らの土地を分け与えた。と、嫌味たらしく聞かされたが、ようするに領有すれども管理する価値のない土地なのだ。


 街の人々から聞いた話を加味すれば、それでも難民たちが何代にもわたって堤防を建設し生活を始めたが、作物はまともに育たず困窮しており、どんなに苦しくともアスペラよりはマシと言う認識だった。



 それがどうだろう。


「全然違うじゃない……」


 その様子に拒絶感すら覚えるカトリだったが、青空のもと、農地には鮮やかな黄金色が風になびき、家屋の並びもきちんと整った美しい集落が広がっているではないか。


「これ、あれだ。 幻覚とか見せる動物の仕業でしょ?」

「私もそう思えてなりません」


 ミラは2人の報告を交互に聞きながらも、風に運ばれてくる音に耳を澄ませる。


「まさかミラさまは、こんなに遠くからでも音で様子が解るのですか?」

「全てではありませんが、確かに大量の麦の穂が揺れる音は聞こえますね。最近の幻覚はこんな微かな音までも再現できるというなら、解りませんが」


「ミラが言うからには、本物なんだろうね……」


 カトリは眼下に広がる嘘のような現実に思わず言葉を失った。

 細かいところをよく見れば、さすがに大商人や貴族が住むような都市に比べ、見劣る場所も少なくない。中央の広場に面した大きな建物を除けば、他の家々は平屋建てだ。

 それでも、この姿が美しいと思えるのは何故だろう。


「カトリ様、ほらあそこ、堤防が壊れてますよ」


 ルークが指し示す方を見ると、確かに丘から見て奥にある堤防は所々崩壊していた。おかげで川の一部が集落の中まで入り込み、上流で大雨が降った日にはどんな惨事になるか想像に難くない。


 だが、同時にそれは農業用水を取り込む機能として成り立っており、決して無意味に崩壊したままにしているわけでもなさそうだ。


「あの噂、本当だったのかも……」


 カトリは息をするのも忘れながら散々眺めて、このに震えた。

 はじめは取るに足らない話だと思っていた。場合によっては大方の話どおり、凄惨な集落を見るのも為にならない話ではないと、半ばあきらめ気味ではあった。


 だが、農地と住宅地の区分け、格子状に整備された道。実際に見てみなければ何とも言えないところだが、少なくとも計画的に作られた集落であることは明白である。



『アスペラに、賢者が現れた』



 換言すれば計画をつくった何者かがいる。僅かでも税を取れるものならと目を光らせる領主すら見向きもしなかった土地を、作り変えた何者かがいるのだ。


 カトリは淡い期待と不安を胸に、アスペラの地に足を踏み入れた。





「それとカトリ様、ルーク。先ほどは言い忘れましたが、哀れな盲目の老婆を忘れて、我先に前に進もうというのは、いささか品位に欠けるのではないでしょうか?」


 老婆の手を取り、アスペラの地に足を踏み入れた!!!

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