ジオグラフィカ!~アスペラの愚者~
Alternative
プロローグ
ガイダンス
成長と共に知らないことは減っていく
いつしか世界の全てを知っていると思っていた
けれども……
あるとき空を見上げたら それはあまりに広くて 青かった
そんなあたりまえの光景すら 知ってるつもりで知らなかった
その日から 知れば知るほど知らないことが増えていった
この世界は なんて面白いんだ!
※※※
「キミに、この星の構造を説明しよう!」
彼の講義はいつでもどこでも開かれた。
海を見て、川を見て。
雨の日に、風の日に。
人を見て、服を見て、家を見て、言葉を聞いて、ご飯を食べて……。
あまりにも嬉しそうに語る彼に、彼女も当初は愛想よく付き合っていたが、今となってはうんざりした顔で気の抜けた相槌を返すだけだった。
「この星をゆで卵だとすると、黄身を核、白身をマントルと言う。僕らが立っている地面は殻の一番外側に過ぎないんだ。この殻を地殻と言うんだけれど、それはいくつもヒビが入ってるっていうから驚きだ!」
彼らの目の前に広がるのは、その高く険しい山頂に雪を纏ったアウトガンナ山。
広く人々に語られるだけあって、何も言われずとも敬虔の念を抱かせる霊峰だ。
彼女は旅の果てにたどり着いたその奇跡のような光景を静かに楽しもうと腰を下ろすが、彼の方は目を輝かせてさっそく講義をし始めた。
「マントルは地球内部から湧き上がる上昇流によって動いていて、その流れに乗っている地殻も当然動く。あんまりにもゆっくり過ぎて気づかないけれど、僕らが今立っているこの大陸そのものが動いてるんだ!」
まるで見てきたかのように語る彼の理論は、この世界のどんな学者も知りえない真実なのだそうだ。彼女もそれが間違いであるとは思っていない。
しかし、この雄大な景色を前に、それはただの雑音でしかなかった。
「大陸が動くということは当然、大陸同士がぶつかることもある。そうなるとぶつかった大陸の端が捲れあがって、アウトガンナのような急峻な山々が生まれる。つまりあの山は今も成長しているんだ!」
大人げないと自覚しつつも、いや。むしろ大人として、目の前に広がる美しい景色を彼に見せるべきではないか。沸々と湧き上がる苛立ちが堪えきれず、とうとう彼女は彼の言葉を遮った。
「そんな証明もできない理屈より、今は目に焼き付けるべきものがあるでしょ?」
人の一生は短い。
この国の誰もが知るアウトガンナだが、それを一度も見ないまま荼毘に伏す者も少なくない。せっかく苦労してここまで来たのだから、じっくりと景色を見なくては勿体ない。
これで少しは彼も静かに景色を眺めると期待していた。
小高い丘に吹き下ろす少し冷たい風。眼下には鄙びた農村。そしてその向こうにそびえる嘘のように高い山々。
何とも絵になるその姿は時間の流れも忘れていつまでも見入っていられる。
しかし、しばらく腕を組んでアウトガンナを見つめていた彼は、とんでもないことを言い出す。
「登ってみようか?」
「絶対無理! どれだけ高いと思ってるの!?」
彼女は彼の答えが何を意味するのか聞く前に大声で否定した。
アウトガンナ山の主峰は、常人では決してたどり着けない死の領域と言われる。
「4,000カミールくらいだと思うけど……」
「あのね、平面に歩くのと垂直に歩くのは違うでしょ?」
「ちょっといいかしら?」
言い合いをしていた二人は声を掛けられまず驚き、その声の主を見て再び驚いた。
まだ幼さが残る二人だが、それでも数え切れないほど旅を重ねた身である。
その土地土地で気候や信じる物に由来したあらゆる服飾を見てきた。
故に、理解できない奇抜な服飾を否定するような見識の狭さはない。
しかし、声の主のそれは、伝統や文化というにはあまりに常識とかけ離れていた。
声の主のそれを女性的という言葉で片付けてしまって良いのかは判断に悩む。これでもかと派手目の化粧と装身具を纏い、ある意味独自のスタイルを確立しているものの、女がしても異様に目を引く服飾の中身は、筋骨隆々、まさに豪傑という大男であった。
険悪な雰囲気も忘れて怯えるように肩を寄せ合い、明らかに不審者を見る目の二人だったが、その様子を全く気にすることなく男は彼に聞く。
「どうして、誰も登ったことのない山の高さが解るのかしら?」
男の言葉づかいや仕草は、その立派な体格に見合うものではない。だが、それゆえこの男に害意はないと判断すると、二人は目を合わせ、その原理を丁寧に説明しはじめた。
「大きさは違ったとしても、同じ形の三角形さんは、すべて同じ角度で、3つの辺の長さの関係も同じというのは解りますか?」
「なんとなくわかるわ……」
容姿に似合わず二人の前に慎ましく座る大男。それでもほとんど目線は変わらないが、幾分か圧迫感は減っていた。
「山の頂上を見上げる角度が分かれば、山の頂上・頂上の真下・自分の位置の3点を頂点にする三角形さんの模型が作れるよね」
「たった1か所の角度だけで、残りの2か所の角度まで解るってこと?」
「高さ、つまり頂点からその真下までの辺は底辺と直角ですよね」
「そうね」
「三角形さんの3つの角を足すと、ちょうど円周の半分になるんですよ」
「だから3つの角のうち、見上げる角度が解れば、もう1つは直角ってことで、残りの角度も解るってこと」
地面に図を描いて説明し、男もなんとかここまでは理解できたようだ。
「模型が作れたら、今度は山頂の真下からここまでの距離を測れば、2つの三角形さんの辺の長さの比は同じなんだから、他の辺、つまり高さも計算できるってこと」
「実際は、かなり誤差が出ると思いますが、4,000カミールという目算は極端に間違った数字じゃなさそうです」
ちなみに1カミールはこの大男の背丈ほどの長さである。
いつ頃かの国王が自分の背丈だか歩幅だかを基準に作った単位らしいが、目の前の大男を見ても解るとおり、おそらく権威を示すため、大分見栄を張ったのだろう。
彼らが身振り手振りで説明したからか、もとより素養があるからか、男は見かけによらず、と言っては失礼だが、すんなり理屈を呑み込んだ。そして、いつしか座った自分の目線ほどの背丈しかない二人を見る目が、尊敬の眼差しに変わっていた。
「もうひとつ聞いていいかしら? なんで貴方は山に登ろうとしたの?」
「もし山の上で貝の化石なんかが見つかったら、あの山も昔は海の底だったっていう証拠に……」
「すごい!!」
答えを聞くや否や、太い腕で二人を抱きかかえる大男。男に悪意が無いのは伝わるが、その威圧感に思わず全身を強張らせる。
「あなたたち、2人だけ? ご両親はいないの??」
「え、ええ……。 だいぶ前になくなりました……ぐっ」
怯えるような彼の答えに、男の腕がより強く締まる。そして同時に大粒の涙が落ちてきた。
「あなたたち、とりあえずウチにいらっしゃい」
「いや、ちょっと、話を……」
彼らは涙で顔をゆがませる男に抱えられ、抵抗むなしく眼下に広がる寂れた村へと連れていかれた。
同じ場所に奇妙な三人連の旅人が訪れるのは、それから数年後の話である。
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