#26 鬼ごっこ

 大学に来るのも随分と久しぶりだ。と言っても、もちろん勉強しに来たわけではない。俺は真っ直ぐ学生課のある西棟に向かった。学生課では、広い室内で、数人の事務職員が仕事をしていた。俺に気付くと、一人の女性職員が腰を上げてこちらに歩いてくる。


「こんにちは。何かご用かしら?」


「ええ、ちょっと聞きたいんですけど……。うちの大学の4年生に、早乙女薫って学生います?」


「早乙女薫さん? ちょっと待ってね」


 職員が青いファイルを取り出し、パラパラとめくり始める。


「ああ、心理学部の4年生ね。確かにいるわよ」


 まさか本当にいるとは……。まだレナを100%信用したわけじゃないが、こいつがリナなら、もう追い詰めたも同然だ。


「その人の住所って分かります?」


「ええ、分かるけど。でも教えられないわよ」


「えっ。どうしてです?」


「だって個人情報だもの。あなた別に、この人のお友達ってわけじゃないんでしょ? あなただって、他人に住所を知られたら嫌でしょう」


「うっ……。まあ、そうですけど。どうしても駄目ですか?」


「どうしてもです。学生課の信用に関わるので。他に何かご用は?」


「いえ……失礼しました」


 くっそ~……融通のきかないオバハンだな。俺は仕方なく、学生課を後にした。棟の外では、広とレナが待っていた。


「白鳥君、どうだった?」


「駄目だ。住所までは教えてくれねえよ」


「まあ、そんなこったろうと思ったわ。ねえ、もうすぐお昼だけど、学食行かない? ここのカツカレー好きなのよ」


「な、何でお前が、うちの学食のメニュー知ってんだよ」


「だって元彼の大学でもあるし。来たことあっても、おかしくないでしょ?」


 まあ、それもそうだ。腹も減ったし、とりあえず俺達は学食へ向かった。その途中、他の学生とすれ違う度に、物珍しそうな視線を送られる。それもそのはずだ。レナより顔のいい女は、恐らくこの大学にはいない。そんな女が、平均以下の男2人と一緒に歩いてるんだから、そりゃあ目立つ。


 学食で注文を済ませ、席に着くなりレナは大盛りカツカレーを一気に掻き込んだ。俺と広は、その様子に呆気に取られている。


「何? あんた達食べないの?」


「いや、食べるけどよ」


「桃山さん、痩せてるのに凄い食べるね……」


「逆にあんたは、デブのくせに少食過ぎ。何よ、ご飯と鮭とサラダだけって。まじウケるんだけど。その腹の脂肪はどっから出てきたのよ」


「いやあ、はは……」


 ……何か、楽しそうだなこいつ。俺はナポリタンを頬張りながら、レナを観察した。以前の俺に対する、突っ張った態度のレナ。客に対する、甘え上手なレナ。俺とデートした時の、天使のようなレナ。昨夜に涙を見せた時の、しおらしいレナ。そして、まるで普通の大学生のような今のレナ。どれがこいつの本性なのか、本気で分からなくなる。


 ふと、ユミコ達にリンチされそうになっていた時の事を思い出した。レナは男にはモテても、同姓にはとことん嫌われるタイプだ。こいつ、もしかしたら友達と言える友達は、実は今はいないのかもしれない。彼氏や店の客以外の人間と、こうやって一緒に飯を食べる機会なんて、滅多に無かったんじゃないだろうか。そこまで考えてから、俺もこの学食で誰かと一緒に飯を食べたのは、初めてだったことを思い出した。実は似た者同士……だったのかもしれない。


「で、これからどうすんのよ。このまま諦めて帰るなんて言わないわよね?」


「当然だ。もう手がかりは、ここしかないんだからな。頼んでも教えてくれないなら、夜に忍び込んでこっそり拝見するまでだ」


「い、いくらなんでもやばいよ、それは。犯罪だよ」


 広が慌てふためきながら口を挟んだ。


「安心して。昨夜あたしを無理やり拉致った時点で、あんた達立派な犯罪者だから」


「うっ……それを言われると……。そ、そうだ! いくら大学にはもう通ってないって言っても、流石に卒業式には来るんじゃない?」


「いや、分かんないわよ。あいつそういうの面倒くさがるタイプだから。高校の卒業式も、成人式にも出なかったって言ってたし」


「う、うーん……でもなぁ」


 あーでもない、こーでもないと、話が先に進まない2人のやり取りに痺れを切らして、俺は口を挟んだ。


「どっちにしても、卒業式までなんて待てるかよ。いいから今夜決行するぞ」


「は~い、賛成~」


「……もぅ」


 本当に大丈夫かこいつら……。俺だって別に、潜入のプロでも何でもないし。不安ばかりが募るが、道は一つしかないのだから、それを進むしかないのだ。



 *



「ねえ、まだ開かないの?」


「う、うるさいな。鍵師じゃないんだから、そう簡単にピッキングなんて成功するかよ」


 俺は小声で話しながら、既に小一時間学生課のドアノブと格闘している。現実は漫画のようには簡単にはいかない。針金で鍵穴をガチャガチャと弄くり回すが、なかなか上手くいかない。ピッキングに強いディンプルキーなどではなく、昔ながらの「く」の字型の鍵穴だから、頑張れば開けられるはずだが……。


「……むっ。お、これは……きた! 開いたぞ!」


 やった。初めてのピッキング成功だ。早速室内に潜入した。さて……確か青いファイルだったな。この部屋のどこかにあるはずだ。あの時、職員が取り出した所には…………無いな。いつもはここに置いてないのか。片っ端から探すしかないか。俺達は手分けして青いファイルを探し始めた。電気を付けるわけにはいかないから、暗い部屋で懐中電灯を片手に持ちながら、引き出しを開け続けた。


「あっ、青いファイルってこれ?」


 レナが声を上げる。


「ん? いや、それじゃないな。もっと分厚い」


「白鳥君、これは?」


「よく見ろよ。2013年卒業生名簿って書いてあんだろ」


 くそ、ファイルも書類も多すぎるぞ。もっと特徴をしっかり覚えておけばよかった。しかし、ここにあるのは間違いないんだ。あと一歩というところまで来ているのだ。絶対に諦めないぞ。


「あった! 心理学部4年生名簿って書いてあるわよ。これで間違いないでしょ」


「おお、でかした!」


「桃山さん凄い!」


 俺と広はレナにかけより、横からファイルを覗き込む。写真、住所、電話番号、出身高校その他諸々、バッチリ載っている。五十音順に並べてあるようだ。早乙女薫……さ……さ……。


「……あった。こいつよ。これが、あたしの元彼で、あんた達の知っているリナの正体よ」


 こいつが……こいつがリナか。一見好青年に見えるが、その目からはどこか冷たい印象を受ける。もう一度、カフェ・ラビットで自分の目の前に座っていた男を思い返す。やはり顔はどうしても思い出せないが、こんな感じの雰囲気の男が座っていたような気がする。こんな奴のために、俺は今まで…………。


「おい! そこで何をしている!」


 心臓が飛び跳ねた。やばい、警備員だ! 部屋の入り口から、懐中電灯でこちらを照らしている。


「に、逃げるぞ!」


 俺はファイルを持って立ち上がり、窓に向かって猛ダッシュした。広とレナもそれに続く。ここが1階で良かった。窓から脱出し、少し離れた所に停めてある、広のバンに向かって全力で走った。


「コラ! 待て!」


 警備員も追ってくる。騒ぎを聞きつけたのか、更に別の方向から2人の警備員が現れた。速い、追いつかれる! いや、俺達が遅いのか。オタクとデブと女より足が遅いようでは、、警備員なんか務まらない。月明かりだけが照らす、暗い夜のキャンパス内での鬼ごっこ。この鬼ごっこ、絶対に捕まるわけにはいかない。


「きゃっ!」


 後ろを振り返ると、レナが派手にすっ転んでいた。こんな時に、何でそんな走りにくい靴履いてんだ。くそ、これだから女は……! どうする……いや、迷ってる暇はない!


「も、桃山さん!」


「広は先に行け!」


 俺はすぐさま引き返し、レナの腕を掴んで引き起こし、再び走りだした。息が切れ、汗が噴き出し、肺が大量の酸素を要求してくる。


「待て! 止まるんだ!」


 待てと言われて……待つ馬鹿が……どこにいるんだ……! 先にバンに着いた広が荷台のドアを開け放ち、そのまま運転席に乗り込んでエンジンをかけた。


「うおおおお!」


 ラストスパート。俺とレナはその勢いのまま荷台に飛び込み、ドアを閉める間もなく広がアクセルを踏み込み、バンを発進させた。俺はドアを閉め、そのまま荷台に仰向けに倒れた。


「ハア、ハア、ハア、ハア、た、助かった……」


「や、やったね…………僕、もう駄目かと……」


「ハア、ハア…………ぶっ、くくく…………あははは!」


 突然レナが笑い出した。


「な、何笑ってんだよ」


「いや、だって…………怖かったけど、凄く面白かったんだもん。笑うしかないわよ」


「はぁ……?」


「子供の頃、男友達と一緒に夜の学校に忍び込んで、肝試しした時のことを思い出したわ。結局先生に見つかって、あたし1人だけが捕まって、えらい怒られたわ」


「あっそう…………今回は捕まらなくて良かったな」


「おかげさまでね。あの時も思ったけど、あんた、意外とカッコいい所あるじゃん」


 一瞬ドキッとした。馬鹿か俺は。同じ女に、2度も惑わされるな。こんな奴、早乙女薫への復讐が終わったらさっさとおさらぱだ。下手に関わるとろくな事にならない。


 呼吸が整ってから、俺は車内灯を付け、改めてファイルを見直した。いろいろあったが、遂にこいつの居場所を突き止めたぞ。あとは最後の仕上げだ。


「ねえねえ、この後どうすんの?」


 レナが子供のような目で、俺に聞いてくる。この後のプランは、既に決まっている。だが、本当にこいつに教えていいものか……。やっぱり実は早乙女薫と繫がっていて、俺達の復讐計画が筒抜けになっている可能性は捨てきれない。俺はじろりとレナを睨み返す。


「あ、もしかしてまだ、あたしの事信用してない?」


「当たり前だろ。一度騙された相手だぞ」


 レナはむっとした表情を浮かべ、何やら考え始めた後、何かを思いついて口を開いた。


「じゃあ一つ情報をあげる。薫の奴、高校時代に空手をやっていて、全国大会決勝まで行ったことがあるらしいわ」


「空手?」


「うん。だから、もしあんた達があいつを襲うつもりなら、止めた方がいいよ。100パー返り討ちに遭うから」


 俺は携帯を開き、4年前の空手のインターハイについて検索した。確かに、早乙女薫の名前がある。結果は惜しくも決勝で敗れ、2位となっている。レナの言っていることは事実だ。仮に俺と広が無策で怒りに任せて、早乙女薫に殴りかかったところで、やられるのはこっちの方だった。


「白鳥君。僕は、桃山さんには話してもいいと思うよ。桃山さんのおかげで、結果的にはあいつの居場所を突き止めることが出来たわけだし」


 簡単に言うなよ。俺の人間不信は、もはや病的なんだ。信じれば騙される…………俺がここ最近で最も学んだことだ。ここまで来て、もしレナに裏切られたら、全てが水の泡になりかねない。だが逆に、もし…………レナが本当に俺達の味方で、最後まで俺達に協力してくれるなら、より確実に、大きなダメージを早乙女薫に与える事が出来る。はっきり言って、俺の計画は浅知恵で捻り出した、ザルで不確実な計画だ。レナを味方に出来るならしたい。


 最終的には、早乙女薫が今までどれだけゲスな事をしてきたかによって、俺達の武器は豆鉄砲にも大砲にもなる。だがレナ次第では、大砲になる可能性を大きく上げられるということだ。弾丸は既に手に入った。後は、これを撃ち込むだけなのだ。さて、どうするか…………レナを信じるか、信じないか、決断しなければな。

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