#20 デート

 山越リバーシティのカフェ・ラビット。ハルトとリナの待ち合わせ時間は正午ちょうど。その10分前に、僕は店に到着した。店内を見渡し、ハルトの姿を探す。いないな……まだ来てないのか? …………いや、いた。多分あいつだ。僕は窓際の1番奥のテーブルに座る、若い男に目を止めた。写真との違いに、思わず吹き出しそうになる。健気な奴だ。この日のために、精一杯おめかしをしてきたというわけか。僕はハルトの隣のテーブル席に、ハルトを正面に見て腰を下ろした。ここならハルトの顔もよく見えるし、2人の会話も聞こえる。まさに特等席だ。一瞬目が合ったが、すぐに逸らした。まさか、本物のリナが今目の前にいるなんて、夢にも思ってないんだろうな。まったくおめでたい奴だ。カフェラテを口に含みながらハルトを観察していると、まるで不審者のように挙動不審で、5秒に1回のペースで時計を見ている。やれやれ……せっかくオタクオーラは消えたのに、今度は童貞オーラが強すぎる。多分1人でカフェに入ったこともないんだろうな。


 正午になり、店の入り口に目をやった。来たな。もう一人の主役のご登場だ。ふと周りを見ると、他の客の視線が、一斉にそこに集まっていた。普段と正反対の控えめな格好をしているにも関わらず、これほどの注目を浴びるとは流石だな。県内最高級キャバクラの、ナンバー1キャストは伊達じゃないようだ。さあ、僕を楽しませてくれよ、理奈。



 *



 もう何度見たか分からない時計をもう一度見た。正午ジャスト。遂にこの時が来た。今まで生きてきて、これほどまでに期待と不安が入り混じったことは無い。早く来てくれ……いや、まだ心の準備が……さっきからそれの繰り返しだ。このまま席を立って逃げ出したいという、馬鹿な衝動に駆られる。周りはカップルや、今風のお洒落な若者ばかりで、どうも落ち着かない。リナは、もう近くまで来ているだろうか? 視線を時計から店の入り口に移した。


「!!」


 一人の女の子が入店した。店内をきょろきょろと見渡し、こちらに気付くとゆっくりと近付いてくる。客の誰もが、その女の子を一度はチラ見している。明るい茶色の三つ編み、楕円形の黒縁眼鏡、そしてその美しく整った顔立ち。写真で見た通りの……いや、それ以上の美少女、リナがそこにいた。やがて俺の目の前で立ち止まり、照れくさそうにニコリと笑った。


「はじめまして」


「あ、は……はじめ、まして」


 リナが向かいの席に座り、店員にコーヒーとサンドイッチを注文した。信じられない……リナだ……間違いなくリナが俺の目の前にいる。夢じゃない。これは現実なんだ。口の中の水分が手汗になって溢れ出し、心臓も狂ったように暴れ始めた。どうしよう……ここからどうすればいいんだ……。せっかくネット住民達からいろいろアドバイスをもらっていたのに、そんなものは頭から完全にデリートされてしまっていた。


「ごめんね、待たせちゃった?」


「あ、いや、ぜぜ全然。俺も、今、来たばっか」


「そっか。ていうか写真くれた時と雰囲気変わったね。カッコいいじゃない」


「ああ……ありがとう。リナも、その……ピンクのコートとか、可愛いね」


「ありがと! これお気に入りなんだ~」


 リナがはにかみながら、天使のような笑顔を見せる。やばい、可愛すぎる……。俺は今、世界一の幸せ者だ。


「こ、このショッピングモールには、よく来るの?」


「うん、たまにだけど、友達と一緒にね。これ食べ終わったら、見て回ろうよ。いろいろあるから楽しいよ。私が案内してあげる」


「そ、そうか~。楽しみだな~あははは」


「期待しててね。例えばここの3階にある雑貨屋さんなんだけどさ……」


 緊張でまともに言葉が出て来ない俺に対しても、リナは馬鹿にせずに優しく話を振ってくれる。俺はそれに相槌を打つだけで、話が途切れそうになると、リナはまた違う話題で俺の緊張をほぐしてくれる。こんないい子がこの世に存在していたなんて。それとも、俺が今まで出会ってきた女に、ろくなのがいなかっただけか? 例えばレナとかユミコみたいな……。いや、今はあんなクソアマ共のことなんてどうでもいい。目の前に天使……いや、女神がいる。それだけで充分だ。


 昼食を済ませた後は、リナに連れられて山越リバーシティ内の散策を始めた。雑貨屋、服屋、本屋、レンタルショップ、家電量販店、様々な店が立ち並んでいて、本当に何でもある。こんな賑やかな場所には来たことがない。以前の俺なら、一生縁が無いような場所に俺は今来ている。そして何より、リナと肩を並べて一緒に歩いているという、俺にとっては異常事態極まりないこの状況。俺……もうリア充名乗っていいよな……? 誰ともなく問いかけた。


 俺の右隣を歩く、リナの左手に目が行く。綺麗な手だ。手……繋いだらやっぱりまずいかな? ふとここで、物凄く今更な疑問が頭に浮かんだ。俺とリナは、どういう関係なんだ? DOGでは夫婦、それは間違いない。ではリアルでは……? 俺はゲーム内でとはいえ告白をした。リナはそれを受け入れた。ならば恋人同士と言っていいのか? しかしあの時はお互いの顔も知らない状態だった。それに彼女になってくれと言ったわけではなく、結婚してくれと言っただけだ。言ったのも結婚したのもハルトだ……俺じゃない。この白鳥春斗が、リナに改めて告白する必要があるんじゃあないか?


「ハルトどうしたの? 何か考え事?」


 突然名前を呼ばれてハッとした。家族や親戚以外の女性に下の名前で呼ばれるのは違和感がある。幼稚園の時以来かもしれない。もちろん、全く悪い気はしない。


「ごめん、何でもない。あ……ちょっとあそこ行っていいか?」


 ゲーセンが目に入り、それを指差した。初デートでゲーセン……聞こえは悪いが、幸いリナもゲーマーだ。問題はないだろう。


「うん、いいよ。でも私、ゲームセンターのゲームはあまり得意じゃないから、後ろで見てるね」


「分かった」


 俺の取り柄はゲームの腕前だけだ。ここでいいところを見せてやる。ここ数年はRPGに偏ってしまっていたが、その前はパズルゲー、シューティングゲー、格ゲー、音ゲー、何でもやっていたのだ。まずは格闘ゲームの金字塔、アニマルファイター5で肩慣らしだ。アニファイは3までしかやっていないが、かつては地元の大会で優勝したこともある俺には、ブランクなど関係ない。得意キャラのゴリラを選択し、クマ、カンガルー、トラ、ライオンなどといった敵キャラをゴリラパンチで次々となぎ倒し、ラスボスのゾウもゴリラサブミッションで絞め落としてパーフェクト勝ちした。『霊長類最強をナメるなよ』の決め台詞と共に幕を下ろす。


 よし、調子が出てきたぞ。次は音ゲー、太鼓の超人だ。常人の目には決して止まらないであろうスピードでバチを操り、最高難易度の曲も難なくクリアした。普段は鈍臭い俺だが、のび太が銃を持った時のように、バチを持った俺は全ての神経が研ぎ澄まされるのだ。いつの間にか出来ていたギャラリーから、拍手喝采を浴びる。いい気分だ。たまにはゲーセンも悪くないな。


「ハルト凄い! こんなにゲーム上手かったんだね!」


「いやあ、それほどでも。ははは……」


 ようやく緊張が解けてきた。そのおかげで、こうしてリナの顔をまじまじと見ることが出来る。…………やっぱりどこかで会ったような気がする。声も聞き覚えがあるような。でも今の俺と女の子の関わりなんて、バイト先のジュエリーキャットぐらいしかない。しかしあの店にいるのはケバいギャルばっかりで、こんな清楚で可愛らしい子はいない。やはり俺の気のせいか。


 楽しい時が経つのは早い。もう夕方の5時か。でももう少し遊べるな。リナは何時まで遊べるのだろう? 夜は……何か予定があるのかな。俺はネット住民達のアドバイスを忠実に守り、万が一……いや、億が一の時のために、薬局でアレを買って、財布に3つほど忍ばせてある。あわよくばなんてことも……絶対にないとは言い切れない。いやしかし、初デートでいきなりそれは……下手にそんなこと言ったら、見損なわれるのがオチだ。でももし、リナの方から誘ってきたら、俺の脆弱な理性など、一瞬のうちに消し飛ぶのは間違いない。


「うっ……ゴホッゴホッ!」


「えっ、リナ?」


 突然リナが咳き込み、ベンチに座ってうずくまった。苦しそうだ。一体どうしたというのだ。


「だ、大丈夫か?」


「う、うん……ごめんね、ビックリさせちゃって。でも……そろそろ帰らなきゃ」


「え、もう?」


「黙っててごめん。私……生まれつき体が弱いの。だから、いつも家の中にいて、暇をもてあましてゲームばかりやってるんだ。長時間外にいると、すぐに苦しくなっちゃうの」


「そ、そうだったのか……」


 それなのに、俺に会うために無理して来てくれたのか。不覚にも涙が出てきた。守ってあげたい……心からそう思う。俺の身勝手な欲望で、これ以上無理はさせられない。


「分かった。じゃあ、何かあったら大変だから送っていくよ」


「ありがと。でも、駅まででいいよ」


 俺達は山越リバーシティを後にして、駅に向かって歩き出した。同じように駅へ向かう、人の流れに乗りながら。まだ5時過ぎだが、この季節は日が落ちるのが早く、既に薄暗い。リナはさっきよりは落ち着いたようだが、まだ少し苦しそうだ。俺はリナの歩調に合わせて、ゆっくりと足を運んだ。駅がどんどん近付いてくる。この夢のような時間は、もうすぐ終わってしまうのか。


「…………えっ?」


 腕に何かが触れている。理奈が、俺と腕を組んで歩いている。不思議と股間が熱くなることはなかった。今はただ、そのあまりに弱々しい体を、俺がしっかりと支えてあげなくては……そう思っていた。この瞬間が永遠に続けばいいのにと思った矢先、とうとう駅の改札口に到着してしまった。


「じゃあ、この辺で。今日はどうもありがとう。久しぶりに外で遊んで、凄く楽しかったよ」


「いや、俺の方こそ……初めてのことだらけで、言葉が上手く出て来ないけど、とても楽しかった」


 結局、頭の中で何度もリハーサルしたことの、半分も実行出来なかった。でもいいんだ。本当に楽しかったのだから。…………ん? どうしたんだろう。リナがじっと俺の目を見て、動こうとしない。俺もそれに吸い寄せられるように、目を逸らすことが出来ずにいる。


「…………ねえ、ハルト。あのね……」


「ん? なに?」


「ううん、何でもない! それじゃあ、バイバイ。DOGの方も頑張ろうね!」


「あ、ああ、また……」


 リナがこの日一番の笑顔を見せてくれた後、改札を抜け、ホームの方へと歩いていく。俺はその背中を、見えなくなるまで追い続けた。最後、何て言おうとしたのだろう? まあ、気にすることでもないか。1人でここにいてもしょうがない……俺も帰ろう。俺も切符を買い、改札を抜けた。今日の出来事が確かな現実だったことは、俺の右腕に残る感触が教えてくれていた。



 *



「あーーー、つっっっかれたわ本当にもう!」


 理奈が電車の座席にドカッと座り、開口一番に悪態をついた。空いているとはいえ、車内で大声を出すのはやめてもらいたいものだ。気持ちは分からなくもないがな。僕も理奈の隣に腰掛けた。


「お疲れ。完璧だったよ、流石理奈だ。僕の想像以上の演技力だった。あれで騙されない男はいない。ネカマの替え玉とも知らずにマジになっているハルトは実に滑稽だった。楽しませてもらったよ」


「はぁ……まあ、男を騙すのがあたしの仕事みたいなもんだからね。あんな奴手玉に取るのなんて、ちょろいもんよ」


 見た目は清楚理奈なのに、態度は完全にいつものギャル理奈だから、話していて妙な気分になってくる。今の理奈をハルトが見たら、ショック死するんじゃないだろうか。まあ何にせよ、これでハルトはますますリナの虜になったことは間違いないだろう。今後もDOGでのハルトの活躍には期待できそうだ。


「でもダーリン、もうこんな事はこれっきりにしてよね」


「ああ、大丈夫だよ。そのためにリナに病弱という設定を付け加えたんだ。少なくとも、あいつの方からまた会おうと誘ってくることはないだろう」


「ならいいけどね……はぁ……まったくもう」


 理奈が再びため息をついてうなだれた。珍しいな…………。いつもの理奈なら、頑張ったご褒美に夜に相手しろと、猫なで声で言ってくると思ったのだが、余程疲れたのか? 普段もっと面倒な客を相手にしているんだから、あの程度でそんなに疲れるはずはないんだがな。


 まさか、こいつ…………。ふっ……まあ、別に僕には関係ないけどな。僕の邪魔さえしなければ、理奈が何を考えていようと、何も問題はない。さて、箸休めも終わったことだし、さっさと帰ってDOGを進めるか。僕はブログのネタ用に隠し撮りした写真をチェックしながら、最寄り駅への到着を待った。

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