#21 広
俺は電車に揺られている間、何度も何度も今日の出来事を思い返していた。油断するとすぐに顔がニヤけてきてしまう。周りの人に見られたら変人だと思われてしまうから慌てて直すが、すぐにまたニヤけている自分に気付く。本当に人生とは、いつ何が起こるか分からない物だ。今日という日は、きっと一生忘れることはないだろう。
…………ん? あいつは……。俺は少し離れた所で吊革に掴まっている男に気付いた。席を立ち上がり、その男に声をかけた。
「よう、広じゃないか」
「え? あ、白鳥君! 久し振りだね」
以前は公共の場で広と話すのは嫌で避けていた。しかし今、俺は最高に気分がいい。世界中の人々の幸せを願ってしまうぐらいに。それに、リナとの出会いのきっかけを作ってくれた、広への感謝の気持ちもある。その広が持っている、ゲーム屋の紙袋に目が止まった。
「おっ、何かゲーム買ったのか?」
「うん。『大決戦クラッシュシスターズ2』だよ。今日が発売日だったんだ」
「え、マジで?」
クラシスは、各ゲームメーカーの人気美少女キャラが入り乱れて戦う、対戦アクションゲームだ。前作は俺も相当やり込んでいて、DOGを始める前は、クラシス2の発売を心待ちにしていたのだ。最近はDOGばかりやっていて、家庭用ゲームの情報を全く仕入れていなかった。
「なあ広。これからお前んち行っていいか? 俺もちょっとやってみたいんだけど」
「いいよ。対戦ゲームはやっぱり誰かと一緒にやった方が楽しいし。前作では白鳥君に負けっぱなしだったけど、今回はリベンジしたいしね!」
「はは、返り討ちにしてやんよ」
一瞬チーム白桜のノルマが頭をよぎった。でも大丈夫だ。今朝は興奮してたせいで無駄に早起きしてしまい、出掛ける前までDOGをやっていたのだ。一日5時間以上プレイというノルマは、既に達成している。たまには友人と遊ぶのもいいだろう。
広の最寄り駅で降り立ち、5分ほど歩くと広の自宅に着いた。俺ののばら荘といい勝負のボロアパートだ。広も俺同様に一人暮らしをしている。俺はアパートの駐車場に止まっている、1台のバンに目が止まった。鈴木運送と書かれている。
「あれって、お前の車か?」
「あ、うん。父親が小さな運送会社の社長で、僕もバイトとして手伝ってるんだ」
「へえ、あんなでかい車運転できるのか。すげえじゃん」
「いやあ、慣れればそんなに難しくないよ。白鳥君は今何のバイトしてるの?」
「ん……ああ、コンビニだよ」
キャバクラのボーイとは、何となく言いづらかった。ましてやゲームに課金するために、時給だけを見て決めたなどとは。広が自分の部屋の鍵を開け、俺を招き入れた。
「部屋汚くてごめんね」
「気にすんなよ。いきなり押しかけたのは俺の方だし。それより、早くクラシスやろうぜ」
コントローラーを握るのも久し振りだな。最近はずっとマウスとキーボードだったからな。だが今日のゲーセンの時同様、俺にブランクなど関係ない。広もなかなかの腕前だが、それでも5回中4回ぐらいのペースで、俺が勝利を収めていく。
「くそ~、やっぱ白鳥君強いよ」
「まあな。話変わるけどよ、もうDOGには戻ってこないのか? プライベートが忙しいって言ってたけど、こんなの買ってるって事は、もう暇になったんだろ?」
「あ、うん……。やっぱり僕にはネットゲーは向いてないよ。こうしてオフゲーだけやってれば充分さ」
「ふーん、そうか。まあ、俺は俺で楽しんでるからいいけどな。よっしゃ、また勝った」
腹の虫が鳴った。そういえば、昼はカフェで軽食だったから、胃の中はもう空っぽなのだ。
「白鳥君、夕飯食べてく? って言ってもカップ麺しかないけど」
「ああ、悪いな」
広が立ち上がり、台所を漁り始めた。
「あれ? ごめん、切らしてたみたいだ。ちょっとコンビニ行ってくるね」
「んじゃ、待ってるわ」
広がバタバタと部屋を出て行き、静かになった。じっと待ってるのも暇だな。本棚から漫画を手に取る。あまり面白くない。パソコンに目が止まる。お気に入りのサイトでもまわるか。俺は椅子に座り、パソコンを起動させた。
あれ? デスクトップにDOGのアイコンがある。とっくに引退したくせに、アンインストールしてなかったのか。その時、1つの悪巧みが俺の頭に浮かんだ。ヒーロの資産を、ハルトに移せないだろうか? 今のハルトにとって、ヒーロの資産など大した価値はないだろうが、チーム白桜の厳しいノルマのために、少しでも資産は多い方がいい。どうせ引退してるんだ。構わないだろ? 広よ。俺はアイコンをダブルクリックして、DOGを起動させた。キャラ選択画面に移ると、3人のキャラが表示された。何だあいつ、ヒーロ以外にもキャラを作っ…………。
キャラ1
ヒーロ ギルド:ライジング レベル35 ドワーフ 戦士
キャラ2
レオン ギルド:ライジング レベル74 人間 聖騎士
キャラ3
密告者 ギルド:無所属 レベル1 人間 戦士
「はっ!?」
ど……どういうことだ? レオン? 密告者? えっ…………えっ?
「ちょ、ちょっと白鳥君! 何してんの!?」
振り返ると、玄関先で買い物袋をぶら下げた広が立っていた。大慌てで走り寄ってきてモニターを消されたが、もはや後の祭りだ。既に見てしまったのだから。
レオンの正体は広だった。そして、この前俺に変なメールを送ってきた密告者も広。今思えば、レオンに関しては確かに納得できることがある。ヒーロは俺がDOGを始めてから間もなくログインしなくなった。それと入れ替わるように、レオンがライジングに入団した。2人が一緒にいるところは一度も見たことがない。当たり前だ、同一人物なんだから。そして、最後に広と電話をしたあの晩、妙な違和感を感じたのを覚えている。確か俺は、電話を切る時にこう言った。「いけね、バイトに遅れちまう」と。そしたらあいつはこう返してきたんだ。「あ、そうだね」と。まるで俺がバイトに行くのを知っていたみたいだ。当たり前だ、レオンが知っていたんだから。真実は分かったが、理由が分からない。問い詰める必要がある。
「まずは謝らせてくれ。勝手にお前のパソコンを触ってすまなかった。で、謝るついでにお前に聞きたいことがある」
「う、うん……分かってる。全部白状するよ。話させてくれ」
広は力無く椅子に座り、俯いたまま話し始めた。
「初めは、こんな事をするつもりは微塵もなかった。純粋にDOGを楽しみたくて、友達の白鳥君も一緒にやってくれたらもっと楽しくなると思って、君を誘ったんだ。でも、あの日…………リナちゃんと出会ってそれは変わってしまったんだ」
「リナと? どういうことだ?」
「僕がまだヒーロでやってた頃、リナちゃんと何度か2人で遊んだことがあるんだ。ネットゲーでこんな事を言うのもおかしいけど、正直一目惚れだったよ。リナちゃんと話していると、何て言うか心が安らぐんだ。別にゲーム内で女の子と話すのが初めてだったわけじゃない。チルルさんとか姫子さんも、普通に僕と仲良くしてくれてたけど、リナちゃんは何かが違うんだ」
それは確かに分かる。リナには、言葉では説明できない魅力がある。俺や広のような、彼女いない歴=年齢の童貞には、特にそれが強く感じられるだろう。
「でも、それで何でキャラを変えてまで、別人に成りすましたんだ?」
「本気でリナちゃんを落としたいと思ったからだよ。白鳥君も知ってると思うけど、DOGは戦士は決して強い職業とは言えない。それに、種族をむさ苦しいドワーフにしたのも後悔した。ネット世界において、表示されているキャラやアイコンが相手に与える印象っていうのは、思いのほか大きい。だから作り直したんだ…………強くてカッコいい、聖騎士レオンを」
まあ確かに……俺もハルトを作る時に同じ事を思った。広は俺と違って分相応なキャラを最初作ったんだろうが、リナに近付くためにレオンに生まれ変わったのだ。
「とはいえ、作り直せば当然レベルは1からだ。普通にやっていたのでは追いつけない。だから課金したんだ…………今までずっと無課金でやっていたんだけどね。最低でもリナちゃんよりは強くならなきゃ話にならないから。そして、君よりもね……」
「えっ?」
「白鳥君とリナちゃんが親しいのは知っていた。普通なら友人の恋を応援するところだけど、その時ばかりは僕も引けなかった。そしてその時初めて、僕が抱いていたもう一つの気持ちにも気付いたんだよ」
「なんだよ、それ」
「僕はずっと、君に劣等感を抱いていたんだ。君にどうしても勝ちたかった。リナちゃんを僕の物にすれば、今までのも全部帳消しになると勝手に決めていた。レオンなら、それが出来ると確信していたんだ」
「妙に俺に突っかかってきたのもそのせいか」
「うん……。でも結果は知っての通り。貯金全部使い切っても、君に勝つことは出来なかった。ゲームの腕はもちろん、リナちゃんへの想いも……」
……馬鹿だ、こいつは。貯金全部使い切ったこともそうだが、その劣等感とやら。的外れもいいところだ。俺は、容姿やゲームの強さだけを見比べて、勝手に広を格下にしていたが、俺は本当は気付いていた。広は、俺なんかよりよっぽど人間が出来ている。チビで小太りで顔も悪い広は、決して女にモテるタイプではないが、何というか……親しみやすいのだ。いじりやすく、話しやすく、何でも相談できるような雰囲気を醸し出している。その証拠に、広しか友人がいない俺と比べて、広は何人もの友人がいる。劣等感を抱いて、くだらない嫉妬をしていたのは実は俺の方だったんだ。
「潔く負けを認めたけど、どうしても悔しさは消えなかった。その結果が、あの密告者のメールさ。君達の結婚直後に送ったら、レオンからの腹いせなのが見え見えだから、わざと期間を少しおいてから送ったんだ。今は反省も後悔もしているよ。僕は最低なことをしてしまったと。自分が好きになった女の子をネカマ呼ばわりしたり、友達に何の根拠もない嫌がらせメールを送ったり……。僕はどうかしていたよ」
「……広、1つだけ教えてやるよ。リナはネカマなんかじゃない。その証拠がこれだ」
俺は携帯の画像ファイルを開き、リナの写真を広に見せた。広は目を見開き、口を半開きにして驚愕している。この可愛さだ。誰だって驚く。
「う、嘘……これがリナちゃん!?」
「ああ。ていうか、ついさっき山越リバーシティで会ってきた。住んでる所も近かったからな。なんなら会わせてやろうか? リナもかつての仲間のレオンに会えるなら喜ぶだろうしな」
「えっ、あ、いや…………遠慮しておくよ」
「そうか」
俺は携帯を畳み、立ち上がって玄関へ歩き出した。
「帰るわ。邪魔したな」
「し、白鳥君……本当にごめん。もし良かったら、また一緒に……」
その言葉を最後まで聞く前に、俺は扉を閉めた。人生最高の一日となるはずだったのだが、俺の心には何とも言えない、複雑な思いが渦巻いていた。しかし、すぐに思い直す。俺には、リナがいるじゃないかと。リナさえいれば、俺には他に何も要らないのだ。腹の虫が、一際大きく鳴いた。訂正だ……今俺に必要なのは、リナと夕飯だ。すっかり暗くなってしまった夜道を、俺は飯屋の看板を探しながら、駅に向かって歩き出した。
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