#18 写真

 くそ、参ったな……。俺は今息を切らしながら、大急ぎでジュエリーキャットに戻っている。閉店と同時に店を出た後に、駅に着いて初めて気付いたのだ。自宅の鍵と財布を更衣室に忘れてきたことに。下っ端のバイトの俺には、店の鍵は渡されていない。もし全員上がっていて、店が閉まっていたらアウトだ。このクソ寒い中、野宿をする羽目になる。


 店に着き、祈る思いで従業員専用入り口のドアノブに手をかける。良かった、まだ開いてた。更衣室に行き、ロッカーを開けると、やはり鍵と財布はそこにあった。ふう……危ない危ない。さて、早く帰ってリナと……。


「~~~~~!」


 ん? 今何か聞こえたような……。俺はふらりと更衣室を出て、その音……いや、声のする方へ向かった。どんどん声がはっきり聞こえてくる。何か物騒な気配がするぞ。俺は1つのドアの前で立ち止まった。この部屋か?


「やめて! 助けて!」


 ────!? 俺は反射的にドアを開けた。そこには、全く思いも寄らない光景が広がっていた。女子更衣室を開けてしまったことに気付き一瞬慌てるが、それどころじゃないことにも、すぐに気付いた。縛られて椅子に座らされているレナ。その前にハサミを持って立ちはだかるユミコ。それを取り巻く4~5人の女。そして、それらの視線が一斉に俺に降り注がれる。未だかつて、ここまで女の注目を浴びたことはない。


「し、白鳥……! 何でお前がここにいんだよ!」


「いや、その……忘れ物を取りに」


 ユミコってこんな言葉遣いする女だったのか。客の前での態度とはまるっきり正反対だ。気圧されながらも、俺はようやく事態を把握してきた。これはリンチだ。恐らく、ナンバー1のレナが気に入らなくて、ナンバー2のユミコとその手下達がレナを潰そうとしているのだ。と、とんでもない場面に遭遇してしまったぞ……。


「おい、白鳥。お前まさか、誰かにチクったりしねえだろうな?」


「えっ……あ、はい、それはまあ……そうですね」


「チクったらお前もただじゃおかないからな。分かったらここで見たことは全部忘れて、さっさと帰れ」


「わ、分かりました……失礼しました~……」


 俺は縮こまりながら後ろ手にドアを開けて、ゆっくりと退室した。…………ちょっと待て。いいのかそれで。間違いなく、レナはこの後リンチされるぞ。ハサミまで持ち出してるから、下手するととんでもないことになる。いや、でもレナか……。俺もいつもレナに嫌味言われたりしてるし、多分キャストからも嫌われているのだろう。それなら自業自得とも言える。むしろいい気味だ。俺もこれ以上、トラブルに巻き込まれるのはごめんだ。やはり見なかったことにして帰ろう。俺はそう決意して、一歩踏み出した。


 ────優しくて、強くて、頼れる人が好き。


 リナはかつてそう言っていた。今の俺はそれか? いや、違う。これじゃあ、ただの卑怯者の臆病者だ。レナはリナじゃない。だが、ここで見て見ぬ振りをしたら、俺にリナを愛する資格はない! 俺は携帯を取り出した。今から110番したのでは間に合わない。俺はカメラを起動させ、ドアを勢いよく開き、すぐさまシャッターボタンを押した。


「あっ! お前何やってんだ!」


 素早く携帯を操作して、今の写真をメールで飛ばした。


「も、もう遅いぞ! 今の写真は俺の自宅のパソコンにメールで送ったからな! たとえ今からこの携帯を壊したって、証拠はもう消しようがないぞ!」


「こいつ……!」


「こ、ここ、このまま何もしなければ、俺もこれ以上は何もしない! だ、だからすぐに出て行け!」


 どもりまくりな上に声まで裏返った。我ながら情けなさ過ぎるが、こいつらには効果覿面だ。ユミコが苦虫をかみつぶしたような顔でしばらく俺と睨み合った後、諦めたように取り巻きを連れて、ぞろぞろと部屋から出て行った。ユミコにすれ違い様に思いっきり舌打ちされ、俺は目を合わせることも出来なかった。俺とレナだけがポツンと部屋に残り、さっきまでの喧騒が嘘のように静かになった。


「……ねえ、ほどいてよ」


「あ、はい」


 忘れてた。俺は慌ててレナを縛っている紐をほどいた。足の紐をほどく時に、眼前に生足があるせいで、不覚にも股間が熱くなった。


「携帯貸して」


 俺の返事を待たず、レナは俺の携帯を取り上げ、何やら操作し始めた。数秒後に、レナの携帯からメールの着信音が鳴った。さては、今の写真を自分の携帯に転送したな。店長か警察に言うつもりだ。俺は何もするつもりはないが、レナはきっちりとユミコ達に制裁を加えるつもりだ。用が済んだ俺の携帯を無言で突っ返し、レナが口を開いた。


「着替えるから出てって」


「えっ。あ、はい……すいません」


 言われるがまま、俺は部屋を出て行った。…………あ……ありがとうの一言も無しかよおおお! 心の中で俺は叫んだ。なんてクソアマだ。助けるんじゃなかった。一体どこまで俺を見下せば気が済むんだ。また同じ事が起こったとしても、もう2度と助けるものか。俺は心に固く誓った。そして追い打ちをかけるように、新たに不愉快な事実に気付いた。携帯のメールの送信履歴に、さっきレナが自分の携帯に送った履歴が残されていない。送った直後にわざわざ消したのだ。別にレナのメルアドが分かったところで、何かするわけじゃないが、恩人に対してここまでするとは……。もう今日は何もする気が起きない。リナには悪いが、帰ったらさっさと寝よう。俺は最悪の気分を引きずりながら、店を後にした。





 昨夜は結局ハルトは戻ってこなかった。昨日のうちにチーム白桜に移籍しようという話だったのに。まだ定員になっていないからいいものの、危うくチャンスを逃してしまうところだ。今日の午前中までにログインしなかったら、僕だけでも先に入団申請してしまおう。その後に定員になってしまったら、その時点でハルトとの関係は終わりだ。


 しかし、その必要は無かった。ちょうどログインしたようだ。やっと来たか……まったく、しょうがない奴だな。ハルトにメールを送り、夫婦専用部屋に呼び出した。


リナ:おはよう(^^)

ハルト:おはよう。昨日は悪かったね

リナ:ううん、気にしないで。バイト大変だったんでしょ?

ハルト:うん……まあ、いろいろあってね。ところでさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど

リナ:うん、何?

ハルト:あ、いいや後で。先にチーム白桜に申請出そうか

リナ:そだね


 ちょうどギルマスのウルフがログインしていたようで、申請後にすぐにメールが届いた。


『申請ありがとうございます。今から面接しましょう』


 面接か。まるで会社だ。だが、今更驚くことは何もない。厳しい入団条件を提示しているトップギルドなら、むしろ当然と言えよう。まあ、リナもハルトも落とされる理由はないだろう。


 部屋のインターフォンが鳴った。誰だ? まだ朝の7時半だぞ。誰だか知らんが非常識だな。僕は席を立ち、ドアスコープを覗き込んだ。理奈……? こんな時間に、しかも連絡も無しに来るなんて珍しいな。ドアを開けると、何も言わずに抱きついてきた。何か様子が変だ。


「理奈、急に来てどうしたんだ?」


「……昨夜、凄く怖い目にあったの」


「何があったんだ?」


「言いたくない……」


 ちっ、面倒くさい女だな。ストーカーにでも追われたのか? ったく、これから面接だというのに。


「まあ、とにかく上がりなよ。ソファーに座って待ってて」


「ゲームするの?」


「ああ、今ちょっと手が離せないんだ」


 理奈は不満そうな表情を浮かべながら部屋に上がり、ソファーに寝転んだ。慰めてほしかったんだろうが、そんな暇はない。適度に距離感を置けるから理奈と付き合ってやっていたが、こうなってくるとそろそろ切り時かもしれないな。面倒くさい女は、僕が最も嫌うタイプだ。僕はパソコンチェアーに座り直し、ハルトと共にチーム白桜の溜まり場である、闘技場北口へと向かった。そこにはウルフの他にも、JETや他数名のメンバーがいた。


リナ:こんにちは!

ハルト:こんちわ~

ウルフ:やあどうも。突然呼び出してごめんね

リナ:いえ、こちらこそいきなり申請してすいません(^_^;)

JET:おっ、リナちゃんじゃん。遂に来たかー

ウルフ:おろ、知り合い?

JET:闘技場でよく一緒に遊んでるんだよ。な、リナちゃん

リナ:はい、いつも助けてもらってますw

ウルフ:そかそか。ところで2人とも、募集要項は見てくれてるのかな?

ハルト:ええ、見ました。条件は満たしてるはずです

ウルフ:うん、確かに。入団後もノルマとかいろいろ厳しいけど、大丈夫?

リナ:はい、頑張ります!


 その後もいくつか簡単な質問をされ、リナとハルトは晴れてチーム白桜の一員となった。ここまで長かったこともあって、流石の僕も感無量だ。だが、まだ終わりではない。このゲームの頂点に立つ、ウルフを超えてランキング1位になることこそが、僕の最終目標だ。


 チーム白桜の活動時間は夜だ。それまでは自由時間なので、面接後は一旦夫婦専用部屋に戻ってきた。


リナ:良かったね、無事に入団出来て

ハルト:うん、そうだね

リナ:そういえばさっき、何か言いかけてなかった?

ハルト:あ、うん。実は昨日、密告者って奴から変なメールが届いたんだ

リナ:密告者? 誰それ。なんて書いてあったの?

ハルト:その……まあただのイタズラメールだと思うんだけどさ

リナ:うん

ハルト:気をつけろ リナはネカマだ って


「!?」


 何だと……。誰の仕業だ? 何故リナの正体を知っている? わざわざハルトにそんなメールを送ったということは、少なくともハルトとリナの仲を知っている人物。そして、リナがネカマであることを確証しているのは……。僕は後ろを振り返り、ソファーに寝転んでいる理奈を見た。いや、流石にそれはないか。そんなことをする意味は何も無い。しかし他に考えられるのは……。


 以前、他のゲームで僕に騙された奴の復讐…………いや、それもないな。僕は毎回、その時に付き合っている女の名前でネカマをしてきた。リナという名前を使ったのは今回が初めてだ。例えば前回使ったカレンや、前々回使ったマユ。これらとリナを結びつけることは出来ない。


 まさか、ネカマブログか? あのブログではスクリーンショットを載せる際、リナやターゲット達の名前は全て消してある。しかし、キャラにモザイクをかけたりなどはしていない。知る者が見れば、それがリナとハルトであることは一発で分かる。しかも、ネカマブログはDOG以前から続いている。例えばもしカレンの被害者がブログを見つけ、DOGのリナとハルトを見つけたとしたら…………ハルトに密告することは可能だし、動機も充分だ。


 くそ、まずいな……。もしあのブログのURLを、密告者とやらがハルトに知らせたら終わりだ。いや、それが出来るなら既にやっているか。ではどうやってリナの正体を突き止めたのか、それが分からない。一応ブログは消しておくか…………いや、せっかくあそこまでアクセス数を伸ばしてきたんだ。こんな事で終わらせるのは惜しい。とにかくこの場は否定しておくしかないか。


リナ:私がネカマ? そんなわけないじゃんw

ハルト:だよなぁ……

リナ:もしかして疑ってる?

ハルト:い、いや、そんなことないよ

リナ:あーでも……今まで私のプライベートの事とか全然話したこと無かったもんね。絶対に信じてとも言えないよね

ハルト:まあ、リナのこともっと知りたいって気持ちはあるね

リナ:でも言葉ではいくらでも誤魔化せるし……。そうだ! それなら私の写真見せてあげる

ハルト:えっ、本当に!?

リナ:うん。別に減る物じゃないしね。でもその代わり、ハルトの顔も見せてよ( ̄∇ ̄)


 ハルトの素顔を知ることは、別にリナの疑いを晴らすこととは関係ない。単なる僕の興味本位だ。半年連れ添ったパトロンのご尊顔を、是非とも拝んでみたいだけだ。僕はフリーのメールアドレスをチャットに打ち込んだ。


リナ:これが私のアドレスだよ。写メ送ってねw

ハルト:いや、でも俺……あんま格好良くないし。顔見たら嫌いになるかも

リナ:今更嫌いになんてならないよ。ハルトはハルトじゃん

ハルト:本当か?

リナ:もちろん。第一、私そんなに面食いじゃないしw

ハルト:分かった、信じるよ。ちょっと待ってて

リナ:私もちょっと準備してくるよ。少しでも可愛く撮りたいからw


 今までネカマだと疑われたことすらない僕にとって、今回の出来事は屈辱的だ。この屈辱を晴らすには、1%たりとも疑いを残してはならない。


「理奈、ちょっと来て。これを見てくれ」


「え? うん」


 理奈が身を起こして僕の後ろに立った。そして肩越しにモニターを覗き込む。


「見ての通り、写真を交換することになったから、理奈を撮らせてくれ」


「えぇ? 知らない男にあたしの写真を送るの?」


「ああ。だが、この手の男は多分、理奈みたいなギャルよりも、清楚系が好きだろうな。だから化粧を落としてきてくれ。髪も下ろして三つ編みにしよう。茶髪なのはこの際仕方ない」


「うーん……」


「頼むよ理奈。お前だけが頼りなんだ」


「わ、分かった。ダーリンがそう言うなら」


 理奈が洗面所に行くのを見届けてから、僕はパソコンに向き直った。ハルトの奴、やけに時間がかかってるな。必死で何枚も撮り直しているのだろう。無駄な抵抗してないで、さっさと送ってこい。僕が煙草に火をつけると同時に、メールの着信音が鳴った。早速添付ファイルを開いてみる。そこには、大体想像していた通りの若い男が写っていた。はは、こいつがハルトか。顔面偏差値45ってとこだな。別に不細工ではない、ごく平均的な顔だが、写真越しからでも漂うオタクオーラのせいで5点減点だ。後でブログに晒してやろう。お情けで目線だけは入れておいてやる。それにしてもこいつ……どこかで見たような気がする。


 理奈が洗面所から戻ってきた。さっきとは全く別人だ。メイク1つでここまで変わるとは、女とは恐ろしいな。派手さはさっぱり消え失せたが、ハルトは絶対にこっちの方が好みだろう。後は眼鏡でもかけさせれば完璧…………ん? 理奈の様子がおかしい。モニターを、ハルトの写真を食い入るように見ている。


「どうかしたのか?」


「ダ、ダーリン……やばいよ。こいつ、うちの店のボーイだよ! 前に話したことあるでしょ? 鈍くさい新人のボーイのこと」


「何だって!?」


 物凄い偶然だ。こんなことが起こりうるのか。ということは、ハルトは結構近くに住んでいる? 少なくとも同じ県内か。やはりどこかで見た事がある。記憶の糸を必死でたぐり寄せる。


「…………そうだ思い出した! こいつ、大学の通学バスの中で何度か見たことあるぞ」


「えっ、嘘! 同じ大学!?」


「学年は違うし、喋ったこともないけどね。間違いなくこいつだ。まさか僕にもリナにも、こんな接点があったなんてね」


 世間の狭さに驚かされるばかりだ。だが、今までこんな事は一度も無かった。目を付けたパトロンが、こんな身近にいたことなど。気持ち悪い言い方だが、運命という物を感じずにはいられない。


「やっぱり写真送るのはやばくない? 昨夜だって顔合わせたばっかなんだよ。バレるって」


「いや、それは大丈夫。さっきまでとは、どう見ても別人だ。今の理奈と、ハルトの知るレナを結びつけるのは不可能だ。念のため、この眼鏡もかけてくれ。それで100%バレない」


「う……うん」


 よし、上出来だ。髪の色にさえ目を瞑れば、差し詰め読書好きで内気な図書委員といったところか。いかにもオタクが好きそうなタイプだ。ゲーム画面を映し出しているモニターをバックに、理奈に自撮りさせた。これで少なくとも、どこかで拾ってきた画像だと疑われることはないだろう。それでもこれがリナ本人である証拠にはならないが、まあこれで充分だ。僕は理奈の写真をパソコンに取り込み、ハルトにメールで送信した。さて、どんな反応をしてくれるかな……?

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