#15 夫婦

 バイト帰りの電車内。俺はこの上ない疲労感に全身を覆われている。昼間とはいえ、休日はやはり混むようで、いつにも増して客の入りが激しかった。それに加え、またレナに怒られそうになった。前回怒鳴られたせいで、レナに対しては余計な緊張が生まれ、それがまたミスを呼ぶという悪循環に陥りかけている。どうもレナとは相性が悪いようだ。そんなこともあって、たった3駅だが俺は座席の端をキープして、壁により掛かってぐったりしている。コンビニバイトの時もそれなりに体力や神経を使ったが、キャバクラはそれとは比較にならない。まあ、時給も全然違うから文句は言えないが。


 そういえば、もうすぐ夏休みが終わってしまう。大学か……面倒だな。レオンとの戦いは一区切りついたとはいえ、これからまた忙しくなるのだ。勉強なんてしている暇はない。前期はとりあえず一通り単位を取れたんだ。後期は、必修科目だけ取って、選択科目は、来年や再来年に頑張ればいい。


『えー、間もなくー、犬新町ー、犬新町です。お出口は右側です』


 最寄り駅だ。俺は膝に手をつき、重い腰を力いっぱいに上げた。ホームに降り立ち、駅前のコンビニでメロンパンを1つ買った。これが今日の夕飯だ。手間やコスパを考えるなら、食パンを何もつけずに食べるのが最強なのだが、それではあまりにも味気ない。


 自宅に到着。真っ先にパソコンに向かい、電源を入れてからメロンパンの袋を開けた。起動を待ちながら、俺は昨夜のことを思い返す。昨夜、俺とリナはライジングを脱退した。雷神達に多少惜しまれはしたが、俺達のガチッぷりを見ていて、近いうちにこういう日が来ることは予想していたらしく、さほど驚かれる事は無かった。結婚のことは結局言い出せなかった。何となく照れくさかったのだ。だが、レオンだけは当然気付いていた。


レオン:結婚したのか? リナちゃんと


 囁きチャットでレオンは俺にこう話しかけてきた。


ハルト:ああ、そうだよ

レオン:そうか。おめでとう

ハルト:悪いが恨みっこなしだぞ。俺は正々堂々、真っ正面からリナに想いを告げた。その結果なんだからな

レオン:分かってるよ

ハルト:俺とリナはもっと上を目指すために、レベルの高いギルドを探す。お前もここにいたって退屈だろ? なんなら一緒に来てもいいぞ

レオン:……ハルト君、キミ変わったな


 それ以降、レオンは何も喋らなかった。変わっただと? お前が俺の何を知っていると言うのだ。他にもっと負け惜しみを言ってくれれば面白かったのに、少し拍子抜けだ。まあいい、所詮奴は中ボスみたいなものだからな。これから超えなきゃいけない壁が山ほどあるんだ。今夜から、新章の幕開けだ。





†マックス†:じゃあ、俺はそろそろ落ちるね。今日は楽しかったよ

リナ:私の方こそありがとう。何かごめんね、いろいろ貰っちゃって

†マックス†:なあに、気にしないでくれ。その代わり、また遊んでくれよ

リナ:もちろん! また遊ぼうね(*^▽^*)


 マックスがログアウトするのとほぼ同時に、ハルトがログインした。ちょうどいいタイミングだな。新婚翌日に他の男といるのを見られたら少し面倒だし、マックスにもリナが既婚者であることは知られたくない。結婚してから知ったのだが、どうやらこのゲーム、他のプレイヤーからは自分が既婚者なのか独身なのかが分からないようなのだ。もちろん僕の方も、例えば今のマックスが結婚してるのかどうかが分からない。ステータスを見ても何かが表示されているわけでもないし、結婚指輪も特殊装備品であるせいか、他人から見れる装備品一覧には表示されない。ぶっちゃけて言えば、これなら不倫し放題だ。意図的にこのような仕様にしたのだとしたら、DOGの開発陣もなかなか意地が悪いようだ。まあ、自由度が高くて面白いんじゃないか? くくく……。


『よっ。今何してる?』


『今は特に何もしてないよ。夫婦専用部屋で待ってるね( ^-^)』


 専用部屋にはボタン一つでワープ出来る。今はまだ必要最低限の物しか置いていない殺風景な部屋だが、飾り用アイテムで自由にコーディネート出来る。中には課金専用の飾り用アイテムもあるが、そんなくだらない事に使う金があるなら、リナに装備の一つでも買ってもらいたいものだな。そんなことを考えている間に、ハルトが姿を現した。


ハルト:お待たせ

リナ:全然待ってないよw

ハルト:はは、そうだねw ギルドはどこかいいの見つかった?

リナ:うん、一応ね。ギルドランキング20位の青の騎士団って所がちょうど募集してるし、割とガチっぽい割に雰囲気良さそうって思ったんだけど……

ハルト:けど?

リナ:ハルトはともかく、私が入団条件満たしてない(/_;)

ハルト:どんな条件?

リナ:戦闘力ランキング15000位以内だって。私は今16000ぐらいだから、あと少しなんだけどなぁ……

ハルト:ちょっと待ってて


 はい来た。ええ待ちますとも。慌てずにごゆっくり、ガチャを回してください旦那様。こうなることを予想して、あえて僅かに入団条件が足らないギルドに目を付けたのは言うまでもない。


システム:ハルトからメールが送られてきました。

ハルト:こんなんしか出なかった。でも今よりは強くなるでしょ

リナ:え、えぇ!? 私のためにガチャ回してくれたの?

ハルト:うん、当然でしょ。夫婦なんだし

リナ:ありがとう。ハルトってやっぱり優しいねw

リナ:あ、15000位切ったよ!

ハルト:そうか、良かった。出来れば流星の杖とかあげたかったけど、さすがに出ないわw

リナ:そりゃあねw ていうか出たら自分で使いなよ(^_^;)

ハルト:いや、俺には天竜の杖があるから。リナにあげた後にやっぱり欲しくなったら、もう1本出るまでガチャしてやるよ

リナ:うーん……じゃあ、あまり期待せずに待っとくねw ガチャ高いんだから、あまり無理はしないで


 流星の杖が出ることは期待していないが、出た時に譲ってくれることは期待している。一度口にした以上、そうしなければ格好がつかないだろう。それにしても、少し前からハルトの金遣いが随分荒くなったように感じる。何らかの方法で金を稼げるようになったのか、それとも元々金持ちだったのが本気を出したのか。いずれにせよ、課金アイテムを惜しみなく譲ってくれるパトロンは貴重だ。ハルトにはもう暫く世話になりそうだな。





 閉店後のジュエリーキャットで、俺は黙々と床掃除をしている。一昨日もバイト、昨日もバイト、今日もバイト。結局大学にはほとんど行っていない。でもいいんだ。3年間で卒業単位を取得し、4年生になったら大学には全然行かない人も多いと聞く。つまり元々1年間は余裕があるのだ。半年ぐらいはサボっても卒業は出来る。来年から本気を出せばいい。


 そんなことより、まずいことになった。またしても金がないのだ。給料日の25日まであと1週間。家賃の支払いは月末だからそれはいいとして、あと1週間を凌げるかが分からない。何故なら、明日からDOGで期間限定イベントが始まるのだ。当然それにあたり、充分な軍資金が必要だ。親からは借りにくい。元々仲が悪く、そもそも家を出て一人暮らしを始めたのも、親がウザいから離れたかったからだ。義務的に仕送りを出して貰っている今の状況で、これ以上金をせびるのは難しい。一体どうすれば……。


「よう、暗い顔してどうした?」


 藤森さんが気さくに話しかけてきた。冷たい先輩ばかりのこの職場で、この人は唯一俺に良くしてくれている。俺は床を磨くモップの手を止めた。


「いや、ちょっと金に困ってて……」


「学校にも行かずに、こんなに毎日働いてるのにか? いや、金が無いから働いてるのか。でも来週給料日だろ?」


「その前にちょっとまとまった金が欲しいんです。3万ぐらいでいいんですけど。ここって、給料の前貸しなんてしてないですよね……?」


「してねえな。でも3万でいいのか?」


「ええ。まあ、してないならいいです。何とかしますから」


 藤森さんが顎に指を当てて、何やら思案し始めた。数秒後、何かを思い付いたように俺に向き直った。


「なあ、金貸してやろうか?」


「えっ」


「勘違いするなよ。俺じゃなくて、俺の知り合いが金融会社の社長やってるんだけど、紹介してやろうか?」


「いや、でも……借金はちょっと」


「まあ、不安な気持ちは分かるさ。でも心配ねえよ。お前今月10万以上は余裕で稼いでるだろ。25日になったら、3万にちょびっとだけ金利を加えて返してやりゃいいんだよ。ちなみに俺の紹介だから、連帯保証人もいらないぜ」


 まあ、言われてみればそうか。どうせ返すアテはあるのだから、一時的に懐に金が入るだけだ。親には言えないから、連帯保証人いらずというのも地味にありがたい。


「じゃあ、お願いします」


「よっしゃ、ちょっと待ってな。…………ほれ、この住所のとこへ行ってみ。話は俺が通しておいてやるよ。良心的な金融会社だから安心しな」


「何から何まですいません」


 良かった。やはり持つべき物は、良き同僚だ。明日、早速訪ねてみよう。待っててくれよ、リナ。リナの分まで、俺がしっかり稼いでやるからな。そしていつかきっと、俺達はDOG最強の夫婦になるんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る