第23話 勇者対勇者

シズク=イーストは白い空間の中で、一人身動きがとれずにいた。


 今の自分の身体は幾重もの太い鎖を巻かれ、少しの動きも許されない。

 そんなシズクを遠くから見つめる二つの怪しく光る目があった。それはただじっとシズクを見つめ、口だけが不気味に横に開く。


「もう、なんなのよ!こらさっさとこの鎖をほどきなさい!」

 シズクは叫び続けるが、声がその目に届いているのかも分からない。


 一体いつから自分がここに捕らわれているか、シズクは分からなかった。夕食後に急に体がだるくなり、いつもより早い時間にベッドに入ったまでは覚えている。 しかし、その後の記憶がない。


 目を覚ましたら、もうこの状況だったのだ。ただ、ここに捕らわれて数日経っているという事だけは感覚で分かる。不思議なことに、この場所では空腹感も生理的反応もなかった。


 ここにあるのは、言いようのない不快感、むせかえる血の匂いだけだ。シズクはせめてマスクでもあれば、この匂いぐらいは嗅がなくて済むと思ったが、それは叶わない願いだった。


 暫くするとその光る目は、シズクを監視することに飽きたのか急に消えた。ここに来てから、何度か同じようにあの目が消えることかあったが、その理由はシズクには分からない。


 ただ今回違ったのは、今、目の前に褐色の肌をした銀髪の男が立っていることだ。

「あなた誰?」

 男は考えるように頭をかき、シズクに答える。

「俺はクローディアの知り合いだ。お前を助けに来た」

 シズクは男をじっと見た。きつい目つきをした、全てを圧迫するような気を放つ男。その気配から善人には見えないが、悪い男ではないように見えた。


「名前は?助けに来たのなら名前ぐらい名乗りなさいよ」

 シズクはとりあえず男とコミュニケーションを取ることにする。

 男はめんどくさそうに答えた。

「マルクだ」

「マルクさんね、クローディアの知り合いなのね?」

 シズクの問に、魔王は頷くと、片手でシズクを縛る鎖をやすやすと引きちぎった。鎖は一カ所裂かれただけのはずが、何故か粉々になって砕け散る。


「すごいじゃない、マルクさん!」

「逃げるぞ、俺の手をつかめ」

 歓喜するシズクをよそに、魔王はシズクへ手を差し伸べる。シズクは少し躊躇しながら、その手を取る。シズクはこの無愛想な男に興味がわいたのだ。

「これからどこへ?」

 シズクがマルクに訪ねると、マルクは眉間に皺を寄せ、辛そうな表情で言った。

「勇者退治だ」

 二人の姿が徐々に消えていく。その様子を遠くから、口を不気味に歪めながた二つの目が見つめていた。


「ここってどこ?」

 シズクは魔王で訪れた場所に、キョロキョロと辺りを見渡す。

 今いる場所は先ほどとよく似た白い空間。しかし、不快な血匂いはしなかった。

 魔王はシズクの質問には答えず、上空に向かい声を上げる。

「連れてきたぞ」

 すると、白い空間の奥からクローディアが姿を現し、二人を見つめた。しかし、その表情は苦悶を浮かべ、額から油汗を流していた。それでもクローディア頑張っては笑顔で迎えた。


「ありがとう魔王、シズクも無事で良かった」

「クローディア!」

 シズクはクローディアに駆け寄る。しかし、シズクとクローディアの距離が近づくほど、クローディアは息を荒くした。

 魔王はその様子を見て、シズクの手を取り、彼女の動きを制した。

「どうして?なんで、クローディアがこんなに苦しんでいるのよ!」

 訳が分からないシズクが、自分を制する魔王に向かい非難の声を上げるが、それをクローディアがシズクへ手を差し出して止めた。

「シズク、魔王は私を守っているのだ。だから責めないでくれ、、、」

 クローディアは苦しい表情のまま、シズクの後ろに視線を向ける。

 彼らをじっと見つめる、二つの目を爛々とさせ、醜く歪んだ口をする黒い四つ脚の獣へ。

「お前はここで倒す!」

 クローディアは叫びと共に、聖剣を獣へ向け構えた。


「あいつ、ここまで付いてきたの!?」

 叫ぶシズクに、魔王は目線をクローディアに向けたまま口を開く。

「あれは、お前に巣くった勇者の力だ。お前の一部なのだから、ここにいるのも当然だ」

「私の一部?」

 シズクは気持ちが悪くなった。あんなものが自分一部だと言うのか、と否定をしたくなる。しかし、その瞬間、シズクは口元を押さえた。


「うっ、何これ、血の味が口の中に広がってくる、、、」

 顔色を青くしたシズクがその場にうずくまった。魔王はそんなシズクの背をさする。

「勇者の力を自分の一部と認識したせいで、今まで殺した人間の血の味までも感じるようになったようだな」

「な、何よ、それ。私が人を殺した?馬鹿なこと言わないでよ、どうして私がそんなことを、、」

 シズクは口元を押さえる手に力が入る。この男は何を言っているのだ?と思った時、猛烈な吐き気が彼女を襲った。


「うっっ」

 シズクは、胃からこみ上げる不快な感覚に苦しんだ。本来なら嘔吐しているような状態だが、実際には何もこみ上げてこず、吐き気だけが継続する。

 そして、視覚の情報がシズクを襲う。

 恐怖におびえる兵士の顔、飛び散る血と肉、臓物、苦しそうな顔で見つめる父である王、自分を慕ってくれた貿易船の船長と、それを狂気のままに引き裂く自分。

 簡単に引き裂かれ死んでいく人間は、余りにも脆いと、シズクは思わずにいられない。


「あああっっ、私が、私がこんなことをしたの?!嘘、そんなはず無い!私がどうしてこんなひどいことを!人殺しなんて!」

 魔王は、そんなシズクを強く抱きしめた。

「お前が悪い訳ではない。お前をその様にした存在が、勇者の力が悪いのだ。だが、手を下したのはお前には違いない。その苦しみ、決してすぐには癒えはしないだろうが、俺たちが支えてやる。だから今は耐えるのだ」

 シズクは、涙を浮かべ、魔王とクローディアを見た。


 クローディアは眩く光る聖剣を構えたまま、目の前にいる存在、勇者の力に向かい叫ぶ。

「私は決してお前のような存在は許さない!」

 目の前の獣は、その声に鋭い聖剣の爪で答えた。獣はクローディアに四つ脚で駆け寄り、飛びかかる。

 クローディアはその獣の前足の爪を聖剣で受け止めた。

「イレギュラーは存在してはならぬ!」

 獣は初めて、その口から声を出した。しかしそれは声というよりも、この勇者という存在自体の意志がそのままクローディアに伝わる感覚に近い。


「ふざけるな、人の意志をなんだと思ってる?シズクを、人間を勇者のおもちゃにするな!」

 クローディアは聖剣を横に振り払う。

 獣は後ろに飛ぶようにクローディアの剣を避けると、ニヤリと笑った。四つ足の獣は、その姿を徐々に変え、黒い影のようなシズクと瓜二つの姿へと変わる。

 シズクと異なるのは、醜く歪んだ表情と、両手足から延びる鋭い爪。人の姿となった獣は、改めてクローディアに爪、聖剣を向けた。


 クローディアは、その爪を受け止めては攻撃に反転する。クローディアの聖剣は獣へ向かい振り下ろされ、それを獣は後ろに避けるが、クローディアは止まることなく前進し、振り下ろした聖剣を今度は下から斜め上に振り上げる。

 そして、斜め上から斜め下、下から突きに転じ、突きから横になぎ払う。その一連の流れは徐々にスピードを上げる。


 獣はクローディアの聖剣を始めは爪で受け止めていたが、徐々に捌ききれず、身体に裂傷が増えていく。

 獣の顔に焦りが浮かんだように見えたとき、クローディアが膝をついた。

「クローディア!」

 魔王が叫ぶと、クローディアは一瞬微笑む。

「まだ、大丈夫だ!」

 クローディアはそれだけ言うと、クローディアは再び聖剣を構えようとするが、獣もそれを見逃さず、右足で鋭い蹴りを放った。

 クローディアは聖剣でそれを受け止めると、今度は凪払うような獣の左足の蹴りが襲う。その蹴りの勢いを押さえきずに、クローディアは後ろに跳ばされた。


 転倒したクローディアは苦痛を浮かべつつ、片膝を付いた状態で、獣を睨む。

「私はお前を絶対に許さない!人を弄ぶお前を!だから、私はこんなところで負けることは出来ないんだ!」

 クローディアはゆっくり立ち上がると、聖剣の切っ先を獣に向ける。そして、駆け出した。

 獣もそれをただ見ていることはなく、同じタイミングでクローディアに迫る。

 剣と爪が交差し、激しい火花が散った。

「クローディア、もう時間がない!」

 シズクを支える魔王が叫ぶ。クローディアはそれを聞いたからか、少し目を細めて再び剣の速度を上げていく。


 クローディアは、腰を落としながら身体をひねり、聖剣に込めた力を横から獣にぶつけた。切るよりも叩きつけるといったその一撃は、獣の爪をはじき獣の横腹に突き刺さる。

 だが、この一撃は浅かったらしく、致命傷ではなかった。それを確認しようとして、獣は一瞬クローディアから目を離してしまった。それを獣が後悔したのは、再び爪を向けた時、目の前にいるはずのクローディアの姿が無いと判断した時だった。


「はあああっっ!」

 クローディアの怒りの叫びが獣の上空から響く。獣が上空を見上げた時にはクローディアの聖剣が赤く輝き、その一撃目が獣の左肩に深く突き刺さっていた。苦痛を浮かべた獣が肩に刺さった聖剣を右腕で振り払おうとするが、もうそこには聖剣はない 。クローディアの二撃目は、それより先に獣の振り上げた右腕を切り飛ばす。


 慌てた獣は上空のクローディアをもう一度確認し、動く両足で切り裂こうとしたが、見上げた視界は徐々に二つに別れて焦点が合わなくなる。

 クローディアの三撃目は、獣の動きよりも早く、その頭に突き刺さり、頭から縦に二つに切り裂いていた。ゆっくりと二つに裂けていく獣は、一体何が起こったか分からないまま倒れ込み、崩れ落ちると共に黒い塵へ化していく。


 そして、獣の最期を見届けたクローディアは、その場に聖剣を支えに辛うじて立ち、魔王とシズクに笑顔を向けた。

「かっ、勝ったよ、魔王」

「ああ、よくやったクローディア」

 魔王がクローディアにねぎらいの言葉をかけると、クローディアはゆっくりと身体を崩していく。

 いつの間にかシズクから離れた魔王は、クローディアを優しく受け止め、抱きしめた。


 シズクはその二人様子を、ただ見つめるしかできなかった。

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