第21話 お義母様の昔話

イースト公国


 クローディアと魔王へ、勇者誕生の動きありと報が入る前夜に、話は戻る。


 イースト公国の城内では、突然の騒動に慌ただしく兵士たちが動き回っていた。


「おやめください!」

 兵士の声が響くと同時に、別の兵士が宙に舞い、声をあげた兵士の前に落下する。大理石の通路に打ち付けられた兵士は、肋骨を折ったのか呼吸が荒く立ち上がることが出来ない。


 彼らの目の前には、身を低くかがめ瞳を爛々と輝かした、獣と称した方が受け入れやすい姿の者が、兵士に向かい低いうなり声を上げていた。

 その者を取り押さえようと、数人の兵士が抑えかかるが、獣が振り回す両腕の勢いに吹き飛ばされる。それから何人もの兵士が壁に、天井に、床へと叩きつけられた。


 辺りが兵士たちの血で染まり、兵士たちが自分たちに迫りくる死を予感したとき、突然その獣は急にガクンと膝をつき、瞳の光を失った。


 それを兵士は見逃さず、一気に押さえ込みにかかると今度は何も抵抗なく、その獣を拘束をされる。

「陛下へは後で報告をする、それまで牢に鎖で縛り付けるのだ!」

 兵士の一人がそう言うと、部下らしき兵士たちが、意識を失ったその者を連れて行く。命令をした兵士は奥歯をきつく噛みしめる。

「一体何が起きているというのだ?これでは本当にただの獣ではないか、こんなものが勇者だというのか?!」


 一時間後、地下牢の前に近衛兵に守られた王の姿があった。その獣は既に目を覚ましていたらしく、繋がれた鎖を引きちぎろうともがいている。


 王は、鎖を軋ませながら、獣のような目を自分を向ける者の姿に戸惑いを隠せない。

「センターサウス王国のマリアンヌ殿から連絡のあった偽勇者の報、あまりの内容に疑いを持っていたが、まさかこんな形で見ることになろうとは、、」

 王の言葉に反応したのが、鎖に縛られたその者は、低い声で唸るように声を出す。

「勇者クローディア、殺す。魔王、殺す。それ神からの指示、、」

 それだけ言うと、まるで雄叫びの様な叫びを甲高くあげる。その心臓を鷲掴みするような声に、王を含めた近衛兵は耳を押さえ、目を細めた。


「朝まで はこのままとせよ。センターサウス王国へはまだ報告はせん、内々で処理出来るようにするのだ」

 そう言うと王は、何とも苦しそうな顔を浮かべ、一度だけその獣に振り返ってから立ち去った。


 しかし夜明け前、状況は一変する。城の地下牢で爆発音が響いたのだ。


 駆けつけた兵士たちが見たのは、壁に大きく穴があいた牢と、無惨にも粉々となった鎖。牢の穴の奥は下水道となっているらしく、ひどい臭いも漂ってくる。

「すぐに陛下へ報告しろ!あと何人か召集し、下水道の探索に入る!」


 その騒動は、イースト公国へ潜入していたアルマの耳に入ることになった。部下に魔王への報告を任せたアルマは、単独でその勇者の動向を追う。


 地下の下水道から逃走した勇者は、まだ見つかっていないらしい。足取りを追った兵士たちは、最後の海へと続く箇所で激しく損傷した鉄柵を見つけ、勇者は海上または港方面へ逃走したと考えられた。


 それは王の耳に入り、すぐに港の閉鎖が行われたが、残念ながらそれは一隻の貿易船が出向した後のことであった。そして、その貿易船が港を出ていく姿をアルマは歯ぎしりしながら見ている。

「間に合いませんでしたかっ!」


 一方、出航した貿易船の甲板は惨状と化していた。血まみれの船員の死体が至る所に散乱し、息絶え絶えの船員の姿も見える。

そして、その中心には血まみれの獣がいた。その獣を見つめ、がくがくと震える船長の前で、それは口を開く。


「深黒大陸へ、向かえ」

 それを聞いた船長は、大きく首を横に振る。

「いっ、いくらあんたの頼みでも、あそこは無理だ!全員死んじまう!」

「なら、ここで死ぬか?」

 血塗れの手のひらを舌で舐める獣を前に、船長には選択肢はなかった。

「分かった、だがもう船員には手を出すな」

「約束しよう、、」

 それだけ言うと、獣は死体の中心で横になり、その臓物をまき散らす死体をまるで戦利品のように舐めるように見つめて、ニヤリと口を醜くゆがめた。



魔王城


「マルク様、アルマからイースト公国の勇者が船で国を脱出したと連絡が入りました」

 メラルダは自室で戦いの準備に備える魔王に告げる。

「うむっ、やはり船を奪ったか。ここまでは海流に乗ったとしても数日はかかるな?」

「はい、早くて三日かと」

 メラルダの答えに、魔王は考えを巡らせる。

「分かった、やはり海上で敵の勇者を迎え撃つ。深黒大陸へは奴を上陸させてはならぬ」

 それを聞いていたクローディアは、メラルダに詰め寄った。


「メラルダ、それで敵の勇者とは一体どのような者か分かっているのだろうか?」

「獣の様な者としか情報がありません。詳しい情報については、情報統制がひかれている様なのです」

「イースト公国は、勇者の情報を隠そうとしていたという事か!」

 苛立つクローディアに、魔王は声をかける。

「クローディア、隠さなければいかない理由が他にあるかもしれん。だから、今はこちらが慌てずに冷静に対処するのだ」

 クローディアは魔王の言葉に我に返り、静かに頷く。


「そっ、そうだな魔王。すまん、どうにも体がうずくのだ。どこかで自分以外の勇者を感じているせいなのかもしれない」

「クローディア、これから来る者はただの殺戮兵器と同じだ。お前と同じ勇者だと思うな」

 魔王は、クローディアの肩に手を置き笑う。その"殺戮兵器"という言葉はクローディアの肩に重くのしかかった。

 分かっていたことだ、これから来る者は自分を殺すことを目的とした存在なのだと理解しても、理不尽に心を弄ばれた相手に剣を振るうことができるのかと悩む。


「できれば、私はその者も救いたい」

 クローディアは魔王に訴えるよう言う。それに魔王は、分かった、と優しく答えた。


 その夜、クローディアは興奮が冷めないこともあり、なかなか寝付けずにいた。

 隣を見ると寝息たてる魔王がいる。このような光景はもう見慣れたものだ。

 魔王はどんな夢を見ているのだろう?とふと思う。その夢には自分は出ているのだろうか?夢の中の自分はどんな自分なのだろう?と。


 自分というのは他人の見る分だけ存在するという。クローディアは、魔王は自分をどの様に見ているのか気になった。

 夢でつながった際、クローディアは魔王の心を少し覗いたが、その時自分とは比べものにならないような大きな心を感じていたからだ。


 国、国民といった多くの人在らざる者を背負った魔王、一方、勇者という名ばかりの力を与えられ道具として使われようとした自分。そこに大きな差を感じずにはいられなかった。

「魔王、本当にお前の側にいるのは私でよいのか?もっと魔王に似合う素敵な女性がいるのではないのか?」

 クローディアは自虐的だと理解しながらも、言わずにいられない。


 クローディアは魔王を起こさないようにベッドを出て、肩にショールをかけると部屋を出た。


「夜風にでもあたろう」

 クローディアは一人歩き、出窓のように外に開かれた場所に来て、空を見上げた。

 空はいつものように厚い雲に覆われている。クローディアはその雲が自分の心の"もや"のような気がして、息苦しくなった。


「クローディア様?」

 かけられた声に振り返ると、メラルダがそこにいた。

「こんな時間にどうされました?」

 クローディアはメラルダに何と言ったものか悩んだ。悩んでいるからこう言った。

「考え事をしていたのだ」

「敵の勇者のことですか?それとも、マルク様のことですか?」

 クローディアは、一瞬目を見開いてから、魔王のことだとメラルダに言った。


 メラルダは少し考える素振りを見せてから口を開く。

「では、少し昔話をしましょう。マルク様の事ではありません、私のことです」

「メラルダの?」

「はい、私のです。大して面白くはありませんけど」

 メラルダは深呼吸を一度して、クローディアに向かって口を開く。


「あれは前魔王様が、ルーシア様と別れて三ヶ月後、他界を避けるため、かなりの遠回りをして我々はこの大陸にやっと上陸しました」

 思い出すようにメラルダは空を見上げる。


「この地に来て前魔王、ミスト様は、この城の建設などよりも土地の開拓に力を注いでいました。持ち込んだ食料も僅かになり、生きるため、"生きる"ために皆精一杯だったのです。そこに魔王だからといったことは一切関係ありませんでした。ミスト様も鍬を持ち、ほかの同胞とともに開墾を行っていたのです」


 二人の間を、夜風が吹き抜ける。

「そして待ち望んだ初めての収穫時期を迎え、我々は小さなお祭りをしました。そんな時です、ルーシア様の崩御の報が入ったのは。それを聞いた私はその時、内心喜んだのです」

「えっ?」

 クローディアはメラルダに驚きの顔を見せる。


「私はミスト様のお父上、つまりルーシア様が撃った魔王様がセンターサウス小国の近くの森にいた際、私はミスト様と幼なじみの様に育ったのです。告白してしまうと、私はその頃からミスト様が好きだったのですが、ミスト様が偶然ルーシア様と出会ってからは、ルーシア様とばかり遊ばれて、私のことなどには見もしませんでした」

 メラルダは思い返すように、目を閉じる。


「ルーシア様が勇者に目覚め、ミスト様と分かれてからは、私は当時の魔王様ではなく、ミスト様の側近として仕えていました。私はルーシア様の代わりにミスト様の側にいられることにこの上ない幸せを感じたのです。そしてミスト様が魔王となり、この地に来てからもです。どんなにひもじく苦しくても、私はとても幸せでした」

 メラルダの閉じた目から、一筋の線が流れる。


「ルーシア様の死を知った私は、ルーシア様はもういない、私だけがミスト様の支えになれると歓喜したのです。でも、私は結局ルーシア様には敵いませんでした。ルーシア様の死を知ったミスト様は、長い間、心を閉ざし、あの時と同じ、傍にいる私を見ようともしません。だから、私はとても卑怯な手を打ったのです」

 メラルダは苦しそうな笑顔を、ゆっくりとクローディアに向けた。


「私は、ミスト様とルーシア様の約束を盾に、ミスト様に愛してもらったのです」

 クローディアの目が、その言葉に大きく見開かれた。

「そっ、そんな、それはあんまりではないか!」

 クローディアは、メラルダのその時の気持ちを察し思わず叫ぶ。


「それでも、その時は私は確かにミスト様に愛されたのです。そして、私はマルク様を身ごもりました。あの子をお腹に宿した時、私はとても幸せでした。ルーシア様に出来なかったことを、"私はルーシア様に勝ったのだ"、愛しい方をやっと手に入れたのだと。でも今になって思えば、その時の私の中に渦巻いていたのは、女の嫌な優越感といったものでしょうか」

 クローディアはメラルダの独白に言葉を失った。メラルダはそんなクローディアの顔を見て、悲しい笑みを浮かべる。


「でも、マルク様が産まれてみると、私は母であるという事に耐えられませんでした。今更になって、ミスト様とマルク様への罪悪感に耐えられなくなってしまったのです」

「メラルダ、それで本当に良かったのか?」

 クローディアはそれ以外にかける言葉が見つからなかった。メラルダはそれに笑顔で答える。


「マルク様は、"あの子"はクローディア様と一緒にいると、とても幸せそうな顔をするのですよ。私にとって、あの子がそんな顔でいてくれることが、本当にとても幸せなのです。ですからクローディア様、あなたはそんな自分にもっと自信を持ってください」

「メラルダ、、、」

「マルク様を幸せに出来るのは、クローディア様だけなのです」

 メラルダは笑顔でそう言うと、昔話はここまでです、と一礼をして背中を見せた。その背中を見つめるクローディアは生きてきた年数もまだ少なく、経験も少ない。だからメラルダの心の本当の辛さはわからない、しかし彼女に対してこれだけは伝えることができると思い、その背中に声をかける。

「メラルダ、これだけは言わせてほしい」


 メラルダは顔だけをクローディアに向け、何でしょうか?と答えた。クローディアは頭からではなく、"心"から言葉を紡ぐ。

「私はメラルダに感謝している、あなたがいなければ私は魔王に出会うことはなかった」

 その言葉をメラルダは噛みしめるように聞いていた。その瞳は閉じられて影となり、表情はクローディアからは伺えない。


 メラルダはクローディアに向かいもう一度一礼すると、何も言わず立ち去った。


 クローディアは立ち去るメラルダに対して、本当はまだ言いたいことがあった。しかしその言葉は、クローディアから伝えるのは何か違う気がして言えなかったのだ。


「きっと私以上に、魔王はメラルダに産んでもらったことを感謝していると、私は思うぞ」

 クローディアは、一人空を見上げつぶやく。

 誰にも届かないその言葉は、夜風にかき消された。

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