8:00
教室には誰もいなかった。
いや、もっと正確に言おう。高三の教室が並ぶ三階には、私しかいなかった。
「まあ、集合九時半だしね」
特に意味のない独り言を口にしても反応する人がいない、というのはありがたいことだ。下手に突っ込まれても困るだけなのだ。少なくとも、私は。
机の横にリュックをひっかけてから、ファスナーを開いて中からカメラを取り出した。今日の荷物の中で一番の重さを誇る、高校三年間愛用してきた真っ黒なデジタル一眼レフ。写真部で先輩につけられた名前は、
「さ、行くよ。闇」
そっと闇を撫でてから、ファスナーを閉めて私は立ち上がった。闇の電源をつけて、窓際へと歩み寄る。
卒業式予行の今日、みんなが来る前に、学校の写真を撮りたい。
それが、私がこんな早くに登校してきた理由だった。
ここ、三年一組は校舎の最果てともいわれる、三階の一番奥にある。
教室に向かう際、この階すべての教室に人影がないのを確認したつもりだったのだが、どうやら不完全だったらしい――という事実に気付いたのはその直後のことだった。
カシャッ
窓を大きく開け、少し身を乗り出して中庭の桜の木にピントを合わせていると、爽快なシャッター音が向けられた。
慌てて振り向くと、教室の入口に私と同じデザインの白いカメラを構えて楽しそうな笑みを浮かべる男子生徒の姿があった。
「おっはよー、
「
「うん、撮った。汐里ちゃん、六組覗いたのに俺に気づいてくれなかったでしょ、その罰」
戸叶は私と同じ、写真部に所属していた数少ない同期の中の一人だ。私が部長で戸叶が副部長だった。カメラよりハチマキのが似合いそうな爽やか男子、というキャッチコピーが私の中では完成している、そんなやつだ。ルックスだけ見るとバスケ部かサッカー部、実際は写真馬鹿。馬鹿と自分で言うだけあって、写真への情熱と才能は部内トップレベルだ。
遅刻魔であるはずの彼が今ここにいるのは、おそらく私と同じ理由だろう。写真のこととなると苦手な朝も強くなる、彼はそんなうらやましい体質の持ち主なのだ。
カメラ・光を手に自然に一組の扉をくぐった戸叶は、私が何を撮ろうとしているか気づくと、軽やかに指を鳴らした。
「いいなー、この角度。六組からだとこの木遠すぎてうまく撮れないんだよな。あとでこの写真くれない?」
隣に並んだ声がすでに嬉しそうだ。
そして私がそれを裏切る必要はどこにもない。
了承の意味で軽くうなずくと、彼は小さくガッツポーズをした。
これが、私たちの関係。
お互いの写真を見せあって、気に入ったのはもらいあって。
引退しても、卒業を目前にしても、その関係は変わっていない。
きっと、これからも。
私は再び身を乗り出す。
穏やかな日差しの中、柔らかな蕾をつけた桜にピントがあった瞬間 、カシャッと闇が軽やかに声を上げた。
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