第9話 ヴェイ

 目を覚ますと、そこには心配そうな表情をしたヴェイの姿があった。

 日記を寝台で読んでいて、寝落ちしてしまったのを思い出す。その際、隣にヴェイが居たのもついでに思い出したが、まさか寝てから起きるまでずっと居たとも思えなかった。


「リベラル様、起きられましたか」

「……? うん」


 腕に力を入れて上体を起そうとすると、肩を軽く押され起きないようにと止められた。

 何が起きているのかわからずにヴェイのほうを見ていると、テーブルのほうからレイサとバルトが近づいてきた。


「あれ、二人まだ居たのか」

「話していても、リベラルは起きないほど深い眠りに入ってるみたいだから、ちょっと語り合ってたんだよ」


 呑気にバルトはそういうが、目はなにやら真剣な面影を残していた。

 レイサも、近づいてきて何を言うこともないが、心配そうな顔で美弦の顔を覗き込んで来ていた。


「御身体はどうですか?」

「……へ?」


 ヴェイが何かを焦っているように聞いて来るが、何を言っているのか理解ができていない美弦は、どういうことかと問う。

 バルトとレイサの語り合いも落ち着いた頃、部屋に戻ろうとしたときに寝ていたはずのリベラルが、低いうなり声を出したことにレイサが気付いた。

 途中で目が覚めるということが珍しく、近づいて様子を見るように覗き込むと口の端が切れ、血が出ていた。バルトに、先に戻っていたヴェイを呼びつけさせたとのこと。

 他に何かないかと探し、腹部の治療もおこなったと説明を受ける。


「……あー? あー。あー! そういうことか」


 ウェイスから借りていた日記にも、現実世界で受けた怪我は、そのままこちらの世界に持ち込むと書かれていたのを思い出す。

 現実の世界でいきなり傷が治ったのも、こちらの世界で治癒を行った結果。


(まぁ、現実に戻ったらこのことも忘れてるんだろうな)


 美弦にとって、それがいいことか悪いことなのかで悩んでしまっていた。

 今後も不本意な怪我をしてしまった場合、周りが困惑してしまう可能性がある。そして、何より美弦自身も冷静でいられる自信がなかった。


(でも、今回は怪我治してもらって良かったから…もうしないでなんて…言えない)


「リベラル? 何がわかったのだ」

「…いや、うん。ありがとうございます。助かりましたヴェイ」

「いえ」


 いきなりの謝罪に、ヴェイはキョトンとした表情をしてしていたが、それを遮るように、レイサが睨み付けるような瞳で視界に入る。


「それだけではわかりませんリベラル。わかるように説明を。持病か何かをお持ちなのですか」

「いや、いたって健康です」


 徐々にレイサに焦りと怒りが見え始めている。

 リベラルの健康管理を見るよう、命令を受けているのだろうか。

 体調は問題ないと言って上体を起こすと、バルトが茶化すように口を開いてきた。


「健康な者がいきなり血を流すかね」

「吐血みたいに言うなよ。ちょっといろいろあったんです」


 病人じゃないよと手を振り、枕元にあるはずの日記を探すが、片づけられてしまったのか手元から消えている。辺りを見回していると、小棚からレイサが探していた物を取り出す。

 受け取ろうと手を伸ばすと、渡すつもりが無いようで、スッと手の届かないほうへと引かれる。


「今日一日は安静にしてください。食事をお持ちいたします」


 返事を聞かずに日記を持って部屋を出て行ってしまった。その対応に、笑うようにバルトがまだこちらを向いて言う。


「子ども扱いだな。そういえば、昨日もご飯食べなかったんだってな」

「……空いてないんだよ」

「だから血なんか出すんだ」

「あれは違っ…!」

「どう違うんだ?」


 ニヤニヤ楽しむバルトの顔には、もうすでに真剣さは失われていた。茶化して事情を聞き出そうとしていることに気付いた美弦は、口を閉ざして顔を逸らす。満足したのか、笑いを堪えることなく、部屋を出て行った。


「では、何かございましたら、すぐにお呼びください」


 一礼をしてヴェイまでも部屋を出ていく。

 ご飯を用意すると言われた手前、すべて残す勇気がない美弦は、とりえず寝台から体を降ろし、適当な椅子に腰を下ろした。

 バルトが来てから、自室で一人が初めてだった。部屋を出ても護衛と一緒。城の中はある程度探索したので、行くあてもなくなってしまった。

 改めて一人になってしまうと、どうすればいいのか、わからなくなってしまう。


(にしても、こう考えてみたら、すごいところに来ちゃったもんだな)


 現実に持って行ってしまった怪我と、現実で起きた不思議な体験。もうすでに美弦の中で、こちらの世界の事を“夢”と言う括りに入れられないことが、徐々に実感し始めてきていた。

 一人で過ごすには広すぎる部屋を与えられ、待遇良くおいしいご飯にもありつけ、護衛と言うリッチな体験。夢だと思っていたからこそ出来た行動に、徐々に恐怖を覚えてくる。

 広い一室で大人しく待つこと数分、身の回りの事を行ってくれている女性たちが、三人ほど現れ、テーブルの上に食事を置いていく。

 城の中を歩き回っているときはいろいろな顔を見るが、この部屋に入ってくる女性に決まりがあるのか、いつも同じ顔だった。


「名前、教えてくれないかな」


 そう聞くと、いつも同じ真ん中に立つ女性が少しキョトンとしていた。少し間を置いて名を告げられる。

 真中のショートヘアの女性がルータ。左側に立つロングヘアの金髪がニタ。右側のセミロングの茶髪がルーニ。聞くと、三姉妹とのことで、城で使える一家らしい。

 今更な自己紹介を済ませると、三人は一例を残して部屋を出ていった。食事は病人扱いされている様子はなく、スタミナ重視の料理が並ばれていた。

 しかし美弦の胃は、いつものよう満腹状態のため、結局活動している時間、ほぼ食事に充てられるくらい、かなり時間をかけて食事を終えた。

 動きたくないくらいの満腹と、静かで広い部屋に一人残される孤独感。どちらが苦痛か天秤にかけ、重い体を起して部屋を出て行こうとしたが、扉の向こう側に居た護衛二人に、なぜか部屋に戻るようにと、理由を聞く合間もなく押し返されてしまった。

 ペーパーナイフが入っている棚に近づき、白紙の本と引出からペンを取り出し、寝台の枕元に持ってくる。

 前に見た日記を真似する様に、現実の日付を記入する。始まりは、初めてこちらの世界に来た日を基準とし、親指に怪我をした日、わがままを言って外に出た日。魔法を見せてもらったことや、怪我を治してもらったこと。そして、こちらの世界も、現実の世界も夢ではないこと。

 頭では順に記載しているつもりでも、徐々に筆圧は弱くなり、ポトリと音を鳴らしてペンは手から離れ、転がっていく。そろそろ時間だと示すように、瞼を閉じてしまった。



◆◇◆◇



 現実世界から目が覚めると、目の前に置いていたはずのペンと本がなくなっており、代わりにバルトが椅子に座っていた。その手元には、枕元にあったはずの美弦の本、日記だった。

 読めるはずもないそれを、眉間に皺を寄せて目を泳がせていた。

 若干ぼやける目を擦りながら体を起こし、ゆっくりと足を床に降ろした。


「起きたのか」

「読めるの?」


 視線を移したバルトに問いかけると、目を伏せて首を二回横に振る。

 靴を履いて、向かい側の椅子に座ると、テーブルの上には没収されたはずの、前任たちの日記や、見たこともないような本、資料のような物などが置かれていた。手を伸ばして積まれた本を引き寄せ、日本語で記載されている日記を手に取り、頁をめくり始める。

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