第2話 夢と音


 気が付いたら寝ていたようだ。思い立ったように目を覚ますと、ひんやりとした冷たい空気が体全体を覆った。

 見慣れた天井に見慣れた景色。なんだか懐かしいとまで感じる空気。

 仰向けになっている身体を起こし、膝を立てて外を眺めると、見慣れた外の景色。何か違和感を感じつつも、違和感の元を見つけられずベッドを降りる。


「なんか、不思議な夢を見てたような気もしないことも…ない?」


 忘れてはいけなさそうな夢だった気もするのだが、どんな夢だったかも思い出せずに、テーブルに置いてあるリモコンでエアコンを止める。

 部屋の扉を開けると、ちょうどリビングの扉が開く音と、母のご飯だと呼ぶ声がする。返事をして部屋を出て行った。


 ご飯を食べていても、いつも通り風呂でのんびりしていても、ぼんやりテレビを眺めていても、忘れてはいけない何か思い出せず、手持ち無沙汰な気持ちになる。

 それでもいつもと変わらない日常を過ごせるような気がしていた。

 歯を磨き、いつも通り自室へと籠る時間になる。特にやることもなく、携帯と目覚まし時計で二重のセットを行ってベッドにもぐりこむ。

 寝なくてはいけないという感情と、寝てはいけない予感を感じながら、ソッと瞼を降ろすと、眠気がなかったというのに、すんなりと落ちていく感覚に達した。



◆◇◆◇


 暖かい何かに包まれてる違和感を覚えて、ゆっくりと目を開けた。

 まだ目覚ましは鳴っていないし、寝てそんなに時間がたっていない気がしていた。しかし、感じていた違和感をつかみ取った気持ちになる。

 瞼を開けた先には、見慣れない天井。半透明な白い布で茶色い天井を装飾しているかと思いきや、それは美弦を囲うようにできた四つの赤い柱を軸に架かっており、豪華な天蓋の寝台の中にいた。

 上体を起こすと、柔らかく白い素材の敷布団に、柔かく沈むマット。敷布団と同じような素材のの枕に、重さをあまり感じない軽い掛布団。すべてにお金がかかっていますと言わんばかりの豪華さ。

 半透明の白い布で覆われているせいか、布団より奥の状態が読み取れないが、なんとなくここがどこだかがわかった気がした。

 元居た世界にいるときに感じた違和感は、ここの世界の事を忘れていた違和感だと納得する。


(なんで忘れてたんだろう…)


 疑問に感じながら、重い足取りで布団から出て端まで近づき、半透明な白い布に手を伸ばす。

 触れた反動でふわりと舞いあがるように揺れる布。触れてよい物なのか躊躇いながら、破かないようにそっとつかみ、自分が出られる隙間を開ける。

 クリアになった視界には、正面に十歩ほど進まなければ届かない扉と、壁沿いに飾り程度の書物が入った棚と、小物が入りそうな小さめの引き戸がついた棚が備えられていた。

 扉と寝台の間に四角いテーブルがあり、そのテーブルを囲うように四角い背もたれのない椅子が置かれていた。

 今度こそ履物はあるのかと足元に視線を落とすと、しっかりと型がとられている厚めの生地で、足首と足の甲をしっかりとらえられ、ありとあらゆるところから出ている紐で足を固定するような、歩きやすそうな履物があった。

 靴のように、覆われている部分はなく、スリッパにしてはしっかりしている。間をとって、お洒落なサンダルのようなものだった。

 感覚で右足を入れ、脛側にのびている紐を、脛裏に引っかけられそうな部分に引っかけて固定すると、足の大きさなどを事前に確認されていたかのように、ぴったりだった。

 同じように左足を入れて引っかけた時、ガチャリと扉が開く音がする。

 前屈みになっていた身体のまま顔のみを上げると、そこにはロングスカートでエプロンを付けている使用人らしき女性が二人立っていた。その手にはお盆が乗せられ、一人にはコップ。もう一人には水差しのようなものが乗せられていた。

 女性二人は驚いたように扉を開けた状態で、こちらを向いたまま体を固まらせていた。


(固まりたいのはこっちのほうなんだけど)


 水差しを持っていた女性が我に戻ったようで、寝台と扉の間にあった四角いテーブルの上に、お盆から丸い布のようなものを置き、その上に水差しを置いて一礼してすぐに一室を出ていった。

 もう一人の女性も、出て行った音で我に戻ったのか、急いでテーブルの近くまでより、小さめの丸い布を一枚置いて、コップのようなものを置き、水差しからコップに水を注ぐ。もう一度置きなおし、一礼をして出て行こうとする。


「あ、ちょっと待って」


 反射的に声をかけて止めると、背をこちらに向けて出て行こうとした女性が、驚かせてしまったのか肩をびくつかせて身体を止め、ゆっくりと振り向く。


「あのさ、これってこうであってる?」


 前屈みになっていた上体を起こし、右手の人差し指で足元を指して見せる。

 身体ごとこちらに向き直し、恐る恐る近づき、ある程度の距離を保った状態で足元を見る。

 なるべく見えやすいように足を伸ばし、後ろの方も見せてみる。その時に女性の右手の人差し指が、足の脛裏を指してきた。


「一番上の紐は、外側からではなく内側から通したほうが歩きやすいです」

「お?」


 指示された通り、一度上の紐を外し、外側から通していた紐を、内側から遠し、外から引っかけてみると、締め付けられていた感覚が弱まった。

 同じように逆の足を治すと、その女性は首を縦に振って合っていると示してくれる。一つ礼を言うと、慌てた様子で部屋を出て行ってしまった。


「……うーん。なんか急いでるようだったからあんまり聞けなかったけど、俺はこれからどうすれば…」


 悩もうとした矢先、扉からノック音が三度なる。

 先ほどの女性たちは、寝ているからとノックをしなかったのだろうと勝手に納得し、返事をして開けてもらうには立場が分からず、初めての靴を履いたということで自ら扉に近づき、相手にぶつけないようにゆっくりと扉を開く。

 少しだけ様子を見るように扉を開けると、一人の片足が見える。さらに扉を開けてみると、足の数がさらに増え、三人分となる。女性のような華奢な脚ではなく、大きめのサイズの足に、少しゆったりとしているが、足首で締め付けるように紐で括られている。歩きやすいのか、歩きにくいのか見た目では判断できない。

 視線を上げると、なんだかごつい体を豪勢で服装で覆い、偉そうな男性と、その後ろには両サイドを守るように、レイサと知らない細身の男性が立っていた。


(まさか国王とか言わないだろうな)


 豪華で派手具合はそう思わせるような服装だが、国王自ら出向くなんてことは少々考えにくかった。

 見下ろす瞳にも威圧を感じ、見なかったふりをするため、開いた扉を閉めようと勢いをつけて扉を引くとすると、正面にいる豪華な男の立派で大きい左手が、閉まろうとする扉を掴み止める。


「今回のリベラルは面白そうだな」


 笑い声と共に威厳のある低い声。

 口元はにやりと微笑んで見えるが、目元が全く笑っているようには見えなかった。

 ここは愛想笑いの一つでもしておくべきだろうかと悩んでいるうちに、豪華なその男の人は、一歩を踏み出してくる。

 中に入ろうとしているのだろう。断る理由も思い浮かばず数歩下がって、テーブルのほうへと近づくと、男三人は中へと入ってくる。

 テーブルの周りにある椅子に座ってテーブルを囲うと、後から先ほどの女性二人も入ってくる。追加でコップを三個運び、入ってきたレイサ達に向けて並べて、水差しにて注いでいく。

 空いている席が美弦の席なのはわかっているのだが、どうも怖くて座るに座れなかった。

 扉から離れているところに豪華な男が。向かい合うように座るのがレイサ。その間の、扉に背を向ける形になる位置に、もう一人の細身の男性が座っている。

 寝台に近い位置の椅子の近くに立っていると、座るようレイサに勧められる。

 右側にレイサがいることが救いであり、何よりも豪華な男と向かい合っていないのが、美弦にとってかなりの救いになっていた。

 先に口を開いたのは、向かいにいる細身の男性だった。

 紹介を先に行っていただけるようで、まずレイサ、そして向かいの紹介している男性がウェイス、そして豪華な男がリチェイド。


「この国リヘンサの国王です」


(……マジだったのか)


 豪華だからと勝手に決めつけていたが、この豪華な男、リチェイドはこの国の王で間違えがないようだった。

 建物の中だからなのか、この世界だからなのか。美弦の中では警備が薄すぎるような気がしてならず、周りをきょろきょろと見回す。

 この一室の中にはレイサと、ウェイスと名乗る男だけ。使用人のような女性二人は、水をついではすぐに出て行ってしまったが、扉の向こうに見張りがいた様子はない。


「警備が薄い気がしますが、この世界ではそれが普通なのですか」


 質問に対し、ウェイスが一切の感情を含まない、淡々とした口調で説明を始める。


「この城の中は護衛として、自分とレイサがついているだけで十分。外に近づけばもっと警備は厚くなり護衛もつく。もちろん、君にも護衛を付けている。目覚めてすぐに知らぬ男が寝台横で待機していては驚くかと思い、部屋の少し離れた場所で待機させてある」

「お気遣い感謝しますが、俺に護衛は必要ですか」


 少し渋るように眉間に皺が寄ってしまった。その様子を見て、右隣に位置するレイサが説明するように口を開く。


「君が眠る前に説明したかと思うが、君には大量のヘルガが集まっており、それを渡す能力が備わっている。誰に狙われてもおかしくはない状態だ」

「そのヘルガっていうのが、いまいちわからないんだけど」


 ぼやく様に小さな声でつぶやく。


「我々は、魔法を使う際に自らが持っているヘルガを利用し発生させる。しかし、それには限界があり、尽きると回復するまでは魔法が使えない。そのヘルガの力も量も人それぞれ、同じ魔法でもヘルガの量や質によって差ができる」


 慣れないファンタジーな内容、徐々に知識が入ってきた気がする。

 弟が良くやるゲームの中にも、そんなような言葉があったのを思い出す。しかし、質が違うというのは弟の口から出てきたことはなかったはずだ。

 そのヘルガと呼ばれるものが、リベラルと名付けられる人間に、多く備わっているというだけの話だ。


「つまり、俺もその魔法が使える?」

「いや、リベラルには魔法が使えないと聞いている。できることは、リベラルのヘルガをほかの者に渡すということだけ」


 使用することはないが、持っているただのヘルガと言うものの補充ビンをイメージさせられる。


「……。でも、魔法を使える人にはヘルガがあるんだろう? どうして俺…というかリベラルのヘルガが必要なんだ」

「特殊なんだ。リベラルのヘルガは」

「特殊?」

「魔法が使えない代わりに、その分ヘルガの質も量も、他の者よりも数倍強力にできている」

「…。そうか。わからないけど、それは徐々にわかるように努力する」


 美弦にはいろいろ限界が起きていたのだ。

 あまり頭がいい方ではないから、授業のみの勉強ではいい点が取れないのはわかっていた。コツコツ復習をして頭に詰め込むタイプの人間には、一気に知識を埋めつけてはいけない。

 美弦自身理解していることだった。


(まぁ、キャパオーバー起したら寝ればいい)


 寝れば現実世界に戻れる。

 しかし、現実世界に戻ってこちらの世界の事を覚えているかどうかだった。

 実際、先ほど現実へと戻った時に、こちらの事を一切覚えてはいなかった。それは必然的な事なのか、初めてですでに脳が整理できず、完璧に夢の事だと認識したのか。

 今でも夢だと思ってしまっている以上、また同じことなのかもしれない。心のどこかでそう思いながらも、美弦は話を進める方向でお願いする。

 役割はリベラルとして、ヘルガを渡してくれるだけでいいということだった。その代り待遇は良くしていただけるとか。

 それだけを伝えると、国王と護衛であるウェイス、レイサはこの場を離れて行った。

 入れ替わりに使用人がコップの回収と、新しい水差しを置いて出ていく。

 一人には少し広すぎる部屋。その中心で一人立っているわけにもいかず、一度城の中を歩いてみようと部屋を出て行った。

 ある程度歩き回ってわかったのは、遠巻きに誰かについてこられているということ。

 離れた場所にいるとは言っていたが、ずっと離れていられるくらいなら、隣を歩いていてくれた方がまだ気持ちが楽だった。

 すでに戻る道がわからなくなっても、気にせず歩いているうちに中庭のような場所に出る。


(この靴で出ていいものなのか…)


 一度足元を見て、出るのをためらう。

 周りを見回すと、草が生い茂り、木が数本植えられている。子供たちが鬼ごっこをするにも少し広すぎるくらい見渡しは良いのだが、その奥には高い塀があり、向こう側を見ることはできない。

 塀に数人の警護と、美弦が立っている出入り口の左右に、一人ずつ警護が立っている。美弦のほうを見向きもせず、ただ外を眺めているようにしか見えない。


「なぁ、このまま出てもいいのか」


 答えてもらえない覚悟で聞いてみると、右側にいた警備が目線だけで美弦を見て、首を縦に小さく振った。

 風は少し冷たく、現実世界とは少し季節が違うようにも感じた。塀の元まで行き、ソッと触れてみる。触り心地はコンクリートと言うよりも、少しざらついた石を触っている様だ。

 塀から手を離すと、少し遠くの位置から甲高い音が鳴り響く。聞こえてくる方に目をやっても、近くにいた警備の者は何も聞こえていないかのように、視線は変わらなかった。

 音が鳴る何かが近くにあるのか、聞こえてくる方に足を踏み出していくが、その音は一定の距離を保ち移動しているよう。

 近くにいた警備の視界に入る位置に入り、近くで音が鳴らないかと聞いてみる。すると険しい顔が視界に入る。


「音なんて何もしていない」

「嘘…だろ」


 一定の距離を保っていた音が、徐々に近づいてくる。しかしそれがどこから聞こえているのかもわからずに、美弦は一通り見まわす。それでも、どこからその音が聞こえてきているのかわからず、耳をふさぐ。

 近くにいた警備員がそっと美弦の肩に触れる。視線を向けると、何かを口にしているが、すでに耳元で鳴っている音によりかき消され、何も聞こえずギュッと目を瞑った。


「っっっるせーーー!」

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