柚雲
琴哉
第1話 アクリアとヘルガの世界
「またあのニュース?」
「おかえり。そうよ。晴れるのはありがたいことなのかもしれないけど、気温は下がってくれないものかしらね」
学校帰り、家に入るなり仕事が休みだった母が、かったるそうな体勢でソファの上で横になり、ここ最近問題視され続けているニュースが流れていた。
ソファの横に鞄を置くと、母が体を起し、姿勢正しく座って場所を空けてくれる。ありがたく座り、テーブルに置かれていた煎餅をつまむ、健全な男子高校二年生の古瀬美弦。
ニュースとは、あまりにも理解し難い天候の変化についてだった。
天気は晴れ。
ここ一週間は晴れている。先週末に発表された今週の天気予報は、晴れの日が三日、曇りの日が一日、雨の日が三日ある予定だった。しかし、今週頭から末まで、七月にピッタリな暑っ苦しい晴天を見せていた。
ただ予報が外れたというよりも、日本列島に近づいていた雲が消えた。と言った方が正しい。その怪奇的な現象により今週一週間、日本列島で雲が発生することがなくなってしまう。そのことが大きな問題を呼んでいたのだ。
「まぁ、確かに不思議な話だよね」
「日本列島何かに守れているのかしら」
「守られているというよりも、覆われてる?」
一般人の脳みそでは、考え付くわけもない原因を探るのをやめ、少しだけ現実逃避をし始める。しかし、現実逃避をしたところで、面白い理由ができるわけでもなく。
ただ、問題が起きているのは天気だけではなかった。
天気に関わるニュースから、地域事件に関わるニュースに切り替わる。
「あらやだ、今日もまた怪異現象かしら」
現実逃避した内容を考えてしまうのも、天気予報が当たらなくなった辺りから、怪異現象と噂される事件が増え始めていたのだ。
初めは、交通事故だった。人通りは少ないが、車の交通量は多い交差点に、携帯電話を操作している女性が、いきなり飛び出してきた。という内容だった。
車を運転していた会社員は、反射的にブレーキを踏みはしたが、間に合わず接触してしまった。打ち所が良かったのか、すぐに救急車に運ばれ一命は取り留めた。回復後に話を聞くと、自ら飛び出したというよりも、後ろから誰かに押され、飛び出すつもりはなかったとの答えが入るが、車載カメラなどに録画されている映像を確認しても、その交差点には女性しか確認は取れなかった。
他にも、工事現場での事故や、急な車の不調。それだけを聞くと、不備などが考えられることがあるのだが、調べてみると、想定外の状況に陥っている。事件の内容によっては、被害者は“見えない誰か”を主張することが多い。
「もう、ホラーだよね」
、
お互いに見飽きたニュースをやめ、チャンネルを変えてドラマの再放送を見始めた。
腰上げて鞄を持ち直し、自分の部屋へと足を進める。玄関正面にある階段を上り、左右に分かれる廊下を右に進める。左は母と父の部屋。右には少しだけ飛び出たところに二階のトイレ、その隣に小さな物置。さらに隣には、弟の部屋と美弦の部屋がある。
弟の部屋を通り過ぎる際、何かを破壊するような音が室内で鳴っていた。数回の破裂音後、低く響くわめき声が聞こえる。そしてまた破裂音。早々に学校から帰って来た中学生の弟が、ゲームをしているのだろう。一度部屋に籠ると、特別用事がない限り部屋から出てこない。顔を合わせるのは、朝と夕食、あとはトイレや風呂で入れ違えになるときくらいだ。
気にすることなく通り過ぎ、自室へと入り鞄を机の横へと放り投げる。
喚起を兼ねて窓を開けるが、空気が流れるような風の動きが全くない。真夏日というものだ。諦めて窓を閉め、ベッドの枕元に置いてあったエアコンのリモコンとり、電源を入れると少し待つだけで涼しい風が流れ込んでくる。
少しだけ設定を落とし、ベッドの上へと仰向けに横になった。
あまり趣味とかを持たないせいで、部屋の中は必要最低限の物しかないため、寂しさを少しだけ感じさせられる。
「暇だ」
学校の仲間たちは、バイトがあるせいで誘うことも誘われることもない。幼馴染の圭太は、陸上部の活動があるため、誘うことはできない。美弦の余すこととなる。気が向いたら勉強するおかげか、テストの点は悪くはない。順位が特別いいわけではないが、咎められるほど下位でもない。
最近テストが終わったせいか、勉強をする気が起きずに、寝てはいけないと思いつつ、そのまま瞼を閉じてしまった。
◆◇◆◇
(寒い…)
寒さで脳が先に起きた。
エアコンを付けて寝てしまったせいで体を冷やしてしまったか、少しだけ体がフワフワする。と言うよりも、揺られている気分だ。
起きなければ。そう思いながら、重い瞼をゆっくりとあける。それと同時に、背中に何かがぶつかったかのように、大きく揺れた。しかし、小さく小刻みにだが揺れはまだ感じる。
開いた瞼の奥は暗闇。夜まで寝てしまったのだろうと思いながら意識がはっきりしていくと、小刻みに揺れる違和感に気持ち悪くなってくる。
しかし、その違和感は恐怖に代わる。
揺れているのは具合が悪くなったわけではない。何かの入れ物に入れられ、それが何かしらの形で運ばれている様だ。
状況の把握がうまくできず、上体を起して周りを見回す。
「起きたか」
横から一つ透き通った低くも高すぎもない、きれいな声が耳に入ってくる。反射的に顔をすぐにそちらに向けると、暗くてあまり見えないが、微かに入ってくる光は、とても優しそうな男性。としか認識させてくれない。
肌の色も髪の長さも色も分からず。ただ、少し切れ目で冷たい印象を与えるものの、聞こえてきた声はとても暖かく優しい声。
「えっと…?」
人がいるというのはわかったのだが、他の状況が全く見えずに返答に困ってしまう。すると、切れ目が軽く閉じ、その口からは微笑むような声が聞こえ、また切れ目が開く。
「具合はどうだ」
「少し、寒い。です」
答えると、男性は少し前かがみになりごそごそと動く。位置がずれたせいで微かに入る光から姿を消すが、一瞬そこには紫色の綺麗な布が過る。再度男性の細目が映ると、何かを差し出されたようで、近くに物があるのがわかる。
徐々に夜目が利いてきたのか、なんとなくの形は見えてきた。目の前の男性は、どこかしらに持っていたある布を、こちらに差し出してきている。
ゆっくりと受け取りながら、首を傾げて口を開く。
「これは、貴方がかけていた物じゃ」
「いやか?」
「いえ、そうではなく。えっと、貴方が寒いんじゃ」
淡々と聞こえる声に、焦るように首を横に振って否定する。それでも、感情が入っているのかわからない、淡々とした静かな声が返ってくる。
「構わん。先ほどまで温まっていたから」
「ありがとう、ございます」
差し出されたものを、これ以上返そうとするのも失礼かと思い、恐る恐る肩にかける。人肌にて温められたそれは、冷えかけていた身体には十分な温もりだった。
慣れてきた目でもう一度周りを見回すと、人が二人ようやく入るような、長方形の入れ物が、ある方向に向かって動いているように、上下に少し揺れている。微かに漏れている光は、入り口か窓なのか。他の壁とは少し作りが変わっている方の、一部が少し開いていた。
耳を澄ましてみると、前からも後ろからも、土を蹴るような音が聞こえてくる。
一度目を閉じて、過去を思い出す。
「確か、俺は自室のベッドに仰向けになっていた…だけだった気がするんだけど」
「べっど…とはなんだ?」
「え?」
まさかの発言に目が見開いてしまう。しかし、その男の目は真剣な眼差しを向けている。バカにされるのを期待しているのか、それとも本気で聞いているのか。
まずここがどこだかわからない時点で、いろいろ頭がパンクしていて、ほかの言葉が出て来なく口が動かなくなってしまう。
「たまによくわからないことを言うと記されていたが、本当にその通りだったのか」
ぼそぼそと目の前の男は、一人で何かを納得する様に、少し視線を下に落とし、数回首を頷かせていた。
「記されていたって…何にっていうか…俺はいったいどうしてこの中に…?」
考えていても仕方がない。聞いてみればわかるだろうと、少し前屈みになりながら質問する。ソッと落ちていた視線が上がり、しっかりとこちらを見ていた。その瞳はとても真剣だと、かすかな光がそう伝えてくる。
少しだけ信用しつつも、口を開くのを待つ。
「我々の世界のため」
「ごめんわからない」
「世界」という規模が想定を超えたため、考えるのをやめた。
首を横に振り、考える素振り一つ見せることなくそうとすると、少しだけ不機嫌そうに薄い眉寄せ、眉間に皺を寄せる。
「考えることもせぬのか」
「世界って聞くと規模が大きすぎて考えたくないんです。もっと簡潔に」
「我々のため」
「簡潔すぎないか…?」
そして結局答えになってない。そう小さくつぶやきながらも、もう一度周囲を見渡す。
光が入ってきている方に手を伸ばし、壁だと思われる部分に、失礼ながらもベタベタと触って見る。ちらりと男性のほうを見ると、何をするのかと美弦の手元を目で追っていた。
特に止められることがないということは、このまま触っててもいいということなのだろう。勝手に解釈をし、手を動かしていると、ある突起物に触れる。
奥に押しても手前に引いても何も変わることがなく、左右に動かすとそれは右に動き、まぶしい光が目の前を覆う。
「…! 危ないっ」
後ろからそう聞こえると同時に、開くとは思わず腕に力を入れていた身体は、前のめりになり外へと投げ出されてしまった。
「うわああっ」
変な声を出しながらも片手を伸ばし受け身をとる。
高さはそんなに高くはなかったようで、すぐに地面のような場所にぶつかり、頭を丸めてくるりと前転をするように手から背中へと地面にぶつけるが、動いていた入れ物から出たせいか、きれいな前転を披露できず、横に崩れて倒れてしまう。
地面は動いていないようだったが、その地面はとてもごつごつしていて少し埃っぽい。
軽く受け身はとったものの、手から背中が痛み、その場に蹲ってしまう。
眩しかったそこは外だったようで、地面は石と砂で出来た道。辺りは木々に囲まれ、道の左右には草木が綺麗に生い茂っていた。
空気はとても澄んでいるが、少しだけ肌寒い。
周囲を見渡すと、先ほど渡されただろう布が地面に落ちてしまっていた。拾い上げ、軽く砂を払う。
払いながら振り向くと、そこには二人ずつ男性が前後に並び、肩に一つの木の棒を乗せていた。その間には、黒と金色で出来たような小さな箱が、木の棒からぶら下がっていた。確か、駕籠という物だろう。おそらくあれから落ちたのだ。
ひょこっと様子を見るように顔を覗き込ませている男性がいる。先ほどまで目の前にいた男性だ。
何かを用意すると、そこから出て、少し小走りにこちらへと向かって来ていた。
身長は軽く百七十から百八十ない位だ。体系は細身で、薄紫のワイシャツに、黒いパンツをはいていた。なんだか、駕籠に入っていたわりに、服が適していない気がする。
目の前まで来てゆっくりとしゃがみ、手を伸ばしてくる。
何の手だろうと思いながらも、恐る恐るその手に触れると、グイッと掴まれては引き上げられる。
無理やり立たされては、慣れない地面に、少しだけ体がよろけて気づく。
「いたっ」
「どこを打った!?」
「違っ」
痛んだのは足だ。勝手に何か履いていると思い込んでいた足は、素足だった。
確かに記憶上、履いているとおかしい話、自室でベッドに仰向けになっていたのだ。服装もその時と同じブレザーの制服姿だった。そんな状態で靴を履いていたなんて、先入観で考えてしまっていた。
「そうだ。履物がないんだった」
慌てたように言って振り向き、駕籠を持った男性二人を呼び戻し、目の前まで入口を寄せては、入るように勧められる。
「すみません」
自分から飛び出したのにと反省はするものの、結局ここがどこでどうしてこうなっているのかの説明が全くされていない。
中に入り扉が閉まって、もう一度謝って向かい合う。
「もう飛び出すような無謀なことはしないでほしい。心臓が飛び出るかと思ったぞ」
「すみません。勝手がわからなくて…じゃなくて、どうして俺は運ばれていて、どこに向かっているんですか?」
「君が必要だからだ」
「それ、説明になってると思いますか?」
会話が成立しているのだろうか。
相手が冷静なせいで、表上取り乱すことはないが、内心整理がつかず、思考が追い付いてこない。
「つまり、あなたの世界のために俺が必要?」
「そういうことだ。だから君があそこにいた」
「あそこ?」
「泉だ」
「は?」
「泉だ」
「いや、聞こえなかった訳ではなく」
両手を顔元にあげ、降参の合図を送るが、中は暗くあまり見えていない。呆れるようなため息がついこぼれてしまう。
今のところは危害を加えてくる様子がないのを確認し、目を瞑って落ち着かない心を落ち着かせるよう、一度深呼吸をしてみせる。
取り乱す意味が分からない。と言われそうなほど、冷静な瞳でこちらを見られている気がして、恐る恐る視線を送ってみると、微かに入る光が照らしている視線は、全く別のところに送られていた。
「あの…」
「なんだ」
「えっと、あとどのくらい揺られることになりますか」
「半日」
「……」
言葉が何も出てこなかった。
男もそれ以上の答えをだすつもりもないようで、小刻みに揺れる動きで擦れる物の音と、土を蹴る音のみが耳に入る。
半日もの間、揺れる音、揺れる感覚を覚えつつ、現状の説明を受けることとなる。
世界はアクリアと呼ばれる泉を中心に、四つの国に分かれている。
北に位置するリヘンサ、東に位置するグライト。西をネチーラ、南をベルミアと呼ばれる国。
現在向かっている国はリヘンサ。国王の命令で、アクリアに浮かぶリベラルを見つけ、連れてくるよう命じられていたのが、この男レイサである。
リベラルと言うのは、この世界に必要である強力なヘルガを蓄えており、所持することにより莫大な力を得られるとのことだった。ヘルガを求め、リベラルを奪うためアクリアへ集結し始めているとのことだった。誰よりも早く回収するため、レイサが動くよう命じられた。
リベラルと言うのは貴重で、前のリベラル死後、数十年ほど待たなければならない。それも、いつ湧いてくるかは不定期。ただ、湧く際に現れる前兆があるとのこと。
「以上だ。わかっていただけたか」
「いいえ」
「……なにがわからない」
「そもそも、ヘルガってなんだよ」
ある程度の説明は受けたが、今までいた世界とは全く違いすぎていて、出てくる用語や名前。聞き覚えのない物ばかりが並んでいる。
説明を受けている序盤は姿勢を正していた美弦だったが、後半になると眉間に皺をよせ、足をも楽に崩し、膝を立て肘を乗せて頬杖を突く様に座っていた。
「ヘルガと言うのは、魔法に使用する力だ」
「……うわ。なんか、ただでさえ現実味がない話なのに、さらに現実味失ってきたんだけど」
頬杖を外し、目線を細めてあさっての方向を見る。
「これが現実だ」
「俺には夢物語にしか聞こえないね」
首を左右に振り、呆れた様子を見せる。
「どの辺が」
「もう違う世界なんだなって認識した時点で。最終的な決定打は魔法かな」
「普通であろう」
「…。そうか、この世界で普通だとしても、俺の世界では普通ではないんだ」
「書物にはこう記されている」
「…次はなに」
「リベラルは長年眠り続けてきた結晶」
書物と言うのは、リベラルについて語られた書物のことだと言う。
リベラルを手にしたことのある国には必ずあるが、記されている内容は、出会うリベラルによって変わってくるとのこと。つまり、リベラルと共に生活していたことに対して、リベラルとその国との勝手が違う部分などを記されているもの。もっと簡単に言えば、リベラル取扱説明書のようなものだ。
しかし、リベラルが必ず同じような生い立ちではなく、話す内容や言葉の使い方も、リベラルごとに変わっているとのこと。共通しているものも多々あるため、同じ世界からきていると言われているが、その書物の中に記されたことに、美弦は苦い言葉を出してしまう。
「…俺たちが生きていた世界そのものが夢…だと?」
「そうだ。こちらの世界が夢だというリベラルが多い中、そう記されている書物もある」
「こっちが現実で、向こうが夢…? バカ言うな」
なるべく冷静に聞こうとしてた美弦だったが、今まで短いなりにも歩んできた人生を簡単に見られた気がして、つい身を乗り出し声を張ってしまう。
「バカとはなんだ。その証拠に、こちらで眠っているとき、向こうの夢をよく見ると言う。これはほとんどの書物に共通している」
「…そうか。なら、寝ればいいんだな」
決して寝心地の良い状況と言うわけではなかった。
入れ物自体は上下に揺れるし、物音は常になるし若干肌寒いし。しかし、元居た世界に戻れるのならばと、畳のような素材の上に身体を横にし、乱暴に目を伏せる。その行為について、レイサは何も言うことなく一つため息を吐くだけだった。
暗いせいでどのような表情をしているかはわからないが、視線はこちらにないことだけは少しだけあけた瞼の隙間から、微かな光で確認が取れていた。
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