幕間 杯を傾け合う男同士

 火の精霊神殿から、ほど近い湖の畔で黒い長髪を縛ったカンフー服を着た少年と剃髪の修行僧を思わせる格好の大男2人が胡坐を掻いて湖に映る月を眺めていた。


 黒髪の少年が杯を剃髪の男に手渡し、受け取らせた杯に透明な液体、酒を注いでいく。


 なみなみに注がれた杯を持つ手と逆の手で黒髪の少年が持つ徳利を奪うと意地の悪い笑みを浮かべながら徳利を傾ける剃髪の男。


 鼻を鳴らす黒髪の少年が杯を差し出すのを見た剃髪の男は少し驚いた顔をした後、口の端を上げて笑みを作ると注ぎながら話しかけてくる。


「ふっふ、杯が2個あったから、もしや、とは思ったが、お前は酒は飲まないと言ってたと思ってたがな、ユウイチ?」

「ふん、煩いぞ、ホーエン。こないだ、少しやらかした罰に付き合えるぐらいには飲めるようになれ、というのが許す条件と言われたんでな」


 俺は練習相手か、と苦笑するホーエン。


 そんなホーエンに注がれながら後ろに視線を向けると大木に凭れさせるようにして置かれる青竜刀に顎をしゃくってみせる。


 ホーエンも同じように見つめると肩を揺すりながら笑うが手元は揺らさずに注ぎ終える。


「なるほどな、して、その酒好きの相方はどうしてあのままなんだ?」

「『わっちのような良い女は、男同士の酒の席を邪魔するような事をせんのじゃ』だそうだ」


 そう言いつつも、なかなか手に入らない透明度が高い酒に目を釘付けにされていた事をホーエンにばらす。


 一瞬、キョトンとした表情を見せたホーエンだったが弾けるように笑い出す。


「あっははは、そうか、そうか。まあ、頑張って後でご機嫌を取ってくれ。そうやって大人ぶって引き下がった時の女の後での要求は大抵、じゃ、気を使うなよ、と言いたくなるからな」


 アグートにさせられた事を顔を顰めながらも楽しそうに話すホーエンを見て、喉を通った後のヤツは気楽でいいな、と雄一は頭を抱える。


 笑みを浮かべるホーエンが杯を雄一に近づけてきて掲げるので雄一も倣って掲げる。


「強くなっても女には勝てない悲しい事実に辿り着いた者同士に乾杯!」

「乾杯する気が失せるな……どっちかというと完敗だ」


 口をへの字にする雄一は肩を竦める。


 そして、2人は杯に口を付けて静かに湖面を見つめながら飲み始める。


 静かな時間が始まり、虫の鳴き声と風が草木を揺らす音だけの時間がしばらく過ぎた頃、ホーエンが雄一に話しかける。


「本当にいいのか? 『ホウライ』がこちらの世界に介入してこようとするのを邪魔しなくても?」

「基本的にはな、いくら邪魔しても時間稼ぎでしかないし、いい加減に決着をつける!……と言いたいが」


 ホーエンは言葉を濁す雄一を見つめる。


 その視線に気付いているが雄一はゆっくりと酒で唇を湿らせるように傾ける。


「あの2人、シホーヌとアクアが良い顔をしない。何かを隠しながら止めようとしてくる。何度も聞き出そうとしたが失敗したがな」


 頭をガシガシ掻く雄一は深い溜息を吐く。


 誘導尋問からオヤツで釣る方法などから普段の2人なら秒殺の手段の数々を持ちだしたが不発、打てる手がなくなり、ホッペを引っ張って涙目にまでさせたが頑として2人は口を割らなかった。


 お馬鹿な2人だが、決して性格が悪い訳ではない。あそこまで必死になるところから考えて誰かの為にであることを雄一は疑っていない。


 だが、だからこそ、あの2人に抱えさせたままには置いておけないと思っているが一向に上手くいく気配がなかった。


「女神の事は分からんが水の精霊のほうについては、アグートから少し気になる事を聞いた」

「聞かせてくれ」


 何の参考になるか分からないが、まったく情報の入手経路のアテがなかった雄一にはくだらない事でも聞いておきたい。


 杯を煽り、空になった杯に手酌するホーエンは口を開く。


「アグートの話では、ここ最近、何度も精霊王への面会を希望して回数は分からんが会ってたそうだ」


 そう言うホーエンの言葉を聞いた雄一は首を傾げる。


「王だから、気軽に会えないかもしれんが、その行動がおかしいのか?」

「ああ、精霊王には基本会う理由もないが、精霊王もそれなりの理由がなければ会う事を許可しない。それなのにこの短期間に複数回会うというのはおかしいと見ていいだろう」


 ホーエン曰く、アグートは火の精霊として覚醒した時と四大邪精霊獣が暴れた時に四大精霊全員を呼び出された時の2度しか会った事がないらしい。


 そう考えるとアグートがアクアの行動がおかしいと感じるのは当然のように雄一も思う。


「それでアグートは何か言っていたか? アクアが精霊王に会う理由が何かとか?」

「いや、まったく分からないらしい。アグートとしては精霊王にわざわざ会うというか会いたいとすら、まず思わないらしい。ユウイチに殺されると思った時に『助けて、精霊王様』と思ったらしいがな」


 今だから笑える、と本当に楽しそうに笑うホーエンを横目に雄一は考える。



『助けて、精霊王様』



 精霊が自分の力を超える事にぶつかると本能的に助けを求める相手、それが精霊王。


 雄一も元の世界で、くだらない事から本当に困った事などで『神様、助けて』と何度も願った。


 アクア、いや、シホーヌとアクアは一体どんな事に悩み苦しんでいるのか、は雄一には分からないが、ただただ悔しい気持ちにさせられる。


 普段、子供達に混じり、屈託のない顔で笑いながら遊ぶあの2人の胸にどれだけのモノを抱えて生きているか分からない、気付いてやれない凡夫な自分が許せない。


 だが、それ以上に精霊王に頼らずに自分に打ち明けさせてやれない不甲斐ない自分が情けなさから泣きたくなる。


 杯の中をジッと眺める雄一を見て、同じ男であるホーエンは雄一の想いを察して話の転換をする。


「ところで双子の娘の『剣』と『鞘』については何か話したか?」

「……1つだけ、アリアとレイアの母親は生前、『刀剣の巫女』と呼ばれてたらしい」


 話を逸らしたつもりだったが、余計に深みにハマるように顔を顰める雄一に困ったように眉を寄せるホーエン。


 不器用なりに気を使ってくれた事を汲んだ雄一は盃を地面に置くと両手で祈るように組むと話を始める。


「これだけだが、アリア達と出会う前の話、シホーヌに聞いた分とレイアから聞いた分を絡ませると推測はできる。アリアとレイアは母親の『刀剣の巫女』と呼ばれる力を分けるように継いだのだろう。アリアとレイアの母親の持っていた力は世界に影響を及ぼせる力だった。その象徴である刀剣、つまり剣を継いだアリアの存在を求める実父、伯父の行動が、そして『ホウライ』の存在がその推測の後押しになる」

「だが、2人の父親、伯父が求めた理由は色々、想像できるが『ホウライ』、あれでも神を名乗るだけはある存在がいくら強い力といえ、世界を越えてまで欲するモノなのか? 強い刀剣が欲しいのなら、お前が持つ青竜刀でも良いだろう。世界を股にかけても、アレ以上のモノはそうあるとは思えん」


 実際にはじゃじゃ馬過ぎて扱えずに遺棄するのが関の山、とホーエンが言った瞬間、背後から震える高い金属音が聞こえてくる。


 雄一はマジ顔で口パクでホーエンに「謝れ、こっちにもとばっちりがくる」と情けない事を言うが、同じ痛い目を受け続けるホーエンは雄一を笑わず、慣れた感じで手を合わせて雄一の後方に向かって頭を下げる。


 ホーエンの手慣れた謝り方を機に金属音は収まる。


 ホッと肩を撫で下ろす雄一は続ける。


「そうなんだ。アリアにしろ、レイアにしろ、世界に影響を及ぼせるような力があるようには見えない。情報を繋げるにしてもパーツが足らなさ過ぎて空中分解してしまう」


 後ろ手を地面につけて空に浮かぶ月を眺めながら、可愛さでなら世界を震撼させるのは容易なんだがな、とドヤ顔する雄一。


 そんな雄一に倣うように月を眺めるホーエンが、ハッと馬鹿にするように息を吐く。


「家の子達を差し置いてデカイ口を叩く耄碌親馬鹿がここにいるな」

「ああぁ? 可愛いウチの子達はアリアとレイアだけじゃないんだぞ? ハゲ?」


 なんやかんやでブツブツと話しながらも用意してきた酒、徳利10本は辺りに転がってほろ酔いの2人がガンを飛ばし合う。


 火花を散らし合う2人はまったくの同時タイミングでお互いの顔に拳を放つ。


「やんのか、こらぁ?」

「殴っておいて、馬鹿だろ、ユウイチ?」


 それが合図になって殴り合いを笑いながら始める2人は湖の上を滑るように移動しながら激しい水飛沫を上げ、爆音と共に水柱を上げる。


 雄一とホーエンの激しいバトルは朝日を拝むまで続けられた。



 という予定でやり始めた2人だったが、10分程で終了させられ、只今、全力で土下座中であった。


 全力で泣く赤子を抱えたアグートが同じように大泣きしながら、「夜泣きが酷い子がやっと寝たのに!」と叫ぶのに2人のほろ酔いは一発で飛び、大男2人が情けなくもアグートの周りで変顔や、子守唄を必死に歌い出す。


 それを離れた所で見ていた巴は青竜刀からキツネの獣人の姿になると近くの岩に腰掛け、犬歯を見せて笑う。


「やっぱり、男は阿呆じゃ。じゃが、男は阿呆ぐらいが丁度いいのじゃ」


 かっかか、と笑う巴は月明かりで輝く銀毛の尻尾を小気味良く揺らした。

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