第262話 旦那の務め、兄の務め、そして親としての務めのようです

 土の宝玉に取りついたノースランドは何かに引き寄せられるようにして光の中に吸い込まれていった。


 眩しい光に包まれて目を閉じていたノースランドが徐々に目を開いて行くとそこはシーナとノンとノースランドの3人がいつも打ち上げは勿論、憂さを晴らす為に足しげく通った懐かしい酒場の入口に立っていた。


 20年以上前の事なのに体が覚えているのか自然な動作で頭を掻くと酒場の右奥のテーブル席に体を向ける。


 そこはノースランド達の指定席とザガンの冒険者達に認知されており、初めて来た客や、それを知らない新参者でもない限り、座ろうとする者はいなかった。


 椅子は普通なら4つ置いてあるのだが、3しか置いておらず、丸テーブルに並べておいてあり、反対側が無駄になっていた。


 肩を並べて座るように配置されている真ん中の席はいつもノースランドの席で、その左隣が妻であるシーナが座り、右隣がノンが座っていた。


 そちらに目を向けた瞬間からその指定席の両端に座る懐かしい背中にノースランドの胸は締め付けられていた。


 華奢なくせに無駄に肩肘を張って座る癖があった愛妻シーナの背中、5年以上経つのに昨日も見てたような気にさせる。


 右隣に座る白いローブを着た小さな背中のノンはまるで他に座る人がいれば座れるように気にしてるようなお尻をひっかけるようなに座り、邪魔にならないようにシーナと逆に小さな肩を縮めるように背中を丸める。


 いつも2人に足して割れ、と言っても無駄だと思いつつもビールを飲みながら言うノースランドに「アンタこそ、たまにはビール以外も飲みなさいよ?」と半眼で見つめられた事を思い出す。


 それが理由で小競り合いのような言い合いに発展するとワタワタしたノンが右往左往しながら止める。


 そんな懐かしい想いが溢れ返って、あの場に駆け寄りたい衝動に襲われるノースランドであったが未だに酒場の入口で佇んでいた。


 ノースランドは怖いのだ。



 駆け寄って近寄った瞬間に2人が霞みのように消えてしまったら


 覗き込んだら別人だったら



 そう思ってしまって踏み出せずにいた。


「情けないな、ここまで来て、尻込みをするなんて……」


 まるでノースランドが呟いた声を拾ったのかと思えるタイミングで背を向けていた2人が振り返る。


 振り返った2人はノースランドが会いたくてしょうがなかった2人であり、肩から力が抜け、その場に座り込みそうになるが耐える。


「何してるのよ。早く座りなさいよ。ビールを注文しておいてあげたわよ」


 ノースランドの指定席をバンバンと叩くシーナと控えめに会釈をしながらこちらに微笑みかけるノンに引き寄せられるようにノースランドは奥のテーブルに向かう。


 真ん中の椅子に座るノースランドにシーナがビールが入っているコップを握らせる。


 そして、シーナが笑みを弾けさせて乾杯の音頭を取る。


「じゃ、久しぶりの再会に乾杯!」


 中央にあるノースランドのコップにシーナとノンのコップが重ねてくる。


 2人は嬉しそうにコップを傾けて飲むのを見たノースランドは唇を湿らせるようにコップを傾ける。


「あれぇ? アンタ、飲まないの? ザルでしょ」


 手酌でブランデーを注ぐシーナを見て、お前に言われてもな、と思いつつもコップをテーブルに置く。


「そう、そうだったな、お前がいなくなってから口にしたのが今日が初めてだ」

「やっぱり、アンタってとことん馬鹿だわ」


 口にしようとするまで忘れていたノースランドは苦笑する姿を見て、妻であるシーナはノースランドの想いを理解して吐き捨てるように言う。


 自分が愛する不器用な男の想いを理解して自分が許せなくなったシーナは拳を握りながら下唇を噛み締める。


 いいんだ、と呟きながらテーブルに置かれたビールの入ったコップを見つめるノースランドの手に手を添えてくるノン。


「お兄さん、ごめんなさい。助けたつもりが逆に2人の人生を縛る結果になってしまいました……」

「それは違う。あの時点でノンが取った行動は間違ってはいない。間違っていたのは事前にノンに言われてた言葉をもっとしっかり考えなかったリーダーである俺に問題がある」

「それはアタシも同じよ! 止めなかった、考えもしなかった。しかも一緒にノンを解放しようと言って……リタイヤしたアタシが一番悪いよ……」


 しかも、リタイヤしたのにノンの傍にきて、待ってただけ、と自嘲的な笑みを浮かべるシーナをノースランドは左手で抱き寄せ力強くシーナが痛がるがそれでも抱き締める。

 空いてる右手でノンを抱き寄せるノースランド。


「どんな理由があろうともいい! 俺はお前をこうして抱き締められた事が何より嬉しい。勿論、ノン、お前も同じだぞ!」

「お兄さん……」


 ノンも少し苦しそうにするが嬉しげに笑みを浮かべる。


 そんな今まで聞いた事もないノースランドの熱い言葉に照れたのかシーナが顔を赤くしてノースランドの顔面に拳をねじ込む。


「いい加減、離せ、馬鹿!!」

「くっくく、この拳で殴られる痛みすら懐かしい。これからも体感できるのかと思うと嬉しくもあるし微妙な気分だな。俺はここで果てる気で来た」


 そういうノースランドを目を細めて見つめるシーナと悲しげにするノン。


「お兄さん、私もそうできたら素晴らしい事だと思いますが、お兄さんは戻らないといけない」

「どうしてだ! 私は自分の命など惜しいと思っては……」


 ノンに詰め寄るようにするノースランドであったが、ノンは顔を伏せながら首を横に振ってみせる。


 虚空に手を翳すノンの動きに釣られるように視線を向けるノースランド。


 そこには大きな亀の甲羅に沈むようにして飲まれるのに必死に抵抗する雄一の姿があった。


「この方は本当に凄い方です。万を超えるモンスターの足止めをしながら、子供達を守る為に力を割き、そして、お兄さんがここにいる事ができるのも、この方の力があってこそ」


 徐々に飲み込まれる雄一の必死の形相を見つめるノースランドはどうして雄一があの状況でも諦めないのだろうと見つめる。


 そんなノースランドの胸倉を掴むシーナが涙を流しながらノースランドを揺さぶる。


「リタイヤしたアタシが言える事じゃないのは百も承知だけどね! アンタがここで死んだら残した息子はどうする! アンタは確かに旦那、兄としてのやるべき事は果たしたけど、親としての仕事を放棄するの?」

「シーナ……」


 なんと言ったらいいか分からなくなったノースランドは沈黙する。


 沈黙したノースランドにノンが話を続ける。


「お兄さんがここを出れば、お兄さんに使ってる力が戻るはず。そうしたら、あの方は乗り越えられる可能性が生まれます。後、あの方が助けた相手にお兄さんの息子も含まれるんですよ?」


 また違う場所に手を翳すノンが映し出した場所では、巴が作った大地の切れ込みに躊躇せずに飛び込むヒースの姿があった。


『お父さん、今、行きます!!』


 他の子達、アリア達も続くように飛びおりるのを見つめるノースランドは唇を噛み締め過ぎて血が流れる。


 そんなノースランドに優しく抱擁するシーナが囁くように言う。


「アタシの一生のお願い。アタシに代わって息子達をお願い」

「お前の一生のお願いという言葉は何度聞いたか分からんな」


 そういうノースランドは唇を噛み締めるのを止め、笑みを浮かべながら涙を流す。


 ノンもノースランドの背中をそっと抱き締める。


「でも聞いてくれるのでしょ? アンタはいつでも仕方がないと仏頂面して聞いてくれたものね?」

「ああ、本当に仕方がないな。いつも折れるのは俺だな」


 ノースランドは自分の中にある未練を全てを涙に換える。


 そして、愛妻シーナと最愛の妹のノンを両手で抱き寄せ、2人の間に顔を挟むようにするノースランドが呟く。


「では、少し席を離れる。親の仕事を済ませたら、また飲もう。その時はお前達が呆れ、止めようが俺は飲み続けるからな」

「飲むのはいいけど、ビール以外も飲みなさいよね。見てて胸ヤケするのよ」

「一杯、用意して待ってますね?」


 そんな2人の背中を優しく叩くと未練を断ち切り、離れるノースランドが背を向ける。


「では、いってくる」

「お願いね、アナタ」

「いってらっしゃい、お兄さん」


 光の外を目指して歩くノースランドの瞳は覚悟の決まった親の目をしていた。


 躊躇せずに光に飛び込むように足を踏み入れた。







 『精霊の揺り籠』に帰還したノースランドは雄一がどうなったかと土の邪精霊獣に目を向けると甲羅から掌が出ている状態の雄一を発見するが、声を上げる間もなく吸い込まれるように掌すら飲み込まれてしまう。


 雄一を取り込んだ土の邪精霊獣が今度はノースランドに視線を向けるが歯牙にかける価値もないとばかりに視線を切り、ゆっくりとこちらにやってくる。


 ノースランドの周辺にイエローライトグリーンのオーラが力弱く漂う。


 歯を食い縛るノースランドが雄一が飲み込まれた甲羅を睨みながら叫ぶ。


「ユウイチ、追加依頼だ。俺に、俺が親としての務めを果たす為に敵を蹴散らしてくれ!」


 そう気合いを入れて叫ぶと土の邪精霊獣が注意を向けてくる。


 向けられた視線だけで威圧を感じるノースランドが叫ぶ事で耐えようと奮闘するとノースランドを覆っていた雄一のオーラが活性化し、飛び出すようにして甲羅に吸い込まれる。


「それすら喰ったのかっ!」


 そう叫んだ瞬間、土の邪精霊獣の甲羅に向けて色んな場所からイエローライトグリーンのオーラが彗星のように飛んでくると吸い込まれる。


 そして、ノースランドと土の邪精霊獣の間に青竜刀が突き刺さる。


 すると、土の邪精霊獣の動きがおかしくなり、足を止める。


 ガタガタと震えるようにする土の邪精霊獣が膝を折ると甲羅に小さなひび割れが起き始める。


「ユウ!!!」

「「ユウイチさん!!!」」


 ノースランドの背後には啓太により飛ばされてたホーラ達が啓太を抱き抱えて戻るとオーラが飛んだ先を見つめて心配そうに見つめる。


 その声に反応するように土の邪精霊獣の甲羅のひび割れが大きくなる。


「お父さん!!」

「ヒースか!」


 声がすると上空を見つめるノースランドの視界には父の無事を喜ぶ息子ヒースの泣き顔があった。


 降りてくるヒースを受け止め、力強く抱き締める。



「ユウさん!!」

「ユーイ!!」

「ユウ様!!」

「ユウイチさん!!」


 遅れて滑空してくるアリア達が雄一の名を叫ぶ。


 土の邪精霊獣の甲羅が全面に大きなひび割れが起きる。


 最後尾にいる長い髪にヘアーバンドを鉢巻のようにする少女が胸一杯空気を吸い込むと全力で叫ぶ。




「オト――――ウサ――――ン!!!!!!!!」




 その叫びに反応するように土の邪精霊獣の震えが限界を達すると甲羅から大きな拳が飛び出したと同時に土の邪精霊獣の体が真っ二つになる。


 そこに現れた真っ黒の長い髪を無造作に縛ったカンフー服姿の少年が獰猛な笑みを浮かべて土の邪精霊獣の亡骸を踏みつけていた。


「ノースランド! 追加依頼しかと聞き届けた。後は俺に任せておけ!!」


 カンフー服の上を脱ぎ、レイアに投げる。代わりにとばかりに巴が飛び出して雄一の手に収まる。


 巴を肩に載せる雄一はアリア達が飛びおりてきた切れ目を見つめると生活魔法の風を利用した跳躍をして飛び出していく。


 風を斬りながら飛ぶ雄一の顔には鬱憤が溜まりまくった獰猛な笑みが浮かぶ。


「俺に地味な役を押し付けた『ホウライ』。その返礼に景気良く、お前の企みを潰してやる」


 そんな雄一に反応するように巴の刃先が楽しげに震えた。

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