骨と鏡

「なんでっ!?また四階に戻って来てるっ!」

「おかしいよっ…こんなの…」


 私達以外誰もいない廊下に、手近な教室を確認しに行っていた茜ちゃんの声が響き渡る。

 みのりちゃんは廊下に座り込んで息を整えている。

 私も窓の外を見て見るけど、さっき確認した時と全く一緒の景色だった。


 さっきからどれだけ階段を下りてるだろう…

 下りても下りても、また四階に戻ってきてしまうのだ…訳がわからない。

 あの教室からやっとの事で逃げ出して来たというのに、いつまで経っても一階どころか三階にも辿り着けない。

 いったい、どうすればいいの…


 カタッ


 途方に暮れている私達の耳に、乾いた音が届く。

 …なんだろう…?

 まるで、チョーク同士をぶつけ合わせたような音…

 その音が聞こえてきた方を見ると、一瞬だけ何か白い物が見えた。

 何か、白くて丸っこい物が廊下の先の部屋に引っ込んだみたいだ…


「…今、何かいた…」

「…うん、私も見た…」


 茜ちゃんもみのりちゃんも見えたみたい。

 なら私の見間違いって事はなさそうだけど…

 もしも、教室や特殊教室の並びがいつも通りだったらあの部屋は理科室だった筈だ…


 …すごく嫌な予感がする。

 理科室に関係のある白くて丸っこくて軽い音をたてる物。

 そんな物、私は一つしか知らない…


 これがいつもの学校だったら、自分の考えを「そんな馬鹿な」と笑い飛ばす事も出来るだろう。

 でも、今私達が居るのはいつもの学校じゃない…

 教室にいた何かの気配やいつまでも下りる事の出来ない階段が存在している別の世界だ。

 その状況が私の馬鹿な想像が現実になると確信させる。


 ガラッ


 理科室の扉が開く。

 多分、私達三人ともそこから出て来るであろう物に気付いていると思う。

 だけど、誰も声を出す事が出来ない。


 カツンッ


 カツンッ


 誰も音を出す者がいない廊下に硬質な音が響き、理科室からそれが姿を現わす…


 …骨格標本。


 人間の骨格を模したただの物である筈のそれが、まるで生きているかの様に歩いて廊下に出て来た。


「ひっ…!」


 誰かの声が漏れる。

 今の私にはそれが誰の物かもわからない…

 ただ一つわかるのは、今の声で骨格標本ガイコツがこっちに気付いたって事だ。

 骨格標本ガイコツは固まっている私達にその空洞の目を向けると、ゆっくりとこっちに向き直り…


 ガシャンッ!ガシャンッ!


 派手な音をたてて走り出した!

 ちょっと!筋肉も無いのになんでそんなにスムーズに動けるのっ!?

 その動きは両手両足を大きく動かし、どこかコミカルな感じのする走り方だった。

 ちょうど、外国のアニメのキャラクターがするような感じの大袈裟な動き。

 正直な話、その走り方を見ただけでそれまでの恐怖がどこかに吹き飛んでしまったくらいに。

 なんとなく、あの骨格標本ガイコツは悪い人じゃない気がする。

 いや、元から人じゃないんだけど。


 多分全速力で走って来た骨格標本ガイコツは、私達の前で止まろうとして急ブレーキをかけようとするが、その骨の足じゃ硬い廊下でスピードを落とす事ができなかったみたいだ。

 両手をバタバタさせながら私に向かって突っ込んで来る!


「凉子!危ないっ!」「凉子ちゃんっ!!」


 茜ちゃんとみのりちゃん、二人の声が聞こえたけれど、私は咄嗟に動くことが出来ない。

 ぶつかるっ!


 ガシャーーーーンッ!!


 …え?痛くない…?

 私にぶつかる寸前、骨格標本ガイコツが自分でバラバラになったように見えた。

 現にバラバラになった骨の幾つかが私に当たったけれど、全然痛くなかった。

 …もしかして、この骨格標本ガイコツは私に怪我をさせないようにしてくれたの…?


 カタカタッカタッ


 私の考え通りだと言うように目の前に転がった頭蓋骨が口をパクパクと動かす。

 やっぱり、私のためにバラバラになってくれたんだ…


「茜ちゃん、みのりちゃん、私は平気…この人が自分でバラバラになってぶつからないようにしてくれたから…」

「あ、やっぱり?」

「てゆうか、このガイコツ、なんか可愛いよね…」


 みのりちゃん…それはどうかと思うよ?

 いくらなんでも可愛くはない…と思うな。

 悪い人ではなさそうだけど。


「…ねぇ、もしかしたらこの人なら学校から出る方法知ってるんじゃないかな…?」

「あぁ!確かに!」

「ねぇ、ホネ夫くん。ここから出る方法って知ってる?」


 みのりちゃんが転がっている頭蓋骨を両手で拾い上げて尋ねる。

 …ホネ夫くん?

 もう名前まで付けちゃってるんだ…


「……」

「……」

「……」


 無言。

 ホネ夫くんは口をパクパクさせてるけど声は出せないみたい。

 うーん、どうにかならないかな…


 コツコツ


 うん?この音って…?

 音のした方を見ると、なんとか手の形を保っている骨が指先で床を叩いている。

 茜ちゃん達も気が付いて見てるけど…

 と、みんなの注目を集めたその手が、親指と人差し指で丸を作る。


「…これってOKってこと…?」

「…そう、だと思う…」

「可愛い〜!!」


 今度は親指だけを立てる。

 頼もしい仕草なんだろうけど、骨だけだからなんだか頼りない気がする。

 でも、今はこの人だけが頼りなんだ。贅沢は言ってられない。


「…それじゃ、案内してもらえますか…?」

「……………」

「…もしかして、自分で元に戻れないんじゃない?」


 カタカタッ


 …そうらしい。

 かといって、私達が人の骨なんて正しく直せる訳がないし…


 仕方ないから、そのまま全部の骨を集めて持っていくことにした。

 腕や脚のの骨は茜ちゃん、肋骨は私が持って細かい骨は三人のポケットに入れた。

 頭蓋骨はみのりちゃんが大事そうに抱えていて、その肩には手の骨が乗っかっている。


「とりあえずこれで全部かな…?それでどうすれば下に下りられるの?」


 茜ちゃんがみのりちゃんの持っているホネ夫くんの頭に話しかける。

 よく見たらすごい光景なんだけど…もう慣れちゃったのかな…

 今の状況もあんまり怖いと思わなくなってる。

 こんなに異常な世界だって言うのに、私達はいつの間にか受け入れてしまっているみたいだ。


 勿論、茜ちゃんの言葉にホネ夫くんは答えない。

 喋れないのだから当たり前の事なんだけど…その代わり、みのりちゃんの肩の手が階段を指差した。


「また階段?さっきも何度も下りようとしたけど駄目だったよ…?」


 茜ちゃんはもううんざりといった顔だ。

 …私もだけど。


「きっとホネ夫くんには何か考えがあるんだよっ!行ってみよ?」


 みのりちゃんが先頭に立って階段へと向かう。

 みのりちゃんが元気になったのは嬉しいけど…あまりにもホネ夫くんを気に入り過ぎていてちょっと心配になる。

 幽霊に恋をしてしまって生気を吸い取られるお話を思い出してしまうのだ…

 まさか、そんな事にならないとは思うけど…


 再び階段を下り始めてすぐ。

 最初の踊り場に差し掛かった所でホネ夫くんがみのりちゃんの肩を叩いた。


「あっ!茜ちゃん、ちょっと待って!ホネ夫くんがここでストップだって」


 先に下りようとしていた茜ちゃんを、みのりちゃんが呼び止める。

 私にはただ肩をトントンと叩いた様にしか見えなかったけど…みのりちゃんにはホネ夫くんの声が聞こえているのかな…?


 ホネ夫くんは踊り場の壁に設置されている大きな鏡を指差していた。

 昔の卒業生の人達が学校に贈った鏡だ。

 ホネ夫くんの手は、文字通り身振り手振りでみのりちゃんに何かを伝えている。


「えっと…手っちゃんをこれに近付ければいいの…?」

「「手っちゃん!?」」

「うん、この子は手っちゃんだよ?」

「…ホネ夫くんじゃないの?」

「そうだよ?ホネ夫くんの手っちゃん」

「そ、そうなんだ…」


 うん、あんまり深く考えるのはやめておこう…


 みのりちゃんはホネ夫くんを小脇に抱えると、手っちゃんを自分の手の上に乗せて鏡に近付ける。


 コンコンッ


「あー?誰だ?」


 えっ!?

 手っちゃんが鏡をノックすると、すぐに返事が返ってきた。

 その直後、鏡に映った光景が真ん中からパックリと割れ、その隙間から女の子が顔を覗かせた。

 鏡の外の世界にはなんの異変もない。

 鏡の中だけの変化だ。


「なんだ、スケさんか。ちょっと待ってろ?…よいしょっと」


 スケさん…?ホネ夫くんの事かな?

 鏡の中の女の子はその空間の割れ目みたいな所に手を掛けてこっちへ出てくる。

 と言っても、それも鏡の中だけのこと。

 ややこしくてよくわかんなくなってきた…

 その女の子は黒い短めの髪の所々を赤く染めた妙な髪型をしている。

 服もフリルがたくさん付いた黒のブラウスにタータンチェックのネクタイとフリルスカート、赤と黒のボーダーのニーハイソックスに黒のロングブーツと言った、所謂いわゆるパンクファッションに身を包んでいる。


「で?スケさん。なんでそんな格好でその子達と一緒にいるんだ?」


 カタカタッカタカタッ


 女の子の質問に、ホネ夫くんが口をパクパクさせて答えている。

 やっぱり声なんて出ていない。それなのに…


「なるほどな。スケさんのイージーミスで怖がらせるどころじゃなくなったと…じゃ、ウチも《鏡迷宮ミラー・ラビリンス》解除して良いって事だな?」


 カタッ!


「OK。じゃあ解除っと…」

「あのー…?」

「ん?」

「ホネ…じゃなくて、スケさん…?の言ってる事わかるんですか…?」

「あー。そんなのわかる訳なくね?」

「は?」

「なんとなくだよ、なんとなく」


 この子テキトーだっ!

 てゆうか、なんとなくじゃ済まされないくらい詳細に状況把握してたんですけどっ!


「それよりあんたら、悪いけどそいつ連れて保健室まで行ってやってくんね?」

「保健室ですか…?」

「あぁ、そこに居るウチらの仲間に言ってそいつを直してもらってやってくれ」

「それは構いませんけど…」

「ん?けど?」

「一つだけ教えてください。あなた達って一体何なんですか?教室の気配も、スケさんもあなたの仲間なんですよね?」

「それじゃ質問二つじゃねーか。…まぁいい。どっちにしろウチは最初の質問に答えることはできねぇしな。もう一つの方はYes。どっちもウチの仲間だ」

「…そうですか…」


 この人達がなんなのかはわからないけれど、きっと悪い人達じゃないのだろう。

 ホネ夫くんは優しいし、この子だって質問に対して答えられることはちゃんと答えてくれた…と思う。


「凉子、いいから早く行こっ!」

「茜ちゃん、ホネ夫くんはどうするの?」

「そりゃ、このままにしとくのはかわいそうだから保健室までは連れてくけど…それだけ済ませて早く帰ろうよ!」

「…あ、悪い。ウチが解除したのはなんだ。学校から出るには、ウチの仲間全員に会う必要があるから」

「はぁっ!?なんでよ!?もう元の学校に戻ったんじゃないの!?」

「なんでって…そーゆーもんなんだから仕方ないだろ?」


 仕方ないって…まだ怖い思いをしなくちゃならないの…?

 …いや、ホネ夫くんもこの子もあんまり怖くはなかったけど。


「さて、ウチももう帰るとするか。…そうそう、次のヒントだけ教えてやるよ。そこの階段下りる時、段数を数えながら下りてみな?」


 女の子はそれだけ言うと、また割れ目の中に帰って行った。

 …しょうがない。言われた通りにしようか…

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