第11話 最後の試練

「何と……神の引き出しとは……!」


ハインツはロッキングチェアーを揺らしながらその表情を険しくしていた。


ステアは、その顔を見ながら空いたカップにお茶を注ぐ。ハインツは「ありがとう」と添えてカップに注がれたお茶をゆっくりと口に流し込んだ。温度も丁度良く、心地よい喉越しを感じる。


「ミルージュからですか?」


そう問いかけるステアの表情は、やや怪訝に見える。それもそうだろう。


竜の叡智と同様、神の叡智と呼ばれる知識の宝庫がこの世界に存在すると言う。あくまで伝説であって、確認した者はいない。


その知識は、竜の叡智以上の情報量を誇り、手にした者には大いなる神の知恵がその頭脳に刻まれる。


だが、莫大な情報量だ。


竜の叡智同様、限られた人間の脳では、その圧倒的な情報量を処理し切れず、一瞬でパンクする。


つまり、脳がオーバーロードを起こし、頭蓋骨の中で破裂。耳、鼻、口、眼球の隙間から破裂した脳が液体の如く溢れ、死ぬ。


普通の人間ならば、そうなる。しかし、神に唯一その知識を得る事を許された種族がいる。


その種族は、あらゆる知識を吸収し後世に伝える役割を与えられた。


司祭や宗教の始祖などが近い存在と言えるが……彼らはただ教えを伝えるだけの存在であって、役割が違う。


その種族は、自らの頭脳に神の叡智全てを収め、その時代の統治者を裏から操り、神から与えられた指示通りに導く。もし、導きを無視すれば……


神の裁きが降り注ぎ、この世界は終末を迎える。


神の引き出しと呼ばれる頭脳を持った種族は、神竜戦争で最後の一人が死に、血縁は途絶えたと言われている。


「まさか、こんな所で出会うとはな……」


ハインツの表情から驚きと同時に怒りも見せていた。


「ハインツ。ミルージュは何と?」


ステアの質問に、ハインツは少し険しい表情を彼女に向けた。


「どうやら、トーラは神の引き出しを受け継いでいるようだ」

「まぁ! それでしたら、この試練は早く終わるかもしれませんね」


澄まし顔でそう言うステアを見て、ハインツは何故自分に怒りが沸き起こるか、考えた。


はるか昔の事だが、わだかまりがまだ自分の中にある。

時間が経っても、あの頃の怒りはなかなか収まらない。


我ながら情けない話だ。だが、水に流してしまう訳にもいかない。

今は、この若者の行く末を見守るしかないのだろう。


ハインツはステアに振り返った。


「そう上手く行けばいいがな。まだ、最後が残っている」


そう言うハインツの顔は、やはり険しいままだ。



ーーーーー


神の引き出しだなんて、訳分からん。


大体、そんな大それた物が俺の中にあるなんて、にわかには信じがたい。


平凡な家庭に産まれ、平凡に育ち、平凡な兵士になり、平凡に死……いや、最後は違うな。


最後は平凡ではないが、そんな事はどうでもいい。


こう言っては何だが、あれだけの知識を叩き込まれても、まだまだ頭の中はスッキリしている。


逆に整理できたようにも思えるのは、まだ詰め込めるだけの隙間があるという事だろう。


というか、第二の試練は、ミルージュが……


「口で伝えるよりもこっちが早いですわ。後はご自分で考えなさいませ」


と言って、頭に手を置いたと思ったら、一瞬で終わらせてしまった。


何て手っ取り早い……これで試練? いいのか? いいんだろうな、きっと。


当の本人は晴れ晴れとした表情で、上品なカップに注いだお茶を口にしている。


ティータイムだ。一口飲むと、俺を見て手招きしている。一緒にお茶を飲めと言う事か。


促されるまま、俺はミルージュの正面に座ると、彼女は無言でカップを差し出した。注ぎたてのお茶が湯気を立てている。


そのお茶をジッと眺めていると、ミルージュが口を開いた。


「このまま、第三の試練。進みましょうか」


俺は何も言わず、彼女を見た。その表情はとても暗い。第三の試練とは何だろう?


「最後の試練。それは……ある竜の物語。喜びと共に産まれ、悲しみと共に生涯を閉じる。残された物は、その孤独感。未だ、耐えた者はいない……」


その表情は更に暗く、悲壮感が漂う。

ミルージュはゆっくりと口を開いた。


「悠久の時を経て、語るは竜の息吹。千の喜びと万の豊穣はかの者をこの地へと誘い、億の慈しみを与えた……」


ミルージュの言葉は、直接俺の頭の中へこだまし、周囲の景色が一変する。


そこは村だった。


どこまでも透き通る青い空。

その下に広がる広大な大地。

緑が生い茂り、豊かな作物が芽吹く。


風は柔らかく、頬を優しく撫でてくれる。

その村の入口に、俺は立っていた。

ミルージュの姿は無い。俺は辺りを見回すが、彼女の姿はどこにも無かった。


俺はトボトボと足を進め、村の中へ入る。

何やら騒がしい。あちこちで人が走り回っている。


人? 人と呼ぶにはどうだろうか?


その瞳は紅く、額には小ぶりな角? だろうか。

可愛くこんにちはと二本生えている。

人には違いないが、普通ではない。


ここは何処だ? 近くを通りかかった人に声を掛けようと手を差し伸べると……


驚く事に、スッと俺の手をすり抜けて行った。


「え?」


俺はもう一度手を差し出すが、また通り抜ける。

思い切って抱きつくが、感触はなく、自分の腕の感触だけがあった。


俺が見えていない? 違う、俺が存在していないのか?


じゃ、ここは何処だ?


「ここは竜の記憶……」


ミルージュの声が響いた。


「あなたが見るのは、一匹の竜の記憶。悲壮に溢れ、絶望の中でしか生きる事の出来なかった、哀れな竜……これが、最後の試練……」


竜の記憶? 俺は記憶の中にいるのか? だから触れる事が出来なかった?


「これは記憶だから、あなたが何かをしようとしても無駄です。ただ、眺める事しか出来ない。眺めるしか……」


そう響いた後は、彼女の声は消えた。


最後の試練の幕開けだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る