第10話 神の引き出し

授業の時間は決まっていない。教科書なんてのもない。

あるのはミルージュが黒板に書き出す内容のみ。

俺はそれを眺める。だけではなく、紙とペンを渡され、ひたすら書き写していた。


最初の授業は、竜の歴史。


その歴史は長く、古代から続く種族が多い。種族によっては、神々との戦いに赴き、神と共に戦った者もいるという。


記憶に新しいのは、神竜戦争。


神竜族と邪竜族との戦争だ。ちょっと話を聞いたが、辻褄が合わない部分がある。

竜は神と共に戦ったという事が歴史上語られているが、この戦争の主役は竜だ。神じゃない。

俺が挙手して質問すると、ミルージュは快く答えてくれた。


「いい所に気がつきました。そうです、この戦争の主役は竜。神ではないのです」


表向きは竜同士の戦いだが、実はいたずら好きの神が邪竜にちょっかいを出して、怒った邪竜が神に報復しようとした所、神が神竜に泣きついて戦争を肩代わりさせられたという、なんともお粗末な話だった。


神竜もいい迷惑だな。


「ありえませんわね、神ともあろう者が」


ミルージュも、情けないと言った感じだ。肩がうなだれている。


「本来、竜……特に神竜族は他人の揉め事に口出しはしないんですが、これはそう言っていられなかったのです。この神を産み出したのは、世界創造の神。創造と豊穣のエリオロールと言われています。創造神の名を出されては、神竜も断れなかったようですね」


親の名を出して助けを乞うとは……とても人間臭い神だ。確か、そんな神がいたな。確か……


「その神って、もしかしてルカーでは?」


ミルージュはキッした目つきで俺を見据えた。


「正解! 人間を作り出し、神々の奴隷として扱おうとした罪深き神、ルカー。彼のせいで、人間は戦争を義務付けられたと言われています」


戦争は、神々が単調な日々を紛らわす為、退屈凌ぎの為に人間に課せられた義務だという。

とすると、あれか?

俺達人間は、神の退屈凌ぎの為にその命を奪われるって事か。


「腹立つな……」


そう呟くと、ミルージュはニヤニヤと不敵な笑みを見せた。


「この試練が終わったら、あなたも神に匹敵する力を得る事が出来ますわ」

「え? いや、俺は神と戦う気は……」

「冗談です、いくらあの人の血でもそれは無理でしょう」


あの人? あの人って、俺が飲んだ血の主か?


「はいはい、下らない事は置いといて、授業を進めますよ」


あれ? いつの間にか、心の会話がなくなっている?


「大事な授業ですからね。心読でも出来ますが、やはり声の会話で進める事に意義があるのです」


そうですか。これ、しんどく? って言うのか?


「そうです。限られた種族にしか許されない悟りの能力ですわ。ステアから聞いているでしょう?」


聞いてます。でも何でステアの事を?


「それはおいおい……それにしても、最初と比べると大分フランクな会話になってきましたね? これは、あなたの信頼と受け取ってもよろしくて?」

「あ? えぇ、まぁ……」


そう答えると、ミルージュはニヤニヤした笑顔ではなく、心から嬉しそうな笑みを俺に向けた。


「まぁ嬉しい! 悟りの能力はなかなか受け入れられませんから。ステアにもそうして頂けると、彼女も喜びますわ」


本当に嬉しそうだ。もしかしてこの人。ステアと関係してるのか?


「トーラ君、授業を進めます」


そう言われ、ミルージュは黒板に何かを書き記して行った。


竜の歴史は、多くが戦いの連続だった。神々を始め、同じ種族、人間による竜狩り。竜討伐……竜の歴史は常に血塗られていた。


特に酷かったのは竜狩り。


竜の身体は硬い上に、強靭だ。身体も大きく、一匹で一国の兵力を相殺できるだけの力がある。

それを手練れの狩人と冒険者でグループを作り、ジワジワと追い詰める形で仕留める。

身体からは様々な用途に使う為のパーツを切り分けられる。

皮膚は防具に、骨は武器に。内臓や肉は高級品や薬になる為、貴族に高値で売られる。


俺はそこでも腑に落ちない点があった。


「先生。血は? 血はどうなるんですか?」

「またまた、いい所に気がつきました! そうですね、どんな生物でも、傷を追えば必ず血が出ます。しかし、竜の場合は……」


竜の場合は違った。

竜の血は、どんな形であれ、接した者に力を与える。

過去に竜の血を浴びてその力を得る者は数多くいた。

だが、その中には正義ではなく、悪ももちろんいた。

力を持った者は、その力を利用してあらゆる悪事を行う。

竜は責任を取るために、その悪事の張本人を狙う。そして、戦争が起こる。


だから、竜の歴史は血塗られた物だったのだ。

いつしか、竜は人から隠れて生活するようになった。そして、傷を負っても血がすぐに蒸発し無くなるよう、自らの身体の作りを変えて行った。


竜の死体から水蒸気のような物が出るのはこの為だ。


ーー血は流してはならぬ。


竜の取り決めは、人間の愚かな行動で付け加えられた。

もしかしたら、これもルカーによって仕組まれた事なのかもしれない。


こうして、竜は数を減らして行った。元々数が少ない上に、狩りによって滅んだ種族もある。

人の目から自らの姿を隠す事によって、竜は安息の日々を得たのだ。


「選ばれた者しか、生き血を飲む事は出来ない。暗黙の了解として、ごく自然に出来た約束事だと聞いています」


という事は、俺は選ばれたのか。ハインツに?

まぁ、いいか。それより、早く次へいって欲しい。というか、この歴史の授業自体、かなり長くやっている気がする。


ふと、ミルージュに視線を移すと、顎に指を添えて考え込んでいた。


「……トーラ、あなた。頭痛とか、何か違和感を感じません?」

「いや、何も……」


そう答えると、ミルージュは難しい顔をして腕を組んでいた。

目つきが鋭い。その視線の先は……俺だ。


「あの、先生?」

「トーラ。あなた、本当に教養がないの?」


え? 何でそんな事を?

俺は確かに教養はないが、いちいち馬鹿にしなくても……


「違うわ。教養を受けた事があるのか無いか? と言う事」


そう言われ、自分の勘違いを恥じるが……

よく考えても教養を受けた事はない。


「ごめんなさい。勘違いをさせてしまいました。ちょっと失礼……」


そう言って、ミルージュは俺の頭に手を乗せた。

すると、頭上がボンヤリと光、ミルージュの顔が驚愕の表情になった事が分かった。


ミルージュが手を離すと呟いた。


「驚きましたわ。ハインツも、とんだ拾い物をしましたわね」


どういう意味だ?


「トーラ、今、あなたにある知識を授けました。何だか、分かりますか?」


そう言われ、俺は驚いた。いつ授けたんだ?

まぁ、いいや。ミルージュは俺にある知識を……と言った。何の知識だろう。


ちょっと考えてみると、すぐに浮かんできた。


「戦略? 神に対しての有効な陣形……」


何だこりゃ? と首をかしげると、ミルージュの表情は更に驚いた様子だった。


彼女は口に手を添えて呟いた。


「何て事……」


訳が分からなかった。何故、彼女はそんなに驚いているのだろうか?

俺は何かおかしな事を言っているのか?

ミルージュが俺に授けたくせに。


て、何で俺はこんなに冷静なんだ? 俺自身がもっと驚くべきなのに。


「それは、あなたが自らを自然と受け止めているからですわ」


ミルージュが答えた。


「この試練。あなたは死にません。すぐに終わりますわ」


どういう事だ?


「私が先ほど手を乗せた時、この試練で与える知識の約半分を直接頭へ送り込みましたの」


手から俺の頭へ? そんな事が出来るのか⁉︎

でも、それが出来るなら最初からして欲しかった。


「普通なら、半分も入らずに脳がパンクして頭蓋骨から溢れ出ますわ。それほどの量なのですが……しかしながら、あなたの脳はまだまだ余裕がある」


さっぱり分からない。ミルージュは何が言いたいのか?


「まさか、神の引き出しを持つ者がいるなんて」


神の引き出し⁉︎ なんだ、それ?


ミルージュは、俺の顔をマジマジと眺めながら、驚きの表情は変えなかった。

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