第36話 アトネス防衛線 人(前編)

パラト暦215年5月15日 夜 戦闘終了直後

都市アトネス3等地区 東側防壁


「(・・・うぅ、本当にヤッチャッタ~!)」


 戦闘狂バトル・ジャンキー状態から覚めたオレは、激しい羞恥心と胃痛にさいなまれながら、そそくさと城壁を降りた。

 向かう先は、下水道の最終処分施設。メドゥ軍の急襲部隊を壊滅させた、『大地の怒り』の後始末の為だ。


 1分とかからずに施設前へ到着したオレは、そこから既に、中の惨状の片鱗を感じ取れた。


「うわぁ、みんな大丈夫かな?」


 生臭さと焦げ臭さが混ざった悪臭に、ハンカチで顔を覆いながら、オレは中へと進んでいく。



浄化施設内部


 こういう事態が起こった時を想定し、換気機能をしっかりしていたおかげか、建物内は意外と匂っていない。

 だが奥に進み、処理した汚水を街の外へ逃がす水路の入り口まで来ると、そこは外の戦場とは別の意味で地獄だった。

 作業をしていた職員たちは皆ボロボロで、うち何人かは軽い火傷や裂傷を負っていた。

 そして、放水路からの逆流を防ぐために設置していた鉄の蓋は、ろ過用の砂利槽まで吹き飛んでいた。

 

 ・・・そう、『大地の怒り』の仕組みは至極簡単。地中に埋まっていた下水管を地雷のように爆破したのである。

 

 アトネスでの下水処理は、元の世界ほど高度ではなく、街の外へ流す段階でも汚泥が混ざっている状態。

 その為、普段でも管の中には汚泥から出たメタンガスがたまりやすく、それを逃がすために地上には目立たない程度に換気パイプが突き出している。


 オレは下水道の設計段階から、この半天然の地雷原を防衛策として用いることを考え、爆発の被害が近隣に及ばないように、施設周辺を無人の広場としておいた。

 さらに、グシャンによるアトネス侵攻が確実となった5月6日。オレは施設の職員たちに、さらなる小細工を頼んだ。換気パイプに導火線を仕込んだ上で、街の外の排水管に油を少しずつ流してもらい、爆発の威力を高めた。

 

 そして今日。メドゥ兵が排水管が張り巡らされているエリアに入ったタイミングで、火矢によって着火。

 導火線が運んだ火種は、地下のガスと油に引火し、狭い空間で生まれた炎は、管と土壌を突き破り、敵兵を飲み込んだ。



 当然ながら、爆発の広がりは地表だけではなく、この施設へも向かったしまった。

 予め予想できていた事なので、職員たちには「戦闘が始まったらすぐに排水管を封鎖するように」と忠告し、そして彼らはちゃんと、重い耐圧扉を閉じることができた。

 しかし、爆発の威力が想定より大きかったのか、ハッチは爆風に負けて吹き飛んでしまっていたのである。


「ごほごほ・・・あ、<グルゥクス>」


 職員の一人がこちらに気づき、涙目をこすりながら近づいてくる。


「戦闘は、どうなりましたか?」

「安心してください。敵部隊は皆さんの協力により壊滅、指揮官は降伏を宣言しました」


 それを聞いた職員たちは、皆口々に喜びの声を上げた。


「・・・ありがとうございます、<グルゥクス>。幸い、こちらは軽傷者が数名と、見ての通り防護扉が壊れた程度。明日には復旧できるでしょう」

「それはよかった。…しかし二次災害の危険があります。皆さん、念の為に避難を」


 それからオレは、足をくじいた職員に付き添い、施設を出た。

 

翌日 


 戦闘から一夜明け、戦場となった東側防壁周辺は、捕虜の救出と尋問に吹き飛んだ排水設備の修復と、戦闘の後始末で慌ただしかった。


 メドゥ兵の生存者は、臨時指揮官のユラン・タウ大尉以下69名。彼を除く将兵たちは皆、魂が枯れた廃人の如く無気力に座り込み、自分の足で連行させることができず、馬車によってパルディオナ城の地下牢へと運ばれた。

 ただ一人まともな状態(といっても心身はかなりボロボロ)なユランによると、メドゥ兵の大半が何らかの魔法か薬物にやられたように、異常な好戦状態だったという。

 その他、オレ達が<空飛ぶ船>と呼んでいた兵器の名が<エニューオー>である事、それが3隻しか建造できていなかった事を聞き出した後、彼もダンジョンへと連行された。

 その際、オレが<グルゥクス>であると知ったユランは、悟りを開いたように呟いた。


「・・・そうか、メドゥ帝国は、神の怒りを買ったのだな」



正午ごろ

3等地区 衛兵詰所 屋上


 昼食どきで修復作業が一時止まっている東門を眺めながら、オレは頭の中に浮かんだ、ある疑念について考えを巡らせていた。


「・・・戦に酔った戦士、<エニューオー>。嫌~なキーワードだな」


 ユランから得られた情報によれば、グシャン配下のメドゥ兵は、精神に何らかの細工が施されている可能性が出てきた。

 アトネス側は半信半疑な反応だったが、オレは彼が口にしたもう一つの情報、オレが<空飛ぶ船>と呼んでいたあの兵器の名前から、今回の戦争の背後に、“ある存在”が居ると感じていた。


 ギリシャ神話でオリンポス12神の1柱で、『侵略と破壊、狂乱』を象徴する軍神。トロイア戦争で『不和のリンゴ』を投げ込んだ女神エリスを妹にもち、<都市の破壊者>エニューオーを供とする、自らも<城壁の破壊者>の二つ名を持つ。


「・・・戦の神、アレス」

 

 ギリシャ神話の神でありながら、ギリシャ人からは嫌われまくったとされる男神だ。同じ戦神ながら、首都の名にもなっているほど大人気なアテナを妬み、この世界に手を出してくることは十分にあり得る。

 そうなれば、パラス・アテナの加護を受けているとはいえ、オレだけでは荷が重すぎる。

 頭の中に、もう一人の<グルゥクス>の姿が浮かんだ。


「一度、シドに連絡を取らないと・・・」


 開戦前、メドゥ帝国を乗っ取ったグシャンに外交交渉を試みていたはずだが、キオス砦への侵攻以降は動向が判らない。

 アトネスと連合の間には、アフリカ大陸にあたる地域を統べる3大国の一つ、ケントゥー国の領土がある上、FFOのようなチャット機能も存在せず、情報のやり取りは容易ではない。

 

 だが、オレが全く予想していなかった形で、文字通り“飛び込んで”きた。



八ノ刻(午後4時)


 太陽が大きく東へ傾き、街が普段通りの動きを取り戻し始めた頃、一騎の伝令が、門を突き破らんばかりの勢いでアトネスに入ってきた。


「伝令!アイギーン平野のティグリソス将軍より、伝令!」


 10万のメドゥ兵を迎え撃つ会戦が始まってから1日と半分が経過して、初めて届けられた情報。 

 馬は門をくぐったところで力尽き、投げ出され門番に受け止められた騎手も、四肢が疲労で痙攣して意識も朦朧としていた。

 それでも、近くにいたオレとレオンが駆け付ける姿を目にしたのか、集まった兵や市民に対し、己が使命を全うした。 

 

「アイギーン平野での会戦は、わが軍の勝利!勝利しましたぁ!」


―オオ―――!


 もたらされた朗報に、取り囲んだ群衆から歓声が上がる。

 レオンも弟の勝利に安堵したようで、ほうっとため息をつき、胸を撫で下ろした。


 ところが、伝令が運んだ情報はもう一つあり、それを聞いた群衆は皆、己が耳を疑った。


「・・・今、なんと?」

「停戦、停戦です!先代皇帝派が帝都ナカラを奪還、メドゥ全軍に停戦命令を発布しました。戦争が、終わったんです!」


 城門周辺から、一切の音が消えたようだった。 

 オレも、レオンも、その場の誰もが、思いもよらなかった展開に、言葉を忘れた。


 一人の男の妄執により唐突に始まったア=メ戦争は、こうして、唐突な終わりを迎えたのだった。



数日後 午前

メドゥ帝国領内 地方都市イズミラ



 5月15日正午、アイギーン平野におけるアトネス軍とグシャン=メドゥ軍の会戦と同時刻。

 <グルゥクス>Mr.アラバマ率いるウエイスト連合軍が、メドゥ帝国領内へ進軍。『国内でのテロから一時避難していた正規軍の帝都奪還を支援する』という名目での、武力介入を開始した。

 連合軍は、アラバマがもたらした『神の知識』=“銃火器”に加え、モンスターを騎獣として使役する<テイミング>技術を用いた<飛竜>部隊を投入。わずか半日で首都ナカラを占領し、メドゥ第一皇太子ケンクゥを地下牢から救出した。

 今回戦争における元凶グシャンは、戦闘の混乱に乗じて逃亡を図るも、正規軍がに寝返った側近、サブアンによって誅殺された。




「・・・そして、僭帝せんていから取り戻されたメドゥの実権は、ケントゥ=メドゥが継承。次代皇帝となった彼は、全軍に停戦命令を発布し、ウエイスト連合を仲介とした講和会議の開催を、アトネスへ提案してきました」


 <庭師>経由で仕入れた情報を、向かいに座る姫さんから聴きつつ、オレはふと窓の外へ視線をやる。

 オレは現在、講和会議が開かれる都市イズミラへ向かう馬車に乗っていて、窓の外からは、巨大な湖のほとりに栄える交易都市が垣間見える。

 国境を東に越えて最初に辿り着く、メドゥ帝国領内最西端の都市、イズミラである。

 今この街には、正式な帝位継承を待つ身であるケントゥ=メドゥ、帝都を占領統治しているウエイスト連合特使のMr.アラバマ、そしてアトネス側代表として、イルマ姫さんとオレ、3か国のVIPが顔をそろえ、ア=メ戦争を本当の意味で終わらせようとしていた。


 戦争は、どちらかが白旗を上げただけでは終わらない。自分達は降伏するのだという確実な証拠を、文書への調印という、形あるもので示さねばならない。

 判りやすい例を挙げるなら、第二次世界大戦における「ミズーリ号での調印」だろうか。

 1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、敗北による終戦を宣言した。しかし国際的には、終戦はその数日後の9月2日、来日したミズーリ号の甲板で休戦協定に調印した時点であるとされる事もある。



(ただし、実質的に終わっている戦いを、ネチネチと引き延ばして良いという訳でもない。それをやらかせば、以降数十年も続く遺恨を両者に残してしまうから。まったくもってバカバカしい)


 自分の世界の黒歴史に対する悪評がふと頭をよぎるも、オレの関心はすぐに、別の事柄へと向けられる。

   

「・・・テイミング、成功していたんだな」

「はい、わたくしも驚きましたわ。ワイバーンといえば、グリフォンと同等かそれ以上の脅威と判じられている魔物。それを馴らすだけでなく、兵力として運用するというお考えは、さすがは<グルゥクス>といったところでしょうか?」


 我が悪友の『偉業』に、姫さんは純粋に興味だけを抱いているように見えた。

 だがオレの中では、それが最悪なシナリオを証明する、ピースの一つになろうとしていた。


「・・・シド、間違いだよね?」


 毎度、トラブルが起こる前に沸き起こる嫌~な気持ち悪さを感じるオレにかまわず、馬車は港町の中に入る。

 そして、レンガ造りの建物が並ぶ通りを抜け、巨大な大理石の柱で支えられる議場の前で止まる。

 馬車の戸が開けられ、その先ではこの場に不釣り合いなカウボーイ姿が、オレ達を待ち受けていた。


「よぅジェイル、イルマ。息災だったか?」

 

 オレの見知った表情、しぐさ、声で、Mr.アラバマは話しかけてくる。

 

「ご無沙汰しております、アラバマ様。此度のご助力、アトネスを代表してお礼申し上げます」


 先に馬車を降りた姫さんは、そう言ってスカートの袖をつまみ、深々と頭を下げた。

 オレはその後ろに佇むも、急に緊張しだして、声が出せない。

 

「ん?どうしたジェイル。長旅で馬車酔いでもしたのか?」

「いや、体調は大丈夫だけど。・・・シド、ちょっと話があるんだ。二人だけで」


 それだけを絞り出し、オレは10年来の友人をじっと見つめる。

 どうか、自分の読みが間違いであってほしい。一体何事か、訳が分からない、そういう顔を見せてほしい。そう思いながら・・・。

 だが、彼は“何かを悟った”表情で頷いた。


「いいぜ、アゴラの裏に小さな庭がある。そこなら誰も来ない。・・・イルマ、悪いが<グルゥクス>同士で大事な情報交換をしなきゃならねぇ。講和の話し合いは中天の鐘が鳴ってからだから、それまでジェイルを借りるぜ」

「え、ええ。どうぞ。・・・ジェイル様、議場でお待ちしておりますね」


 戸惑いながらも、姫さんはそうオレの事を送り出してくれた。

 そしてオレ達二人は、アラバマを先頭に中庭へと向かい、姫さんは建物の中へと入っていく。


「・・・ジェイル様、必ず、遅れないように、戻ってきてくださいませ!」

「・・・ええ、大事な会議ですから、遅れませんよ」


 姫さんはふと、遠ざかるオレの背中へ向けて告げ、オレも何事もないように約束を返す。


 

 でも残念ながら、オレはそれを破ってしまうのだった。

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