第34話 アトネス防衛線 天

パラト暦 215年5月13日 夕刻

アトネスの東方 エボイア山脈西側の麓 カリストス砦


 アトネスの街からおよそ12kyキルヤー(36km)東へ行くと、天然の絶対防壁が存在する。

 エボイアとアンドロス、北西から南東へと連なる二つの山脈である。

 山肌の傾斜が険しく、荷物を持って越えることはできない。また、その全長は70kyキルヤー(210㎞)を超えており、迂回することも不可能。唯一通過できる場所は、2つの山脈の繋ぎ目である標高30y(90m)ほどの丘陵地帯。

 オレ達の目的地であるカリストス砦は、そこを主戦場と仮想し建設された、アトネスの最終防衛拠点である。

 


砦内 指揮所


 約半日かけて空路で砦に辿り着いたオレは、指揮官エリノンと対面していた。

 メスタ将軍の放った伝令兵は先に到着しており、外ではドア越しでも聞こえるほど慌ただしく増援派兵の準備が行われている。

 

「ようこそお越しくださいました<グルゥクス>。将軍の伝令から事情は伝わっておりますが、現在まで、この砦周辺にそれらしき集団は確認されておりません」


 先王の時代からアトネスに仕えているという古強者の将軍殿は開口一番、本題に切り込んで来る。

 それに対しオレは、パサラ姐さんから借り受けた平野の地図を卓上に広げて見せる。地図上には幾つか真新しいインクの印が書き込まれている。


「オレもこちらへ来る途中、隠密部隊の痕跡を探してみたんですが。パサラ姐さ・・・大尉殿が隠れ家と予想した野営地も含め、その痕跡は確認できませんでした。幸いというべきか、敵が今すぐにアトネスを攻めるという事は無いようです」


 おそらく敵は、アイギーン平野での会戦に合わせて奇襲を仕掛ける算段なのだろう。期日は明後日の昼、つまり対策を講じられる猶予は1日と少し。

 無いよりはマシという程度。しかも、こちらは未だに敵の動きを予測できていない。どんな対策を練るべきか・・・。 


「現時点での最善は、あなたがアトネスに控えることでしょう。<グルゥクス>」

 

 唐突に、エリノンは言った。


「敵がどんな出方をしてくるかわからない以上、我々カリストスは普段通りの警備を行うしかない。そして、必ず抜かれるでしょう」

「そんな・・・」


 あっさりと告げられた敗北宣言に、オレは言葉をくす。

 だがその言葉とは逆に、エリノンの顔には誇りと自信が満ちていた。


「ご安心ください、自暴自棄になっているわけではありません。勝てないとは言いましたが、素通りさせるつもりもございません。我らの総力をもって、メドゥ軍に痛手を負わせてみせましょう」


 ですから、とカリストス砦の指揮官殿は、こちらに向かって頭を下げる。


「どうかもう一度、アトネスを、我らが故郷をお救いくださいませ。<グルゥクス>」

「・・・心得た」


 覚悟を決めた者を前に、オレはそれだけしか返すことはできなかった。



 しかしエリノンのこの覚悟は、良くも悪くも無駄に終わってしまう事となる。


5月15日 


 索敵魔法でメドゥ軍を監視していた魔法ギルドから、その一報がもたらされたのは、アイギーン平野で会戦が始まっているはずの頃。

 アトネスでは各外円防壁に兵が配置され、オレは遊撃部隊として、各所を見回っているところだった。

 

―<巨大な船>がメドゥ側から飛来・・、アトネスへ向かって直進中。


 それを聴いた獅子団長殿や他の兵士たちは、何かの間違いでは?と首を傾げた。

 だがオレは、それが現実だと認識し、そして悔いた。


「そうか、・・・空があった」


 10万の軍勢も、難攻不落の山脈も、障害となるのは陸路においての事。オレがナイルを使ったように、空路を征けば関係ない。 

 この世界には、物体を浮かせる魔法が存在する。オレはそれを下水道工事で実際に目にしていた。いや、もしその魔法の事を知らなくとも、気球や飛行船など、空から攻める方法はいくらでも思いついたはず。

 しかしオレは、それらの可能性をすべて見落としていた。


「・・・とにかく、すぐに迎撃しないと。アトネス側には、空の兵力はあるんですか?」


 周囲の反応から、ダメで元々という心構えで問いかける。

 しかし、結果は悪い予想通り。


「いや、そのような奇天烈な兵科は存在しない。一応、飛竜やグリフォンなどのモンスターを相手にする為の兵装はあるが」

「そうだった、こっちの世界にはライドモンスターが・・・」


 言い訳にしか聞こえないだろうが、オレが航空戦力について読み誤った原因がこれだ。

 ゲームと違いテイミング調教技術が未発達なこの世界では、『騎獣』という考え自体が、レオネイオスの言う通り奇天烈なものと捉えられている。

 

 そうなると、こちらが出せる手段は・・・


「・・・ナイル!!」

『リュリューーー!』


 呼びかけに応え、金色の翼がどこからともなく舞い降りた。

 オレはその背に飛び乗ると、獅子団長殿を振り返る。


「オレがナイルで迎撃に出ます。アトネス軍は万が一に備え、対空装備を準備しておいてください!」


 そして、アトネスの兵たちに見送られながら、オレたちは東へ向かって飛び立った。



七ノ刻

アンドロス山脈上空


「敵船団発見!・・・くそ、かなり速い」


 アトネスを出撃したオレ達が、<空飛ぶ船>と会敵したのは、カリストス砦よりも南、アンドロス山脈の東側だった。

 数は3隻。形状は・・・ガレー船、というのだろうか?世界史の教科書で出てくるような、細長い船。全長はそれぞれ、150メートルぐらい。

 しかしオレの知っているガレー船と違い、左右にオールが突き出てておらず、また、帆を張っているわけでもない。どうやって飛んでいるのか、原理は見ただけではわからない。

 だがその速度は、元の世界の航空機並み。国境通過の報を受けてすぐに出発したオレ達が、最終防衛線ギリギリの空域で迎え撃たねばならないほど、船足が早い。



『キュル・・・どうなさいます?主殿』


 緊張したナイルの声が、脳内に響く。

 オレは手綱を強く握ると、自分にも言い聞かせるように返答する。


「やれるだけの事をやろう。ナイル、練習・・とは状況が違うけど、手順は同じだ」


 そして、あらかじめナイルの背に括り付けていた<切り札>を用意する。

 ナイルを仲間にするときに使った手製爆弾に改良を加えたもので、形状は丸底フラスコ、数は15。

 

「・・・まずはシンプルに甲板を狙おう。上昇だ!」

『御意』


 ナイルの黄金の翼が大きく羽ばたき、オレ達は川の字に並ぶ敵船団の真上に回り込む。

 下を覗き込むと、オレ達に気づいたメドゥ兵が、弓や槍を手に甲板で動き回っていた。

 その中で、一番人数の多い右の船へと、狙いを定める。


「右と中央の船の間をすり抜けるように降下!射手と地面に気を付けて!」


 ナイルは一度上昇して勢いを付けると、指示通りの位置へ突っ込んでいく。

 ジェットコースターに乗ったような、体の中で内臓が持ち上がる気持ち悪さに耐えながら、視線は<空飛ぶ船>に固定する。


 フュン!フュン!


 <空飛ぶ船>からこちらへ向かい、次々に矢が放たれる。だが、真上への射撃である為に、勢いも精度も脅威にならない。


『船とのすれ違いまで3・・2・・・』


 ナイルのカウントに従い、オレはフラスコの栓を抜く。


『・・・1!』


 そして船の間を抜ける1拍前、それを自分の右側へ放り投げる。

 フラスコは、高速飛行によりぼやけた視界の隅へと消えた。そして、


 ドゴーーーン!


―ぐぁぁ!


 花火のような爆発音と巻き込まれたメドゥ兵の悲鳴を背に受けつつ、オレ達は下に凸の緩やかな弧を描いて、地面と平行な飛行へと移る。

 背後を振り返ると、爆砕した船の破片と、飛ばされたメドゥ兵が多数落下する様子が見えた。  

 しかし船そのものは、最初は大きく傾いたものの、それをゆっくりと修正し、未だ飛行を続けている。


「あれでは沈まないか」

『クリュ・・・主殿、もう一度仕掛けますか?』


 ナイルは体を反転させ、背後から船団を追尾する位置につきながら、オレに尋ねてくる。

 しかしオレは、いったん距離を置くように命じた。


「次は、左の船の底を狙う。少し準備が必要だ。敵の反応も確認したいから、後方の死角からゆっくり接近してくれ」


 <空飛ぶ船>などという非常識な物を持ち出してくる連中だ。迎撃手段が弓矢だけとは限らない。


 そして、船団の左翼後方へ向けて旋回するナイルの背で、オレは爆弾に少し細工を施す。

 腰に括り付けた矢筒から一本取り出し、やじりの少し下にフラスコを固定する。RPGでちょくちょく見かける、いわゆる『爆弾矢』の完成だ。

 しかしゲームとは違い、これは弓で打ち出すことができない。爆弾部分が重すぎるためだ。

 だからこれは、直接船体へ突き刺す必要がある。

 

 しばらく様子を見て、敵が迎撃してこないことを確認した。どうやら、ライドモンスターまでは実用化できていないらしい。


「・・・よし、船底部へ潜り込む。念のため、のぞき穴の類に注意して近づけ!」

『御意、もしもの時は、振り落とされぬよう、手綱はしっかりと』


 忠告を合図に、グリフォンは少し上昇してから頭を下げて加速し、船の死角へ入り込む。

 見た限りでは、船底部も木製。甲板への攻撃の結果から考えると、十分にぶち抜けるだろう。

 さらに、<索敵>スキルで透視してみると、船内には本来のガレー船の漕ぎ手と同じ配置で、数十人が祈るように床に手をついている。


「魔法使いか?・・・なるほど、大勢で『浮遊の魔法』か何かを船にかけているのか」


 図らずも、敵の弱点が判明した。

 敵船団は既に、山脈のいただきを通過し始めており、これで沈めねば、もう次はない。

 

「・・・やるぞ!ナイル!」


 木目の隙間を狙って、着火させた爆弾矢を突きだす。

 4回のトライで、2回手ごたえを感じたが、確認する間もなく離脱する。


 ドン、ドン!ドーーン!


 3つの爆発音が響き、振り返ると、<空飛ぶ船>がゆっくりと高度を落とし、エボイア山脈西側の麓へ沈み始めていた。煙の向こうに微かに見える船底部は大きくえぐれ、乗組員が残骸とともに地上へ零れ落ちていく。


「・・・・」


 それを顧みていると、オレの胸の中で、表現しがたい気持ち悪さがこみあげてくる。

 昔見た映画では、同じような光景を作った悪役が「ごみのようだ」と喜んでいたが、まったく共感できない。むしろその光景を隣で見せられた挙句、髪を〝撃ち千切られた”少女の方が、心境としては近い。


    

『キュル!主殿、敵はまだ2隻おります!』

「!?・・・そうだった。すまない、ナイル」

 

 羽毛が気持ち良い相棒に叱咤しったされ、はっと我に返る。

 そうだ、今はまだ、後悔の時じゃない。

 撃沈した<空飛ぶ船>は、山脈西側の森林へ船首から突っ込んだ。残る2隻にも、急いで後を追わせなければならない。


 オレは急いで、次の『爆弾矢』を準備する。


「・・・準備よし。ナイル、かかれぇ!」

『クリュウゥゥ!』


 汗ばむ左手に手綱を巻き付け、右手で手製爆弾を握り、オレ達は吶喊とっかんした。



 

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