ア=メ戦争 グシャンの策謀

第33話 アイギーン平野での軍議

パラト暦 215年5月13日 正午過ぎ

アトネスの東方23kyキルヤー(約70km) アイギーン平野

アトネス軍の陣営


 5月11日深夜、『メドゥ軍が領土を侵犯』という報が届いたアトネスでは、直ちに迎撃の為の大隊が編成され、翌早朝に出撃した。

 指揮官はレオネイオスの弟、ティグリソス将軍。団長殿が獅子なら、こちらは猛虎という印象だ。


 そしてオレも、<グルゥクス>の肩書(戦意高揚)とナイルの飛行能力(上空からの偵察)を買われて、従軍する事になった。ダッキには闇ギルドを通じて、裏社会を監視してもらっているため、同行はしていない。



 5万人の兵と共にアトネスを発った俺たちは、2日かけてアイギーン平野の中央まで進軍。

 現在はそこで、キオスから脱出してきた者たちを回収しているところである。

  ナイルの背に乗り、上空からこちらを目指して退却してくる兵の姿を確認しながら、オレは感想を呟く。


「結構多いなぁ、メスタ隊。砦から半日足らずの距離だから脱落者が皆無とはいえ、昨日までで収容者3千を越えたんだっけ?御大将殿おんたいしょうどのは、かなり有能とみた」


 すると、従者であるグリフォンが、テレパシーでオレに話しかけてくる。


『キュル・・・主殿あるじどの、嬉しそうですな』

「そりゃね。こういう状況に適した人材がいれば、オレは仕事しなくて済む。こっちはど素人なのに戦場の最先端に駆り出されて、胃が潰されかけているんだから・・・」


 胃袋が朝食を拒否した名残である酸っぱさを口の中に感じながら、オレ達は、あまり楽しめない空の散歩を続けている。 



 事前情報では、アトネスの総戦力は17万。だが、その内3万が国境警備に振られており、さらには中枢であるアトネスの防衛にも必要となる為、実際に迎撃に動けるのは10万ほど。

 対するメドゥ帝国は、グシャン事変前の軍事力は総数37万。そこから約6万が僭王せんおうに賛同せず離反し、こちらと同じ理由から実働分が減少したとしても、戦力差は未だに倍近い。


 本音を言えば、グシャンの不意打ちに引っかからずとも、まともにやり合ってアトネスが勝てるとは、オレは思えなかった。

 勝てる方法があるとすれば、元凶の排除、つまりはあの愚者の暗殺ぐらい・・・。


 だが、眼下の平野をこちらへ向かってくる兵たちの姿を見て、少しばかり希望が見えてきた。


「・・・はぁ。メスタ将軍の方が、神の遣いに向いているんじゃないかな?

 あっちのほうがよっぽど英雄らしく思えるよ」 

『キュル、弱気に成らんでくだされ。主殿に負けた、我の立場までなくなります』

「・・・そうだったな、すまん」


 モンスターの励ましに苦笑いで返したオレは、それからもう一巡周囲を索敵し、地上の本陣へと戻った。



同日 七ノ刻

アトネス軍 本陣 指揮官テント


 キオス砦陥落の報が、脱出した守備隊の兵達からもたらされたのは、オレが戻って間もなくの事だった。

 メスタ将軍とパサラ補佐官が合流したのは、それからさらに数時間後。


 急襲してきた5万の軍勢を僅か6千の兵で3日足止めし、さらには部下の大半を生還させた英雄2人に対し、ティグリソスが放った第一声は・・・怒声だった。


「こんっの、非常識コンビ!自ら守りの要を吹っ飛ばすなぞ、前代未聞だ!」

 

 虎将軍殿は地図の広げられた円卓へ拳を叩き付ける。その衝撃で卓上の杯が弾み、注がれていた葡萄酒が、地図上のキオス砦を赤く汚した。

 

 テントの隅に控えていたオレは、その怒声に思わず耳を塞ぎりながらも、彼に同情した。   

 

「(そりゃ怒鳴るのも無理ないわ。後始末はどうなる事やら・・・)」


 彼らメスタ隊の“活躍”によって、メドゥ軍は大打撃を受けて足止めされ、逆にアトネス軍は平野を快進し、領土の大半を不戦敗で持っていかれるという惨事を阻止できた。


 だが、その代償が国境警備の最重要拠点というのは、精鋭部隊の生還を差し引いても、まだマイナスが残るほどの損失である。

 砦の再建費用やら、それが終わるまでの代替だいたい場所の用意やらと、問題山積な策だった。


 それをやらかした張本人達は、それを解っているのかいないのか。地図のシミを拭おうとして、血と泥で汚れたハンカチでもっと悲惨な状態にしつつ、反論する。


「敵の投石攻撃が激しくて、こちらの防備がズタボロにされたからな。砦丸々を吹っ飛ばすぐらいしないと、撤退の時間を稼げなかったんだよ」

「なんせ、最初の突撃を止められて以降、変に距離を置かれてしまいましてぇ。元々は、あの爆薬を小出しに使ってもっとネチネチと削る予定だったのにぃ・・・」

「そんな報告で納得できるか!」

「ちょっとすいません・・・変に距離を?詳しく聴かせてください」


 今の言葉に引っ掛かりを覚えたオレは、もう一度振り下ろされそうになった拳を空中で受け止めつつ、2人に問いかける。

 山賊将軍殿の目はオレを捉えると、驚きで見開かれた。


「あんた・・・先日現れたっていう<グルゥクス>か?」

「ジェイルと申します。メスタ将軍殿、副官殿。キオスでのメドゥ軍の様子を教えてください」


 オレがそう願うと、メスタは口元をにやりと歪め、懐から親指サイズの駒をいくつか取り出し、テーブルに並べた。

 チェスの駒のようなそれ等は、両軍に見立てて並べられた。


「敵の第一波はおよそ3万6千。主力は攻城用に装備を整えた歩兵部隊。

 こっちは手練ればかりとはいえ、わずか6千。相手の6分の1だった。

 だから俺は、砦が陥落する事を前提に、味方を逃がしつつ敵を削っていく戦術を立てたんだが・・・」

「初日は布告無しの不意打ちと、日没直前に攻め込んできた事以外は定石通りの戦でした。でもぉ、それに私達が“ちょいと激しく”抵抗しただけで、メドゥ軍はこちらから遠ざかってぇ・・・。1万4千の援軍が到着しても、投石ばかりの攻撃は変わらず。そのまま防壁が破壊された今朝早くまで、こちらは一矢も敵に当てられませんでした」


 元々守りに徹するにも兵数が足りていないメスタ隊である。夜襲や遊撃といった、こちらから敵陣を攻めるというのは、無理な話である。メドゥ軍はそれを察知して、自分たちの損害を最小限にしつつ、戦果を挙げようとしたのだろう。


 だがそのやり方に、オレもメスタ将軍達と同じように違和感を覚えた。


「・・・今回のメドゥ軍、というよりグシャンの心情を考えれば、怨敵であるアトネスを一刻でも早く叩き潰したがっているはず。だからこの世界で前例のない、宣戦布告無しの侵略を仕掛けた。こっちが準備できないように」

「なのに実際には、すぐに攻略できる砦に3日もかけた・・・遅すぎだろう?」


 メスタ将軍が同意を求めて、オレはそれに頷く。

 3日もあればこちらの用意が整うと、(一応)軍人であるグシャンが解らないはずはない。


「それは・・・メスタ隊が奮戦し、堅い守備を行なったからであろう?もしくは、放逐されたとはいえ元は軍の最高指揮官。己の兵を大事に思っておるのでは?・・・どこぞの問題児のように」


 ティグリソスは納得がいかぬようで、メスた将軍たちを見ながらそうオレ達に反論した。

 すると、その問題児たちは首を横に振り、その推論の矛盾点を指摘していく。


「確かに、俺達は色々な小細工を用意して防衛に当たったが・・・。さっきも言ったように、ほとんど使わず、使えずに終わったんだぜ?うまくいった最初の迎撃も、敵への被害は微々たるもの。それでコロッとやり方を変えるなんざ、反応が過剰すぎる」

「それに、グシャンは国家の要である皇帝を、自分の父親を謀殺した男ですよ!それも無理やりな逆恨みから。そんな人間が、末端の損害なんて気にしますかね?」

「・・・ううむ、ならばどういう魂胆なのか、貴殿らは解るのかね?」


 八つ当たり気味に問うてくる虎将軍殿。

 

「それがわかりゃあ、こうして頭をひねっちゃ・・・」 


 そう山賊将軍殿が返そうとした、その時・・・


「ティグリソス将軍!大変です」


 1人のアトネス兵が、慌てた様子でテントに飛び込んできた。


「誰だ!?入る際は外で一声かけろと・・・」

「すいません。ですが、メドゥ軍より使者が参りました。『会戦』の場所と日時を知らせに来た、と」


 その場の時間が一瞬止まったように、オレは錯覚した。



暫く後


 そこから先は軍務の分野という事で、オレは指揮所から一時身を引いた。その為、どんなやり取りがあったのか、オレは知らない

 話はナイルの羽毛(と言っていいのかな?)を枕に仮眠を取っていたオレが、なぜか筆と羊皮紙を後ろ手に隠しもったパサラ嬢に起こされた所から再開となる。



「・・・ああ、副官殿。使者はどうなりました?」

「丁重にお見送りしましたよぉ。殺しちゃったら、返答用にこちらの兵士を送って、同じ目に合わせなきゃですから・・・」

「・・・なるほど。『血を以て血を洗う』は下策、ですもんね」



 中国・唐の時代、現ウイグル族の王だった人物にまつわる故事である。

 叔父を唐国内で謀殺されたウイグル王は、その遺体を届けた唐の使者を、

『お前を殺せと皆が言うが、それは血で血を洗う様なもの。さらに汚れるだけだ』

 と釈放し、その後、唐とウイグルは関係を修復した。

(ちなみに、同じシチュエーションで使者を斬っちゃったのが、鎌倉幕府の4代目、北条時宗。その結果は、2度目の蒙古襲来だった)

 


 オレは体を起こし土埃や羽毛を払うと、パサラ嬢に問いかけた。


「それで、こちらはどう動くんです?」

「メドゥ軍はここから少し北東の平野部で、10万の兵で待ち受けるそうですぅ。期日は15日正午。こちらは現在、本隊5万にメスタ隊が5千と数百。なのでパルディオナに早馬を飛ばして、増援を待っているところですぅ」

「・・・10万、ですか?」


 その数字を聞いて、治まっていた胸の違和感が、再び沸々とこみあげてくる。

 アトネス軍総数は17万。その内、2万2千が国境の守備に割かれ、5万6千がここアイギーン平野に出陣している。 

 この時点で、アトネスに残っているのは9万。そこからメドゥ軍10万との会戦の為に、4万の兵をさらに割く必要があり・・・・。


「・・・敵の狙いは、アトネスから兵を引き剥がす事?最初から一貫して、こちらの守備を崩そうとしていたんじゃ・・・」

「ご名答、さすがは神の遣い、ってところかね?」

「え?」


 横を向くと、パサラ嬢がのんびりしたお嬢様から山賊の女頭領のように、雰囲気が変貌して見えた。


「メスタも使者とのやり取りの後、ソレにたどり着いた。そしてアンタも同じ考えにいtルだろうと踏んで、アタシに伝言を頼んだのさ。いずれこの世界をひっくり返すであろう、あんたに期待してね」


 パンッ、と背中を叩いてくるその姿は、完全に姐御だった。

 思わぬ一撃にせき込みながら、オレはパサラ嬢に返す。


「オレはそこまでの器じゃないですよ。女神様からおしつけ・・もとい任された<グルゥクス>の肩書に押しつぶされそうになっているんですよ?・・・本音を言えば、戦場で立ち続けていられる自信もないです」


 こっちの世界に来てから、もう数えられないくらい経験した、『殺人』。


 相手は犯罪者だった。そう自分に言い聞かせても、ゲームで敵を殺すのとは全く違う、あのおぞましい感触には、未だに順応できていない。

 これまでの光景がフラッシュバックし、オレは目をギュッとつむって顔を背ける。

 

 そんなオレを見て、パサラ嬢はふぅっ、とため息を漏らした。


「・・・なるほど。たった一人で姫を救い、お偉方に大口叩いて街を変え、一国の皇太子の罪を暴いて失墜させた<天の遣い>の正体は、まだまだ大人には程遠い<生娘>だった訳だ。だったら」


 そこから妙に間が空いたので、パサラ嬢に視線を向けた。

 その瞬間、


 ドスッ!


 腹に突然激痛が走り、全身から力が抜けた。

 オレは地面に倒れこみ、胃の腑からこみあげてきた苦い液体を、副官殿の足元へまき散らした。


「ごふぉぇぇ!?」


 両腕が鳩尾みぞおちに固定され、顔面が直接地面に叩きつけられる。

 混乱する脳が、口の中に砂利が入りこんだのを感じだした頃、頭上からドスのきいたパサラ嬢の声が降ってきた。


「もっと腹に力をためな!ヒヨコがッ!いつまでも巣の中でピィピィ甘えてんじゃない!アタシらは今、女神の遣いが付いているって事を大義名分にしているんだ。あんたが分不相応かなんざ、こっちには関係ないんだよ!」

「・・・ぺっ。んな、理不尽な」


 オレは砂利を吐き出しながら体を起こすと、どうにかそれだけを呟いた。 

 だがパサラ姐さんは、鬼軍曹の如き形相で、こちらを見下ろしながら続ける。 


「理不尽で何が悪い!それが人の世ってやつさ。ウチらは神様じゃない。どっか抜けてる所が2つ3つあるのが当たり前なんだ。アタシや御大将もな。だが皆、なにかしらの努力でそれを補って、世の中の理不尽に揉まれてここまで来たんだ。揉まれたからこそ、此処に居るんだ」

「・・・」


 姐さんの言葉は、今さっきの一発よりも、鋭く突き刺さった。

 

 思い返せば、オレは・・・いやいおりは、いつも逃げていた。

 家族から逃げ、トラウマから逃げ、そうして生まれたのがジェイルオレだった。

 それが一番楽だから。そうすれば、苦しい思いをしなくて済むから。 

 でも・・・


「前に向かって歩かなきゃダメ、ってことですか」 


 激痛が残る鳩尾を押さえながら、オレはゆっくりと立ち上がる。

 

「そういう事さね。壁に当たった時、避けてるだけじゃあそこに留まりっぱなしになる。ドンッとぶち破って行きな。痛い目見て、苦しんで・・・。そうすりゃ、勝手に<グルゥクス>らしくなってくるさ」

 

 そう励ましの言葉を告げた後、パサラ姐さんは本題を切り出す。


「メスタからの伝言だ。あんたは秘密裏に、グリフォンでアトネスへ戻りな。どういう経路で仕掛けてくるかは不明だが、ウチの要を直接狙ってくるのはほぼ確実だ」

「・・・平野に出張っているアトネス軍をすり抜けて、ですか!?」


 いくら守備を削ったとはいえ、アトネスは堅牢な城塞都市だ。陥落させるには相応の数がいる。

 だがメドゥからアトネスまで、それほどの兵を移動させるには街道を使うしかなく、オレたちは現在、そのど真ん中に陣を敷いているのだ。

 ソレを突破し、アトネスを落とす策が、メドゥ側にあるのだろうか?


「・・・その辺も<庭師>の連中に探ってもらっているが、情報が少なすぎるんだ。だから敵がどう動いているのか、さっぱりつかめない。アンタには臨機応変に対応してもらうしかない」


 パサラ姐さんは同情の視線をこちらに向けつつ、そう冷徹に告げた。

 

「・・・(事前情報が全くない状態で、ゲリラクエストを一発クリア、か)仕方ないなぁ。一応、〝こういう事態を想定した仕込み”を施してありますから、それをうまく使いますよ」

  

 何かが吹っ切れたオレは、姐さんに背を向けて言った。視線の先では、すでに出発準備を終えたナイルが猛禽の目をこちらに向けている。


 そして、オレがグリフォンの背にまたがり、陣を立とうとする間際、パサラの姐さんは以前のようなおっとり口調で見送りの言葉を投げかけてきた。


「アトネスは丸投げしちゃいますけどぉ、平原の10万は私たちに任せてください。他人の家に土足で踏み込んだらどうなるのか、たぁっぷり骨の髄まで教えておきますのでぇ」


 離陸に伴う翼の風圧に耐えて立つ彼女の姿は、なぜかこれまでで一番恐ろしく感じられた。


「おそらく囮である10万のメドゥ兵よ・・・南無三!」


 そしてオレたちは、地上のドロドロとは無関係に青々としている空の彼方へと飛翔し、予定よりも早いアトネスへの帰途に就いた。    

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