幕間 キオス砦爆砕撤退戦

キオス砦の変人コンビ

パラト暦 215年 5月11日 八ノ刻(午後4時)


 アトネスの東側に広がる、アイギーン平原。

 その東の端に、アトネス領とメドゥ帝国領の国境はある。


 南北130kyキルヤー(390km)に渡るこの境界線からアトネスまでの間には、居住地域は無く、せいぜいが旅人達が独自に整備した野営地程度。一度侵略を許せば、国境からアトネスの東8ky地点―北西から南東へ斜めに遮る2つの山脈までの33ky区間―を、一気に持っていかれてしまう。

 その為、国境を警備する3つの砦、サモス、キオス、レムノスには、アトネス軍17万の中から選抜された精鋭達が割り振られている。

 その中でも、国境の中間に位置するキオス砦には、メスタ将軍率いる歴戦の兵6千が配置されていた。

 それはこの砦が、メドゥ帝国最東端の都市イズミラとアトネスを繋ぐ街道のど真ん中にある山を切り崩した、関所の役割も担っているからであった。

 ところがこのメスタ隊。良くも悪くも(もっぱら悪い方向で)『非常識』の一言で称される者達であった。

 その由来は、宣戦布告無しに侵攻してきたグシャン軍との戦闘にも、如実に現れており・・・。


 

アイギーン平原東端 キオス砦 

 

 イズミラから街道沿いにアトネス領に入ってすぐ、行く手を阻む南北に細長い長方形の建造物、それがキオス砦である。

 敷地は東西150y、南北1kyという広さで、内部は砦と手だけでなく、アトネス領を出入りする旅人を審査する関所の機能も備えている。

 つまりは、メドゥとの戦争が起これば真っ先に攻略対象となる場所の一つであり、それゆえ東側の防壁は、アトネスで最も強固とも称される程の出来で作られていた。


 そして現在、彼の石壁は、その存在意義を敵味方双方に示していた。


 ヒュー――シュタタタッ! 


「うあっと!?・・・だめだ、負ける。俺たちは絶対に負ける」

「ですねぇ。彼我ひがの差が今だけで1対6。この砦を2回攻略できる数です。

 しかも事前情報によれば、まだまだ増えますよぉ」


 砦の東側、メドゥ帝国領へ続く街道を埋め尽くすグシャン軍から、無数の火矢が射かけられる中、防壁の陰に隠れてそんな会話をしているこの2人。普通なら敵前で弱気を見せるなど、上官から鉄拳、あるいは鉄剣が振り降ろされても文句が言えない。

 しかし、彼らに限ってはその心配はない。なぜなら周りの兵たちはそれを気に留めておらず、なおかつ2人より階級の高い将兵は、この砦に居ないからだ。

 将軍メスタと、大尉パサラ。知らない者から見れば、山賊の頭領と誘拐された村娘という構図なこの2人こそ、キオス砦の総大将とその副官なのである。

 どちらも合理主義者で、軍略に長けているものの、その理屈が独特すぎ、時には味方すら混乱させる問題児コンビと言われている。その配下の兵たちも、他部隊で癖が強いと追い出された者が大半であった。

 故に指揮をするでもなく、ただ前線で一兵卒に紛れて縮こまっているだけのその姿も、長年従ってきた兵たちにとっては日常の光景。むしろ二人が前線に居ない方が怖いとまで言われる程である。 

 その証拠に、キオスの砦は奇襲を受けながらも、メスタが増設させたシェルターのおかげで、死者は1人も出ておらず、兵たちの士気は高いままである。


 だが、その支えとなっている本人達は、早々と敗北を口に出した。

 現在攻撃を仕掛けている敵・・・メドゥ帝国の旗を掲げた軍勢の数は、およそ3万6千。攻城戦において、守り手側は同数の攻め手側の3倍の戦力になるとされているが、迎え撃つキオス砦の人員は僅か6千。

 パサラの言う『2度攻略される』という言葉は、大げさな事ではなく、まともに戦っても、勝てる見込みはないこの状況を、的確に表現していた。

  

数分後


 攻撃が開始され暫く後。降り注いでいた火矢が止み、続いて防壁の向こうから怒号と地響きが近づいてくる。


「敵部隊、突撃してきます!重装の騎馬隊を先頭に、工兵と軽装歩兵!」


 砦側の反撃を防ぎつつ、防壁に取り付こうという構えである。

 それを聴いたメスタは、先ほどまでの弱気な姿勢から一変、総大将として指示を飛ばす。


「落ち着け!『振る舞い鍋』に点火して待機!敵の展開だけに注意しろ!」

「はっ!弓撃用意、正面を無視して、左右に広がろうとする奴だけを狙え!」


 シェルターに隠れていた兵たちは、湿った泥で覆われた石造りの退避場所から抜け出し、微かにくすぶる火矢の残骸を踏み潰しつつ、防壁の上で準備に取り掛かる。


 高さ6メートルの防壁には、外側の縁に半ばり出すように大鍋が設置されており、分厚い毛皮を纏った兵が点火した後、脇に控える。

 他の場所でも、クロスボウを装備した弓兵が3人1組で配置につき、その矢先をせまりくる侵略者へと向けていく。

 


 一方、先制攻撃を終えたメドゥ軍は、誰もが余裕に満ちた表情を浮かべ、彼らにとって最初の手柄へと突撃していく。

 彼らの脳裏には、1万を超える火矢に射抜かれたアトネス兵の屍の山と燃える要塞だけが浮かび、現に防壁の向こう側では、黒い煙が幾筋も立ち上り、砦の兵たちが慌ただしく動きまわる様子が垣間見えた。


「ふん、やはり戦争は数がモノを言う。左翼は砦の側面へ回り、右翼・中央は正面からなだれ込め!こんな砦なぞさっさと制圧して、グシャン閣下の憂いを一刻でも早く晴らすのだ!」


 指揮を任されたメドゥの将は、馬上からそう叱咤して前方の兵を急かす。


 彼を含めたこの第1軍は、元々グシャンに心酔しており、皇帝位簒奪さんだつにも二つ返事で応じた、狂信者と言い換えても良い連中である。

『典型的なアホ軍人』という評価に邪魔されがちだが、戦略に関してはそこそこの才があったグシャン。そこに敬意を抱く将兵は少なくなく、グシャンの蜂起が成功してしまった要因の一つとなっていた。

 彼らはこの“事変”をグシャンの名誉回復の機会と信じて疑わず、一刻も早くアトネスを討つべしと、血気にはやっていた。


 だからなのか、彼らは気付かなかった。

 メスタのシェルターによって、先制攻撃による被害が皆無であった事に。

 砦から昇る煙が、防壁の上に置かれた釜から昇っている事に。

 砦との間にある地面の一角が、妙に黒ずんでいる事に。



キオス砦側

 

「敵が右翼に展開!」

「射撃開始、進路を塞げ!絶対に迂回させるな!」


 現場指揮官の号令で、横へ展開しようとするメドゥ軍騎馬隊に、大量の矢が射かけられる。



メドゥ側


 馬が次々に倒され、生き残った者たちは、慌てて本隊へと引き返す。 

 彼らにとって、勝ちが決まっている戦だ。無駄死にするようなことは避けたかったのである。


「っち、隊長!予想以上に生き残りが居たようです」

「構わん!どうせ死にぞこないの兵どもだ。このまま正面から食い破る。速度上げい!」


 騎馬隊の長はそう命じると、弓に狙われぬよう進撃の速度を上げる。

 視界の隅がかすみ、認識できるのは正面に見える石造りの防壁のみ。

 

「ふん、馬防柵も無しとは。やはり連中、宣戦布告がなされると信じていたようだな」


 パルターナンにおける戦争とは、相手国へ宣戦布告を事前に行った上で、時間と場所を指定して戦闘を行なう、いわゆる『会戦』形式が原則であった。

 これは、あらかじめ期間や規模を取り決める事で、消費される物資や費用を最低限度に抑えるという意味合いがあった。無秩序な戦争は無駄に長期化し、負担が増加する事で仕掛けた側の利益が無くなる。そう言った事例は、歴史の中に数多あまた存在する。 

 しかし見かたを変えると、攻め手からすれば宣戦布告とは、相手に守りを固めさせ、こちらを不利にする行為でもある。

 外道となる事を承知で不意打ちを行い、態勢の整っていないアトネスを一気に叩き潰す。それが彼らが伝え聞いた、グシャンの戦術であった。

   


 それが成功したとみた騎兵隊長はほくそ笑むと、腰のかぎ付き縄へ手をやり、砦に乗り込む準備をしながら突き進む。

 彼にとって、メドゥ軍の勝利は決定事項であった。


 

 だが突然、目の前の景色が突然、上方へとズレる。



「な!?」


 体が“前のめり”になり、次の瞬間には顔全体と首に激痛が走った。


 ゴキッ!


 身体の感覚が失われ、唯一残った聴覚が、騎兵隊長に最期の音を届ける。


「落とし穴だ!全員停まれ!!」

「馬鹿、玉突きにな・・・越えろ」

「無理・・・さn・・もある・・・・」

「うわッ・・・・あぶ・・・逃げ・・・」


 そして一瞬、まばゆい光とすさまじい熱さを感じた後、全ての感覚が途絶えた。

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