第17話 『おもかるの石』

パラト歴215年 4月初旬


 下水道敷設が始まって、3週間が経った。工事は現在、3等地区の西側まで進んでいる。

 城の堀からスタートし街を螺旋状に巡って敷設してきた排水路は、ここから北側を経由して、東側区画の外縁部にあるパラス聖堂が終点となる予定だ。街中から集まった汚水は、そこで一応の浄化作業を行った後、城壁の外側にある平野の地中へ放出される。これがオレ達の設計した下水道の全容だ。

 各地区の住民たちへの説明会では、レオネイオスの様に『貴重な水を粗末にするのか』という声が上がったが、一方で、浄化を担当していた魔法使いたちの過労を憂う声も多く、最終的には了承を得られた。

 

 ここまでは、オレの予想通りに進んでいた、のだが・・・嬉しい誤算が起こった。

 排水管の敷設ペースが、予想よりもずっと速かったのである。 

 下水道設備自体は元の世界でも、土木重機の無い4000年以上昔に、モヘンジョダロという都市で既に実用化されていた。

 だからこのの世界でも、現場の労働者たちがコツさえつかめれば1ヶ月で終わると、オレは見込んでいた。

 だがそこへ、有力者との会議の段階で『魔法』というチートが加わり、あと5日ほどで完成という、予定よりも半月以上短い工期となったのである。

 地面を掘り、鉄製の管を降ろし、溶接してまた埋める。

 この一連の作業が、僅か30秒で出来ると想像できる人間が、元の世界にいるだろうか?


 とまぁ、そんなこんなで、オレの最初の革命テコ入れは、問題なく進んでいた。

 この順調な運びは、アトネスの住民達が、積極的に協力してくれているのが一番大きい。

 鍛冶屋のおっちゃん達が、工房をフル回転させて配水管を鋳造し、大工達が魔法使い達に混じり、その埋設を行っている。

 彼らの手際のよさも、工期短縮に一役買っていたりする。

 

 で、このようにみんなの手際が良すぎたために・・・

 オレ、お払い箱に成っちゃった。


 

アトネス3等地区 西側 仮設食堂


「“嬢ちゃん”、野菜は切り終わったかい!?」

「はい!鍋にぶっこみ済みです!今は次の小鉢を仕込み中です!」

「嬢ちゃん!その段で切り上げて、皿の回収と洗い場をやっとくれ!

 5班のバカどもが、ほっぽって行っちまってる!」

「はい!」


 下水道事業の労働者たちの為に、臨時で設けられた食堂。


 オレはそこで、街の奥様方パートタイマーに混じって働いている。

 “嬢ちゃん”というのは、もちろんオレの事。この仕事場で最年少故、いつの間にか定着していた。この場においては、“小間使いその1”程度の身分でしかない。


「・・・うわ、6人全員かよ!一人ぐらい片そうと思えよ」


 残された皿の量に辟易へきえきしつつ、オレは素早くかき集めていく。

 

 現時刻は、中天の鐘の少し前ぐらい。

 労働者に対して席数が絶対的に不足しており、皆時間をずらして来店する為、この頃から既に満席状態となっている。

 そのうえ、店員は厨房ホール合わせて10人という少数。

 男手は通常の仕事か排水管の敷設へ取られ、さらに残った主婦の方々の内、手際の良い精鋭だけにしかこの仕事が務まらない為だ。

 故に客は原則、食った皿を自分達で洗い場へ持っていって貰う事になっているのだが・・・まぁ、人の世の常という奴だ。

 スープの大皿にサラダの小鉢、マグカップ合計18の食器を抱えながら、待っている客に叫ぶ。


「2番テーブルお待ちー」

「あんがとよー“嬢ちゃん”」


 その声が届いた頃には、オレは既に洗い場へ駆け込んでいた。

 およそ百人分の皿やマグカップが雑な放り込まれた現場を前に、オレは気合いをいれるために深呼吸を一つ。


「すぅ・・・・よし!」

「よし!じゃありません!!」


 食堂の裏手から、少女の悲鳴じみた叫びが聴こえた。


「・・・姫さん?」


 そこにいたのは、白衣の女性達を引き連れた、イルマ姫だった。


 この世の終わりを見たような表情で、両肩をフルフルと小刻みに震わす彼女は、絞り出すように問い掛けてくる。


「あ、あなた様は、なにをなさって・・・」

「食堂の手伝いですよ。立案するのと、それを現場で指揮するのは別物だったみたいで、大工の親方に邪魔だって、追い出されたんです」


 そう返しながらも、オレは彼女の方を見ておらず、食器を片付けに取り掛かっている。

 

(やっぱ経験ってのは大事なんだねぇ)

 ジェイルはアイテム運搬のために筋力をかなり鍛えてあり、大剣も片手で振り回せる程度。

 だが、幾ら力が強くても、工事現場では手際のよさが一番に求められる。元の世界では女子大生だったオレは、当然ながらそんな現場で働いた経験はない。

「素人がいたら他のモンまで怪我をしちまう」というのは、追い出した親方の言葉だ。

 

「で、経験のある厨房での仕事をしているわけです。ファミレスのキッチンでバイトしてたんで・・・」


 素早く皿をラックに並べ、魔導式の蒸気式洗浄機に押し込みながら、オレは説明した。

 姫さんには悪いが、これを片さにゃ地獄を見るはめになる。

 この世界に来て初めての徹夜が、食器洗いというのは、神の使いとしてどうなんだか。

 重たい鉄の扉を閉め、蒸気が上がる音が中から聞こえる。洗浄時間は約1分。それが終わる前に、次のラックを用意しなければならない。


 この装置、一年前に先着した<グルゥクス>、クイーン・アバディーンの発明品との事。

 元の世界では専業主婦をやってるアビィ姐さんは、冒険者として各地を回りながら、この食洗器や洗濯機といった家電を、魔法と絡繰からくり細工の融合によって発明し、普及させていた。


 FFO・EUサーバーの猛者に敬意を向けつつ、オレは洗い終わった皿を、棚に積んでいく。

 席の回転が速いから、積む傍から奥様方に持ってかれる。ああ、忙しい。


 すると・・・


「そう言うことを訊いているんじゃありませーーん!!」


 姫さんの怒鳴り声が届いた瞬間、オレは真後ろへ強引に引っ張られた。

 

「ぐふっ!?」


 慣性の法則に従い、首と両手両足が前へ残され、オレは臀部でんぶしたたかに打ち付けた。幸い、両手は空いた状態だった。


「皆さん、こちらのお手伝い、お願いします!!」


 姫さんは連れてきた女性たちにそう言い残し、その場を離れていく。

 オレは服のうなじ部分を強く握られており、そのまま後ろ向きに引きずられていった。



暫く後 3等地区 某所


 オレが姫さんに連れて行かれたのは、近くにあった衛兵の詰所、その屋上だった。

 有事の際に住民の避難誘導や被害の確認に使う場所らしいが、今は2人の他に人影はない。

 到着早々、姫さんはオレに向き直って一言。


「2週間も行方をくらまして、おまけに“その恰好”は、いったいなんですか!?」

「いや・・・軽装鎧で厨房に立つわけにはいかないでしょう?奥様方に聞いたら、コレを渡されて・・・」


 そう言ってオレは、自分の姿を見下ろす。

 今着ているのはウェイトレス風の衣装。一度、水桶に反射した己姿を確認したが、見た目は完全に『年頃の娘』、なんだかわたしに戻ったみたいだった。

 でも一応、仕事中はジェイルとしての口調のまま通している。3等地区は男女ともに・・・よく言えば豪快な育ち方をした人たちばかりなので、目立ってはいない。

 

 が、姫さんはこの姿がお気に召さないようだ。


「あなたはっ!私の“夫”という事になっているのですよ。それがっ、街で乙女の姿をしているなどと・・・」

「そう言われても、元々女ですから」


 あ、この際だから説明しておくと、姫さんにはオレが女だという事は、2週間前にバレている。

 お互いの尊厳の為に、詳しい経緯は省略する。というか思い出したくない。 

 アニメや漫画の『ラッキースケベ』って奴はね、実際に体験すると痛いのよ・・・話を戻そう。

 息を切らす姫さんを落ち着かせようと、オレは説明する。


「で、でも大丈夫ですよ!この姿になってから、誰もオレがジェイルだって気づいていませんから」

「・・・は?いったいどういう事ですの?」


 言葉の意味が理解できないというより、『そんなことが起こり得るのか』という顔で、姫さんは目を見開いた。


「いやぁその・・・。説明会の時、大勢に説明しやすいようにって、城壁に上ったでしょう?

 アレで皆、遠目でオレの顔をはっきり見れなかったみたいで・・・。

 城で召集してもらった魔法使い達や、一部の現場監督には覚えてもらったんですが・・・。

 現場からお払い箱になった後は、軽装鎧のランクから、ナガレの冒険者って思われて・・・」


 初任務の折に新調したとはいえ、銀貨数枚で買った装備。防具の中では、まごう事無き安物だった。

 実際、“そういう人間”が何人も現場で働いていたから、オレも同類だと思われたのだろう。

 しかも厨房に誘われた時、オレははたからいれば、『親方にクビを言い渡された男装の女冒険者』と見え、今でもそういう事になっている。


「・・・それを、今日まで通してきたと?」

「一般の生活を覗いてみたかったし、丁度いいかな?って。

 ちなみに今のオレは、『ナガレの男装冒険者:ジェーン』って事になってます」

 

 生活費は城から出てる日当、寝床は3等地区の安宿という徹底ぶりである。

 ついでに、夜な夜な下品な理由で侵入してくる暴漢共の相手をしてるおかげで、この身体もだいぶ使いこなせるようになった。


 そう報告しつつ、笑って誤魔化すオレに、姫さんは呆れ顔になり、お叱りもそこまでとなった。


「まったく、貴方様は<グルゥクス>なのですよ。この世界への新しい風は、3週間前に、すでに吹きました。態々わざわざ民に交じって働く必要が、どこにありましょうか?」


 姫さんは屋上の縁へ肘を置き、街へと目をやる。そこからは、工事現場がよく見えた。

 

「・・・不安なんですよ」


 隣に並びながら、オレは呟いた。


「確かに、オレの策は“最終的には”、住民達に受け入れられた。でも獅子団長殿や、2割の住民たちが反論したように、貴重な水を無駄にすることになる」


 アトネスの人口は約5000人。1人当たりの水の使用量は約200ℓ。それが丸々、リサイクル不能になるのだ。

 単純に考えても、1000トンの水が使えなくなる。

 貯水池の新設などを考慮に入れても、軽視はできない規模だ。

 

「しかし、それは・・・」

「うん、聖堂の聖魔法使いたちの過労問題を解決するためには仕方がない、そう言ってオレは皆を説得した。

 でも、そこで終わっちゃダメな気がして・・・。

 ・・・オレの世界には、『おもかる石』という物がありましてね」

「・・・石?」


 姫さんは首をかしげて、オレを見つめている。


「占いの一種です。願い事を思い浮かべながらそれを持ち上げ、予想より重ければ願いは叶わず、軽ければ叶う。そういう石なんです」

「魔導物の一種でしょうか?あっ、でもジェイル様の世界には魔法が・・・」

「ええ、ありません。ネタバレをすると、石は程々な重さ、レンガ二つ分ぐらいです」

「・・・確かに、程々な重さですね。普通の石より重く、岩よりは軽い」

「そうです。だから、感じる重さは、当人の気持ちで変化する。

 軽い、つまり願いが叶うと楽観して持ち上げれば意外と重く、逆に叶わないと現実を“重く”受け止めていれば、軽く感じられる」

「なるほど、人の心を試す石、ということですね」


 姫さんはオレの話を、興味深そうに聞いた後、そう言って笑った。


「そして、今のジェイル様にとっては、これが『オモカル石』なのですね。

 グルゥクスとしてのお役目を果たせるかどうか、試す為の・・・」


 姫さんの視線の先には、アトネスの街をぐるりと巡ってきた排水管が、今も毎分6メートルのペースで伸びている。

 

「はは、そういう見方もできるか。でも、オレが『おもかる石』に例えたのは、『水問題』の方です」


 頭の片隅で、この街に来た日の事を思い出しつつ、オレは言葉を紡ぐ。


「軽く考えていたら、実は重大な事態だった。重く考えていたら、実は大袈裟だった。

 両方とも、オレの世界では日常茶飯事にあった事でしてね。今回の事も、オレは判断を誤ったんじゃないか?って、ふと頭をよぎるんです」


 コレで本当に良かったのか。

 

「じっとしていたら、そればっかり考えて・・・。だから、考える暇を造らないように、体を動かすことにして、逃げていた」

「そういう事でしたか。ジェイル様は、実に用心と思慮が深い御方ですのね」

 

 ちらりと姫さんの方を見ると、彼女は納得したように笑みを浮かべていた。


「臆病、というのが正しいです。ほんの半月前まで、平和ボケした国の、一介の学徒でしかなかったのですから」


 仮想世界での遊戯でしか、胸を張れないダメ人間です。そう自虐的に返すと、姫様に小突かれた。


「本当の愚者は、自分を愚者だと申しません。何より、そのような者を知の神アトネーが遣いとするでしょうか?」


 身体ごとこちらに向き直り、姫さんは続ける。


「ジェイル様。出生から17年、父王ふおうの執政を見続けてきた私からの助言です。

 物事の是非は、実際に行わねば判断することはできません。人間は神に劣る存在、万能ではないのです。如何に合理的に思える論を述べても、どこかに必ず不具合があります。

 そして『賢者』とは、合理的な論を述べられる者ではなく、実行した際の不具合に対処できる者をこそ、指す言葉なのです」

 

 がつん、と頭を殴られたような錯覚を感じた。

 

―いいかい、いおり。『賢い』というのは、間違いを全くしないという事ではない。一度起こった間違いから学び、二度と同じ事を起こさない、これを『賢い』と言うんだ。


 思い出したのは、幼き日の思い出。

 ささいな喧嘩で相手に怪我をさせてしまった時、母にぶたれた私の頬を、そっと撫でてくれた手の感触。


 ・・・まさか、お祖父じいさまと同じ言葉を、異世界の少女の口から聞くとはねぇ。


「・・・ありがとう、姫さん。なんか吹っ切れた。そうだよね。1人で勝手に悩んでたって仕方ないよね。ハハッ」


 やる事成す事にいちいちビビる、それは昔のわたしだ。今のジェイルオレは、我が道を行く自信家だ。

 最初にこの世界へ来た時、考えたじゃないか。『異世界革命』は、試行錯誤の積み重ねだと・・・。


 オレが元の調子に戻ったのを察して、姫さんの顔にも笑みが戻る。


「良かったですわ。それではジェイル様、お城に戻って頂きます」


 ガシリッ、と姫さんはオレの利き腕に抱き着いてくる。


「・・・へ?」

「へ?ではございません。グシャン皇太子一行を迎える準備をせねばなりません。今日よりジェイル様には、城に逗留していただきます」


 ぐいぐいと引っ張る姫さんに、オレは戸惑いながら返す。


「ちょっと!?オレ、宿に荷物が・・・」

「ご心配なく、『庭師』達に命じて回収済みです。今頃は用意した居室に運ばれているでしょう」

「でも仕事が・・・」

「城の厨房から、手すきの者を寄越しました。故に、街にあなた様の居場所はございません。あしからず」


 気が付けば、完全に退路を断たれていた。

 姫さんの見たくもない一面を垣間見ながら、オレは馴れ親しんだ3等地区を後にする。というかさせられる。



 その3日後、下水道の敷設はオレが工事に関与せぬまま、無事に終了した。

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