第9話 (駄)女神パラス 

???


 ・・・何があった?

 

 気が付くとオレは、白い光の中に浮かんでいた。

 司祭様やイリアスの姿はない。オレ1人だけが、水の中に居る様な、上下左右の区別がつかない空間を漂っている。


『~~♪ルルル~~♪』


 ふと耳を澄ますと、少女の歌声が聞こえてきた。

 所々で音程が外れているものの、楽しげな雰囲気が伝わる。

 

「誰だ?」


 身体ごとひねって、周囲を探る。

 すると、さっきまで目の前にあった彫像にそっくりな少女が、謎の空間にぽつんと用意されたテラス席に座り、目の前のテーブルに置かれた紙コップを眺めていた。

 いや、よく見るとあれは、オレがアラクネからもらった通信機だ。慌ててポーチを確認すると、やはり手元から消えていた。

 少女はそれを、宝石の様に愛でていた。


「アレって、そんなに面白い物か?」

「・・・あら、気が付いた?アートちゃんのお遣いさん」


 オレの視線に気付いたのか、鼻歌が止まる。

 椅子に腰かけたまま、少女はこちらに、無邪気な笑みを向けてくる。

 ん?今オレの事を『遣い』とよんだ?


「・・・あなたがパラスか?海の神トリトンの娘、アテナの幼馴染の」

「へぇ、良く知っているわね。そのとおり、私はパラス。一応、オリュンポスの末席に身を置く、女神パラス。

 でも2つ訂正よ、日本人。アテナじゃなく、正しい発音はアーテナー。まぁ、アートちゃん本人は気にしていないみたいだけど。

 そしてもう一つ、アートちゃんと私は幼馴染以上、“恋人同士”なの。

 ここはしっかり覚えておきなさい!」


 先ほどのイリアスみたいな目つきで、パラスは釘を刺した。

 ・・・そういえば『女性同性愛者レズビアン』の語源って、現ギリシャ領のレスボス島だったな。

(ただし現地の人たちは『レスボス島の住民レズビアン』との混同を嫌がって、ミティリーニ島って呼び名に変えているらしい)


 障らぬ神にたたりなし。もっと重要な案件を抱えている今、相手に会わせるのが得策だな。


「失礼しました、女神パラス。・・・ところで、『グルゥクス』の件なんですが」 


 オレの事を『遣い』『日本人』と呼んだ、という事はオレの素性は解っているはずだ。

 すると予想通り、向こうもすんなり本題に入ってくれた。


「ああ、アートちゃんのお手伝いね。

 第1陣は半年で二人も脱落しちゃたけど、貴方はどれぐらい持つのかな?まあ、楽しませてね。

 こちらへ来なさい」


 パラスは立ち上がると、オレにそう告げた。

 直後、彼女の腰かけていたイスとテーブルが消える。・・・なるほど、此処は彼女の領域か。

 オレは言われたとおり、彼女の許へ行く。足を動かすと、地面をけっているように前へ移動できた。

 1メートルほどの距離まで来ると、パラスはオレに向けて両手をかざし、唱え始める。


「我が最愛の友、アーテナーに導かれし<グルゥクス>よ。

 汝の大いなる使命を支える為、パラスの加護を与えよう」


 そして、彼女の身体から光のもやが溢れ出し、両腕を伝ってオレの身体へと流れ込んできた。

 十数秒後靄は治まり、全てオレの身体に吸収された。


「これであなたは、正式に<グルゥクス>と成ったわ。

 これまでのあなたはアートちゃんに、このパルターナンで活動するための肉体を与えられただけの状態だった。

 私はそこに、この世界の原理を付け加えたの。

 簡単に言えば、あなたはこの世界の文字を理解できるし、魔法も使えるようになった、というわけ」

「・・・なるほど。ハードウェアは向こうでも創れるけど、ソフトウェアはこちらでしか用意できない、という訳か」 

「それと、パルターナンで紙コップは不釣り合いだから、私が作ったコレにしなさい。

 心配せずとも、あの罰当たり蜘蛛女のところに繋がるから。試しに使ってごらんなさい」


 パラスはどこからともなく、1つの腕輪を取り出し、こちらへ投げ寄越した。


「へ・・・はい」


 とりあえず受け取り、左腕に付けてみる。

 宝石が1つ埋め込まれているが、その部分がダイヤル状になっている。

 捻ってみると、頭の中にぼんやりと空間ができたような感覚を覚え、しばらくするとそこで、聞き覚えのある女性の声が響いた。

 

『イオリさん!?・・・よかった。無事にたどり着いたようですね。

 ・・・でもなんだか、少し変な感じがします』

『アラクネさん・・・(ぜんぜん無事じゃなかったけどね!)

 パラス様が、新しい通信機を用意したんですよ』


 試しに口に出さず、心の中で念じてみる。

 すると、普通に返事が返ってきた。


『なるほど、あの方が。確かに紙コップはどうかと、あの後、主様と反省したのです。ちなみにこちらも、主様が形状を腕飾りに変えました』


 携帯端末の機種を変更しました、みたいな軽いノリで報告するアラクネさんに、オレはため息をついた。


「こちらは無事に、『グルゥクス』の洗礼を終えました。

 とりあえずは順調だと、アテナ様にお伝えください」

「アーテナー!」


 横で聞いていたパラスが、ローキックをかましてきた。

 宙に浮いた状態なので、バランスが崩れるものの身体を打ちつける事はない。でも痛いよ女神様。


『解りました・・・あのイオリさん、1つお尋ねしたいのですが?』

「なんでしょう?」


 困った様子で訊いてくるアラクネに、オレはドキリとしながら応える。

 彼女には、オレの身代わりをやってもらうに当たり、癖とか話し方とか生活スタイルは一通り打ち合わせたはずだが、何か不都合があったか?

 そう深刻に受け止めたのだが、彼女の心配は全く別の事であった。


『今、お風呂を戴いているところなのですが。

 イオリさんのシャンプーは『HISAGI』と『ミスティコ』のどちら・・・』

「『百均』!」


 オレはそう叫ぶと、腕輪の宝石を捻り、通信を切断した。


「(まったく、心配して損した)」


 内心で愚痴りながらため息をつく。

 すると突然、後ろから髪を掴まれた。


「のわっ!?」

「・・・ふ~ん、やっぱりそうか」


 興味深げなパラスの声が、オレの耳元で聞こえた。


「な・・・なにをしているのですか?」

「ん~、ちょっと確認をねぇ・・・もういいよ」


 パラスの声と、後ろ髪を引っ張っていた気配が遠ざかる。

 オレは即座に振り向き、抗議の視線を彼女に浴びせる。


「・・・」

「そんなに睨まないでよ。あなたの事はアートちゃんから、『面白い日本人の大学生』としか聞いていなかったし、そんな身なりで“男っぽい話し方”してるから、勘違いしちゃってたの。

 ほんと、あなたって面白いわねぇ・・・女子大生の佐村庵〝ちゃん”」

「・・・卒業したから、元・女子大生だけどね」


 そういって“私”は、髷の様に結っていたポニーテールをほどき、ジェイルからいおりへと戻った。  

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