第8話 庶民の暮らし

パラト暦 215年 3月某日(異世界滞在1日目 午後)

都市国家アトネス 南側3等地区


 悪友との疲れる再会を終えたオレは、女神に謁見するべく、城から最も遠い地区にあるパラス教の聖堂を目指していた。

 

「君も物好きだよねぇ。わざわざ一番質の低い聖堂で洗礼を受けたい、なんて」


 隣には、城を出る時につけられた案内役兼護衛(兼見張り役)の女騎士、イリアスがいる。

 彼女とは再会して早々、なんやかんやがあって、互いにタメ口で話すようになっていた。


「理由を聞いて良い?」

「・・・祖父じいさまから教わった言葉に、

 『国を視るときは、底を視ろ』

 ってのが有ってね。

 スラムや貧民街の規模とか生活水準とか、それがその国を評価する一番の基準になるんだって」


 

 これの説明は、「世界がもし100人の村だったら」という有名な例えを応用すれば、簡単にできる。


 今回は、「人口が100人の村」を二つ用意する。

 国民の持つ資産の総額は、A村が1000万円、B村は2000万円とする。

 そして両方とも、生きていくのに必要な金額は2万円と設定する。

 

 A村では、全員が均等に、資産10万円を保有している。

 (10×100=1000)(単位:万)

 しかしB村では、10人だけが182万円ずつの資産を保有し、残る90人はそれぞれ2万円ずつしか保有していない。

 (182×10+2×90=2000)(単位:万)

 

 さて、どちらの村が『豊か』だろうか?


「・・・なるほどねぇ。村という単位で見れば、B村の方が豊かに見えるけど、民衆の生活をみれば・・・。

 その『マンエン』って通貨がパラト金貨でどれ程か判らないけど、わたしならA村に住みたいかな?

 私はこの3等地区の生まれだから、B村じゃ生きていくのにギリギリな額しか持てないだろうし。余裕がある方に住みたいなぁ」

「オレも同じ。やっぱり生きていくなら、誰かが苦しむ姿を見て自分だけ笑っているより、いっしょに笑う姿を見ながらが良い」


 例えば街で(菓子でも何でもいいが)買い食いをするとき、ボロボロで今にも餓死寸前な子供が隣に居る状態で、友達と談笑しながらソレを食べられるだろうか?


 ・・・オレは無理だ。お金を恵むなどという上からな行動はしないが、少なくとも同じ場所では食べられない。


 重苦しい話はそれまでで、あとは他愛もない雑談をしつつ、オレは3等地区の街並みを見渡していく。


 1等地区はパルディオナ城だけなので比較のしようはないが、貴族や豪商がほとんどの2等地区と比べれば、やはり街の景観に差が見えてくる。

 2等地区の建物は全て、費用が潤沢だったのか装飾が細かいところまで施され、また人の出入りが少ない為か、閑静な雰囲気が漂っていた。

 

 だが、石壁1枚で区切られた向こう側に移動すると、空気が一変する。


 太陽が西へ大きく傾いている時間帯。鍛冶屋か大工だろうか、あちらこちらでつちを振るう音が響き、それに負けないほどの喧騒が、街を包んでいる。

 建物はどれも、よく言えば質素、悪く言えば安上がりな造り。

 ただし装飾の代わりに、そこがなんの店なのかを示す看板が、ちょっと凝った造りで、でかでかと掲げられている。

どちらかと言えば、こちらの方が『RPGの街』という感じだ。


 ・・・と、何やら良い匂いが漂ってくる。

 穀物と野菜、そして酪農品の焦げた、それでいて食欲をそそられるこの香りは・・・。


「もしかして、ピザ?」


 辺りを見渡すと、小さな屋台に目が止まる。

 木の骨組みに布を張っただけの、簡素な屋台のテーブルに、ソレは10個ほど並べられていた。


「・・・ジェイルくん?」

「イリアス。アレ、なんていう料理?」

「アレ?・・・ああ、『ピットア』っていうアトネスの庶民料理よ。

 小麦粉を練って平たくした生地に、トメートやオニオ、チーズを刻んで散らして、高温の窯で焼くの。

 アレは屋台用に小さく作ってあるけど、大皿にドーンってサイズが一般的ね」

「大皿に・・ドーン・・・」


 説明を聴いているうちに、空腹感と唾液がこみ上げてくる。

 そう言えばオレ、朝以降何も食べていなかった。


「・・・食べたい?」


 オレの反応をみたイリアスは、小悪魔っぽい笑みを浮かべ、誘ってくる。

 

「いや、でも・・・」


 オレはまだ、こちらの通貨を持っていない。

 恥ずかしながら、今になってようやく、自分が無一文だという事を思い出したのだ。

 さらに気づいたことだが、オレは『ピットア』なるピザもどきの値段が解らない。

 というより、この世界の文字が全て読むことができないのだ。

 街のあちこちに見られる文字は、アルファベットっぽい文章を単語単位で一筆書きにしたような物。

 アメリカに留学経験があるオレだが、これほど崩れた文体は見たことが無い。


 話している言葉が通じていたし、アラバマの地図は英語表記だった為、油断していた。


「(何でこんな面倒くさい縛りがあるんだ?)」


 そんなことを考えながら、オレの心は『ピットア』を諦める方へ向かっていたのだが、思わぬ所から助け舟が現れた。


「・・・お金の心配ならしなくていいよ?

 あなたの案内は任務の内だから、記録さえ残せば、騎士団の経費から落ちる。

 どうする?ジェイルくん」


 腰のポーチから羽ペンとメモ帳を取り出しながら尋ねてくる彼女に、オレは即答する。


「お願いします、イリアスさん!」


 ・・・うん。人間は3大欲求(食う寝る増やす)には、絶対に勝てないのである。

 羽ペンの先っぽに唾液を染ませ墨を溶かし、『ピットア』の代金を書き込む騎士様を見つめながら、オレは人間の心理を悟った。



暫く後

3等地区 教会前


 ちゃっかり己の分も買ったイリアスと共に『ピットア』を美味しく頂いた後、オレ達は目的地であるパラスの聖堂へとたどり着いた。

 大通りを外れて弧状の細道を進んだ先、2等地区との境目である障壁に沿う形で、聖堂は立っている。

 一見、扇形を描くように遠回りな道のりを歩いてきたかに思えるが、区画の具合で壁伝いに来られる道がなかったのだ。


 ちなみに、『ピットア』の値段は1食=銅貨1枚と半銅貨1枚、つまり銅貨1枚半だった。

 遅い昼食のついでに教えてもらったことをまとめると、この世界の通貨は、時代ごとに種類や価値が変動し、これまでに3度の大改編があったらしい。現在は4代目のパラト通貨で種類は4つ。

 一般に広く使われるのは、銅貨と半銅貨。簡単に説明すれば10円玉と5円玉だ。

 ただしその価値は、元の世界でいう100円と50円に相当する。総菜パンピットアが銅貨1枚半・・・うん、適正価格かな?

 次が銀貨、銅貨10枚で銀1枚に交換され、主に武具や食器、食材のまとめ買いなどで使われる。

 イリアスら騎士の給金も、銀貨で支払われるそうだ。

 そして最後が金貨。一応、世間では銀貨5枚で金貨1枚というレートだが、一般市民が金貨を目にすることはあまりないという。使用するのは、王族、貴族、豪商、冒険者、そして両替商だ。

 冒険者が入っているのは、まぁRPG経験者なら察せる事で、山賊やモンスターの討伐に対する報奨金が、金貨で支払われる為だ。

 

『だから一般市民みたいな風貌の奴が、金貨を見せて仕事の誘いをしてきたら気を付けて。それ、確実に偽物だから』


 ・・・という、イリアス先生の忠告でもって、貨幣講座は終了し、今に至る。

 

「来るのは久しぶりだなぁ。ここ半月ほどは、使節団の受け入れ準備で城に缶詰だったから」

 

 石造りの建物を、イリアスは懐かしげに見上げる。

 

 一方のオレはというと、本日二回目の神との対面に、今更ながら胃が締め付けられてきた。


「ここがパラス聖堂・・・普通に入っていけばいいのかな?」

「う~ん、どうだろう?聖堂は誰でも出入りできるけど。

 パラス様と直にお会いしたなんて話、説法ぐらいでしか聞いたことないなぁ」


 まぁ、そうだろうな。異世界から来た神の遣いなんて、1年前にミスター・アラバマ達が来たのが最初で、オレがまだ第2陣目なのだから。


「とりあえず、司祭様に会ってみま・・・あっ、噂をすれば。司祭様ぁ!」


 突然、聖堂から出てきた法衣姿の男性に、イリアスは笑顔で近づいて行った。 

 

「おや、これはこれは。イリアス、久しいですね。お城で使節の方々を出迎える仕事は、もういいので?」

「まだご滞在中ですけど、別件で来たんです。こちらのジェイルくんが・・・」

「ジェイルと申します、司祭様。初めまして。女神アテナ・・・アトネーの遣い、<グルゥクス>に選ばれた者、らしいです」


 開口一番、本題に入る。ミスター・アラバマに対する皆の反応を見て、これが一番手っ取り早いと判断したからだ。

 そして結果は、予想通り。


「あなたが!?・・・なるほど、イルマ様の帰還を出迎えた者たちが噂していた通りの容姿。賊からたった一人で姫様を助けたのは、あなた様ですね。 

<グルゥクス>に選ばれる程の御仁ならば、納得が出来ます」


 驚きつつも合点がいったという風に、司祭様は頷いた。


「お褒め頂き、ありがとうございます。

 それで、女神パラスとの謁見というのは、どうすれば?」 


 しかしこの質問には、困った、という表情が返ってくる。


「・・・申し訳ない。私も詳しい事は判らないのです。

 昨年、2等地区の聖堂で行われたというのは聞き及んでいますが、委細は・・・。とりあえず、中の祠までご案内します」


 そしてオレ達は、司祭様の案内で、聖堂へと足を踏み入れた。



聖堂内 中央通路~礼拝の間


 聖堂の内部は「山」の字に通路が伸びており、中央の通路を奥へ行くとギリシャ風の彫像が一体、ステンドガラスから差し込む昼下がりの日光に照らされていた。

 

「奥に見えるのがパラス様の像です。基本的に毎朝と太陽の日のお昼に礼拝を行っています。

 向かって右側は診療所。怪我人や病人を、聖堂に所属する治癒師達が聖魔法で治療を施します」

「・・・聖魔法、『光魔法』の事か?」

 

 二人に聞こえないほどの声で、オレは呟いた。


 FFOでの魔法は、スキルとは別に存在した。だが誰でも使えたわけではない。

 ゲームでは、魔法職と物理攻撃職は完全に別物となっており、最初のキャラメイクでどちらかを選択すれば、他方へ切り替えることは不可能。

 オレは物理職<サムライ>を選択した為、魔法は使えない。


 ・・・と思いきや、イリアスが興味深い事を語った。


「私も、簡単な怪我や風邪程度なら治せるよ。

 だから、非番の日はなるべくここに来て、子供たちを診ているの」

「え!?イリアスって騎士、だよね?」

 

 騎士、<ナイト>はEUサーバーにおける物理攻撃職だ。


「そうだけど?・・・騎士が庶民を助けちゃいけないなんて法律、アトネスにはないよ?」


 イリアスはこちらを、彼女の上司騎士団長殿並におっかない目つきで睨んできた。


 あ、やばい。勘違いされた。


「いやいやいやいや。オレ、生まれ育ちで差別とかしないから。

 オレが言いたかったのは、騎士でもひかr・・じゃなくて聖魔法が使えるのか?、て事。

 オレがいた世界じゃ、騎士は魔法が使えない職業ジョブだったんだよ」

「・・・ホント?」


 必死に弁解するオレに、イリアスは念を押すように問うてくる。


「本当だって。オレの信条の一つは『人の生まれに貴賎なし。あるのは行いの貴賎だけ』だ。

 ちなみにいやしい行いってのは、『故意の犯罪』限定な」


 例えるなら、犬ネコなどの動物を遊びで殺すのは許されないが、交通事故死や食用の屠殺とさつなどは許される、と言うことである。


「そもそも、差別主義掲げるような奴を、女神が遣いに選ぶか?」

「・・・それもそうね、ごめんなさい」

 

 イリアスの眼から、怒気が消える。どうにか納得してくれたようだ。

 すると、傍で静観していた司祭様が口を開いた。


「ジェイル殿が、人の道を心得ている方と解って安心しました。

 なるほど、アナタならこの世界に福音をもたらすでしょう」


 満足げに微笑むと、司祭様は案内を再開する。


「さて、次は左側の部屋でしたね。

 こちらは生活用水の浄化を行っております。原理は傷病者の治療と同じです」

「生活用水・・・」


 そのキーワードが気にかかったが、司祭様に詳細を聞く前に、オレ達はパラスの像まで来てしまった。


「こちらがパラス、戦いと家事を司り、アトネーと並び『パルターナン』を守護する女神様です」


 槍と糸巻きを持ち、天を仰ぐ彫像の前で、3人は佇む。


「・・・・」

「・・・・」

「・・・・」


 が、数分経ち・・・


「なにも起きないね・・・」


 オレの方を見ずに、イリアスが呟いた。

 

 うん、何考えているか解りますよ~。

 こういう場面って、普通は到着してすぐ、像が光ったり周囲の時間が止まったりして、女神様の声が脳内に響く、ってのがお約束だよね。コレがゲームだったら、進行不能の不具合バグを疑って電源を切るところだよ。

 ・・・ひょっとするとイベントの発生条件が満たされていなかったり?


「(・・・とりあえずゲームマスターコールアラクネに連絡してみよっかな?)」


 人目につかない場所へこっそり隠れる算段を立てながら、オレはポーチから糸無しの糸電話を取り出す。隣で首をかしげている司祭様とイリアスには、背中越しなので見えていない。

 すると突然、頭の中に声が響いた。


『・・・アートちゃんの、・・・気配』

「!?」


 次の瞬間、オレの視界は真っ白に染まった。

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