第3話 オリンポスの知恵の女神

仮想西暦2030年 1月某日

東京都 某所 『ミネルヴァ・カンパニー』


 FFOの運営会社は、いおりの自宅から2時間ほどの場所にあった。

 だが全世界で5万人、日本だけで8千人がプレイするゲームの運営元にしては、かなり存在感が薄い、というよりここに有ることを隠しているように、そのビルは佇んでいた。


「・・・なんか、嫌~な感じがするなぁ」


 胸騒ぎを覚えながらも、庵はそれを無視し、建物へと入っていく。

  

 壁際に鉢植えがずらりと置かれたロビーを進むと、その奥にフクロウをかたどったエンブレムが掲げられた受付があり、1人の女性が控えていた。


「いらっしゃいませ。佐村様でございますか?」


 胸元に『荒木』という名札を付けた受付嬢は、庵の姿を認めると、迷いなくそう問うてきた。


「そうですが・・・なんで解ったんです?」

「今日このビルへ来る予定があるのは、佐村様お1人だけ、ですから。“主”は地下でお待ちです。ご案内します」


 そういうと荒木は、交代の受付係を呼ぶことなく、庵を先導してエレベーターへ向かう。


 庵は、戸惑いながらも追いかけて尋ねる。


「受付、ほったらかしでいいんですか?」

「ご心配なさらず。普通ならここには、誰も“来られません”から」

(来ないじゃなく、来られない?・・・いやーな予感が強まってきたなぁ)


 庵の本能が、ここは危険だと警鐘を鳴らしてくる。 

 が、そんな庵に構うことなく、ハコは到着し、荒木はそそくさと中に入る。


「・・・?どうぞ、お乗りください」

「あ、すいません(・・・ええい、成るように成れだ)」


 彼女の声ではっと我に返った庵は、乗り口付近に雑に置かれた鉢植えに気を付けつつ、エレベーターに乗り込む。

 下降するハコの中で庵は、


「(あの鉢植え。やたらとたくさん置かれていたな)」


 と、ロビーの様子を気にしながらも、一番の疑問を女性に問いかけた。


「あの・・・荒木さん?」

「はい、荒木です。何かご質問が?」

「昨日もらったメール、この会社に採用してもらえるとあったんですが・・・」


 庵がそっと問いかけると、荒木は背中を向けたまま、クスリと笑って返してくる。


「ええ。佐村様のご活躍に、あるじは大変満足されておいででして。ぜひ‟こちら側”に迎え入れたいと、今日こうしてお呼びしたのです」

「(また、『あるじ』と・・・なんなんだ、この場所は?)」 


 庵の疑念は深まるが、丁度その時、エレベーターは目的の階へ到着した。



地下1階 ???


 エレベーターから降り、大理石張りの通路を進んでいくと、プラネタリウムの様な部屋に着いた。しかし中央部には、おなじみのダンベルのような映写機はなく、代わりに一枚の大きな鏡が置かれている。

 そしてその傍らに、1人の女性が佇んでいた。

 

「お待ちしておりました、<オニワバン>ジェイル。いえ、佐村庵」


 右が灰色、左が緑色というオッドアイの瞳を持つ彼女は、庵に向かってそう告げた。

 次の瞬間、彼女の体は光に包まれる。

 それが収まると、女性はギリシア風の鎧をつけた女神へと変貌していた。

 

 突然の事態に、庵はポカンとした顔で、一瞬固まる。


「・・・え?なんだこれ?何かのドッキリ企画?」


 思考が混乱する中、どうにか紡いだその言葉を聞いた女性は、嘆くようにため息をついた。


「・・・あなたも最近の日本人と同じように、人知を超えた存在を迷信とする愚か者なのですか?」


 体をふわりと浮かせ、そのままこちらに近づいてくる女神。


 愚か者。その一言で、庵の脳内でスイッチが入った。

 思考が再起動し、これまで見聞きした情報を整理していく。


「(ミネルヴァ・カンパニー、梟のマーク、女神ミネルヴァ?・・・いや!)」


 エレベーターホールにあった鉢植え。

 米粒ほどの実をつけたアレの品種は・・・


「オリーブ、梟、ミネルヴァ、そしてグレーと緑のオッドアイ・・・。女神・アテナ?」


 アテナ:古代ギリシアの神話に登場する、知恵と芸術、戦略を司る女神。

 灰色と緑の瞳を持つとされ、象徴としてフクロウとオリーブが用いられる。特にオリーブは、アテナイの地を海神ポセイドンから勝ち取る決め手となったアイテムとして有名。

 ローマ帝国では、同じく梟を象徴とする女神ミネルヴァと同一視されていた。


「正解です、佐村庵。策士としての頭脳は、仮想世界だけの物ではなかったのですね。出来れば、第一声をそちらにしてほしかったのですが」

 

 そう言いつつ、満足げに微笑む女神に、冷静さを取り戻した庵は問いかける。


「・・・何でオリンポス12神の1柱が、日本にいるんですか?それも、オンラインゲームの運営会社なんかに」

「いつも居るわけではありませんよ。今日は特別。佐村庵、あなたを我が『ミネルバ・カンパニー』へ迎え入れるべく、参上したのです」


 女神は知的な笑みを浮かべるが、庵はさらに、そこに契約を誘う悪魔の気配を感じ取った。


「・・・どう考えても、普通の会社じゃないですよね?業務内容は?まさか神話の英雄みたいに、化け物退治をしろとでも?」

「場合によっては、それもあり得ますね。あなたには、FFOと同じ事をやってもらいたいのです。・・・“異世界”で」


 女神は真剣な表情でそう告げると、背後に置かれた大鏡を振り向き、手をかざす。

 すると鏡面が水のように波打ち、どこかの風景を映し出す。


「・・・あなたも知っての通り、私は知恵を司る神。故に私は、常にあらゆる事象を探究し続けてきました。そして最近のテーマは、『天地創造』」

「ウラノスとガイア・・・あなたの曾祖母がやったアレ、ですか?」


 ギリシア神話において、世界は天空の神ウラノスと大地の神ガイアの交わりにより生まれたとされ、2柱の子がクロノス、さらにその子がオリンポスの長ゼウスとされている。

 詳細は省くが、アテナはゼウスの頭蓋をかち割って生まれた為、ガイアとウラノスのひ孫という事になる。


 アテナが頷くと、大鏡には庵が見たことのない風景が映し出される。所々には都市や村、FFOでよくみるモンスターの群れが確認できた。


「ある時、ふと思ったのです。天地創造という偉業を、あらゆる知恵を司る私が再現できないのか?と。そして私は、長い探求の末、見事に一つの世界『パルターナン』を創りだしました。ですが・・・」

「その口ぶりだと、失敗した?」


 庵の言葉に反応したように、鏡の中が劫火に包まれ、朽ちた都市の残骸の映像に切り替わった。


「彼の世界の人間たちが、勝手気ままに振る舞わぬよう、私を信仰の対象とした宗教を、『パルターナン』へ流布しました。しかし結局、人間たちは私利私欲のまま暴走し、私が直に警告を与えても、聞く耳を持たぬまま自滅。私は原因を考え続け、答えを得ました」


『独りでやったから駄目だったのだ』と。

 

 心底悔しそうに、アテナは語る。


「知恵の女神でありながら、英知の根本原理を見落としていたのです。知識とは、より数多くより多面的であるほど、至高に近づくのだと」

「・・・それで貴方は、FFOをつくった?オレ達プレイヤーの行動を、次の異世界創造のヒントとする為に?」


 感情を高ぶらせたアテナの言葉から、庵はひらめく。

 仮想空間で、現実に起こるであろう事象を実験する。ロールプレイングの本来の用法である。

 アテナは肯く。


「そうです!滅んだ『パルターナン』を再現したゲームを公開し、“天地創造の成功例”である人間にその中で行動させる。そうして私は、それまで気づかなかったあなた方の心理を学習し、再び『パルターナン』に人類を生み出しました。するとどうでしょう♪新たな人間達は、1500年もその営みを続けて見せたのです!」


 漫画やアニメなら、目がシイタケの傘のようになっていそうな表情を浮かべるアテナ。

 しかしそれを眺める庵と、傍に立つ荒木の心境は、複雑だった。


「・・・頭が良いと、時折変態になるのは、女神も一緒なのか?」

「主様。また暴走して・・・」


 ドン引きする二人に気付いたのか、アテナは咳払いをして、本題に入る。


「・・・要するに、私はFFOを基に完璧に近い天地創造を成した、という事です。

 ただ、近頃『新パルターナン』の様子がおかしくなりまして・・・」

「おかしく?」

「マンネリ化した、とでも申しましょうか。行き詰ってしまったようなのです。

 そこで、新たな刺激として、FFOの中で名を馳せた者を送り込んでみようと考え、今に至るというわけです」


 要するに、異世界へ行ってテコ入れをさせる、という事らしい。そして、そのカモフラージュとして、表向きは『ミネルバ』に勤務している、とするらしい。

 事情を呑み込んだ庵は、素朴な疑問をぶつけてみる。


「話は分かりました。でもなんでオレなんです?FFOには、俺より有名なプレイヤーは居るでしょう?日本だけでも、KOMこむさんや大・勇者王、ガラシャ御前。海外だと、クイーン・アバディーン、老大人ラオ・ターレン、Mr.アラバマ・・・」

 

 庵が挙げたのは、火炎系魔法を極めたリザードマンや、RPGのお約束順守に全力を注ぐヒト族など。いずれもFFO最古参かつ、一番最初に頭角を現したプレイヤーである。

 しかし・・・


「日本人の3人は、ここへお呼びしたのですが。全員、仕事や家庭を理由に辞退されました」

「・・・KOMは某大手映画製作会社の技師、ダユウさんはサラリーマン、御前は子持ちの専業主婦だったなぁ、確か」

「EU・中国・USAの3人は既に『パルターナン』へ旅立ちました。が、アラバマを除く2人は、リタイアして帰還してしまいました。それに代わる第2陣として、貴方に白羽の矢が立ったというわけです」

「・・・日本人が無難すぎるのか、海外勢がガッツ有りすぎるのか」


 異世界での冒険と日常生活を天秤にかければ、日常生活に傾いてしまうのが、現代の日本人なのだ。


「佐村庵、貴方はどうしますか?職についておらず、結婚もしていない、子供もいない。足かせになる事象は無いはずです」


 なんか酷い言われよう、と小首をかしげながら、庵は返答する。


「オレもパス、していいですか?ジェイルならともかく、この体で大冒険しろとか無理でしょう」


 自分の身体を見回しながら、庵は返す。

 痩せすぎ又は太りすぎというわけではないが、特別に鍛えているわけでもない。一般的な文系大学生程度である。

 やはり剣を振り回したり、鎧を付けて野山を駆けるには無理がある体だ。

 

 しかしアテナは、他に候補がいないのか、まだ食い下がる。


「異世界へはジェイルとして転送しますので、身体能力はゲームにおけるモノと同等になります。FFOでのあなたの職業<オニワバン>は、隠密、索敵、アイテム作成、高速移動、片手武器の5つのスキルが熟練度最大でなければ獲得できないもの。昨日あなたがやったように、複数人に囲まれても生き延びることができるでしょう」

「・・・現実のオレは、異世界にテコ入れできるほど、器が出来た人間じゃないし」


 尚も嫌がる庵。さすがにここまで続ければ、アテナも諦めるだろう。

 と考えていたのだが、神話に語られる知恵の女神は、とんでもない策を用いてきた。


「私は、十分に使命を果たせると判断した者にのみ、声をかけました。貴方は革命を成すに十分な人物だと、私は認識しています。幼少期より常人離れした洞察力を持っており、大学では法学部に在籍。留年することなく4年で卒業見込みとなったそうで・・・。そして何より“あなたのご家族は”・・・」

「解りました!受ける、その依頼受けますから!家族の話はやめて!」


 女神の言葉を遮るように、庵は叫んだ。これまでにないほどの慌てぶりに、控えていた荒木が目を見張ったほどである。

 一方のアテナはというと、二色の瞳を悪戯が成功した子供のように細めて、庵に告げる。


「ああ!ありがとう、庵。貴方なら受けてくださると確信しておりました」

「・・・よく言うよ。こっちが一番触られたくないネタを出しやがって」


 庵は乱暴な口調で吐き捨てると、せめてもの意趣返しにと、アテナに対して条件を突きつけることにした。


「依頼を受ける代わりに、3つの願いをかなえてもらうからね」

「・・・良いでしょう。おっしゃりなさい」

「まず、向こうで稼いだ資金をこっちの世界に持って帰っても良しとすること。

 一応レートは、1Gを1/10000円ってことでいいから」


 庵がFFO内で5年かけて稼いだ所持金は、約750億G。提示したレートで換算すれば750万円。年収150万円ほどだ。

 働かずに遊んで暮らすには足りない程度の金額である為、アテナは快諾する。


「構いませんよ。元々、表向きは『ミネルバ』の社員として籍を置いてもらい、給金を支払う手筈でした。あちらでの稼ぎはボーナスとして許可しましょう。他には?」

「大学の卒業式が3月にあるんだけど、それに出席した後で異世界に送る事」


 この条件に対しては、アテナはあきれた表情を浮かべた。


「・・・未知との遭遇より、今の生活を優先するのですか?」

「区切りはきちんとしておきたいんだよ。法学部の学士号、取るの大変だったんだから」


 憲法、民法、刑法はもちろん、商法、刑事訴訟法に民事訴訟法。『六法』と一括りにされている、今の日本を形作る重要なルール。たった4年で修めるにはハードな内容だった。


「・・・まぁ、いいでしょう。最後は?」

「最後は・・・異世界に行っている間、家族の様子とか、教えてもらえたらなぁ、って」


 何故かこの条件だけは、小さな声でぼそっと告げられた。

 するとアテナは、くすくすと笑いながら快諾する。


「いいでしょう。・・・荒木」


 名前を呼ばれた受付係は肯くと、両手を受け皿にするように顔の前に構える。

 すると、彼女の口から糸のようなものが吐き出され、手の中で玉状になる。

 アテナも荒木に近づきながら、どこからともなく紙コップを取り出し、その底の裏に玉からほどいた糸の端を押し付けた。

 紙コップが一瞬光った後、糸の塊は消え、アテナはそれを庵に手渡した。


「『パルターナン』とこちらの世界を繋ぐ『糸電話』です。使うときは、アチラの住民に見られないように」

「ずいぶんと安っぽいな・・・・それよりも」


 紙コップを受け取りながら、庵は荒木に尋ねる。


「・・・もしかして、アラクネ?」

「はい。かつて主を冒とくした罪で蜘蛛へと変えられた、あのアラクネです。今は反省を認められ、従者として働いております」


 自虐的な笑みが浮かんだ女性の背後に、ぼんやりと蜘蛛の姿が重なって見えた。


「・・・そっか。がんばって」


 感覚がマヒしたのか、庵はそれだけを呟き、この話題を終えた。

 その後、庵はアテナといくつか言葉を交わし、異世界への旅立ちを4月の初めと決め、鏡の間を辞した。



2か月後 


 卒業式翌日、庵は再び、大鏡の前に立っていた。

 

「あなたがいない間は、アラクネがあなたの身代わりとして生活します。糸電話の応対も、彼女が担当です」


 アテナが告げると、その場で荒木・・・もといアラクネが、自らが吐いた糸に包まれる。

 糸は彼女の全身を包むとすぐに溶け消え、中から庵と瓜二つの姿が現れる。


 それを興味深そうに観察した庵は、どこか安心したように微笑んだ。


「よかった。あなたが身代わりなら、問題なさそう。・・・さて、行きますか」


 こちらの世界への未練を断ち切るように庵は宣言する。

 直後、大鏡が光り輝き、庵の身体は宙に浮いた。


「おお」


 僅かに気分の高揚を覚えながら、庵は足元を見下ろす。

 するとその耳に、ふとアテナの忠告が飛び込んで来る。


「アチラに着いたら、まずはアトネスという街を目指しなさい。

 そこには我が友人、パラスがいます。彼女から情報を得て、革命に生かしてください」

「・・・ちょっと!パラスってもしかして・・・あのっ」


 庵は何か言おうとしたが、その前に鏡の中へ吸い込まれてしまった。


 策士<ジェイル>による、異世界革命は、こうして始まったのである。

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