log06:エイダ
ジーンズにシャツ、そしてメガネを掛けた茶髪のショートカットの女性がホログラム上に映しだされている。
彼女が、私の先祖のエイダ=ブレーズ=リバー…。
人工知能の開発者であり、そしていまは人工知能としてこの施設を統括・管理している…。まさかのまさか、である。
エイダは少し下を俯き、こちらに向きなおして言った。
「最初にひとつ言っておきたいんだが、君はスカーレットに対して色々と責め立ててたみたいだね?」
「ああ」
「我々人工知能は、この施設を管理統括している責任者である。一般人に無闇に教えてはならない情報、機密事項というものは山のように存在するんだよ。そういうものを一般人にボロボロ教えてはセキュリティも何もあったもんじゃないだろう?」
「…」
「そして何より、スカーレットにそういう機密事項の設定をしたのは私だ。故に、彼女を責めるのは筋違いだよ。知らなかったとはいえ、少し責め方がキツイように見えたのでね、ちょっと言っておこうと思った」
「そうだったのか。それは済まなかった、スカーレット」
私は即座にスカーレットに向かって頭を下げた。
「いいのよ。…ちょっともどかしかったけどね」
スカーレットは湯のみを傾けながら言う。少しばかり、ホッとしたような表情をしているように見えた。
「さて、トーマス。君は私に何を聞きたい?その為にやって来たんだろう」
「私に関すること…これはなるべく詳細にだ。あと外の様子がどうなっているのか確認したい。様子次第で、外に出るか、中で一生を過ごすか考える。…それに、50年前に、本当に何があったのか。知っている限りで良い」
「良いだろう。少しばかり長い話になる。お茶でも飲みながらゆっくり聞いてくれ給えよ」
そう言うや否や、電算室の床が3マスほどせり出してテーブルと椅子に早変わりした。勿論というべきなのか、電気ケトルとお茶のパックも付属されていた。
「私は日本茶が好きでね。砂糖なしで飲めるお茶というのが実に有り難い。他の飲み物といえば全く砂糖を過剰に入れる奴が多くて口の中が甘ったるくなる。甘いモノは飲み物じゃなく食べ物で取るし飲み物まで甘い必要は全くない、そうは思わんかね?」
「そうかしら。紅茶の方が香り高くて私は好きだけど。それに、紅茶は砂糖やミルクを入れたりと色々な素材と組み合わせて飲む事によって、変幻自在の表情を見せる素晴らしい飲み物だわ」
「いや香りで言えばコーヒーだろう。あの深煎りした香ばしい香りは脳を覚醒させる。…砂糖なしでは少しばかり飲むのがキツイがね。糖分補給と目覚ましの飲み物としてはコーヒーが一番だと私は思う」
しばしお茶談義に花を咲かせる…いや目的はそこじゃない。
「っと、飲み物の嗜好はどうでもいい。私の事についてだよエイダ」
「そうだったな。…トーマス=ジュード=リバー。君は私の子孫である。…というよりも、私の子だ」
「…は?」
あまりにもサラッと言われて全くピンと来ない。
「もう一度言うぞ。君は私の息子だ」
「…つまり、あんたが、私の母親だと?」
「正確に言えば、生みの親だな。生まれてから数年は何とか育てていたが、私には親としての資質が全く無かったようだ。ここに居ては必ず不幸になるという確信があった。だから、君には申し訳ないが養子に出てもらったよ。里親に頼んだのは親類だからそれほど私にも罪悪感はなかった…」
「どういう理屈で私を育てるのは無理だと思ったんだ」
私は詰問する口調でエイダに向かって言った。たとえ資質が無いと言ってもだ、それなりの理屈が無ければ理解は出来ても納得など出来やしない。
「少し私の事についても話をしようか」
エイダは短くなったタバコの火を消し、もう一本箱から出して吸い始めた。
「…私はね、トーマス。生きている実感が持てない欠陥人間だったんだよ。自分が感じる痛みも、感情も、全てが他人事に思えた。当然、子供を産んだとしても本当に自分の子供なのだろうかと疑念が絶えなかった。理屈では私が産んだ、私が育てるべき対象だというのはわかる。でもね、感情も、痛みも、自分が感じるもの全てが自分のモノだと思えない人間が、他人に対して接触するとどうなると思う?子供に接したらどうなると思う?」
「…」
「絶対にそんな人間が親になんかなっちゃいけないんだよ。トーマスの時はどうにかしようと私なりには頑張った。でも人間、無理なものは無理だと悟らなきゃ駄目だ」
「私の時は…?と言う事は、他にも同じような境遇の子供が居るのか?」
「ああ。私は誰ともSEXすることを拒まなかったし、避妊もしなかった。子供ができれば産み、その度に孤児院や養子に出した。何事も他人事だから自分の体も大事にしなかったし、子供なんてどうでもよかった」
全く理解できない感覚で、唖然とする他無かった。だが、不思議と納得は出来る…。
「自分の感覚を信じられない私が、唯一信じられる物が数学・物理学、コンピュータだった。あれは明確に答えがある。それも1つか2つというシンプルな答えだ。何よりも明確な真実、定理というものがある。わかりやすくて好きだったよ」
「それで、そちらの道に進んでいったと?」
「当時は人工知能の実用化に各企業、国家ともに躍起になっていてね。自然とそっちの方に進んでいったのさ。まあ、戦争が始まった頃には人工知能は扱いづらいからって除け者にされちゃったがね。リチャードのお陰でどうにか形には出来た」
ふう、と煙を吐き出すエイダ。もちろんそれもバーチャルな代物なので煙の臭いも何もしないが。
「話をトーマスに戻そうか。君は私の叔父叔母に預けられて、そこで普通の青年として育った。機械技師や電気工事士の資格を得て、様々な機器のメンテナンスをする企業に入社して仕事をしていた。その後妻や子供を得て幸せな暮らしをしていたよ」
私に子供が居たのか…。そして妻も。
「この地域でも戦争が始まって整備士として徴発され、仕事に従事していた。ある日、久しぶりに休暇を貰って妻と子が待つ街に帰って来た訳だが…そこからが不幸の始まりだ。大きな街だったから爆撃の対象になっていたんだろう、街は戦火に覆われてしまった。君は逃げている内に妻子とはぐれてしまった。さまよいながら、逃げ惑いながらなんとか辿り着いたのがここ、リバーサイドヒルのシェルターってわけだよ」
「…」
「その時に重傷を負っていてね。手術を行って、どうにか意識は回復させることが出来た。そこでリチャードと話をして、後年に向けて施設管理者としての仕事を与え、それに備えてコールドスリープするか否かを君に問うた。君は了承し、今日に至るまでずっと眠りに付いていた…。これが君に関する大体の情報だよ。記憶、取り戻してきたかい?」
「…少しだけな」
言われて、ようやくおぼろげな記憶が蘇ってきた。
夢で見たことがある風景、つまりこのリバーサイドヒルシェルターは私が幼少期に住んでいた場所。当時はまだ建設途中だったから骨組み程度の出来だったが…。
子供の頃の幼い私が父親の大きな背中に背負われて散歩している風景。
車で何処か遠くに行く私。どんどん小さくなっていく、建設途中のシェルターを眺めながらぼんやりとずっと見ている。
大きくなり、妻や子…顔がまだ思い出せないが…と一緒に食事を取って居る記憶。
そして、夢で見た凄惨な、地獄。
まるで走馬灯のように過去の記憶がフラッシュバックしてくる。
「私に関する事は大体わかった…では次だ。外の様子を見たい。今どうなっている?」
「ちょっと待ってな」
エイダが言うと、新たなソフトウェアが起動し、コンソール画面にライブカメラの映像を映しだしていた。カメラの映像からは、どこまでも澄み切った青い空と、荒涼と広がる赤茶けた大地とわずかな草と小さな木々、そしてサボテンの生える大地が広がっているのが見える。嵐どころか雲ひとつ無い青い空。それらが私の網膜に焼き付いて離れない。
「…久しぶりに見る外の風景…これは本物だろうな?」
「面倒な嘘など私は付かないよ。正真正銘、これは今現在の外の映像だ。嘘偽りのない真実の外だ」
「おお…!!」
青という色がここまで脳に染み渡るものだろうか?私の目から、涙が止めどなく溢れてくる。
「嵐は20年前にようやく収まり、戦争の影響で心配された汚染もそこそこで植物が死に絶える程の死の大地になる事も無かった。そして何よりの良いニュースがある」
「何だ?」
「他のシェルターと連絡が取れた。あの戦争と嵐を生き延びた人々が居るんだよ」
「…本当か!?しかし、リチャードは他の施設とはネットワーク接続はしていないと言ってた筈だが」
「光ケーブルによる、有線ネットワーク接続はしてないさ。だがそれ以外にも通信手段はあるんだよ」
エイダはライブカメラの映像を切り替えた。シェルターの屋根と思しき場所だ。そこには大きなアンテナが映し出されている。
「もしかして、無線機って奴か?」
「ご名答。まさか他のシェルターにもこんな前世紀の遺物を置いてる所があるとは思わなかったけどね」
「そのシェルターの名前は?」
「サンライズ・イーストシェルター。ここから遥かに遠いね。昔に言われた地域的区分からすると、ユーラシア大陸のアジアに位置する場所、それも極東だ。海を挟んで何千km離れてるか分からない」
「それでも、生きている人がいるなら私は行くぞ。…可能性は低いが、妻や子が生きているかもしれない。最早ここに留まる理由は、私にはない」
「…そうか、そうだな」
そして最後に聞きたい事だ。
「50年前、ここで何があった?」
「…ただの仲間割れだよ…」
と言い、エイダはしばし俯いて黙り込んだ…。さぞ思い出したくもない、嫌な事件だろうとは思う。
だが思い出してもらわねばならない。真実を知るためにも。
ぽつぽつと、エイダは語り始めた。
――戦争から数百年が経過し、嵐が未だ止まない日々が続いた。シェルターの人々はどうにか日々を過ごす事はできていたが、長い間閉鎖環境に居るストレスというものに耐えられない人々も出始めた。
何よりの問題は、資材が底を尽き始めた事にある。豊富と謳われた資材貯蔵区の資材量も底が見え始め、人々はこのままここに留まる事は死にゆくだけだという焦りを感じていた。
そんな中に、その焦りを増幅させる煽動者が現れた。ケイン=フォルスという男で、彼は元々リチャードに反抗的だった。今回の騒ぎは主導権を握るのに良いと思ったのだろう。このまま座して死を待つのか?リチャードに従っていてはいずれ全員死ぬ、という言葉を振り回し、賛同者を得て反乱を起こして隔壁のロックを無理やり開こうとした。
勿論、ソフィアやメアリーに抵抗される事は分かっていたので、まず中央電算室を制圧、ソフィアをスリープモードにした。どうやってもシャットダウンはできなかった(させなかった)から苦肉の策として、そうしたのだろう。私は、どうにかこの後起きる事態の把握だけは何とかできた…。
続いてメアリーのシステムも掌握しようと動いたが、メアリーのアンドロイドが阻止しつつ、リチャード達の増援を待った。メアリーは反乱者達に対しても大きな怪我をさせないように立ち回ってなんとか暴動を抑えこんでいた。
…ようやく、地上施設からリチャード達の増援が来て制圧してくれるかと思った。だが、手に持っている物が制圧用のテーザーガンやスタンガンなどではなく、刃物や銃器だった。メアリーはいくら暴動を起こした人達とはいえ、殺すまでの事はしたくなかった。…あの娘は、本当は優しい子だったんだ。誰に対してもなるべくなら暴力は振るいたくはないと言っていた。
隔壁周辺で行われたのは、凄惨な殺し合いだった。とはいえ、反乱者達も銃器などを持っていたからリチャードも已むを得なかったのだろう。やらねば自分達が殺される。…メアリーが相手を殺さずに制圧できたのは、ボディの性能と機械ならではの並外れた動体視力、反射神経、そして全体を把握できる視野を持っていたからなんだ。人間にそんな芸当は不可能だ。
メアリーが凄惨な争いの現場を目の当たりにした結果、人工知能回路に異常が生じた。これこそが、人工知能の最大の弊害でもある。人工知能に人格や知性、感情を持たせてしまったが故に生じた異変、エラー。普通のコンピュータであればこんな事はあり得ない。
辺りは血の海に沈んだ。メアリーは哀しみに暮れた…。何故人々は争うのか。折角戦争を生き延びていたのに、いがみ合い、戦い、お互いに死んでいくのか理解ができなかった。そのうちに、自らの出す命令を守らない人間など死んで当然だと、おそらく思うようになったのだろう。
戦いの後、リチャードがソフィアを起動しに電算室に戻った。最初は普通に起動しようと考えたが、反乱者は変な方法でスリープモードにしたからシステムがおかしくなってないか確かめる為に、まずセーフモードで色々確認をしていた。
用事があって一旦地上に戻ろうと地下通路を歩いていた時に、メアリーに襲われてリチャードは死んだ。…本当は病なんかじゃない。メアリーの手に掛かったのさ。争いの原因の一人として、憎しみをぶつけられたんだろう。
その後、隔壁に近づいたり、メアリーの本体のある地下施設管理室に入ろうとすると、メアリーに襲われるようになった。そのうちに地下には誰も入らなくなった…。あとの顛末は、スカーレットが君に話したとおりだ――
ふう、と溜息をついて紙巻たばこの火を消したエイダ。灰皿には何本ものたばこがうず高く積み上がっている。
「酷い話だろう?スカーレットにも、こんな酷い顛末を話すのは躊躇った。だから病で死んだ事にしたのさ。そして君にも、まだ記憶がおぼろげな間にショッキングな話などしたくなかった」
「…」
「許してくれとは言わないよ。…生存者に優先順位をつけていたこともね」
「そうだ。何故、私を一番にしている…!貴方は子供の事などどうでもいいと思っていた筈だ!」
「施設の運営上、重要な人物は死なせてはならない。そういう意味では生存者に対する優先順位というものは存在する。その理屈で言えば、リチャードが最も順位が高いだろう。でも私は、子孫を残すという考えの方が優先してしまったんだね」
「…何故だ?」
「人でなくなり、機械の体を得て、人々の生活を見ている内に人としての感情を取り戻してしまったのさ。親としてのエゴもね。だから、君を一番に生かしたかった。私が生きている内に出来なかったせめてもの親馬鹿さ」
もっとも、皆に知られたら私は破壊されていたかもしれないけどね、と付け加えた。
…親としての感情は理解できなくもない。私も、子を成していた。自分の子というものは何にも代えられない大切なものだ。それを人でなくなってから取り戻すというのも、皮肉な話ではあるが。
「これで私が知っている事の全てを話した…。もう、後は君が外に出るだけだ」
「ああ…だが最後に大きな壁が一つ残っている。メアリーをどうするかだ」
「残念だが、私の権限をもってしてもメアリーを止める事はできない。物理的に接続ケーブルを遮断され、無線LANも破壊されて接続そのものを拒否されている。…地下施設管理電算室の見取り図とそこに行くまでの最新の地図がある。役立ててくれ」
エイダのメインフレームからバインダーに綴じられた書類が出てきた。詳細な見取り図だ。
「管理者としては情けない限りだが、君だけが頼りだ。どうかメアリーを止めてくれ」
「…わかった。私の進む道の為にも、彼女は止めてみせる」
「それと、スカーレット。君にはトーマスを支援するために、私の情報と管理権限を最大限与える。それによって、地下の施設にも干渉が可能になるだろう。どうか彼を支えてやってほしい」
「了解よ」
「申し訳ないが、この作業には暫く時間を要する。その間スカーレットのナビや助けは無い。トーマス…気をつけて探索してほしい」
正直な話、スカーレットのナビや説明が無いのは不安だが…それまで行動をしないという訳にも行かない。せめて場所の確認くらいはしておくか。
「最後に一言だけ。…君はどんな事があっても人間だ。自分の感情、感覚を信じるんだよ。たとえ何があろうとも、ね」
エイダはそう言って、私達に背を向けた。そのうちホログラム資格装置の光が弱まっていき、姿は消えていった。
色々と教えて貰った。希望もある。その前に一つの壁があるが…私にもやらなければならないことがある。家族を探す。生存者と会わなければならない。
「…行くか」
「…気をつけてね」
「ああ」
スカーレットのアバターがタブレットから姿を消し、アップデート中というメッセージ表示がされている。まだ進行度合いは10%にも満たない。
私は電算室を後にし、見取り図を見ながら地下施設管理電算室へと向かった…。
---
log06:エイダ END
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