或る月夜

「そういえば僕は常々思うのですが、美しい月は古来、かんばせにも例えられる。天から見つめられていると思えば、常人があんな悍ましい罪など犯せる筈なかろうに、と。そう、あの……あの晩も、それは綺麗な月夜だったのですがね。彼奴め、あれからどの面下げて月を見て居るのやら……おっと、足元に気をつけ給え! こんなに凍れる夜に落ちたら、君、風邪をひくでは済みませんよ。ン、どうしました? 何か僕に仰りたい事でも? ない、ふうん……それは残念。そう、あまりに佳い月はまた不吉な物と忌避されてきたという話もありましてね。確かに、僕でさえ普段仕舞い込んでいる宿怨がむかむかと立ち上がってくる気がします。何というか、胸の奥をゾロリと撫で上げられるような頗るイヤなもので、成る程あの晩の凶漢も斯様な心持ちだったのかも知れません。そうなんでしょう? 君……本当に足元に気をつけ給えよ。なぜなら今夜も、ああ——」


 静寂を破る、大きな水音。


「月が綺麗ですね」

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