1-2 幻影

 昼食後も、アリサは夕飯への備えを怠らなかった。食べる順序のイメージトレーニングから、今日の授業で命じられた宿題を食べに行く前に済ましておけばより食事の際の幸福感は増すに違いないとの皮算用に至るまで、彼女は入念に準備に勤しんでいたのである。


 しかしこのような夕ごはんへの備えは無駄骨と化すことになる。


 中学から帰宅して玄関へ入った瞬間、彼女の鋭敏な嗅覚は、いつもの玄関のにおいの中に魚の焼ける香ばしいにおいが混じっているのを感知した。今晩は寿司を食べに行くはずなのに料理の気配がするのはおかしいと、アリサは並々ならぬ不審を抱いた。


 それでも決して寿司への期待をなくしたわけではなかった。下駄箱に手をついて靴を脱ぎながら、午後の3時過ぎは夕飯の準備にしては少し早いので、やはり別の用件で焼いているんだろう、祖母がおやつに何か料理をしているのかもしれないなどと、他にあり得る状況を思い描いてもいたのである。


 しかし廊下に上がり、リビングへ足を踏み入れた瞬間、アリサのこのような淡い期待は、無残にも踏みにじられることになる。


 踏みにじったのは、リビングの机の上に堂々盤踞ばんきょする布巾ふきんで覆われた寿司桶すしおけと、桶に立て掛けられていた団扇うちわの存在である。これは寿――酢飯の中に具材を混ぜ込んだちらし寿司の一種――が食卓に出される日、アリサが今までに何度となく目にしてきた光景だった。そしてまたこの二つのアイテムの存在は、今朝母から耳にした寿司が回転寿司などではなく、寿司は寿司でも家で食べるばら寿司であることを示す、十分な確証だった。


 くして、正午前から彼女が長らく胸に描いていた今宵のうたげは、まぼろしと化したのである。アリサはリビングのドア元で、寿司桶を虚ろな眼差しで見つめながら愕然がくぜんと立ち尽くした。

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