寿司戦争

アブライモヴィッチ

1-1 渇望

「そう、今日ウチ寿司らしい。お母さんがゆっとった」


 アリサは自らのぽっちゃり体型とは不釣り合いな、手の平より少し大きいくらいのサイズの小さな弁当箱の蓋を、ずんぐりとした指で開いた。そして中身を確認し、箱内のおかずスペースの半分近くを占拠する唐揚げの存在に見惚れながら、「デカい」とうなった。


 彼女の唸りを耳にした友人は、アリサの弁当箱へ視線を送り「ほんまデカっ」と相槌を打った。それを聞いたアリサは「一つあげる」と言って、弁当箱を友人の方へ差し向けた。


「寿司じゃけぇ、今日はお腹空なかすかせとかんと」

「でも夜たくさん食べるのって、ダイエット的にヤバくない?」

「一日くらいなら平気じゃろ」

「寿司って、めちゃくちゃ炭水化物なのに。しかもアリサ、食べる気マンマン」

「今日だけなら、大丈夫じゃろ」


 そう言いながら、アリサは自分の弁当箱を手で持ち上げ、中の唐揚げひとつを友人に受け取らせた。


 彼女の弁当箱は確かに小さいサイズではあった。もっとも運動部に非参加の女子中学生にしてみれば、そこまで極端に小さいわけではなく、ままある程度のものだった。にもかかわらずアリサも友人も、この弁当箱をダイエット仕様と認識していた。この認識は少し前までアリサが使用していた、下段はご飯、上段におかずという、二段組の――時に果物用の小型タッパーが別個に加わり二.五段の――重厚な弁当箱との比較からくるものだった。


「こんな時間から気合入れて夜ご飯の準備するとか、アリサ何皿食べるつもりなん?」

「んー、どーしょー」

「20くらい?」

「さすがにそんなには無理」

「えー、でも寿司って意外といけるでしょ。私、この前大してお腹空いてなくても、15皿はいけたし。アリサなら、多分余裕」

「もしいけても、いかんから。15はさすがに太る。いくとしても、10……、くらい?」

「10とか。それはかわいこ振り過ぎでしょ」

「かわいい? 意味分からん。10って、普通くらいじゃろ。ウチ的には普通」

「10は少ないよ」

「かわいこぶりたかったら、6くらいじゃね?」

「6だと小さく盛り過ぎでしょ。だって6皿って、おじいちゃんとかが食べる量でしょ」

「ウチのお母さん、でもそんくらいしか食べんよ」

「そぉ? じゃあ意外とそれくらいも普通なんかな」

「まあウチラ的には足らんけど」

「ね」


 まだ昼食時であるにもかかわらず、アリサの心は既に夕飯の寿司のことでいっぱいだった。その最たる原因は、朝方、眠気と闘いながら髪の毛を整える彼女の部屋に、弁当と水筒を持ってきた母が発した「今日、夜な、寿司だから」のひと言である。


 その時は自身の身支度で手一杯だったこともあり、さほど気に掛けなかったアリサではあったが、昼時の空腹と相まって、次第に寿司が彼女の心をおかし始めた。


 今、目の前にない食べ物のことをそこまで強く連想させた要因は空腹以外にも存在していた。そのひとつは、アリサが食に対し元来アグレッシブだったことである。また寿司が彼女の好物であったこと、さらに彼女にとって今夜の夕飯情報が不確定で曖昧な情報だったことも、この時彼女の夕飯への想いを加熱させる要因になっていた。


 もっとも三点目に限っては、この場で母親に連絡を取り、今すぐ仔細まではっきりさせるのも可能なことだった。むしろ普段どうでもいいことをいちいち報告するなどして母と蜜に連絡を取り合っていた彼女からすれば、そうしないことの方が不思議だった。


 にもかかわらず、この時彼女は、情報を敢えてぼんやりとした状態に留め置き、一体どの寿司屋なのか、何時頃行くことになるのか、どのネタから食べるか、デザートなんかも置いてあるだろうかと夢想することを選んだのである。いや、選んだとは言え、これは明白な意志に基づく選択とは言えないのだろう。これは、渇望という名の調味料の効能を最大限に活かそうとする、彼女の食に対する本能の所業だった。

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