第16話 ろと、という子
「なー。ろと」
「なーにー?」
二人でノートパソコンの画面に向かいながら、マウスをかちこちやっている。
朝飯は食ったし。昼飯まではもう少しあるし。
手近なダンジョンの最深部あたりに直行して、二人狩りをやっていた。
あいつが物理で殴り専門。こっちの主な仕事は回復。SPに余裕があったら、DPSを上げるために、攻撃魔法をぶっ放したりもする。
もちろん本職の魔法使い《ウィザード》には、威力の面でも、コストの面でもかなわない。
俺も、ろとも、ゲームの操作は、ほとんど脊髄で行えるレベルになっているから、プレイ自体には、まったく頭は使用しない。
よって、会話の内容は、もっぱら日常的な話題となる。
やってるゲームの内容と、ぜんぜん無関係なことを話すことがある。
「なーにー?」
ろとが再び聞いてくる。
ああ、いまちょっと――操作をわずかにミスって、致命的に立て込んじゃっていて、そのリカバリーに必死で、会話に裂くリソースが揮発していた。
物理無双のろとのやつは、殴って殴って、ただ殴っていればいいけど。フォロー役のこっちは大変なんだぞ、と。
よし片付いた。
ええと? なんだっけ? なんの話をしようとしていたんだっけ?
「ああそうだ。思いだした」
――と口にしたとたん、またアクシデントが起こった。
しばらく忙しくなる。
「なーにー?」
数分もして、ようやく片付いた頃になって、ろとがまた言う。
あー! あー! あー!
俺はまた思いだした。すっかり忘れていたことを、また、思いだした。
ろと。すげーなー。よく覚えているなー。
こんどは話を忘れてしまわないように、MOBのいない安全地帯に移動して、そこで話す。
「おまえってさー」
「うん」
「四億円あてる前――。俺とこうやって暮らしはじめる前って、どうやって生きてたんだ?」
素朴な疑問だった。
一緒に暮らしはじめて感じた、ろとの頼りなさは、予想以上だった。
引きニートなのは知っていた。生活力皆無なことも知っていた。主食がコンビニ弁当であろうことも想定内だ。
しかし、
「ガッコ行ってたよ。一五歳のときまで」
「へー。高校か? 何年前だ?」
「けっこう前だよー」
なるほど。ろとは高校中退組なわけか。
「ああ。なるほど。この部屋って、その学校が近いわけか。――んで? んで?」
「ガッコやめたよー」
「まあ無理だろうな」
俺はうなずいた。ろとにまともなJKが務まるとは思えない。
「あとこれが最大の疑問なわけだが……」
俺は核心に踏みこんでゆくことにした。
ろとと暮らしはじめて、もう数週間。たった数週間であるが、これからもずっと暮らしてゆくのだろうと、確信もある。
だからそろそろ、プライベートなことも、聞いてもいいんじゃないかと思った。
「おまえ、どうやって暮らしていたん?」
「このお部屋で暮らしてたよー?」
「ああ。そういう意味じゃなくてだな……。4億円あてる前は、カネとか、どうしてたんだ?」
バイトをしていたようには思えない。たぶん、どんな仕事も務まらない。
「えっとね……? 賞金?」
「賞金? なんの?」
「んっとね……? なんか? 問題? それの答えを募集していたからー。それハガキに書いて送ったのー。ぼく。答えがすぐわかったから」
「ハガキ? 問題? なんだそれ? この文章のなかの○○に当てはまる言葉を書いて出す、とかいうやつ?」
「うん? そうなのかなー? 言葉じゃなくて数式だったよー」
ろとの言っているのは、たぶん、アレだ。きっとアレだ。
誰にでもわかるような簡単な「○○」を埋めさせて、ハガキに書いて送るあれだ。
その○○の部分には商品名や企業名を書かせるわけだ。ヒントも探すと同じ場所に書いてあったりする。
たとえば、こんなのだ――。
Q.皆が笑顔になるWINWIN小説は、「異世界○○○○繁盛記」。
「○○○○」の4文字をお答えください!
――とかいうアレだな。
クイズの体裁を取っているだけの懸賞だ。
「おまえ。じゃあやっぱり、くじで当てたのか」
4億円当てたのに、その前にも、なにか当てていたとは――。なんという運。
なるほど。懸賞金が手許にあったので、
まあ、表に出るのが苦手な、ろとはいえ――。歩いて数分のコンビニくらいまでは行ってこれるわけで。
お金さえあれば、なんとか一人暮らしをできるわけか。
「クジじゃないよー。六時間ぐらい、考えたよー」
「わはは。あんなの探せばどっかに答えが書いてあるだろ。なに六時間もかかってんだよー」
「そうなの? ぼく自分で考えちゃったー」
「賞金――いくらだったんだ?」
「えっとね――」
ろとが答える前に、俺は手を振って、質問を打ち消していた。
「――ああいいや、いいや。べつに聞いたって意味なし。どうせもう使い切っちゃったんだろ」
15歳当時から、何年経ったのかわからない。
ろとの年齢が二十歳そこそこだとして、少なくとも5年や6年になるのだろう。懸賞金なんて、どうせたいした額でないのだろうし、そんなに残っているはずもない。
だがまあ、いまは4億円があるわけで……。そっちがあるから、問題ない。
「まだすこし残ってるよー。最後に半分使って、Lotoくじ買ったんだよー」
なるほど。最後に一勝負に出て、まとめ買いをして、それで当てたわけか。
だとすると、ろとの言う――「4億円で年末ジャンボを買う」という案も、あながち悪い案では――。
いやいやいや! ないない!
だいたい年末ジャンボはもう買えない。発売期間は終わってしまった! ああよかった! ああセーフだ! ほうら! 買わなくて正解! 買えなくて大正解!
「あ。でもね。ぼくね。ぜんぶ答えたわけじゃないの。だから賞金。ぜんぶ貰えてないの。ぼくが解いたのって、〝答えは一つはあります〟ってことだけで、解がいくつあるかまでは、書かなかったの。だからその〝なんとか予想〟っていうの、まだ賞金残ってるんだよー」
ろとはなんか言ってる。
いつものことだが、だいたいにおいて意味不明。
しかし懸賞名も覚えていないとは……。
くっそかわいいなっ! ろと!
「ぼくが。解が一個はあることを証明したからー。いま世界中のみんなで、突撃中ー」
なにに突撃しているやら、さっぱり、わからん。
ろとの話は、いつものごとく支離滅裂だ。
くっそかわいいということだけはわかる。
「みんなから、大学きなさいって、言われたんだけどー。ぼく、表に出るの苦手だから、断っちゃったー」
ん? 高校きなさいじゃないのか? 中退したのは高校だろう。
ああ。大検でも取って大学行けという話か。
「ぼく。大学……、行ったほうがいいのかな? とれぼー、どう思う?」
ろとのやつに、そう聞かれた。
「うーん?」
俺は返事に困った。
一般的に大学というものは、就職するために行くものだと、相場が決まっている。
ごくまれに、非常に例外的に、学問とかをやりたくて通うやつもいるみたいだが……。そういうやつらは、卒業しないで、「院」とかに進むらしい。
ろとの場合は、大検を取って、大学に行くって話になるのか?
でも「就職」のために学校に行く必要は、俺たちには、もうないわけで……。
「おまえ? 勉強、したいのか?」
「うーん……? べつに」
ろとは小首を傾げる。腕組みをする。
俺とおなじポーズを取っているのだと気づいて――くっそかわいいなぁ、もう。
「ぼく。言ったんだー。賞金がほしかったから問題といたんで、べつに〝算数〟は興味ないってー。でも誘われるのー」
「じゃあ、べつに、やらなくていいんじゃないか?」
算数かっ! そこ数学っていわないんだ!
「そだねー。それに学校に行ったらー。とれぼーといる時間が減っちゃうもんねー」
ろとはそんなことを言った。
思わぬ不意打ちに、俺はちょっと困った。
ノートパソコンに顔を伏せて、向こうからは見えないようにさせて――。
「ほれ。狩りの続き。するぞっ」
「うん!」
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