第13話 ごはんのしたく

「や、やるぞ……」


 包丁を構えて――俺は、言う。


「う、うんっ! いいよっ!」


 俺のうしろから、しっかりしがみついてきて――ろとは言う。


「よ、よしっ……」


 俺は包丁を、〝そいつ〟に向けた。〝そいつ〟の喉元に、包丁を……。


「う、うわー! だめだーっ!」


 俺は叫んだ。

 心が折れた。


「とれぼー。がんばって。とれぼー! ぼく応援してるよー!」


 ろとは応援している。応援だけをしている。

 俺は包丁を向けた〝そいつ〟


「だめだー! 死んだ魚のような目を! 俺に向けるなー!」


 まな板のうえに横たわった〝そいつ〟は、死してなお、俺を威嚇していた。


「とれぼー! がんばってとれぼー! がんばって、お昼ごはんは、おサカナ、たべよー?」

「う、うむっ……」


 俺はまな板の上のサカナに向かいあった。

 この目が……。目がこわい……。

 死んだ魚のような目が、ぎろりと俺のことを睨んできているようで……。

 いや。死んだ魚なのだから、死んだ魚のような目をしているのは、ある意味、当然なのだが……。


 ろとのやつが、「シャケの切り身」はあの形のままで海の中を泳いでいる――なんてカワイイことを言いだすものだから、俺は「本物の魚」を食わしてやろうと思った。

 そしてスーパーで丸ごとの魚を一匹買ってきた。

 「サンマ」は一本一本が長くて、どうやって焼くのか見当もつかなかった。短いサンマはないのかなと探したら、どうもロングサイズしかないらしい。

 そこで「アジ」を買った。二匹買った。


 焼きかたをネットで調べてみたら、どうも、腹をかっさばいて、「ハラワタ」なるものを取らねばならないらしい。

 初心者にはハードモードすぎた。


 あの死んだ魚の目が……。濁った目が……。俺をにらんでいる。にらんでいるよう。


「にいさん、これから食うんですかい? わいのこと、食うんですかい?」


「うっわ! ばかおまえ! 変なナレーションいれるなっ!!」


 俺は、ろとに叫んだ。

 いまのは、ろとが小声でアテレコしたナレーションだ。

 死んだアジ目線の言葉であった。


「だってだってー? きっといま、あのおサカナさん、そう考えてるよー?」

「考えてない!! 死んでるんだから!! 考えるはずがない!!」


 俺は言った。断固として主張した。


「だってー、だって、だってー」


 ろとはいやいやをする。

 いやいやをしたいのは、俺のほうだ。


「さ、サカナは――サカナは俺が始末する! だからおまえは味噌汁を作れっ!」

「う、うんっ! か、貝さんたち入れて、水入れてっ! 火にかけるだけだよねっ!」

「ああっ! それでいい! それでいいはずだ! YouTube様も教えてgoo様もそれでいいって言ってる!」


〝本物の魚〟だけでなく、〝本物の味噌汁〟も飲ませてやろうと、俺は今日の昼飯用に、〝貝〟も買ってきていたのだった。

 貝にも色々あって迷った。〝アサリ〟と〝シジミ〟と〝ハマグリ〟と〝ホンビノス〟というのがあって、見慣れた味噌汁に入っていたのは、アサリだったかシジミだったか……。

 アサリを買ってきた。たぶん正解だったと思う。


「火、火ぃ、ひい、ひいひい……」


 ろとは、ひいひい言いながら、ガスコンロの火を着けた。


 水を張った鍋がガスコンロの火にかけられている。

 俺はまだ〝あいつ〟とにらめっこをしている。

 だから俺を見るな……。

 死んだ魚のような目を俺に向けるなーっ!


 貝を入れた鍋は、コンロの上で、だんだんと温まってゆく。


「あついよー、あいつよー、たすけてー」


 ろとがまたナレーション。貝の気持ちの代弁者をやる。


「だーら! やめろっつーの!」


「だってきっと、貝さんたち、あついって思ってるよー? おサカナさんは死んでるけど。貝さん。これ、生きてるよね? 生きてるよねーっ! あついよー、あついよー!」


「思っているかもしれないがッ! これは仕方のないことなんだッ! 俺たちは昼飯を食わねばならないッ! だからこいつらには! 死んでもらわねばならないッ!!」


 そう。これは仕方のないことなんだ。

 食事をするということは、命をいただくということなんだ。


 俺たちが見守るまえで……、鍋の中で……、貝は、ぱくっと、口を開いた。


「さよならです……」


 ろとのやつが、また、ナレーションをいれる。

 俺たちは合掌をして、貝たちのご冥福をお祈りした。


    ◇


 アサリの味噌汁は、うまかった。

 アジの焼き魚も、うまかった。


 おいしゅうございました。


 アジの〝ハラワタ〟を取るのは、俺には無理だったので……。

 えいっ、とばかりに、焼き網に放って、そのまんま、ごーっと火葬……じゃなくて、中火でよく焼いた。


 あとで調べたら、サカナを焼くとき、ハラワタは、取っても取らなくてもいいそうだ。サンマなどだと、内臓を好んで食べる人もいるぐらいだそうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る