第12話 ゾーマ
「いやー。やっぱ人生、このときのためにあるって感じよねーっ!!」
んごきゅ。んごきゅ。んごきゅ。
ぷっはー!!
美女が喉を動かして、エビス金缶を飲み干す。
500ミリリットルのロング缶は、いまの一撃で、半分以上、消えたに違いない。
彼女は缶ビールを1ダースも持ってきていた。酒盛りでもやるつもりか?
――と思っていた。酒なんて、俺もろともゾーマもやらないのに。
その謎が解明された。
ひとりで全部飲むつもりなのだ。
「ささ。ロト殿。トレボー殿。このあたりがいい煮え加減となっておりますぞ」
そう言ってくるのは「ゾーマ」。
笑う怪物。神聖王。聖者の仮面を被った邪神。――などなど。様々な〝二つ名〟を意のままにした、超高レベルプレイヤーである。だが正体は、俺や、ろとの二回り上くらいの年齢の、単なる気のいいオッサンで……。
いま彼は、コタツの上の鍋を完全に掌握しているところだった。
いわゆる〝鍋奉行〟というやつだ。
エプロン姿がひどく似合っている。
彼、ゾーマは、ビール漬けになっている美女――ワードナーが携帯電話ごしの召還呪文で呼び出された。
ワードナーと出会ったのは、今日の昼間だった。
彼女のほうも出勤途中だったらしく、うちにやってきたのは、夜になってからだった。
ゾーマは「三秒で召還する!」とか言っていたが、それはさすがに無理で、夕方になってからの来訪となった。
背広とネクタイ姿の、四十がらみの穏やかな笑顔の男性を訪問を受けたときには、ちょっとビビったものだったが……。
だが話せば、それは長年、弱小ギルドで苦楽をともにした友人同士――。昔のように打ち解けるまで、それほどの時間は必要ではなさそうだ。
「ささ。ロト殿。トレボー殿。いい感じに煮えておりますぞ」
ゾーマは、ニコニコと、仏の笑顔をうかべて、器を要求。
「ああ。いえ。だいじょうぶですから。そこまでしてくれなくても……」
相手は、父親――とまではいかなくても、だいぶ年長の人。
しかも今夜の夕飯は、鍋持参、食材持参、カセットコンロまで持参ときている。
「ぎゃはははは。なに敬語つかってんのよー。おっかしー」
酔っ払いがビール片手に、ゾーマにしなだれかかって、ぺちぺち、と、頭を叩いている。
ワードナーから見ても、一回りは年上のはずだが。頭をぺちぺちと遠慮なしに叩いている。
そんなことをされても、ゾーマの仏の笑顔は変わらない。
二人は、ずいぶん前から知りあいのようだったが……。どのくらいの仲なのか、まだよくわからない。
「そうですよ。トレボー殿は我らがギルドのリーダーではないですか。遠慮することはありません。これまで通りに話してくださって構わないのですよ」
「いやー……、そう言われてもー」
たしかにゲームのなかでは、呼び捨てかつ、タメ語で、やっていた。「おいゾーマ。まーた新人いじめてんじゃねえぞ。ビビって帰っちまったろー」「いえおかしいですね。私はなにも威した覚えなんてないのですが」とか、やりあっていた。
自分とおんなじぐらいの年齢だと思ったさー。喋りかたが、ちょっと独特なだけの……。
リアルで出会ったゾーマは、リアルの人柄も、ゲームの中とまったく同じだった。
聖者の笑顔と、丁寧すぎるほどの口調。
……まあ、それをいったら、ワードナーのほうもゲームの中と、まったく同じなわけだが……。
美貌とエロ服装の趣味と、あちこちオープンそうな性格と。
ほんと。ワードナーとゾーマって、どんな関係なんだろ?
まさかそういう関係じゃないだろうな?
「ささ。いい煮え加減ですぞ」
ゾーマは言う。
「いやいや。いいって。いいって。自分でやるって」
俺はなんとか口調だけは元に戻した。
だがなにからなにまで、甘えるわけにもいかない。
「トレボー殿。……私はこの世で我慢のならないものが二つあります」
ゾーマの雰囲気が、ふっと変化した。
「そ……、その二つ……、とは?」
俺はごくりと固唾を飲んで、そう聞いた。
「煮えすぎてしまった鍋と、他人が仕切る鍋――この二つです」
「ああ! いただきます! はい! よそってください! ほら――ろと! おまえもゾーマによそってもらえー。鍋おいしいぞー。鍋」
「この肉。いい肉よねー。うまいわねー。ゾーマ。でかしたっ」
「お褒めに預かり光栄です」
「ゾーマ。おかわり! ――あー。ろとちゃん。冷蔵庫からビール取ってきてー」
「おまえはすこしは自分で動け。あと、ろとを使うな」
「なに、ろとは俺のもんだから勝手に使うなってェー? ――えっひゃっひゃ!」
「ちがうわ」
「ぼく、できるよー。はい、びーる。……あけていい?」
「やめろ!」
「開けて開けて開けちゃってー!」
「はーい」
ぷしゅうううう! と噴き出した。泡が泡が泡が!
美女が泡まみれ。胸元にたっぷりかかって、赤い髪にまでかかっている。
「あははははは! やっべー! ぶっかけられちゃったわー! 白いの!」
美女はケタケタと笑っている。こいつはオープンエロな人。
この手のことをいつも口走っていたから、中身は、絶対、オッサンなのだと思ってた。
「あれー?」
ろとは、ビール缶を手に、ぽかーんとした顔。
「おまえ振ってきたろ!? ビールぜったい振ってきたろ!? いいからはやくフキン持ってこい! ふきん!」
「ああ。いいからいいから気にしないでー」
とか言って、ワードナーのやつは、ビールまみれになってしまった服を――。
くるんと頭から脱ぎ去った。
「うわ! なにやってんの! なに脱いでんのおまえ!」
真っ赤なブラが目に焼き付く。F99は伊達ではなかった。
「えー? べつにゾーマしかいないでしょー」
「俺がいる!」
「あー。そっかー」
ワードナーは、面倒くさそうに、ぽりぽりと頭をかいた。
「……勃っちゃう?」
「勃つかーっ!!」
俺は叫んだ。
こんなふうなノリを、ギルドにいたときにも、よくやっていたような気がする。
「ねー。とれぼー。へんだよー? なに、おこってるのー? たつって、なにがー? ぼくビールやっちゃったの、おこってる?」
「怒ってない怒ってない。わからないならわからなくていい。あと、なんか、服。このオープン痴女になんか服、持ってきてやれ。スウェットあったろ。あと洗濯機すぐに回してやれ」
「うん。わかったー」
ろとは、とてとてとてと、歩いていった。
「ねえ。――ろとに、洗濯機、回させていいの?」
「そうだったー!」
ワードナーに言われて、俺は立ち上がった。
ろとは洗濯機をうまく使えないのだ。台所洗剤をぶち込もうとする。すると泡だらけになってしまう。
ほんとにこいつ。これまでどうやって生きてきたのやら。
そして俺が、もうひとつ心配だったのは――。鍋奉行。邪神官ゾーマだった。
鍋にビールが入っていた。それ以来、ずっと無言だ。
せっかくの鍋を台無しにされて、穏やかな仏の笑顔のその下に、いったいどんな邪神の顔が現れているのやら――。
「おお。すき焼きにビールですか。通ですね。それは〝次元風すき焼き〟といいましてね。その筋の者には、大変、有名な――」
鍋邪神は怒っていないようだった。
六畳一間の夜は、にぎやかに更けていった。
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