第8話 おーばーふろー
「じゃあ。言うぞ?」
俺はろとに言う。
ろとのやつは、手をぎゅっと握りしめて、真面目な顔。
「今日はまずいつものステーションモールに行くだろ。一階でただコーヒーを満喫したあとは、てんやのにおいをかぎながらタイヤキ眺めつつ、ミスドもスルーして、最初に買うのが俺のまくらだ。そしたら手芸屋覗いて針と糸と布のはぎれと、手芸の本を買う。これはおまえのどてらの穴を直すため。――ここまではいいな?」
「え? えうっ? えっと――、えっと……、コーヒー、てんや、タイヤキ、スルー、とれぼーのまくら。針、糸……、う、うん、いいよっ」
ろとのやつは、一生懸命、指を折って数えて憶えようとしている。
「そしたら三階の本屋に行って各自、自由行動。おこずかいは2000円ずつ。好きな本を買ってもいいし、買わないで貯めておいたっていい。そしたら次のときには、2000円プラス貯めておいたぶんになるからな。そのあとフードコートで飯を食う。飯を食ったら二階に戻る。おまえの足が寒そうだからニーソでも探そう。誓っていうが俺の趣味とかじゃないからな。俺は絶対領域なんて本当にどうでもいいんだ。そのあとは、こんどは空中歩道渡って家電屋にいく。トイレの電球買わないと切れたままだし。どうせならLED電球がいいな。イニシャルコストは高くなるが、LEDだと切れたりしなくて長持ちするらしい。ひょっとしたら今後一生買い換えなくて済むかもしれないぞ。すごいぞ。あっちの西館にはアウトドアの店もあるからな。タウンジャケットのいいのがあるか見てこよう。最近寒くなってきたしな。俺もなにか一枚ほしくてな。だが今日は買わん。値段と質のチェックだけだ。あくまで物を見て検討するためだからな」
ろとのやつは、目を見開いて、口を半開き、舌もだらりと出ていて、すっかりパニックになっている。
俺はまだまだモリモリとプランを口にしてゆく。
「家電屋出たら、おまえの好きなワンコのところによろう。だが当然見るだけだ。買わんぞ。飼えんし。そのあとは、そうだな。おまえのもんで必要なのは手袋とかだな。百円ショップで毛糸の手袋でも探そう。おまえのちっちゃいお手々に合うような、ぐーって伸びるようなやつ。百円ショップであと買うのは、台所のスポンジ、スレンレスたわし、洗剤とか。レンジフードのフィルターカバーも買っとかないとな。最近自炊するようになったしな。あと包丁が切れねーから、なんか、研ぐやつ。これも百円ショップで売ってるだろ」
ろとのやつの両手の指は、すっかり開ききって――もうとっくにパニックの真っ最中。
俺は、にこにこしながら、ろとに聞いた。
「――はい。じゃあ最初から、言ってみてくれ」
「え、えっと――、ええっと――、とれぼーの……。まくら」
一生懸命に思いだして、ろとは言う。
おいおい。
なんかずいぶん揮発してるぞ。
コーヒーとてんやとタイヤキとドーナツはどうしたんだ?
俺は、にこにこしながら、ろとに言う。
「それから?」
「えっと……、えっと……。ぱーかー?」
「パーカーは、買わんぞ」
「えっとね。パーカーみたいなやつ。たうん……、なんとかの、じゃけっと?」
「パーカーとタウンジャケットは違うものだが。――まあ。上着繋がりではあるな。わりと正解だな」
「そっかぁ」
俺が褒めると、ろとのやつは、にぱっと笑った。
「あとは?」
俺がにこにこと笑顔で聞くと、「え?」……と、固まった。
「なんだ憶えていないのか。じゃあもういちどはじめから言うぞ? こんどはちゃんと聞いてろよ」
「う、うんっ! ぼくがんばる!」
両手をぎゅっと握りしめて、ろとのやつは、真剣な顔。
俺はまた最初から繰り返した。
同じ内容を言うが、こんどはさっきとちがって途中で止めずにノンストップ。難易度を一段階引き上げる。
すべて言い終えてから、俺は――。
「……はい。じゃあ、最初に買うのは、なんだったっけ?」
「え……、っと。えっとえっと。……とれぼーの。まくら」
またそこか。無料コーヒーと、てんやとタイヤキとドーナツはどうした。
タイヤキとドーナツのところでは、毎回、ごくりと唾を飲みこんでいたくせに、もう忘れてしまったのか。
「つぎは?」
「……えーっと。……えーっと。とれぼーの……、じゃけっと?」
「それは? 買うのか?」
「えっと……。かうの」
「ぶぶー。はずれー。買わないで見るだけ。そのうち買うかもしれないが、それは今日じゃない。いっぺん帰って、何日か考えて頭を冷まして、それでも買おうと思ったものが、必要な物だって、おしえたろ?」
「でもとれぼー。ジャケット。あったほうがいいよ。さむいよ?」
「うーん……。まあ。それはそうなんだが」
俺は腕組みをして、考えた。最近、すっかり冷えこんできた。
けど高いんだよなー。ほとんど家から出ないし。ろとと二人の引きこもり生活だし。外に出るっていったって、最低限の物資の買い出しぐらいだし。近所のコンビニまでか、バス停で待つ間と、バス停で降りてから玄関までのあいだだけだし。
「ああ。いやまあ。それはいいんだ」
俺は言った。
「問題は、おまえがぜんぜん憶えていないということだな。先生はかなしいぞー。先生がこんなに親身になって、おまえのために買い物プランを立てているのだが。おまえはぜんぜん憶えてないんだー」
本日の俺たちのじゃれあいは、オーバーフローごっこだった。
ろとにいっぱい言うと、言った端からこぼれていってしまうのだ。
だいたい三つをこえると、最初の一個が揮発してしまう。
憶えきれないならメモを取る――という文明的手法を、ろとがいつ自力で編み出すのか。俺は試しているのだった。
うん。そう。試している。遊んでいない。
ろと、かわいいなぁ、ろと。――とか、愛でてもいない。
「せんせー。かなしいぞー」
「でもね。でもね。ぼくね。だいじなことは、ぜんぶ憶えているよー」
ろとは言う。
「だいじなことって、なんだ」
「えとね。とれぼーのまくらでしょ。とれぼーの、じゃけっと? とかいうのでしょ」
「それは買うのか? 見るだけか?」
「買ってあげたいよー」
「ほら。またちがう。ぜんぜん憶えてないし。買うんじゃなくて見るだけって、たったいま言ったろ。あと、それぜんぶ俺のじゃん。他の買い物とか、おまえのこととか、ぜんぶ忘れててるじゃん」
「だから、だいじなことだよー」
「あ……?」
俺は、気がついてしまった。
ろとの言う「だいじなこと」とは、ぜんぶ、俺の買い物で……。
憶えきれなくても、がんばって憶えていたのは、すべて、俺の買い物で……。
あー……。
いやー……。
そのー……。つまりー……。
あそんで、ごめんな?
おーばーふろーゴッコで、ごめんな。
俺はろとの頭を、なでなでとやった。
ろとは、「???」と、わけがわからない、という顔をしていたが――。頭を撫でられて、とりあえず、しっぽを振っていた。
いや。しっぽはないけど。
◇
本日の出費。
トレボーのまくら。4980円。
手芸用品。2280円。
本代。4000円。
ニーソ3足。1000円。
LED電球。1280円。
ろとの手袋。108円。
台所用品。432円。
とれぼーのジャケット(結局買った)。12800円
タイヤキ。ドーナツ。(おねだりされた)。1280円。
合計。28160円
現在の俺たちの、財産残り――。
3億9975万1159円。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます