第5話 永久就職準備中

 電話が鳴った。


 相手の名前をみて、俺は、ああそっか、と思い出しつつ、電話に出た。


「あー。俺です。あー。はい。すいません。でも俺辞めますんで。え? いやマジです。本当です。冗談でもないです。え? いやそんな謝らなくていいです。いえそんな昔のこととか、ほんと、いまもうどうでもいいです。だいたい今回無断欠勤したのはこっちですし。謝るべきなのはこっちですし。そちらに謝る理由はないんじゃないんですかね。仕事の労働条件や、店長の日頃からの態度その他には、まあ、いろいろ言いたいことはありましたけど。でももうべつにもうどうだっていいです。辞めるので関係ありません。え? 今月の給料をはらわねーぞ? はあどうぞおかまいなく。労働基準法的には、俺にはもらう権利があるんですけど。べつに払わなくたっていいですから。じゃあそういうことで。もうかけてこないでくださいよ」


 俺は電話を切った。

 これが固定電話の受話器なら、ガチャンとやっていたところだが――。

 赤ボタンをタッチして、ぷつんと切った。


 何事もなかったかのように、ノートパソコンに向かう。

 ろとのノートパソコン一つきりしかなかったので、俺用に一台を買った。


 もちろん、四億円あるからといって、新品の高級品などを買ったりはしない。

 ヤフオクで型遅れの中古を安さを基準にして選んだ。これがなんと即決14800円。最近、なんか安くね?

 それでもWINDOWS10は入ってるし、俺たちのネトゲだって満足に動く。


 俺がOpenOfficeの画面に戻って、まったく平静に、まったく普通に過ごしていると……。


「とれぼー、すごいよねー」


 ろとのやつが、そう言ってきた。


 ふっ……。

 まあ。そうだろうな。


 ろとにも、さすがに、あれが仕事を辞めた電話だということはわかったはず。

 仕事を辞めてきたときの、俺のクールさをみろ。クレバーさをみろ。


 いってやった、いってやった、いってやったー。いぇい♪


 あー。すっきりしたー。

 やっぱ〝余裕〟があるっていいわー。


 まあいま4億円――正確には、3億9990万6678円の〝余裕〟があるだけであって、そんなもん本腰を入れて浪費をはじめたら、溶かすのは一瞬だ。

 浪費を防ぐために、俺はこいつのとこに永久就職したわけで……。俺がしっかり、サイフの紐を引き締めていなければ……。


 だから、ろと。

 俺のことを、そんな目で見てたって、なんにも出ないぜ?

 無人島もヨットもヒコーキも、なしだ。


「すごいねー。とれぼー。ほかの人と、あんなにたくさん話せてー」


 うおい。

 そこかい。


 こいつの底辺さに、目まいを覚えた。


 俺のこと、きらきらした目で見てくるから、てっきり俺のタフでクールなネゴシエート技術にまいっちゃって、やばい俺に惚れちゃった? ――とか思っていたが。


 感心していたのは、単に電話で長いこと他人と話していたってところかよ。

 おまえどんだけ低いところにいるわけ?


 やっぱこいつは、俺が守ってやらなきゃなー、と思った。


 思いだせば、はじめてゲームの中でこいつと出会ったときにも、うろちょろしていて危なっかしいと思った。


 もっとも人通りの多い中央広場で、ひげ面のオッサンが、右も左もわからなくて、ぷるぷるしていた。

 あの頃は俺たちのゲームも、すごい人がいた。

 処理落ちさせないためにパソコンを買い換えなければならないほどだ。

 まあ、いまじゃ、型遅れのノートパソコンでも超余裕だけどな。人もいないし。


 ハーフエルフ15歳の美少女の俺は、そんなオッサンに一から教えてやったわけだ。マニュアルを読めばわかることから、まとめWikiを調べりゃわかるようなことも、どこの攻略サイトにものっていない裏情報まで、ぜんぶ教えてやった。


 なんでそんなに面倒を見ていたのか?


 なんか、女みたいに、なよなよとしゃべるオッサン(おそらく30代引きニート)が、妙に味のあるキャラで、気に入ってしまったというのが、その理由だったのだが……。


 しかし、中身が美少女(残念)とわかっていたら、同じように接していられただろうか? どうだろう? たぶん変わらなかったと思うのだが……。

 自信は、そんなにない。


「とれぼーは、いま、なにやってるのー?」

「んー。計算」


 正確にいうと、俺の給与計算だった。

 ろとの財産管理を〝生業〟にするとして、それは月給に換算して、いかほどが適正か?

 それは俺がバイトしなくて済むような額となるのか?

 明細からひとつひとつ積み上げていかねばならない。ネットで調べていろいろと参考にした。税理士あたりの仕事がいちばん近い業種だ。


 不正とか、馴れ合いとかはしたくなかった。

 ろとを騙すのは、赤子の手をひねるよりも簡単なことだ。今後、広辞苑には、「赤子の手を捻る」のかわりに「ろとの手を捻る」と記述するべきだ。

 簡単すきるから――やらない。つまんない。きちんとやる。正確にやる。

 もし算出した俺の月給の額が、金額的に足りないようであれば、ろとはともかく、俺のほうはバイトを探さなければならないかも……?


「とれぼーは、なんの計算をしてるのー?」

「難しいやつ」


 ろとの手には余るな。こいつに俺の給与を決めさせたら、「じゃあ、半分こ!」とかいって、世界の半分を差し出してくるに決まってる。


「そっかー。計算かー。たいへんだねー。むずかしいねー。がんばってねー」」


 ろとはしばらく静かになった。

 ……が、沈黙は30秒も続かない。


「ねー。ぼくはねー。ぼくはねー。なにやってると思うー? ……ね? 知りたい? 知りたいー?」


 なにしろ俺は功夫くんふーを積んでいるので、この程度のことで、イラついたりはしない。

 ろとは、こーゆー生き物なのだと、もう何年にも渡り学習を積み重ねている。


「とれぼーがねー、しりたいって、いったらー、教えてあげるー」

「知りたかねーよ」


 俺は冷たくそう言った。

 長年の功夫を積んだ俺だからこそ、ここまで寛容に耐えられたのだ。

 人類の中でも俺くらいなものだ。


「とれぼー、ひどーい」


 ひどくない。これでも人類で一番だ。


 まあ……。

 じつは……。

 マウスクリックの、かちこち音のリズムで、あいつが、なにをやっているのかは、とっくにわかっていた。


 羊だな。

 毛を刈っているわけだな。


「糸なら、商業区で売れ。服まで仕立てるなら、漁業区のほうが空いてるぞ」

「あっ。そうなんだー」


 ろとは言った。

 かちかち音が変わった。

 売りに行っているのだとわかる。


「ねー。とれぼー」

「なんだよ?」


 俺はまた邪険な声をだした。

 こんどはなんだ?

 ったくもー。しょうがないなー。

 こいつはー。

 まったくー。もー。


「とれぼーって、すごいねー」


 うん? ……ああ。……まあな。

 俺ぐらい、おまえのことを理解しているやつは、いないと思うぜ?

 人類じゃ一番だ。

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