第3話 服

 かちこち。かちこち。


 マウスの音が聞こえる。


「ねー。とれぼー。ひとりじゃ、これ、きついんだけどー」

「いま忙しいから。あとでな」

「あとって、いつー?」

「じゃあ、剣じゃなくてハンマー使え。特効3倍だ」

「あー。すごいすごーい」


 かちこち。かちこち。


「ねー。とれぼー。山ウシの肉。買い取り枠がぜんぜん空いてないんだけどー」

「ああ。どうせカケルのやつが、まーた市場破壊してるんだろ。魔法都市のほう行ってみろ」

「うん。そうするー」


 かちこち。かちこち。


「売れたよー」

「いちいち報告せんでいい」


 かちこち。かちこち。


「ねー。とれぼー」

「なんだよ?」


 俺は邪険な声をだした。

 一人でネトゲぐらいできんのか。ニュービーじゃあるまいし、何年やってんだよおまえ、そのゲーム?


「とれぼー。いつもありがとうねー」


 俺は汚れている自分を反省した。


 かちこち。かちこち。


「くじ引き券も、いっぱい、もらったよー」

「そうか。よかったな」

「くじ引きー。ひくよー」

「ひけよ」


 俺はいつものように、つっけんどんに返した。

 さっきの反省を踏まえて、つっけんどんではあるが、邪険にはしない。


「とれぼーは、なにやってるのー?」

「金策」

「おかねなら、いっぱあるよー。4億円だよー」

「ちがうな。もう3億9999万7680円だな。昨日のピザの出前で、2320円使ったからな」

「とれぼー。こまかーい」


 おまえが大雑把すぎるんだろ。

 こいつに全権渡したら、夕方までにSNSゲーのガチャで、とろかしてしまいかねない。

 いや。〝かねない〟ではない。それは確定された未来だ。とろかす。絶対にやる。


 ガチャで全額とろかすくらいなら、まだしも、無人島でも買ったほうがマシなくらいだ。すくなくとも使い道のない無人島だけは残る。


 俺がやっているのは、正確に言えば、金策ではなく、資産運用の資産と計算だ。

 べつに4億円を元手に増やそうとかいう話ではない。

 株でもFXでも不動産でも、どんな投資であろうとも、素人が手を出して勝てるはずがない。そこを錯覚するから、大損こくやつらが後をたたないのだ。

 たしかに玄人はたしかに利益をあげているのだろう。だがそれらの「儲け」は、すべて、勘違いした素人が生贄となって貢いだ「損失」だ。プラマイすれば、ぴたりと帳尻はあうわけだ。


 俺は自分が投資に手を出して、勝てる側に回れると思いこむほど馬鹿ではないつもりだ。

 だいたい、これは、ろとの金だ。


 俺が探しているのは、たとえば、元本保証型の金融商品などだ。

 たとえば、定期預金に突っこんでおいて、5年ないしは10年の短期で、利息を頂く。

 その利息分だけで生活できるのであれば、4億円は、そのまま手つかずで残るわけだ。


 なんか、そういう道はねえもんかなー、と探しているのだった。


 国債? うーん。いまいちなんだよなー。償却までが長すぎんのと、あと、手堅いとか思われているようなんだけど、国がデフォルトしやがったらどうすんだ?

 まあ、デフォルトなんか起きたら、日本円自体が紙切れと化してしまうから、考えてもしょうがないんだけど。


 やっぱ、定期預金系か。


「うーん……。まともな銀行系だと、金利0.3%あたりまでかー。4億預けても、毎年120万円かー」

「なんの話ー?」

「おい。ろと。おまえ。120万円で暮らしていけるか?」

「毎日、ごちそう食べれるねー」

「ばか。月120万じゃねえよ。年120万だよ」

「ぼく。食べなくていいから。とれぼー、食べてー」

「だよなー」


 餓死する。余裕で死ねる。

 ちょいと無理。

 誰だよ? 月6万、年72万の、国民年金なんぞで、生活できるとか、ほざいていたやつは。政治家か。


「やっぱ、すこしずつは、切り崩してゆくしかないかー」


 俺はノートパソコンの仲の、OpenOfficeの画面を見ながら、むずかしい顔になっていた。


「ねー。とれぼー。……ぼく、買いたい物あるんだけど。……いい?」

「………」


 俺が無言でいると、ろとは、遠慮しがちな声で――言ってきた。


「……あのね。これね。必要なものだと……、思うんだ」


「島とか。買わねえぞ?」

「島じゃないよー」

「ヨットも飛行機もなしだ」

「ちがうよー」

「ガチャも回すなよ」

「スマホ、もってないよー」


「じゃあ……、なんだよ?」

「おこらない?」

「おこらないから、言えよ?」

「ほんとにほんとにおこらない?」

「言わねーと、おこる」


「うう……。とれぼーが、おこってるー」


 ろとが、へこんでしまった。

 そんな怒ったような顔をしていたか? 俺は?


「あー。わかったわかった」


 俺は、ぱたりとノートパソコンを閉じた。

 金策のことは、またこんどにすることにする。


「なんだ? 買いたいものって?」

「うーんとね……、うーんとね……」


 ろとのやつは、もじもじとやっている。


「なんだ?」


「えっと……、えっと……、あのね?」


 ろとのやつは、なかなか話さない。


 うざい。


 ――とは、思わなかった。


 ひげ面のおっさんの「もじもじ」にも、何年ものあいだ、耐え抜いた俺である。

 外見|(だけは)美少女であるなら、なおさら問題はない。


「あのね……、えっとね……、服、……とかっ」

「服?」

「ゲームのなかのじゃないよ? 服なんて役にたたないよ。外見変わるだけだから、無駄づかいしないよ」

「現実の服だって、外見変わるだけだろが」

「うん……そだね」


 ああ。またやってしまった。


「いやいやいや。ああ。服な。まあ。服だな。それはまあ、たしかに、必要なものかもしれないな」


 コタツにすっぽりとはまっている、ろとの、頭から体から女の子座りして、ぴょこんと外に出ている足先までを見る。

 花柄のどてら。10年物のビンテージ・ジャージ(ダメージド)。穴のあいて指先の出ている靴下。

 ちょぉぉ~っと、残念すぎる格好だ。

 服ぐらい、買ってもいいだろう。


「ほんと? そう思う」

「ああ」

「ほんとにほんとに、そう思う」

「ああ」


 功夫くんふーを積んだ俺であるから、「うっぜえ」などとは思わない。

 思ったりしない。しないったら。しない。


「ほんとにほんとにほんとにほんとっ?」


 うぜえ。

 あ。だめもう限界。つぎもういっぺんやったら、俺、ちゃぶ台ひっくり返しちゃう。

 らめー。


「とれぼーが、必要な出費だけにしろって言うから。ぼく。考えたんだよ」


 あー、よかったー。


「よしよし」


 俺は手を伸ばすと、ろとの頭を撫でてやった。

 こいつなりに、ちゃんと考えてくれていたわけだ。

 信じていたぞー。よしよし。


 俺がここに来てから、こいつは、毎日風呂に入っている。

 そのおかげで残念度が3ポイントくらい減っている。

 髪の毛は最初みたいにぺったりとしていなくて、洗い立てのさらさらだ。もふもふだ。

 そのおかげで美少女度は、3ポイントぐらい上がった。


「あれ? でも女の服って、いくらぐらいするんだ?」

「ぼくが知ってるわけ、ないよー」


 ないのか。


 何万かかる? 5万? 10万?

 ま、まあ……、必要な出費かな?


「じゃあ、買いに行くか」

「え?」


 俺がそう言うと、ろとは固まった。


「いや。服。買うんだろ? じゃあ買いにいかなきゃ」

「あ。う。うん。……そうなんだけど」


 もうやるなよ? やるなよ? もうやるなよ?

 功夫くんふーを積んだ俺でも、今日はもう一杯だぞ?


「……服、買いにいくときの服って、どこに売ってるのー?」


 ろとは、そう言った。


 どてらにジャージ、穴の空いた靴下、という、ろとの格好を、上から下まで見て――。


 あー……。


 そだね。


    ◇


 後日。

 近所のしまむらに、ろとと服を買いにいった。

 あれもこれもなにもかも買った。上から下からぱんつから靴下まで、すげえ買った。

 総計。5万3721円也――。


 現在の俺たちの財産。

 3億9994万3959円也――。


 仮に1年の生活費が400万であると仮定した場合――。

 俺たちが餓死するまで、あと、99.98年!

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