2-3

 サンザスリナ城には、予定より早く着いた。

 あちこち割れて雑草の生えまくった古い石畳の街道には、狼型の魔物ガルムなんかが出て、鋭い牙をむいて追いかけて来たんだけど、セレンが片手だけで火の魔法を放って焼き払い、残った奴は馬を全力で走らせ引き離して来たので、朝にザスの街を出て、昼前には城に着く事ができた。

 城門のそばには、シェリーの言っていた先に来ているという二人が乗って来たのだろう、馬が二頭繋がれている。あたしたちも馬から降りて、同じ場所に繋ぐと、城の入口へ近づいた。

 何十年も前に住む者のなくなった王城は、定期的に人が入っていたとはいえ、掃除をする訳でも、風雨にさらされて崩れかけた箇所を修復する訳でもない。古びたたたずまいは、まさに旧跡、という印象を与える。

「おい、これじゃないか、壊れた結界っていうのは?」

 あたしが城を見上げている間に、セレンが城壁の前でかがみこんで、何かを指差していた。

 歩み寄って見てみると、確かに。シェリーから預かったのと同じ石が等間隔で城の周りに置かれていて、その中の入口に程近い一個が粉々に砕けている。これで結界が壊れてしまったのか。

「直せばいいんだろ。石、くれよ」

 さっさと終わらせようとばかりにセレンが手を突き出すから、

「馬鹿」

 あたしはあいつに遠慮なく言ってやった。

「シェリーの言ってた事忘れたの? 城内に不審者がいないか確認してって言われたじゃない。それに今結界を再生しちゃったら、中にいるはずの二人のバウンサーが出られなくなっちゃうでしょ」

「ああ、そうか」

 やけに呑気にあいつはぽんと手を叩く。……本当に、しっかりしてるんだか抜けてるんだかわからない奴だ。

 とにかく、城内を探索して、先発隊にも合流したい。あたしたちは、半分外れかけて動かない扉の隙間をぎゅうぎゅう縫って、城の中へと入った。


 窓や崩れた壁の間から、外の陽の光は差し込んでくるが、それで城内の道を照らすには充分ではない。

 どこか手近な燭台を拝借して灯りをつけられないかと、あたりを見回していたら、セレンが二、三回、何かを試すように右手を振って。

「できた」

 ぽん、とその手の中に炎を生み出した。そのまますっと手を下ろす。あたりを明るく照らす炎は消える事なく宙に浮いたまま、あたしたちのまわりをふよふよと漂った。

「少し集中力が必要だけど、これならお互い手ぶらで動き回れるだろ」

「……ちょっと今素直にあんたをすごいと思った」

 正直、この当時のあたしは魔法に造詣が深くなかった。結構前にフェリオの店に来た自称敏腕魔道士のバウンサーに、

「君には魔法の素質がある!」

 と言われて、三百ディールで魔道書なんか買わされたけど、書いてある事が小難しくて、結局、本当に基礎中の基礎な知識以外はさっぱりだったのだ。

 でも、あいつのこなした芸当が、その自称以下略よりは遙かに上手なのだという事だけはよくわかった。

 灯りを頼りにあたりの様子をうかがう。床に目をやった時、埃がうずたかまっている中に、新しい足跡がいくつかある事に気づいた。

 ふたつは人間の靴の跡だけど、別のいくつかは……。

「これって、完璧に」

「人間以外の何か、だな」

 あたしたちは顔を見合わせ、うなずき合う。恐らく、侵入した何かを追って、二人のバウンサーも奥へ入って行ったんだろう。これを追えば無闇に城内をうろちょろしなくて済む、ってのはいいんだけど、場合によっては戦闘もあり得る。あたしは腰の長剣を鞘から抜き、セレンは例の柄だけの剣を取り出して、まだ刃は出さず、しかし油断なく手にしたまま、足跡を追って歩き出した。

 足跡は長い廊下を渡り、地下へと続いていた。陽の差し込まない地下では、セレンの生み出した炎の灯りだけが頼りだ。崩れかけた階段を、踏み外さないよう慎重に降りる。

 そして、降りきったところで、あたしたちは何者かの気配を感じて足を止めた。あたしは剣を構え、あいつは魔力の刃を作り出して、前方の闇を見すえる。すると。

「あれ? なんだ、人か?」

 暗闇の向こうで松明の灯りが揺らいだ。

「それとも、人間のふりしたシェイド、とかじゃないよな?」

「クロウさん、そう無闇に人を疑うのは失礼にあたると思いますわ」

 警戒の色を含んだ男の人の声と、やや呑気な、しかしどこか気品のある女の人の声。

 顔が見える距離まで相手がやって来た。栗色の長めの髪を無造作に束ねた、いかにも冒険者然とした、セレンよりいくつか年上だろう青年と、バウンサーを名乗るには浮き世離れしすぎた雰囲気を帯びる、肩口までの水色の髪を持つ女性。

「あの、あたしたち、シェリーに、ザス支店のシェリスタ・ハイランドに頼まれて、応援に来たんですが」

 あたしは剣を鞘に戻すと、ポーチからバウンサーカードを取り出して、二人に見せた。バウンサー同士が互いの身分を確認しあうには、これが一番手っ取り早いのだ。その事に感づいたらしいセレンが、慌てて魔力の刃を引っ込め真似をする。

 すると相手も警戒を解き、それぞれカードを取り出してみせた。

「俺はクロウ・セスタス」

 そう名乗った男の人のカードは、闇属性の黒。

「リサ・セリシアです」

 女の人のカードは、雰囲気に違わず水属性の水色だった。

「あたしはカラン・ミティア。こっちが」

「セレン・……リグアンサ」

 シェリーに言われた通り、セレンは真ん中の名前を伏せて名乗る。

 お互いにバウンサーである事を確認し終えたところで、クロウが、松明で通路の奥を示した。

「どうやら、結界を壊したのはただの魔物じゃないらしい。城内を迷う事無くこの道を進んで行ってる」

「この先に何かがあって、それを狙ってる、って考えるのが妥当か?」

 セレンの言葉にクロウはうなずいて、リサがあとを受け取る。

「ですが、ただの魔物にそんな知恵があるとは思えません。考えられるのは」

「影?」

 今度はあたしとセレンの声が重なり、クロウとリサが同時に首を縦に振った。

「一度奥まで行ってみたんだが、道が崩れて塞がっていて、俺たちには通れそうに無い」

 それで戻って来たところに、あたしたちが追いついた、って訳か。

「じゃあ、どこか別の道を探すしか……」

 言いながら足を踏み出した途端、ぴしり、と小さな音があたしの耳に届く。

 視線を下に向ける暇は無かった。

 足元の床にあっという間に亀裂が入り、あたしの身体は、崩れた瓦礫と一緒に落下を始めていた。

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