居合わせた二人
居場所が無かった。
学校にも、家にも、外の遊び場にも。
誰からも排除され、浮いていた俺はふらふらと当てもなく歩いていた。
元より誰からも必要とされていない人間。誰からもあてにされず、気にされず、まるで幽霊であるかのような扱いを受け続けていた。
湿気た空気が鼻につく。どんよりと鈍色の雲が空を覆っている。
側溝からドブの匂いが立ち上ってくる。雨の気配がにじり寄ってきている。
経験上、もうすぐ降ってくるのがわかっている。こういう時は。
ぽつり、ぽつりと雨粒がアスファルトを濡らしていく。
ほれみろと言わんばかりにすぐに雨の勢いは増していった。
傘も差さずにぬれねずみのまま路地裏を抜けると、今は誰も住んでいない借家があった。トタンの壁と屋根。今時こんな古臭い家があるのかと驚く。
ともかく今は雨を避けるのが先決。
どうやら鍵もかかっていないようなので、失礼する。
多少埃っぽいものの、家はまだ朽ち果てるとまでは行っておらず、ちょっと掃除すれば住めるくらいの保存状態だった。
玄関で靴を脱ぎ、居間に入る。
放置されたテーブルと座布団だけがそこにあった。
しかし居間だけは妙に綺麗で、なんというか人の気配がする。
もしかして誰かが居るのだろうか?
頭によぎった疑問はひとまず置いておいて、座布団を枕に寝転がった。
電気ももちろん通っていない。徐々に外は暗くなり、部屋もそれに伴って暗くなっていく。
俺は家に帰る気にはなれなかった。
元より家を空け放したまま何日も帰ってこない母、次々と変わるその彼氏。
親父が死んでからというもの、母はおかしくなってしまった。
厳格だったが優しい親父だった。しかし母はそれが不満だったらしい。
よく言っていたのは面白みのない人、という言葉。
だからなのか、反動で次の男は一見面白い奴ばかりを選ぶ。
しかしそれが間違いのもとで、大抵そういうチャラい男は色々とズボラだったり粗暴だったりする。俺も殴られたし、母も殴られた。
それでうんざりして別れても、また似たようなものを捕まえてくる。
救いようのない、馬鹿だ。
でもそんな馬鹿が俺の母親なんだと思うと、俺までうんざりする。
同じ血が流れてるんだから。
ぼうっと天井を眺めていた。
暗くて何も見えないかと思っていたけど、意外と暗さには目が慣れる。
ぬぼっと、いつの間にか俺を見下ろしている何かが居る事に気づいた。
「うおっ」
俺は勢いよく飛び上がって身構えた。
テーブルの向かい側に立っているそれは、首を傾げながらこっちを見ていた。
小さい女の子だ。少なくとも小学生くらいだろうか。
「……」
彼女は一言も発さない。
しかし俺の姿を見て、危害を加えないと思ったのかそのまま座ってしまった。
よくよく見ると彼女の座っている方には薄いながらも布団が敷いてある。
「住んでいるのか?」
俺の質問に、彼女はフルフルと首を振った。
住んでいるわけではないのか。
「じゃあ、何しにここに来ている?」
よく見ると、彼女は手提げの鞄を持っていた。
鞄から筆談用のメモボードを取り出して何かを書こうとしたところで、はたとペンを動かす手を止めた。
暗くて文字を書けない。
書いたとしてもそもそも暗くて読めない。
「ちょっと待ってろ」
俺はスマホの明かりを点ける。
手元が明るくなり、少なくともメモを取れるくらいにはなった。
サラサラとボードに文字を書く少女。
「ひなんしてきた」
避難。避難ね。
俺と同じなのかね、こいつは。
「なるほどね。俺も家とかから逃げてきたんだ。一緒だな」
少女は俺の言葉を聞いて、目を丸くした。
「ともかく、少し気がまぎれるまで居ていいか。疲れたんだ」
少女はもう俺には興味を失ったのか、布団に寝転がって寝息を立てていた。
寝るの速いな。
俺も座布団に頭を乗せ、寝る事にする。
何処かを彷徨うのも疲れた。ひとまずの休みが欲しかった。
それが例え一時の場所であろうとも、俺は安心して眠れるねぐらを求めていた。
間借りして済まないとは思うけど。
雨がやみ、トタンを打つ音が消えた頃に俺は目を覚ました。
朝焼けが始まる時間帯、すでに少女は居なかった。
もしかしたら少女は最初からいなかったのかもしれない。夢だったのかもしれない。薄い布団も無かった。
スマホの着信には母から一度だけ。留守電には何にもメッセージはない。
俺は鞄からスナックバーと水を取り出して齧り、飲んだ。
家に戻る気にもなれず、かといって学校に行く気にもなれず。
食べ物はまだある。水もまだ少しある。
なくなるまでここに居るか。
そう思っていると、いつの間にか少女が俺の背後に立っている。
喋らない彼女は、薄く笑いをたたえている。
「お前はどうするんだ?」
俺が尋ねると、少女は首を振った。
この子も帰らない、帰れないのだろうか。
「じゃあ、まだ居るのか」
そして彼女は映らない壊れたテレビの前に座った。
鞄の中から文庫本を取り出して、読書に耽っている。
俺も暇つぶしにスマホで下らないサイトを見ていた。
太陽が昇り、昼が来る。
常に薄暗く日陰にあるこの家は、今の季節でさえ太陽が昇ってもそれほど暑くならない。それはありがたかった。
水が尽き、どこか自販機でも探して買いに行こうかと思っていたが、彼女がコップに水を入れて持ってきていた。
「水道、通ってるのか」
喉の渇きをいやし、顔を洗い、そしてまた俺は寝る。
誰かから着信は来ていたが、どうせ母だろう。
一応確認してみると、非通知だった。
非通知の番号に出る義理などまるでない。
目を瞑った。
また目を覚ます。
夕方。どんよりとした空。雨が降っている。
少女は既にいなかった。
あれから三日くらい経っただろうか。
さすがにもう鞄に入れた食料も尽きた。財布の中も金がない。
親からくすねたカードは使えなくなっていた。
帰るしかない。あの家に。
足取りは重く、引きずる様な気持ちで家に帰る。
俺の家も、ここと似たようなボロさだった。
トタンの屋根と壁。違うのは中に人が居るくらい。
俺の母と、その彼氏。
「ただいま」
鍵を開けると、居間で母親が寝転がっていた。
その彼氏も、居間で正座している。
どうやら俺を待っていたらしい。
格好からして普通のサラリーマンで、一体どうやってこんな真面目そうな奴を捕まえて来たのかわからなかった。
「やあ、君がソウジ君かい。初めまして。桐生昌夫です」
「は、はじめまして」
「帰ってくるのが遅いんだよソウジ。一体どこほっつき歩いてたんだ。私の連絡にも出やしない」
「まあまあ、彼も気難しい年ごろなんだよ。許してあげなさい」
そう言うと、母はフンと鼻を鳴らしながらも新しい彼氏の言う事に従う。
今までは口を開けば喧嘩ばかりしていたというのに、この彼氏とやらの方が立場が上なのか母は従順だった。
こんなのは初めて見た。
そして、この桐生とやらの背後には娘が隠れて座っていた。
「お前も挨拶しなさい」
おずおずと前に出てきて俺の顔を見る少女。
俺はその少女の顔を見て目を疑った。
「こんにちは。私の名前はマヤと言います」
筆談用のボードに書かれたその言葉。
喋れない彼女が書いたつたない文字は、確かにあの時居合わせた子だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます