空に昇る煙

 いつの間にかうだるような暑さの夏が終わっていたことに気づいたのは、空を舞うアキアカネを見かけたからだった。

 夏にはギンヤンマやオニヤンマと言ったような、大型でスズメバチも時には食べてしまうような、強く獰猛なトンボが戦闘機のように飛び回っていたが、アキアカネたちは彼らとは違って穏やかに軽快に空を流れていく。

 車に乗って、窓を開けて走るとわかる空気の違い。ようやく暑さとのお別れ。気持ちの良い日々が訪れていた。

 視線を空に向けると、白い煙が立ち上っているのが見えた。


 祖父はもうこの世にはいない。


 前からその気配はあった。

 もう80も過ぎたころには耳が遠くなり、聞こえないものだから誰とも会話もしなくなり、テレビも見ないで日々をただぼんやりと過ごしているという話を聞いて、危ないなと思った。せめて補聴器でもつければよかっただが、補聴器の煩わしさを嫌ったと聞いてそれもまた祖父らしいなと私は苦笑した。

 老いてから何もしないというのは体も頭も弱る一方になる。

 それはつまり緩やかに死んでいくのと同じ意味を持つ。

 それでも病気さえしなければまだ生きていられたはずなのだが、誤嚥が原因による肺炎に罹ったのが今思えば致命的だった。

 肺炎自体はなんとか治ったものの、誤嚥するとまずいという事で食事が流動食になった。

 流動食はまずく、祖父は食事をしなくなった。

 余計に体は弱っていった。

 やせ細り、骨と皮だけになった祖父はそのうち点滴で栄養を取るようになったが、ついには点滴の針すらも入らなくなってしまった。

 その時の医者が言うには、もって一週間だという話だったけど針を抜いた途端に祖父の容態は悪化し、そのまま帰らぬ人になってしまった。


 という話を、私は父から聞いた。

 こういうのもなんだけど、私はあまり祖父とは親しくしていなかった。

 祖父は寡黙であまり喋らない。私も人見知りをして引っ込み思案な性格だったもので、会話も続かず困ることが多かった。茶の間で私と祖父だけが居て、テレビの音声だけが響く時間は過ぎるのが遅く、早く誰か来てほしいとよく願ったものだ。

 それでも高校生の時までは折を見て、というか親に連れられて祖父の家に行くこともよくあったけど、社会人になってからは地元を離れたこともあって縁遠くなり、全然足を運ばなくなった。

 行った所で話題もないし、黙っている祖父と向きあっているだけで気が重くなる。

 億劫な気持ちは年々積み重なっていった。

 行こうかなという気持ちはずっと持っていた。だけど、結局その気持ちを持っていただけで何もしないでいるうちに祖父は死に、結局今生の別れとなってしまった。


 

 まだ残暑の厳しい頃合い。

 なんとなくバツの悪い心持ちで私は葬式の準備をしていた。

 そもそも葬式なんて小学生の時以来だ。

 喪服なんか準備しているはずもなく、知らせを受けてから慌てて店に行って買ったもので、買って試着した時には気づかなかったけどサイズが若干合っておらず、袖が余ってしまった。今後もおそらく立て続けに葬式があるかもしれないと考えると憂鬱になる。

 きっと何度葬式をやっても慣れるものではないだろう。それこそ葬儀場の職員にでもならない限り。


 葬儀の日。

 あまり人を呼びたくないという喪主の考えから家族葬になった。

 私は受付をやらされる羽目になり、正直面倒な役割を押し付けられたと思ったが実際はもう一人の親戚が一緒に受付をやってくれることとなって、私は弔問客の応対するだけで済んだ。

 とはいえ、受付といってもすることはほとんどない。

 なんせ親戚しか来ないし、そもそも親戚たちは私が来るよりも早い時間に既に訪れているのだから。

 親戚のおばさんたちは私を見て昔から全然変わっていないね、などと好き放題言ってくれる。実際私の姿は子供のころからほとんど変わっていないので、まあその通りではあるんだけども。

 そして遺体の傍らで、ずっと泣いている人を見た。

 従姉妹のマイちゃんだ。

 過去に見かけた頃と違って、すっかり大人びていたから最初はわからなかった。

 ずっと祖父と一緒に暮らしていて、祖父からも可愛がられていただけに彼女の哀しみはひときわ大きいのだろう。

 所詮私は祖父母と離れて暮らしていた。どうしても情というのは薄くなってしまう。

 何年も顔を会わせてなければ尚更。

 それにしても、彼女は随分と綺麗になった。

 中学生のころに一度会ってからもう彼女とも十数年は会ってないのだろうか。

 あどけないころの顔つきしか見ていないせいか、大人になった彼女を見て何故だか私はひどく動揺した。年月が過ぎ、私がいまだにちゃらんぽらんしている間に彼女はしっかり成長したのを見てしまったからだろうか……。


 通夜も終わり、私は家に帰った。

 葬式と言えば線香の匂い。服に染みついた匂いは子供のころはどうしても嫌いで、そのころは葬式がどこかで行われていると知るとわざわざ遠回りまでしたものだけど、今はそれほど嫌いな匂いではない。感覚が変わったのかもしれない。

 それでも煙いことには変わりないから、私はさっさとスーツを脱いで風呂に入った。


 翌日の告別式も、昨日来た親戚くらいしか来訪者はなかった。

 坊主の読経もそこそこに、私たちは車で火葬場に向かう。

 そういえば、亡くなった人を送り出すときはクラクションを長く鳴らすというのを今回知った。何もかもが知らないことばかりで、もう少し色々冠婚葬祭について学ばないとダメだなと思い知る。


 火葬場の位置はよくわからなかったので先導する車に着いていった。

 まあ大抵、火葬場みたいなものは山の中か、でなければ人里離れたところにあると相場が決まっている。今回私が行ったところも山の中にあった。

 そういう所でひっそりと、遺体は荼毘に付される。

 火葬する前にまた坊主の読経があり、その後に火葬場の隣にある建物で精進落としの食事が供されるのだけど、正直な所遺体を見たり線香の匂いが漂う場所で食事と言っても、あまり食欲は湧くものではない。


 私と従兄弟たちは若いからという事で同じテーブルに座った。

 しかし、十数年も会っていないしお互いに率先して喋る性格でもないので最初は本当に無言だった。十数年も会ってない親戚、もはや血のつながりがあるだけのただの他人なのでは?

 血のつながりは水よりも濃いなどということわざを聞いたことがあるけど、それよりも遠くの親戚よりも近くの他人ということわざの方がよっぽど実感がある。遠くにいる人は頼りにしがたいし、それなら近くにいる親交のある他人の方がよっぽど相談や頼りにできるというものだろう。

 私たちのテーブルには寿司とオードブルとお酒とジュース、お茶があった。

 昨今の時世なのか、ノンアルコールの酒に似せた飲み物もある。

 ここで酒でも飲めばアルコールのテンションによって会話も円滑に行くんだろうけど、あいにく私たちは車でここまでやってきている。代行を頼むような感じでもないし、アルコールで無理やりテンションを上げる方法はとれなかった。

 

 正直、会話が弾まないままこの場はお開きになるかと思っていたけど、意外となんとかなるもので。

 私たちは全員立派なオタクに成長していた。

 自然と今やっているゲームやアニメなんかの話題で何とか盛り上がる。

 十数年会っていないというブランクも埋まっているような気がした。


 あくまで気がしただけ。


 会話もこなしていたけどどうしてもやっぱり疲れてしまって、私は外に出た。

 

 外は朝からの雨がぱらついていて、でも外を歩くにしても傘は必要ないように思えた。じっとりと空気は湿気ている。

 火葬場の煙突からは白い煙が立ち上っていた。

 もう二度と戻ってこない。

 記憶には残る。写真にも映像にも記録は残る。

 でも、もうここにはいない。

 あまり親しくしていなかったとはいえ、やっぱり血を分けた私の祖父なのだから、せめて生きているうちに一度でもいいから会いに行けばよかったと今更後悔している。たとえ目を覚まさなかったとしてもだ。

 最後の最期に締まらないというか、私の人に対する情の機微のなさ、疎さに我ながらうんざりした。

 

 周辺を少しだけ歩く。

 坂道になっている途中に火葬場の管理をしていたと思しき人の住居があった。

 今は人の手が入った様子もなく荒れ放題で、草は伸び放題、中の畳や柱なんかも放置されてボロボロになっている。人が住まないと家はあっという間に荒れるというのはやはり本当なんだな。

 

 間もなく火葬が終わることを告げられ、私たちは再び火葬場の中に入る。

 火葬を終えて骨となった祖父。

 完全な骨の形はさすがに残っておらず、なんとか大腿骨くらいははっきりとわかるくらいだっただろうか。

 それでも他の人々は、これだけ骨が残るのは丈夫だった証拠だと言っていた。

 焼けてしまった骨となった祖父は、私にはひどく儚くむなしいものに思えた。

 

 私が焼かれるときは、骨も残らないように焼いてほしいと思った。

 ただ焼かれて、無縁仏として葬られ、そして忘れ去られてほしい。

 人に集ってくれなくてもいい。

 焼かれる前に、できれば坊主の読経があればそれで上等だ。

 時代の流れで今の葬式は大変簡素になったけど、それでもまだまだ煩わしさの方が勝ると思うのは私だけだろうか。

 それとも私は人情に欠ける、薄情な奴なのだろうか。

 涙は一筋も流れなかった。


 葬式が終わり、遺骨の埋葬も終わり、家に帰る。

 私はスーツを脱ぎ捨ててしばし呆けていた。

 体に染みついた線香の煙い匂いが、葬式の間感じていたけだるさを思い起こさせる。

 人がひとりいなくなるというのはやっぱり大変な事で、ほぼ何もしていないに等しい私ですら無駄に疲れた。であれば、親しかった人々はどれだけ心に負担がかかったのだろうか。私には想像もつかない。

 怠い体を何とか起こして、私は風呂の追い炊きスイッチを入れた。

 ごぼごぼごぼ、と湯が給湯口から吐き出される音をまんじりとせずに私は聞いていた。


 私は誰の葬式なら涙を流すのだろう。

 それとも、誰が死んだとしても同じなのだろうかね。


 ふと風呂の窓の外を眺めると、アキアカネが飛んでいるのを見かけた。

 窓の縁に止まり、顔を洗うようなしぐさをしたかと思うと、アキアカネはまたすぐにいずこへと飛び去った。

 空へ高く昇るアキアカネの姿を、私は見上げていた。

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