霙交じりの雨
今日は妙に冷えると思ったら、夕方ごろから雨が降り出してきた。
吐く息は白く、手袋でもしなければ手が凍えてしまうほどの冷え込みだ。
これはもしかしたら…と思っていたら予想通りに霙交じりの雨に変わった。
生憎傘も用意していない。
折角行った営業先の反応も芳しくないもので、今日は収穫なしだというのにこの追い打ちはひどいが天気には逆らえないので仕方ない。
冷たい雨に降られながら歩いて帰るしかないか、とため息をつきながらトボトボと帰る。
僕はジャンパーの襟を立て、袖に手を引っ込めて少しでも冷気に触れないように亀のような、不格好な姿で歩いている。
自販機でも無いものかとしかめっ面をしながら周辺を見まわしてみるが、そもそもこんな田舎道には自販機すら設置されていない。
…見渡す限り田んぼや畑ばかりで人の気配がまるでない。
寒い上に霙が降っているとあっては傘をさして外に出ようなんて言う人などいやしない。
…それにしても寒い。体の末端から冷たさが自分の体を侵食してくるような気がする。いつもより寒いだろうという天気予報に従って、一枚上にジャンパーを羽織っていたのだが、そのジャンパーを冷気が貫いてくる。
手袋をしなかったのは失敗だった…。
暖かい珈琲、コーンスープが飲みたい。こういうときに飲む暖かい缶飲料は何よりの御馳走なのだが、暗い道に時折等間隔に並べられた街灯の明かりを頼りに周辺を見る限り、やっぱり辺りには何もない。
とぼとぼと駅に向かって歩く。
こういう日に限って苦い思い出が頭にフラッシュバックする。
あの時も同じような天気だった。
何とか気になっている子を誘って、遊園地や水族館でデートしたけれど彼女の反応は芳しくない。
カラオケを済ませた後告白してみたものの、もうすでに彼氏がいるという事であっさりとフラれてしまった。
それならなぜ遊びの誘いに乗ったのだろう、と疑問符が頭の中にいっぱいになった。
彼女からの答えが返ってくる事もなく、僕は霙交じりの雨が降る中帰宅したのだった。
勿論体を冷やしてしまったので風邪をひき、3日ほど寝込んで全く踏んだり蹴ったりな思い出だったなと記憶している。
時間が経過すれば何もかもが懐かしいと誰かが言っていたが、今の所こういう思い出に対しては全くそんな風には思えない。苦い物はいくら時間が経っても苦い。それとも僕の人生経験がまだ足りないとでもいうのだろうかね。
更に空気は冷え、霙交じりの雨はいつの間にか雪に変わっていた。
ようやく駅が見えた。有人駅だが、ここは電車は1時間に1本くればいい地域なので利用する人は極めて少ない。そもそもここに住んでいる人々は車で移動する。僕のようなよそ者や、まだ免許を取得できない人や駅から勤め先が近い人などが電車を利用する。
僕は駅舎の待合室に滑り込んで、ぬれた頭をハンカチで拭い、体中に付いた水分を叩き落とす。
待合室の中央には石油ストーブがあり、その大きな火力をもって部屋を暖めていた。ストーブを囲むようにプラスチック製の椅子が設置されている。
そこに、ひとりだけ女子高生が座っていた。ストーブの暖かな熱にうとうとしながら待っている。
僕はその女子高生の座っている席から一つスペースを置いた椅子に座った。
しんしんと降り積もる雪。
雪は音を吸収する。生活音が消えて静寂だけが訪れる。
僕はぼーっとしながらストーブの炎を眺めていた。あと何分すれば電車は訪れるのだろう。
時刻表と腕時計の現在時間を見比べてあと何分かなと考えていたら、
「現在雪のため電車の到着が大幅に遅れております。お客様には大変ご迷惑をおかけして申し訳ございませんが、何卒ご了承のほどよろしくお願いいたします」
というアナウンスが流れてきた。
あてどなく待つ時間が過ぎていくばかり。ふと、暖かい飲み物が飲みたい事を思い出した。
自販機は幸い駅舎の中にある。ポケットをまさぐり、小銭入れの中を見れば500円は入っていた。
僕は自販機の前に立ち、小銭を入れてホットミルクティーのボタンを押した。
この自販機は当たり付きのようで、ガコンと商品が出ると同時にけたたましいルーレット音が鳴り響いた。大概こういうのは外れるのが当たり前なので気にせずにミルクティーを取り出そうとしゃがみ込むと、聞きなれない電子ファンファーレの音が続けて鳴り響いた。
「?」
ルーレットを見ると"当たり"のランプが点灯している事に気づく。同時に、商品ボタンのランプも緑色に点灯していた。
まさかこんな時に当たるとは思わなかった。
しかし、二本も飲み物はいらないんだよなぁ。
一応ホットレモンティーを押して取り出したものの、どうしたものかと思案していると、ファンファーレの音のせいかはわからないが女子高生が起きてこちらを見ていた。
「お茶飲む?僕はこんなに飲めないから良かったらどうぞ」
自然と声が出ていた。
「あっ、はい」
女子高生も、応じた。
しかし会話はそれだけで、お互い飲み物を飲んで、無言で雪が降るのを見つめているだけだった。
やがて、駅には一台の軽自動車が来た。女子高生はそれを見ると、喜んで駅から出て車に乗り込んだ。
運転しているのはどうやら母親らしき女性だ。
そうか電車から降りて家に帰る足が無いために、家からの迎えを待っていたのだな。
僕には迎えに来てくれる人もいないので一人で帰るしかないのだが。
アナウンスから1時間ほど待って、ようやく電車が駅に来た。
僕は電車に乗り込み、今日泊まるホテルのある駅まで行くのだ。
電車はドアを閉じ、ゆっくりと動き出す。景色は流れ、雪が降る中を走り抜けていく。
乗客は僕以外に誰も居ない。
ヒーターが効きすぎる座席で、僕はうとうとしながら駅までの時間を過ごすことにした。
冴えない思い出は霙交じりの雨が降る中に置いてきてしまいたい。
そうして次には雪で全てを覆い隠してしまいたい。音もなく、白く。
ぼんやりと窓に流れる景色を見ながら、なぜかそんなことを心に浮かべていた。
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