天使なんていない(グリム童話リライト)

~グリム童話『ホレのおばさん』(KHM24)より※この作品はメリーゴーランド童話塾時代(2008年)にグリム童話リライトとして創作した作品です(あくまでグリム童話の題材を元に自身のイメージで自身なりの物語に仕上げた作品となります)~



 糸まき工場ではたらくみなし児娘たちのなかに、マコという少女がありました。

 マコはほかの女の子からは仲間はずれにされ、おまけに不器用なので、よく糸まきを血にそめていました。

 まっ赤な指のマコと呼ばれて、町の男の子たちも、「マコのお手手はまっかっか。きもちわるうい」と言って、手をつないでくれる子だってだれもいません。

 そんなマコは、お花や虫や、物にだって心のなかでしゃべりかけ、そういった暮らしのなかにある身近なものと友達になって、大切にしていました。

 だけど虫だって花だって、マコの心をなぐさめはしても、返事をかえしてくれることはありません。


 マコはある晩、あんまり血だらけになった糸まきを洗いに、泉のほとりにやってきました。

 「さみしいな」とつぶやいて、血ぞめの糸まきを一回、水にひたすと、泉から「おいで……」と声がした気がしました。マコのまなこから涙がぽたりと泉に落ちます。

 マコがもう一度、「さみしいな」と言って血ぞめの糸まきを水にひたすと、また泉が「おいでおいで」と答えたようでした。ぽたり、ぽた……

 マコはみたび、「さみしいな」と言い、糸まきを水につけると泉はまっ赤にそまりました。

 ぽっ、ぽた、ぽ……マコの涙が落ちたところがまっ黒な点になり、それがひろがって穴になりました。そこから、「おいで、おいで、おいで……」

 次の瞬間、マコは、泉に身を投げてしまいました。



               *



 マコの落ちた先は、泉のもとの色よりまっ青な、草原でした。

 そこに咲く花も、草も、空の色をうつしとったみたいに、まっ青なのです。

 そのかわり、空は、夕やけが一面に広がったような、赤みを帯び、まうえには、月ともお日さまともつかぬ、黒いおおきな星がうかんでいるのでした。

「ああ、あれは、あたしが落っこちてきた穴じゃないかしら。空は、あたしの血で赤くそまっているのじゃないかしら……」

 草花はやわらかくって、そのせいか、マコは、傷ひとつついていません。

 ただ、マコのひとさし指からはまだ血がながれていて、その血が、糸のようにまっすぐ尾を引いて、草原の果てに向かってゆくのでした。


 マコはその血にみちびかれて、まっ青な草原をどこまでも走ると、一本のおおきな木にゆきあたりました。

 木は、りんごの木でした。

 りんごは、マコの血のように、まっ赤です。

 マコには、りんごたちの声が聞こえました。

「たすけてえ。たすけてえ! ぼくこんなにまっ赤。とおの昔に熟しちゃってるんだい。食べてもらえないままくさっちゃうなんて、やだよお。ぼくこんなにまっ赤」

 マコは木をゆさぶって、りんごをみんなひろってやりました。

「マコありがとう。ありがとうー」

 だけどマコのひとさし指の血は、まだおわらない草原の向こうにながれてゆきます。

 やがて、まっ赤な炎が見えてきました。

 炎は、パン釜を焼く炎でした。

 マコには、パン釜のなかのパンたちの叫びが聞こえます。

「たすけてえ。たすけてえ! まっ赤な炎でやけ死んぢゃうよお。とおの昔にこんがりやけてるやい、食べてもらえないまま黒こげなんて、やだい。やけ死んぢゃう」

 マコはパン釜をたたいて、パンをみんなひっぱり出してあげました。

「ありがとうマコ、ありがとうー」

 マコのひとさし指の血は、まだえんえんと続く青い草原をながれてゆきます。

「はあ。はあ」

 マコの顔はだんだん青くなってきました。

「あたしの血、ぜんぶなくなっちゃう」

 すると、草原の彼方にぽつりたたずむ、家が見えてきました。

 それはまっ白な家。

「たすけてえ。たすけてえ! まっ赤なまっ赤なあたしの血、なくなっちゃうよお」

 今度は、マコが叫んでいました。

 家は、骨の家でした。 

 骨の家の大きな窓から、窓わくほどのおおきさもある、がいこつおばあさんの頭がひょんと出てきました。

「ほほ。来たね来たね」

 マコは引き返そうとしました。だけど、マコのひとさし指の血は骨の家の玄関につづいており、マコのことをひっぱります。

「ほほ。どうしたね。ばばがこわいのかい? 死さえおそれずに、おまえはみずから泉にとびこんだんじゃないのかい? おいでな。おまえの血はみな、わしがあずかっとるよ」



               *



「わたしゃ、生死の境におる、死神じゃよ。おまえはどうして、みずからここへ来たね?」

「ああ、じゃああたし、死んぢゃったんだね……?」

「まだ死んぢゃないよ。それはわしがこれから決めることだわ。おまえは、のぞんで死んだのかい。それとももしかしたら、生の国へもどりたいか」

「あたし……あっちの国で、生きてていいか、わかんないの。生きてて、いいことがあるのかも、わかんない……」

「ふん。むずかしい子だねえ。そんなことを死神のわしに聞くのかえ。まあ、いいわ。まずは、おまえの持ってきた手みやげをうけとろうかの。りんごは、死神のこうぶつじゃ。なんにも持たんと来たら、まあもんどうむようで死の国へおくってやったがねえ。向こうは、とてもさむい国だよ。血と肉なしでいかなきゃならないからね」

「死神さん、骨のおばあさん。あたし、この家にいて、もうちょっと考えてみてもいい?」

「ただで寝起きはさせないよ。ここでもはたらいてもらわなけりゃ、な。ちゃあんと仕事はあるで。ほら、死んだ人のたましいをはこぶ天使どもが帰ってくる。したくをするんだ。パンは、天使のこうぶつ。それから、天使のねどこを準備してやりな」



               *



 マコは、たくさんのお皿にパンをぜんぶならべると、今度は骨の家の二階から、何度も行ったりきたりして、たくさんの羽ふとんをまっ青な草原にならべました。

 ふとんをぱんぱんたたくと、そのたびに、羽が舞いあがり、青い草原にすいこまれていくのでした。

「この羽、とてもやわらかい……なんの羽だろう?」

 マコはそうしてまた、何度も行ったりきたりして、たくさんのふとんを骨の家の二階にはこびました。


 マコは、そのまま羽ふとんにくるまって、たくさん泣いて、そして、寝てしまいました。

 起きると、やっぱり、そこは骨の家でした。

「骨のおばあさん、ごめんなさい。あたし、少し眠ってしまったみたい」

 りんごも、パンも、みんななくなっていました。

「よお寝た。天使どもよりな。天使ども、みなよろこんどったぞ。食って、寝て、またひと仕事しにとんでったわ。それから、りんごとパンも、よろこんでいたよ」

「ねえ、骨のおばあさん……天使って、本当にいるの?」

「いるさ。それよりおまえ、どうだい。あっちの国へもどったら。天使みたく、おまえには見えないだけで、おまえがしている仕事のおかげでだれかがたすかっている。だれかがよろこんでいるんだよ。それにりんごとパンでさえ、おまえはたすけることができた。おまえは何かほかのものをたすけることができるかもしれない」

「……あたし、帰る前に、天使見れないかな」

「ふん。よおく目をこらしたら、見えるかもしれないねえ」


 マコは、骨の家のおおきな窓ぎわに腰かけて、ときどき外を見ながら、糸まきで、自分からながれ出た血を、ゆっくりとまいていくのでした。

「おまえの顔、だんだん人間の色になってきたよ。もう、この国にはいられないねえ」

「骨のおばあさん……もしかしたら死神って、パンも食べるのじゃないの?」

「さあねえ。それには、答えられないね。もう間もなく、おわかれだ」

 マコは、とうとう自分からながれ出た血を、みんなまきとってしまいました。



          *



 マコは、泉のほとりに立っていました。

「さみしい……さみしくない。……やっぱり、少しさみしい」

 でもマコの目から、涙はこぼれませんでした。

 糸まきは、きれいになっていました。泉は、すんでいます。

「血は、あたしの体のなかにながれているんだ」


 空からは、雪が舞ってきていました。

「この雪、とてもやわらかい……天使の羽って、こんなふうかしら?」

 小さな歌を口ずさみながら、マコはみなし児たちのいる糸まき工場へ帰っていくのでした。


 天使なんていない、天使なんていないさ……

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