(2)医者
僕は恋人を抱えて丘を駆け上がり、道路脇に彼女を座らせておくと、鈴鹿川に平行して伸びるその長い道を、一人走った。
幾らかすると簡単な造りの小さい建物が道路沿いに設置してある。そこが医者達の住まいだった。
「恋人をお願いします」
言って戸を叩くと、奥で物憂い返事のような声、あるいはただ物を動かすような曖昧な音かもしれないが、聞こえた。
僕は目を閉じて、再び一本道をひた走った。とても長い距離に思えた。
戻ると、すでに四人の医者が彼女の元へ来ており、彼女の数人の家族も到着していた。
四人の医者のうちいちばん若いのが手術を始めて、他の三人は周囲に腰掛けアドバイスを与えてはいるが、実際の手術には加わらないらしい。僕は胸がときときと鳴って、ひとりで丘を川岸の方へ下って行った。
丘を下ってしまうと、川まで平らな草地が続いて、この辺りは月灯かりに照らされて随分明るかった。ひとり歩く僕の横を通り過ぎる恋人達の顔も、ここでははっきり見えた。皆何か話していたが、聞き取れない囁きばかりであった。
一度だけ振り向き丘を見上げると、いちばん上の方で動く人影が見えたが、僕は顔を背けそれっきりにした。
僕はどんどん川縁を歩いて行った。
ポケットの手鏡の中に、さっきの、鼻血を固まらせた彼女の横顔が映っていた。僕はそれをすぐにしまったが、とりかえしのつかないことをしたように思った。もう一度取り出してみると、それはもう二度と彼女の顔を映し出しはしなかった。
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