1章『携帯電話』

 疲れと嬉しさが同時にやってきた昨日から一転して、今日は月曜日。


 また学校とバイトの日々だ。


 昨晩、オレは加藤さんと別れた後で携帯ショップに行って初めての登録をした。


 何を言われても「安いプランで」としか言わなかった気がする。


 携帯ショップのお姉さんが不思議そうな顔をしていたのは覚えてる。


 初めての携帯電話で色々と試してみようと思ったが、電話以外の機能をろくに知らない。


 ましてアドレス帳には誰も入っていない。


 って、こんな事してる場合じゃない……早く学校に行かないと……。


 いつもの3点セット、時計と財布と学校のカバン。それに……。


──『携帯電話』


 これで4セット。なんだかんだで……嬉しいな。何度も見つめる液晶画面の煌きが、自分の心模様に見えた。


 家から学校までは自転車通学、いつもの道路にいつもの商店街。


 オレは、少しだけ勇み足で学校に向かっている。なんだか、嬉しくて。


 いつもの光景、いつもの曲がり角。


 そこにはコンビニがあった。そして、オレは速度を落とした。朝のパンを買う為に。


 この時間では見た事の無い女の子が、携帯電話を手に店の前に立っていた。

 

 特に意識をする必要もないのだが、なぜか気になった。その服装……『ロリータファッション』と呼ぶのだろうか。


 彼女は、小さな顔を上げてオレを見た。


 その瞳はとても大きく、フランス人形のような気高さがある。


 流石に……会話をするのもおかしい。


 ただ、その横顔が凄く寂しそうで、思わず声が飛び出た。


「……ここら辺の……人かな? 毎日このコンビニに来てるけど、見ないけど……」


「ん…うう……」


 首を横に振るだけで、少女は悶えるばかり。極度の恥ずかしがり屋さんか。


「ごめんね、じゃあ」


 急がないと……今日はあの二人に携帯電話を見せつけてやらないとな。


『キーンコーンカーンコーン……』


 結局、こうしてチャイムが鳴って昼休みになるまで待つしかなかったんだな。


 昼休みになると、みんな一斉に携帯電話を取り出して何かの操作をし始めた。


 授業の教科書を出すスピードより速い。


 毎日繰り返される光景に笑っていたオレも、今日から仲間入りするわけだ。


 一番後ろの黒板前の席に座るヤツの元へ向かう。


 俺はカレーパンを食べながら電話帳の入れ方について聞いてみた。


「やっぱり、僕に頼むと……ね」


 かけているメガネが教室の蛍光灯に反射している。


 ろくに携帯を使えないオレにとっての神様。


 最高に頼りになる親友。


 『霧島雷也(きりしまらいや)』だ。


 オレの携帯の画面には12時20分と表示されている。


 カレンダー以外の機能はもちろん使えない。


「なぁ、電話帳ってどう使うんだ?」


 こうして何かを聞くのはオレ達、幼馴染の間じゃ普通だ。


「龍ちゃんさ、本当に使い方分からないんだね。僕の家でたまに見せたりしてるよね?」


「オレだって知りたくないわけじゃないっつーの。ただ操作が難しくて分からないんだよ。タッチの仕方とかよくわからないし」


 けらけらと笑う雷也を無視して、オレは画面を連打した。



『天は二物を与えず』



 そういうことわざがあるけど、全くの嘘だというのをオレは小学校の時に知った。


 少し茶色いウェーブがかかった髪。


 知性を感じさせる濃紺なセルフレームメガネ。


 その二つが雷也の中性的な顔にとても似合う。


 正直、男のオレから見ても同年代に思えない落ち着きを感じる。


 おまけに成績は常に1番目。


 バイトばかりで万年赤点気味のオレにとってはかけがえのない救世主だ。


 ちなみに地味に家は金持ち。これじゃあ『三物』だな。


 まぁ、少しお茶目なトコロがあるのが唯一の欠点か。


「だから、これが電話帳でここをタッチしてさ……」


 言葉を遮り、雷也が首をあげて、オレの背後に目を向けた。


「ねぇねぇ、雷也君のお兄さん、今日テレビに出るんだよね!?メディアに登場するのは初めてだって聞いたけど、ストリーム放送で携帯でも観られるんでしょ!」


 毛先が痛んだ茶髪のこの子は……山下だっけ。


「ちょーすごいよね、今大人気のジャコパの社長だか会長でしょ?もう全部のSNS管理してる人ってことだよね?!あたしもサイトのモデルとかに使ってくれないかな?!雷也くんお兄さん紹介してよ、雷也君の彼女として!」


 毛先が痛んだ茶髪のこの子は……杉山だっけ?


 コピー機から出てきたような女子二人が雷也を囲む。


 何を言っているのか、もちろんオレには分からない。

 

 テレビに出ると『兄貴』の部分以外はね。


「兄貴は家にも帰ってこないし、知らないよ」


 雷也は後ろ髪をかきながらぶっきらぼうに答えて、彼女達を追い払った。


 雷也の兄貴……『霧島慶二』


 オレが世界一尊敬している8個上の男だ。


 高校卒業後、東京大学に進学し在学中に携帯電話のゲームを開発したとかなんとか。


 秋葉原のあの一等地タワーも兄貴が働いているビルのはずだ。


 ビルの話を聞いたのは数ヶ月前だったかな。


 その日は雷也と二人で、サッカーの授業をサボって屋上で寝ていた。



「……25歳にして会長の座に就いた。兄貴は僕より100倍頭がいい。大して努力も何もしてないくせに」



 あまり兄貴の話をしたがらない雷也が、珍しく話をしたから覚えている。


 政府の役人として就職したとは、中学校の卒業式に来てくれた本人からも聞いていた。


 ただ、『会長』というのは詳しくは知らない。


 公務員で『会長』なんて役職があるのか?


 二束のわらじでも履いているのだろうか。聞かなければ分からない。


 オレ自身も子供の時に雷也の兄貴……慶兄とはよく遊んだ。


 サッカーをしたり、慶兄とプラモデルを作ったり。

 

 中学生当時には刺激の強すぎた、パソコンのアダルトサイトなども見せてもらったのは良い思い出だ。


 もちろん年上という事もあり勉強だって教えてもらった。


 自分の右手首を、見つめるといつもそこにあった。


 鈍く、銀色の光沢を放つ腕時計──慶兄にもらったやつだ。


 遊んでばかりで勉強などろくにしていないと本人は言っていたんだ。


 実際、オレも雷也も慶兄の部屋に遊びに行っても、教科書は投げっぱなしで勉強をしている様子も無かった。


 ……なのに現役で東大に合格。


 高校では水泳部と空手部に入り、インターハイまで出場していた雷也の兄貴。


 なんだか本当に天才としか言いようがないな。


 雷也は椅子に深く寄りかかって、頭の後ろで両手を組んだ。


「兄貴なんてさ、漫画だよ、漫画。存在自体が漫画の主人公。紆余曲折(うよきょくせつ)もないつまらない漫画だけど」


 慶兄に対する気持ちは分かるが、オレはどうしても聞きたい。


「なぁ、慶兄さ……テレビ出るのか?」


 兄貴の話をするのは、最近ではご法度になっている。


 それくらいわかっている。だけど『テレビに出る』と聞いてオレの好奇心は隠せない。


 雷也はちらっとオレに目線を向けた。


 オレの携帯の電話帳を示した絵……“アイコン”だかなんだかに触わり、一番目に自分の名前を入れた。

 

 そして大きなあくびをしながら顔を机に伏せ、無言で携帯を持つ手を突き伸ばしてきた。


 オレは受け取って電話帳を確認する素振り。どうやって確認するんだっけ。


「なぁ、そんな聞いたくらいで不機嫌になるなよ?」


 雷也は顔を少し起こして、手の甲にアゴを載せた。


「……昨日もランカー戦で朝6時まで起きててさ、眠いんだよ……。出るよ。今日の20時、国営放送で」


「本当なのか? 国営ってまた凄い話だな」


「兄貴は政府が運営している携帯ゲーム会社の“会長”として出るよ。今や全国に普及した――『JaCoPa』(ジャコパ)の会長として」


 そうつぶやくと、けだるそうに顔を机に伏した。


『国営放送』


『ゲーム会社の会長が国営放送でインタビューを受ける』


 正直、どれほど凄い事なのか良く分からない。


 慶兄には最後の時計を貰ってから1年半も会っていない。


 最後に会った時も、忙しいスケジュールを縫ってきたので1時間も一緒に居なかった。


 こういう時は雷也に分かりやすく解説してもらうのに限る。


「なぁ、慶兄ってどれくらい凄い事してるんだよ。オレさ、疎いじゃん?そういう携帯とかゲームの話とか。サッカーで例えてよ」


 雷也は顔を起こしてメガネを外した。


 天井の光にあてながら汚れを確認し、ブレザーの胸ポケットにある青いハンカチでメガネを拭き始めた。


「【Jリーグ、プレミアリーグ、リーガ・エスパニョーラ、エールディヴィジ、セリエA、カンピオナート・ブラジレイロ】などの、


世界のサッカーリーグを一つにまとめた立役者って言えば分かりやすい?」


 なんとなく分かったが、まだ完全に理解は出来ないな。


 雷也がオレのそんな顔色を察してか続けた。


「普通ならそれほどの知名度を持つリーグをまとめるなら、参加して欲しいと運営者側がお金を払う所でしょ? 何をしたのか分からないけど、兄貴が主導となって逆に『お金』を払わせて一つのリーグに全員を参加させたんだよ」


──『世界のサッカーリーグを一つにまとめる』

 

 オレにも分かりやすいように雷也が少し大袈裟に例えたのだろうか。


「……そうだ。龍ちゃんは『JaCoPa』(ジャコパ)のことは流石に知ってるでしょ?」


「なんとなく。携帯電話のゲームを作ってる所だろ?」


「半分合ってて半分間違い。正確には作って、まとめてるところ。サッカーの話で例えたけど、もっと分かりやすく言うなら……」


 雷也の説明を聞きながら、オレはふと教室の時計を見た。


 今は12時30分。


 ついで携帯の時計を見る。


 12時25分。どっちが正しいんだ?


 少し時間に意識を外していたが、簡潔に説明をしてくれた。


 いつも雷也の話は分かりやすいなと思う。


 雷也が説明した話を要約して考えよう。


――――――――――――

・雷也の兄『霧島慶二』が主導となり、携帯ゲームなどを運営する会社を相手に一つの規格を作り、そこに統一させた。


 

・『日本電脳遊戯協会』……通称『JaCoPa』(ジャコパ)の規格マークは、今は国内全てのサイト上で記載する事が義務付けられている

――――――――――――

 

 そのマークは携帯音痴のオレでも知っている。


 両手の上で携帯電話を持ち上げているような女の子のイラストだった。


 若者の間でJaCoPaのマークを知らない人は居ないだろうな。


「ま、とんでもなく頭がいいんですよ。僕の兄貴は、ね。」


 雷也はメガネを外して携帯を見つめて少しだけ微笑んだ。

 

 オレの胸が少し高鳴るのが分かる。


「とんでもなくカッコいいの間違いだろ、雷也。慶兄に会いたいな!今日はバイトだけど早上がりさせてもらうわ。慶兄の晴れ舞台、オレは絶対に見届けたい」


 しかし、慶兄は……もはや別世界の住人のようだ。


 一人っ子のオレにとって、小さい頃から中学卒業まで可愛がってもらった。


 本当の兄貴のような存在だ。


 雷也の慶兄に対するコンプレックスがある事は百も承知。


 だけど、それはそれ、これはこれだとオレは思ってる。


 思い切ってもう一つの禁句を雷也に問い合わせてみようか。


「なぁ……番号を聞いてもいいか?ほら、オレは携帯を持ってもお前と母さんしか電話帳に入らないし……。慶兄の携帯の番号を……」


 オレの目をじっと見つめていた雷也が、またオレの後ろへ視線をずらした。


 今度はオレも気配を感じた。


 いや、足音で分かった。


『コツコツ』


 少し高いローファーのヒール音が聞こえてくる


 絶対に学校の規格じゃない。


「ちょっーーと待ったぁ!! 龍ちゃん、それは無いでしょ!? 二人しか入らないってなによ! 携帯買ったってホント!? ねぇ、見せて見せて」


 オレから携帯を奪い上げる時に舞ったコロンの香りが、甘くこの場を包む。


 鮮やかに色づくそのテンション高めのその声が、不機嫌になりかけていた雷也の心を落ち着かせたようにも見えた。


 いや、二人とも突然の『彼女』の行動に面食らっていたという方が正しいのかもしれないな。


 『彼女』は、ついでにオレが机に置いていた食べかけのあんパンを食べる。


 ガキの頃から変わらないあつかましい行動には、今は慣れてしまった。そんな自分が、少し滑稽に思えた。


「っておい、パンは取るなパンは!」


「……うん、美味しい! だって、あたしさっきまで部室に行っててお昼食べる時間無かったんだよ。いいじゃん、ケチ」


「ケチじゃねぇっつーの、太るぞ」


「うるさいのっ! あっー! ホントに雷也とおばさんしか入ってないじゃん!


しかもこの携帯って最新の“5Sモデル”だよね!? 新品でも10万はするんだよっ! 龍ちゃんってそんなにお金あったの?」


「10万っ!?」


 加藤さん……絶対嘘ついただろう……。


 彼女はいつもオレ達にはまくし立てるように話す。


 他の人と話す時はおしとやかな『レディ』を演じるくせに。


「無い無い、生活だけで手一杯だって。なぁ、どこから話を盗み聞きしてたんだ?」


「ひみつー。龍ちゃんがパンをくれたら教えてあげるね」


「雷也、これ上げてもいいか?」


 雷也の机の上にある焼きそばパンを勝手に渡した。


「ほら、二人の愛の焼きそばパンだ」


 彼女は少しだけ、その細い眉をゆがめた。


 オレはその細長い指から携帯を返してもらうと、彼女はピンク色の本体に金銀のビーズが散りばめられた携帯電話を、オレの目の前で振って見せる。


 じゃらじゃらとつけているストラップの数が、女子高生の携帯電話だと主張しているようだ。


「はい、あたしの番号。今登録して、今すぐだよ」


「分かった分かった、愛梨(あいり)」



──『七枷 愛梨(ななかせ あいり)』



 愛梨の携帯画面に映った名前と番号の横には、プロフィール画像の写真が1枚写っている。


 1年半前に龍一と雷也と愛梨の3人で撮った高校入学の時のプリクラ写真だ。


 幼馴染の3人とも『中学卒業したばかりです!』という感じだなぁ。


 こうして見返すとオレの顔も変わった気がする。


 確かに貧しかったけど……ここまでの気苦労なんてなかったはず。はぁ……人生は面倒な事が連続するもんだ。


 雷也は全く変わらないな。この頃から落ち着いている雰囲気が出てる。


 ピンクの携帯が早くしろと左右に動いた。


 なかなか打てないんだから、変なプレッシャーをかけるなって。


 オレは急いで自分の携帯に愛梨の名前と番号を打ちこむ。もうひらがなで、いいや。


 携帯越しに見えるスカートから伸びる白く長い脚が、とても眩しい。


「はーやーく~!」


 少しだけ目線を上に向けると、健康的な肌にニコニコ顔の愛梨がオレを見つめている。


 ……そういうのは止めてくれ。


「愛梨、声が大きいよ。みんな見てる」


 雷也は自分の『彼女』の愛梨にそう伝えた。


 二人が付き合ったのはわずか1週間前だった。


 愛梨から雷也に告白したらしい。


 雷也からはそれしか聞いてないが、よくこの男がOKを出したな、というのがオレの本音だった。


 女にまるで興味ないのに。モテるけどな。


 透明で声量のある愛梨の声に、クラスメートの男どもの意識が集中するのが分かった。


 幼馴染のオレは……もう興味はないが、このドタバタお嬢さんも相当モテる。


 クラスの男に何度も『携帯番号を教えてくれ』と言われたっけ。


 しまいには他のクラスの男にまで愛梨の携帯番号を聞かれた。


『幼馴染だから知ってますよね?』


 その度にオレは、愛梨に言わされたようなものだ。


『携帯持ってねーから家の電話しかわからねぇっつーの! 学校の連絡網あるんだから、直接家に電話してくれ』


 高校に入って、何回このセリフを言ったか分からない。


「ねぇ、まだ入らないの? あたしが打ってあげようか?」


 オレが慣れない携帯と格闘していると、雷也が割り込んできた。


「ねぇ龍ちゃん。兄貴の番号は知らない、お父さんに聞けば分かるかもしれないけど、僕は知らないよ。もうこの話はやめよう。それより見てくれないか?」


 慣れた手つきで携帯を操作していた雷也が、手を止めてオレに携帯を渡してきた。


 愛梨も一緒に覗き込む。


 おいおい、彼氏の前でオレと顔が近いだろ。


──── ランキング2位『L1ar_8895』


「なんだこれ……。ああ、ゲームの順位か」


 少し間が空いたが、携帯音痴のオレでも分かった。


「えー!! またランキングあがったの!? あたしは下がっちゃった、アイテムが弱いからダメなのかな……? 雷也に教えてもらった通りにやってるんだけどなぁ」


「だから、愛梨の武器はここが悪くて……」


 またゲーム談義が始まった。ここ1年くらいはずっと携帯でこの調子だ。


 まぁいいや、電話帳も入ったことだし慶兄の事も聞けたし。


 ホッと一息ついたオレは背伸びをしてから、スッと場を離れた。


 教室の時計を見ると12時45分。


 携帯を見ると12時40分。


 もうすぐ午後の授業が始まる。


 どっちが正しいんだ?


 どっちの時間が正しいんだ?


 愛梨と雷也の仲がよさそうな様子を席から見る。


 いつも二人はこうしてデートとかしてるのかな。


 恋愛事より稼ぐ事しか考えないオレの頭でも……幼馴染の二人が付き合うとなれば多少は意識をする。


 授業開始まで後『5分or10分』


 もしオレが好きな時間を選べるのなら……



 ……5分にしたい気分だ。

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