プロローグ『幼き日々と現在と』②
──9月29日(日) 午後15時3分
辛い時、オレは必ずこの日記を読む。
財布に大事にしまっている昔の日記の1ページ。
自分への『戒め』と『報い』の為に。
「龍一君、この荷物を2階の洋間に運んでくれるか。陶器だから気をつけるんだぞ」
トラックの積荷コンテナにあがっている加藤さんから、両手に抱えるくらいのダンボールを受け取る。
ずしりと腰に来る重さが、このバイトの大変さを表していると思う。
引越し作業はスピード勝負だ。
チンタラやってたら雇い主の人にどやされる事もある。
オレは受け取ったダンボールを一度足元に置いて、首にかけてあるタオルで水玉の汗を拭く。
今は土曜日から続く引越しのバイト中だ。
今日で2日目、この現場は今日で終わらせなければならない。
ぽつりぽつりと、一軒家の屋根を雨音が打つ。
9月の小雨がオレを少しだけ感傷的な気持ちにさせた。
だが、浸っている時間はない。貧乏なんだから稼がないとな。
「よいっしょ」
2階へと上がり洋間の隅にダンボールを置く。
すでに洋間にはぎっしりのダンボールが詰められていた。
オレが肩をさすりながら部屋を出ると、廊下の突きあたりに同じ歳くらいの男がいた。
さっきからジュースに携帯ゲームでくつろいでいる。
家庭環境が違うとこうも違うものかと毎度の事ながら思ってしまうんだ。
いいや、仕事に集中しよ。
階段から降りてくると玄関から加藤さんの声が聞こえた。
「おーい、休憩にするぞ」
オレが玄関を出てトラックに向かうと、目の前に缶が飛んできた。
「ほれ、飲め」
コンテナの手前に座る加藤さんが、オレに缶コーヒーを投げた。
こういう所が、現場仕事の人間っぽいんだよな。
軽く礼を言って加藤さんの横に座る。
雨空といえど、遠くの雲を見ていると仕事の疲れを忘れさせてくれる。
学校でもどこでも、オレは雲を見てる事が多い。
放蕩な自分に、重ね合わせてるのかもしれないな。
『シュッシュッシュッシュッ』
「つかないな……おっ」
オレの黄昏(たそがれ)のタイムを裂いた加藤さんは、4回目の着火でタバコに火をつけた。
タバコを吹かしながら、本当に美味そうにコーヒーを飲んだ。
この人はアルバイト先の所長さんだ。
支店のお偉いさんだし、引越し作業にもこうして出てる忙しい人。
初バイトでも丁寧に教えてくれる、優しいおじさんってところだ。
「今日は9月とは思えないくらい寒いな。しっかし龍一君は若いのによく働くね。
最近の若いもんはすぐにサボるし、休憩の時は携帯ばかり見ててんでおじさんと話もしやしない。希薄な人間ばかりだよ」
そうぼやく加藤さんの言葉に、心当たりがない人間は……絶対にいないだろう。
現代を生きる人間には必須アイテムともいえる────『携帯電話』
高校に進学してもオレは持っていなかった。
「加藤さん。自分、携帯電話は持ってないんです。金も無いですし興味も無いです」
──嘘2割、本音8割
もちろん、金が無いのは事実だった。
だが……興味が全く無いのは嘘だ。
オレも家が裕福ならポテトチップスを食べて、携帯でもイジりながら寝ていたい。
だけど、家の事情があるから自分の気持ちを押し殺している。
オレの親父は10年前、オレが6つの時に蒸発した。
母さんが言うには親父の浮気だと言っていたが、金銭的なトラブルを抱えていたことは幼いオレにも分かっていた。
だって小さい頃からゲーム一つ買ってもらえなかったから。
よくある家庭の事情だった。
どこぞの御曹司でもないのに遊具一つまともに買ってもらえないのは貧乏だから。
おかげでガキの頃から、オレの居場所は図書室か友達の家だった。
学校の本はタダだからいくらでも読んだし、友達は遊び道具をたくさん持っていた。
1LDKの家賃も病気がちな母親に代わり、オレが払っている。
その母親も先日、入院をして今は病院に居る。
国の補助があるとはいえ生活は大変だ。
母親の病院代を捻出しなければならない状況で、携帯電話なんて高い物を契約できるわけもない。
契約は出来たとしても、本体を買う事なんて絶対に無理だ。
何度自分の運命を呪った事か分からない。
貧乏が憎いなんて感情はとうに捨てたと思ったが、こうして意識をするとふつふつと行き場のない怒りが身体を支配する。
いけない、仕事中だ。
加藤さんは心配そうな顔でオレを見つめている。
「おいおい、思いつめた顔するなよ? 俺も若い頃は金が無くて苦労したもんだ。でも、頑張ってれば周りが認めてくれるんだ」
加藤さんは少しだけ遠い眼をした。
若き日の自分の事を思い出しているのだろうか。
「今の若い奴はそれが分かってない。携帯のゲームの世界で活躍しても、現実の結果なんてなぁんにも変わらないのに」
言う通り、だな。
オレの考えの根底に、携帯を持っていないコンプレックスがあるのは分かってる。
だが、この現実の世界で生きているのに多くの人。
その過半数以上は、今やインターネットが無ければ生きていけないだろう。
いまや国民の9割が持っている『携帯電話』に魂を捉われていると思う。
言うならば『捕食』されている。
少しだけカッコつけて加藤さんに話したくなった。
「携帯やパソコンなんて、造られたリアルなんですよ。携帯を使い続けてたらなんとなくラクだし、だからみんな逃げてしまうんです」
嘘だ。自分だって、逃げたい。
オレはきびきびと立ち上がり、引越し作業で重くなった肩を真上伸ばす。
「加藤さん、もう休憩終わりじゃないですか? さっさと終わらせちゃいましょうよ」
加藤さんはオレの顔を見て少し微笑んだ。
「よし、もうひとふんばりで終わるぞっ!」
タバコの火を消しながら、大げさに声をかけてくれる。
加藤さんは携帯電話を見た。
──『時計機能』
そうか、時計代わりにもなるんだ。
3時休憩からの2時間で、全部の荷物を運びきった。
途中の食器棚とか腰が抜けるかと思ったが、なんとか持ちこたえられた。
オレ達が仕事を終えたのは18時半前。
汗だくになったTシャツを着替えて、玄関脇に置いていたリュックに詰め込んだ。
下の作業ズボンは、近くの大型量販店で買ったオレの一着だけの作業着だ。
現場系の仕事に行く時はいつもこのズボンを履いて行く。
「龍一君、帰るぞ」
オレはトラックの助手席に乗り込んだ。
10月を目の前にした秋風が、東京に闇を呼ぶ。
その時、トラックに搭載された旧式の車載ラジオが、19時の時報を告げた。
最新型よりも、こういうアナログな物の方が味があっていい。
オレは助手席に座りながら窓の外を眺(なが)めていた
運転席に乗る加藤さんが、今日だけで何本目か分からないタバコふかしながら尋ねてくる。
「なぁ、今年17歳って言ってたよな? 誕生日はいつだ?」
「10月です。10月の5日」
中学の時に母親が倒れて以来、誕生日をしてくれるのは友達だけだった。
ささやかなケーキを食べて、それなりに祝ってもらって。
オレは歳をとっていく事に幸せを感じるんだ。
もっといい稼ぎの仕事が出来るまで、後1年だ。
18歳になったらすぐに稼げる仕事に就きたいと思ってる。
『カッチカッチカッチカッチ』
加藤さんが右折方向のウインカーを点けながらオレにつぶやいた。
「なんだ、来週じゃないか。ちょっと待ってろ」
運転中にも関わらず、この人は携帯電話をいじり始める。
「ちょっと運転中ですよ」
「大丈夫大丈夫、龍一君は真似するなよ」
つぶやきは上の空に聞こえるが、どこが大丈夫なんだ?
トラック運転手はカップラーメンを食べながらでも運転しなければやってられない、というのを聞いたことがある。
同時に二つの事を処理出来るなんて凄いな。まるで携帯電話だ。
オレには出来なそう。
オレと加藤さんが、野球とサッカーのどちらが面白いのか討論をしていたのは10分くらいだろうか。
「ついたぞ」
「え? もうですか?」
トラックが突如止まった。通り過ぎるとばかり思っていたのに。
「秋葉……原…ですよね? 北千住じゃないです。どうしたんですか?」
ここは会社がある北千住ではない。
加藤さんは、秋葉原の中央通りの路肩へトラックをつけた。
眩しいネオンとタバコの煙が、携帯電話を見つめる加藤さんの目を細めさせる。
「よし、検索完了。携帯の地図ではここら辺だって書いてあるけどな。龍一君、ちょっと待ってて。はいこれ」
きっちり120円を渡され、オレは加藤さんの顔を怪訝(けげん)な表情で覗き込んだだろう。
遅くなるからコーヒーでも飲んでおいてとオレに告げてトラックを降りていった。
秋葉原か……。
家にある家電製品が『テレビと冷蔵庫と洗濯機』
旧世代の『3種の神器』しか持っていないオレには無縁の街だ。
窓を開けて周りを見渡してみる。
『パソコン、家電が売られている電気屋』
『美少女がかかれたビルのイラスト』
『最新ゲーム機が売ってあるお店』
まぁ、そういう街だな。
携帯も持たないオレは、こういうちょっとした時間の暇つぶしにはいつも困るんだ。
本当は寝ていたいが、加藤さんが居る手前で寝るわけには行かない。
自分には関係がない街を、ぼんやりと眺めてみる。
……右側にでかい『ビル』が見える。
実際に見る大きさに窓を空けて顔を出して見上げた。
ああ、これが例の『ビル』か。
秋葉原に縁が無いオレでもこの『ビル』の名前は知っていた。
開発地に最近出来た、確か名前は『イルミナスタワー』だ。
政府の『特別情報省』ご自慢の地上60階建ての新名所。
たしか、屋上は一般開放もされていたはずだ。
このビルの関係者、『慶兄』を思い出す。
元気にしてるかな。オレはバイト頑張ってるよ、慶兄。
そうだ、帰ってから明日の学校の宿題をしないとな。
高校生の自分が働くのは学校には認めてもらっているが、アルバイトに精を出して学業をおろそかにするなという母親からの忠告を受けている。
くそ、めんどくさいな……。
帽子をとって顔の上にかぶせる。加藤さん、すいません。ちょっとだけ寝ます。
「うう…うん…」
「……い」
「おーい」
「……おい、おい龍一君。ほら!」
「あああっ! すいませんすいません、ごめんなさい! えっ?」
「はいこれ、プレゼント」
「あああっ! すいませんすいません、ごめんなさい! えっ?」
「はいこれ、プレゼントだって!」
重いまぶたを開けると加藤さんが『白い箱』を持っていた。
箱には何も書いていない。
開けてみろという加藤さんの声に従う。
少しだけ、胸がドキドキする。良い物……かな。
『ガサッ』
箱の中には発泡スチロールで包まれたものが入っている。
──『黒い携帯電話』
これ、2,3か月くらい前にテレビのCMで見た気がする。
「やるよ、おじさんからのプレゼント」
「え!? プレゼント!?」
慌てて続ける。そりゃそうだろう。こんな高価な物……。
ちょっと待ってくれ。
「いやいやいやいや、受け取れないっすよ! 自分はこんな高価な物、いいですいいです!!」
当たり前だ、高すぎる。プレゼントで貰う物じゃない。
「なに言ってんの、中古だからもう返品できないよ。少しだけ型落ちの携帯だけど受け取ってや。おじさんからイマドキじゃない若者、龍一君へのプレゼントだ」
加藤さんの満面の笑みを見て、なんともいえない嬉しさがこみあげてくる。
「ダメですよ!ダメダメ、型落ちだろうが中古だろうが1万2万で買えるもんじゃないですよね?……じゃあ自分は今日の日当要らないです!」
仏の加藤さんが続けた。
「そう遠慮するなって。おじさんな、この前競馬で10万買ったから。な、おじさん独身だし子供居ないし。何より金なんてまた持ってたら馬で使っちまうんだから、未来ある若者の為に一肌脱ぐのもカッコイイだろ?」
加藤さんは少し恥ずかしそうに鼻をかいた。
「そうは言っても、どうしてオレにそこまで……」
「寂しそうだったから。昼間休憩の時に話したろ。携帯の話。龍一君って顔に考えてる事が出る方だろ?おじさんには分かるよ。」
年上ってそういうものなのか……確かに慶兄も大人だったな。
必要だと思う物は、オレにたくさん譲ってくれた。
「家庭の事情でバイトしてるって言ってたけど、欲しい物も買えてないんだろ? いいからいいから」
オレと加藤さんは「要る、要らない」のコントを10分も続けた。
結局、丸め込まれて携帯電話を受け取った。
加藤さんは言葉を付け加えた。
「頑張ってれば周りが認めてくれるんだ。おじさんは昼間に龍一君にそういったよな? おじさんと一つだけ約束してくれ」
真剣になった眼差しとこの言葉をオレは絶対に忘れないようにする。
「龍一君の周りで困っている人が居たら、自分の出来ることで力になってやりなさい。おじさんが出来ることはこんなことくらいだけど、この約束だけは覚えて欲しい」
その瞬間。
オレは疑視感に襲われ、慶兄の声が浮かんだ。
そうだ、あれは中学の卒業式の時だ。
すでに大学生を卒業して就職をしていた慶兄は、俺の卒業祝いに腕時計を買ってくれた。
『忙しい俺に出来ることなんてこんな事くらいだけど、高校行っても頑張れよ。後輩クン。困った奴が居たら力になるんだぞ』
慶兄と同じ事を言ってるんだ。
心の奥がじんわりと温まる。
オレは気恥ずかしく加藤さんにお礼を言う。
「さ、帰るぞ。帰ってAVでも観ないと」
加藤さんも恥ずかしいのだろう。
前を向いてつぶやいた。
「まだ携帯ショップはやってるから、これから登録だけしてきなさい。月々の代金くらいは払えるだろ?」
「ええ、それくらいなら……大丈夫です。本当にありがとうございます」
加藤さんは強めにアクセルを踏んで中央通りを進む。
俺は加藤さんの横顔と、持っている携帯電話を交互に見つめていた。
なんだか……気恥ずかしいや。
しかし、10月を迎える秋の夜風が心地いい。
オレの体に心地よいまどろみが降りてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます