第21話 毒を食らわば
午後イチで開発と会議のアポを取った俺は、諸岩を連れて特急『ひたち』で古巣へと向かった。
座席にコンセントを備えた列車は、バッテリーの残量を気にせずスマホやタブレットで時間を潰すのにもいいが、パソコンで資料の打ち合わせをするのにも向いている。静かな車内では周囲に迷惑を掛けない程度の声で会話もできる。これもインバータのお陰だと思ってしまうのは職業柄なのかもしれない。そう、電車のモーターもインバーター制御だ。
部長に絞られている間に諸岩には、開発への説明に使えそうな資料をかき集めておいてもらった。コピーしている時間はないから、納め先のエレベーターメーカーの新機種カタログ以外はパソコンに集めた電子データだ。手ぶらで会議も失礼なので、カタログは開発に配るためにハムちゃんにコピーしておいてもらった。えっ?俺を男尊女卑な古い管理職と一緒にされては困る。女性はお茶汲みでもコピー係でもない。と、俺は思っている。口を尖らせたハムちゃんのえくぼが浮かぶ。彼女にはには頭を下げても足りないからお土産で買収した。
パソコン上でプレゼンするデータと内容の確認を終える頃には、水戸を発車していた。水戸まで1時間ちょっと。近くなったもんだ。
勝田駅の近くで早めの昼食を摂る。これからの打合せを考えると、食欲なんて言ってられないが、まずは腹ごしらえをさせねば。諸岩も東京で食べられないものなら箸も付けるだろう。この辺のご当地メニューの『スタミナラーメン』こいつは箸を付けたら止まらなくなる癖になる旨さだ。その中でも俺は『スタミナ冷やし』にした。しっかり冷やしたコシのある太麺に、野菜とレバーの唐揚げが熱々で辛みのある餡かけをまとって乗っている。レバーが苦手な諸岩はレバーの代わりに豚の唐揚げが入る『肉スタ冷やし』にした。麺は冷やしなのに、その辛くて熱い餡かけで汗が噴き出す。
会議では、開発の担当者だけでなく、設計、製造、品証、資材の課長以上が勢揃いしていた。ここで決まれば全てが動く。という面々だ。しかも相手は製作所。親会社だ。『出来ないものを受注してきたのだから、開発はできない。』と突っぱねるなら、こんなにお偉いさんを揃える必要はない。、
子会社の出過ぎた失敗に、親会社が本気で対応してくれている。
今朝、営業部長の荒井に言われた言葉を思い出し、胸が熱くなった。
「君には、開発畑から来た。という立場があるだろうが、だからこそ君にしか出来ないことがある。部下の非は上司の責任。もちろん私の責任でもある。そこは素直に本気で頭を下げて、そして何が何でも作ってもらうんだ。営業サイドとしては、受注した以上、どうしても納入しなければならない。どうやったら出来るか、知恵を出し合ってほしい。これは君にしかできないだろう。お膳立ては済んでいる。」
諸岩に処罰は与えない。これを機に諸岩を育てろ。と付け加えた荒井部長の清々しい微笑みが俺の背中を押す。
まずは詫びに徹する。当然だ。悪いのは開発しなければならないものを受注してしまったこと。
まして、200Aについては、開発で充分に検討の結果製品として成り立たないと結論づけた物だった。もちろん当時の俺も検討に参加している。
「そもそも論ですが、」
と前置きして、静寂を破って俺の詫びの挨拶に切り返したのは、開発時代の部下の高沢だった。鳥井と入社自体は同期だが、こいつは生粋の親会社つまり製作所入社の組だ。もちろん俺は同じ子会社組の鳥井と将来のある親会社組の高沢を区別したことはない。そもそも仕事をしている時に差などは感じない。ふとした時に将来の差を憂う程度だ。
200AがIPMのパッケージ寸法は同じでありながら、なぜシリーズとして採用しなかったのかを説明する。その語気は、終始強く、ポイントポイントで、睨むように俺の方に目を向ける。その奥には「あんた、知ってるだろう!」という怒りが見える。
-俺がいながら、申し訳ない。-
という俺の感情は伝わっていないらしい。完全に俺は裏切り者扱いだ。無理もない、俺も逆の立場だったらそう思うだろう。開発は新製品の設計だけやっているわけではない。既存機種の設計変更、つまり性能(価値)を下げずに、使用部品の変更や作業性の改善などで原価を下げる仕事にも追われている。これは、待ったなしのため、各部署からケツを叩かれる。そんな中での開発案件、しかも突発の案件は、彼らにとって、許容しがたい物に違いない。彼らは、これからのスケジュールのやりくりに頭を悩ませる。こちらは、十人十色のことを要求する顧客の顔を思い浮かべ、見合った答えを用意しなければならないが、矢面にさらされる分、顧客に喜ぶ顔を見ることができる我々は、まだ報われる方なのかもしれない。
誰にも口を挟まれることなく意見を出し切った高沢の顔からは、心なしか怒りの色が薄れたように見える。
自分の言葉で静まり返った場に恐縮したのか、居住まいを正すように背筋を伸ばした高沢。それを待っていたかのように開発部長の古田が口を開く
「高沢の気持ちはよく分かる。開発でバリバリやってたザキさんがいながら、営業はこの『ていたらく』だ。だが、顧客に迷惑を掛けるわけにはいかないだろう?」
開発時代に俺の上司で係長だった古田昌夫は、高沢が口に出さなかった。いや出せなかった俺への批判を敢えて述べると、ゆっくりと周囲を見渡す。ざわつきが収まったのを確認したかのように、ゆっくり頷くと。
「で、ザキさん、先方はどんな状況なんだい?」
と、真っ直ぐ俺を見据える。大仕事をする時に見せる悪戯じみた懐かしい瞳だ。
-ありがたい-
かつての仲間である俺に対して、工場のメンバーが言いづらい批判を敢えて口にすることで、その場の不満を代弁し、本質を示すことで俺の意見を聞く空気を作ってくれた。流石は古田さん。
俺は、古田部長に感謝を込めて頷き返すと、スクリーンへ向かった。小走りに俺を追い抜いた諸岩が、演台の上のノートPCの映像ケーブルを外して自分が持ってきたPCを接続する。
スクリーンを確認した俺が「ありがとう。」というと「お願いします。」と小さく、しかし力強く俺に後事を託した。俺は全体をゆっくりと見回す。左から右へ懐かしい面々の瞳に射られる思いだ。
「まず初めに、古田部長の仰ることは御尤もです。私が皆さんと仕事をさせて頂いていた頃、200A級までのシリーズ化が困難であるということは、開発担当として、この私が結論づけた事であります。であるにも関わらず。案件として受注してしまったことは、理由はどうあろうと私の不行き届きであり、皆様に御迷惑をお掛けしたことを深くお詫び申し上げます。長年皆様と一緒に仕事をしてきた私にとって、日頃から新製品の開発と、現行品の原価低減へ向けての設計変更と検証、新たな技術開発と、多忙を極めているのを知っております。それなのに、この青天の霹靂とでもいうような案件を結果として持ち込んでしまった事を、実情を知る者として申し訳なく思っています。多大なる御迷惑をお掛けした。では済まされない。皆さんの怒りが私には分かります。本当に、本当に申し訳ありませんでした。」
-なのに俺は-
俺の中に開発時代の光景、この場にもいる仲間との苦悶の日々と笑顔が走馬灯のように駆け巡り、目に熱いものが溢れてきた。嗚咽が出そうなのを堪え、俺は演台に両手をついて深く頭を下げた。頬を一筋の涙が流れ落ちる。情けないが仕方ない。
「今回受注してしまったサンライズエレベーターは、皆さんも御存知かもしれませんが、中堅のエレベーターメーカーです。大手メーカーとの大きな違いは電気関係、モーターを始めインバーターやその制御系を自社開発しておらず、当社のような部品メーカーから購入して組込んでいる点です。そうすることで開発コストを下げ、低価格を前面に出すことで大手に対して競争力を保っている会社です。このため、大手との競争ではどうしても勝てない面があります。それは独自性や省スペースに関する点です。今回の200A発注は省スペースに関する課題を解決するためでした。
エレベーターといえば、かつては屋上に機械室を設けてモーターを駆動するインバーターや運転を制御する電気・電子部品を収納した制御盤とモーターにギア、ブレーキなどを組合わせたマシンを設置するものが主流でした。しかし、法改正により必ずしも機械室を設置しなくなってから20年あまりが経ち、大型、高速の機種を除いて機械室を持たない『機械室レスエレベーター』が主流になっています。これは『機械室レスエレベーター』が、屋上に機械室を不要とした分、建物による日陰を規制するために建物の高さを制限する『北側斜線規制』のギリギリまで階を増やすことができるからです。」
ここまでは一般向けのニーズの話だ。一旦言葉を切って、室内の面々を見回す。
一緒に仕事をしていた頃、『メモ魔』とからかった高沢があの頃と同じペンを手に取ったのが嬉しい。似合わない仏頂面も消えている。
-ありがとう。-
思わず下げてしまった頭を何事もなかったかのようにさっと上げて深く息を吸う。ここからが本番だ。
「機械室という法律で定められたスペースがなくなった機械室レスエレベーターでは、機械室に設置していたモーター類と制御盤を他のスペースに設置しなければなりません。これらは『昇降路』という乗客を乗せた『乗りかご』が上下する煙突のような場所に設置するのが主流となっていますが、これを実現するためには上下する乗りかごと接触しないように薄型としなければなりません。このため薄型制御盤と薄型モーターが必須となります。薄型モーターは他社に任せるとして、問題はインバータを実装する制御盤の薄型化です。先ほど申したように、大手エレベーターメーカーはインバータ部分も含め自前で設計しておりますので標準型と言われている主に16階建以下のマンションや病院、オフィスビルなどに設置する全シリーズを機械室レス化しております。一方でインバータを購入して制御盤に組み込んでいるサンライズエレベーターなどの中堅メーカーはこの薄型化競争で太刀打ちができません。彼らは、標準型のうち大容量の13人乗り及び15人乗りについては製品化していません。なぜなら、この容量に相当する我々インバータメーカーの製品サイズでは大手の薄型制御盤に対抗できないからです。」
どこからともなく落胆にも似た息が漏れる。
日滝製作所を除く大手電機メーカーがエレベーターを製造している。つまり大手エレベーターメーカーとは、大手電機メーカーのことであり、同じ大手電機メーカーである日滝製作所が、お手芸のインバーターで、エレベーター屋のインバーターに負けていると言われているようなものだった。
敢えて『我々インバータメーカー』と表現したのは、気付いて欲しかったからだ。俺も開発の時は目の前に山積みとなった課題、忙しさにかまけて自分が知りえる範囲の情報での競争意識しかなかった。『ところ変われば人変わる』は、俺が最も嫌う言葉だったし、そういう人間を軽蔑もしてきた。だから営業の人間として『開発が』とは言いたくなかった。勘違い・知識不足で諸岩が未開発案件を受注し迷惑を掛けた事も棚に上げたくはない。
「やってやろうじゃないか。」
古田がテーブルに両手をついてゆっくりと立ち上がりながら言うと、テーブルから離した手を腰に当て、背筋を伸ばして周囲を見渡す。自信に満ちた目は一人ひとりを確かめるように見つめていく。高沢も苦笑交じりに頷いて俺へ目を向ける。その瞳から恨み節は消えていた。
「ありがとうございます。」
弾かれたバネのように末席の諸岩が立ち上がって礼を述べる。続けて俺もみんなを見回しながら礼を言い、深々と頭を下げる。感謝と申し訳なさの念で目頭に込み上げてきたモノが手帳の文字を滲ませる。今頭を上げて昔の仲間と向き合うと男泣きしそうで、上げるに上げられない。
「しかし、だ。条件がある。」
古田の声が会議室を緊張の空気に変える。
企業は利益を産んでこそ価値がある。反射的に上げた俺の顔。乾いた涙が肌を張る感触が、さっきまでそこにあった義理と人情の世界を名残惜しそうに物語る。それをさらに打ち消すような古田の厳しい表情が俺の目に映る。
「事情は分かったが慈善事業をやるわけにはいかん。儲けを出す事は当然だが、多忙を極める中で、さらにこの開発をやるからには、苦労を無駄にするわけにはいかない。」
工場サイドの人間の総意と言わんばかりに古田が声を張った。
「もちろんです。皆さんの苦労を無駄にするつもりはありません。サンライズエレベーターだけでなく、エレベーター業界に200Aを積極的に売り込みシェアを伸ばします。」
俺は誠心誠意を込めてゆっくりと噛みしめるように答えた。
「それは当然やってもらいたい。だが、俺が言ってるのは、そういうことじゃない。エレスリム200Aをきっかけとして、省スペースなエレスリムシリーズで新しい分野を開拓して欲しいんだ。せっかく苦労して作るんだから、毒を食らわば皿までもだ。俺達も協力を惜しまない。それが条件だ。」
そして悪戯っぽい笑みを古田が俺に向けた。
『毒を食らわば皿まで』か、懐かしい古田節に開発の頃の思い出が駆け巡った。
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