第15話 輝き

 都内や中京地区を中心に、遠くは東北、北九州までを秋葉原のオフィスと行ったり来たりしながら続けた挨拶廻りで最初の3週間はあっという間に過ぎた。挨拶廻りの合間、オフィスに戻る度に、デスクには決済書類が山になっている。

 ウチでは営業の戦力を有効活用するため、基本的に直接顧客とやり取りのない副課長が審査、課長が承認を行うことで決済される仕組みになっている。これにより主任・係長クラスは部下の育成と進捗管理をしながら自らの顧客に集中できるというわけだ。逆に顧客からの発注、問い合わせが滞らないように課長、副課長は出張続きでもオフィスに立ち寄ったり、同時に出張や休みを入れないようにしている。

 挨拶廻りを終えて遅くにオフィスに立ち寄る。「遅く」と言っても開発の頃とは比にならない「早い」時間だが、22時を回って残業している人間は滅多にいないから、セキュリティーロックの解除と施錠はここに来て最初に覚えた。残業が少ないから部下も人間らしい生活が出来ているに違いない。その点、部下の家庭まで心配する必要はなさそうだ。だが立ち寄っても部下が誰もいないのは困った面もある。審査するにもイマイチ意味の分からない書類があるからだ。この担当に就いたばかりだから分からない点が多いのは仕方のないことだが、自分の責任でハンコを押したりサインをする以上は、分からないままにはできない。特に性能を示す数値や仕様については、「なんでそのそうなったのか」気になるのが設計者のDNAなのかもしれない。その辺は、顧客とどのような打合せをして決定したのか、というのが気になるところだ。特にオーダータイプの場合、顧客が求めるものがカタログにない以上、顧客が何を求めているのか明確になっていないとトラブルの元だ。もし、顧客の要求と異なるものを納めてしまった場合、時間も金も取り返しがつかなくなる。

 それが分かる様な書面が付いていれば問題ないのだが、忙しいのかやっても意味が無いと思っているのか、説明のメモすら無いモノが多い。ちょっとしたメモだけでいいのにそれが無い。開発にいた頃はありえないことだ。仕事の基本じゃないか、同じ会社なのに文化が違うのか、それとも俺がナメられてるのか。

「これでどうやって決済するんだ。君は俺に何をしてほしいんだ?」

と叱り付けたいところだが、ここのすべての仕事を理解しているわけではないので、それは後程。そもそも書類も分からないことだらけだ。

 翌朝、オフィスに早めに顔を出す。今日挨拶回りに行く取引先との状況の最終確認だ。もし昨日今日で相手との取引に問題が発生していたら、それを知らずに出向くのは最悪だ。メールや電話で部下に確認すればいいのかもしれないが、できれば直接確認したい。始業時刻前でも問題が起きていれば早めに出社しているだろうし、職場もざわついている筈だ。ま、それは当然のこととして、

 もうひとつの目的。

 そう、決済書類の不明点の確認だ。始業時刻前だから、部下はまだ来ないかもしれないが、これから新幹線に乗らなければいけない忙しい朝でもギリギリまで待つ、

-まだ仕事が始まっていないのに、自分本位の嫌な上司だ。-

 そう思われてもいい。顧客に迷惑を掛けるよりはマシだ。ついでに俺の中で仕事上不明確な点も話の中で明らかになれば勉強になる。

 だが、そう簡単にはいかなかった。

 やっと現れたその部下、営業一筋12年目の諸岩が挨拶もそこそこにデスクで缶コーヒーを開ける。そこへ俺は挨拶の声を掛けながら笑顔で近付く、

「昨日、出してもらったこの仕決書類だけど、工場のラインで使うんだよね。お客さんとは受電設備の高調波対策とか打合せてるの?ACリアクトルの追加とかないけど。」

 平たく言えばインバーターの類は電力変換装置、電気の形を自由自在に変える装置だ。すると電気の出入り口である受電設備の内と外では何らかの差が起こる。それが「ひずみ」だ。基本的にはフィルター回路などで、その歪を最小限に抑えようとしているが、完全に消し去ることはできない。それが高調波だ。そいつらは回路や電波にいろんな悪さをする。AMラジオに入る雑音を聞くとそれが手に取るように分かる。あ、そもそも今の若い人に「AMラジオ」なんて言って分かるのかな、まあいい。フィルタ回路同士も相性が悪いといろんな悪さをする。最悪の場合、火災にもなる。だから、顧客が他にどのような設備を持っているか確認しておく必要がある。

 回転する椅子なのに体はデスクの正面に向けたまま、顔だけこちら向けて俺を見上げる諸岩。

あ~あ、だらしなく口を半開きにしちまって。今にも欠伸をしそうだ。

 このクソガキがぁっ!おっと、今は我慢だ。

「ああ、それは打合せ済みです。ハンコさえ押してくれれば大丈夫なんです。」

 早めに出社し、パソコンに向かっている者、新聞を広げている者、雑誌を読んでいる者、デスクにまばらに座って思い思いにくつろいでいた人達の動きが止まる。

 言葉遣、語気、意味のバランスがとれていない諸岩の言葉に、ある者は驚き、ある者は次の言葉を促すように好奇の目を向けていた。叱る者は一人もいない。

(あ、叱るのは上司の俺の役目か)

 こんな話し方で客と話してるのか、と心配になるような言葉遣いだが、語尾を強めた言い方は明らかに「黙ってハンコ押せばいいんだよ。」という俺自身に向けての当て付けだ、だから俺に対する態度が言葉遣いに現れてるだけらしい。

 じゃあ何で顧客支給の品名が書いておかないんだよ。ウチの装置と繋げる端子のサイズとかどうなんだ?それとも配線も端子も顧客支給なのか?工事はどこまでウチなんだ?「なあなあ」にしてたら結局ウチが負担するようになるんじゃないか?後から正しい取引しようとしたってトラブルになるだけだ。

 まあいい、大丈夫だというなら信じるしかあるまい。畑違いの俺は教えてもらわねばならない立場だ。それにこれが営業のやり方なのかもしれない。

 問題があれば改善すればいい。どんな仕事だって一緒のはずだ。そのためには改善へ向かおうとし、困難を根気強く解決する力が必要だ。それを産むのは信頼しあえる仲間が作るチームだ。

 諸岩にこんな態度を取られているようでは無理だ。信用を得るには、それこそ「なあなあ」では、ダメなんだ。チームが上手くいっているように見えるが、「あの上司は口だけで何も知らない。やることだけやってりゃいい。」「部下には、もっと一生懸命やって欲しいが。まあいいか」中身は妥協の組合せでしかない。妥協という形は、ちょっとしたズレが修正できずに組合せが崩れてしまう。

 そうならないためには、仕事で一目置かれるようにならなきゃダメなんだ。弱点があってもいい。役に立つ強みがあればいいんだ。その組合せは、お互いに弱点を柔軟にカバーし合い、多様な強みが形を自在に変えて現状や未来の課題を発見し、困難に柔軟に対応できる強いチームを作る。

 そう。今はムキになる時ではない。そもそも俺がコイツ等にとって目の上の「たんこぶ」なのだから。俺はまだ「開発の人間」としてコイツ等の目に映っている。それでいい。開発、設計、いや工場全体の代弁者だと思ってくれていい。そんな「工場の奴ら」である俺が、お前達と信頼関係を築けた時、素晴らしい組織への第一歩になる。

 荒井部長が言っていた。あの言葉

(部門間でいがみ合っている時代じゃないし、そんな余裕はない。製品に対する思いを伝えて欲しい。)

それが目指す先にあるのは、そういう組織に違いない。俺だって営業の連中を軽蔑していたが、今はもうない。荒井部長の言葉が信念となって俺の心に宿っている。

 それはそうとして。

 結局業務内容の事は聞けなかったな。意味の分からない記号や流れがまだまだあるのに。

 電車の時間が気になりだした。もう行かなきゃな。もっと詳細な業務資料はないのだろうか、あるに違いない。営業畑一筋の社員なら新入社員の頃からメモしたものが財産になってるはずだ。諸岩にもらうか?いや、それは違うな、根を上げてると思われるかもしれない。頼るのはまだだ、これからもっと大きな事で頼るようになる。そうでなきゃいけない。

 今日は大阪だ。大阪には設立が昭和初期に遡る老舗の大手家電メーカーがある、そして時代の流れに翻弄されながら設立、合併、分割を繰り返してきた系列会社は、家電のみならずあらゆる種類の電気製品を手掛けている。その中でウチのインバータの地位を確固とし続けなければならない。

 今日も帰りは遅くなる。

 溜息をつきながら書類受けの束をデスクの正面に置いて、椅子に浅く座る。付箋を貼っておいたページをめくりながら判を押していく。昨夜目を通しておいたから闇雲に押している訳じゃあないんだけど、周りの人から見れば諸岩に言われたから、見もせずに判を押してるように見えるだろうな。でも今は時間がない。

 書類を課長の書類受けに置く、もちろん問題の書類には、「受電設備打合せ済み別途手配」とメモを付けた。

 自分のデスクを見回して椅子においていた鞄を手に取る。忘れていることはない。

 さあ行くぞ。

 行き先明示版に「出張」のマグネットを貼り、ホワイトボードマーカーで「大阪」とだけ書くと、早足で廊下に出た。エレベーターホールの手前で笑顔の挨拶とすれ違う。ハムちゃんだ。挨拶に答えながら足を早めようとした。

「出張ですか?」

 その声に立ち止まり振り返る。公子の大きな瞳が心配そうに俺の目をのぞき込んでいた。

「そう、大阪だ。」

「いつも夜遅いんじゃないですか?なんか、開発の時みたい。」

 あの頃も、実習生だった公子は帰り際に同じ様な目を向けていた。実習生に残業はさせられないし、そもそも残業するほど与える仕事もなかった。あの頃小動物ように愛らしいと思っていた新人営業社員は、大人びた女の仕草や表情をするようになっても瞳までは変わらなかったようだ。

 新人営業社員だった。

 そうだ、ハムちゃんに資料を借りればいい。

「ハムちゃん。頼みがあるんだが。」

「何でしょう?」

 公子の瞳から心配の陰りが消え、いつもの輝きが戻る。

「営業の仕事の資料を貸してくれないか?あれば、でいいけど、新人の頃のメモとかもあると助かるんだけど。正直、とにかく分からないことだらけなんだ。」

「ですよねー。今の柿崎さん、何か覇気が無いですもんね。私が実習してた頃の柿崎さん、輝いてたましたよ~。資料なんてお安い御用です。沢山もってきますから、また輝いて下さいね。でも、」

 照れて伸びそうになった鼻の下が引きしまる。

「でも?」

「高いですよー。あ、た、し。」

 何だ、ビックリさせやがって、

「お前じゃなくて、高いのはお前の資料だろ。」

「分かってないなー、相変わらずですね。」

 俺の目の奥を覗き込むように公子が顔を少し傾ける。まるで、そうすることで心の中を読めるとでも言いたげに。そらした俺の視線に公子の顔の動きに付いていけずに真下に下がった髪が朝日が透けて映る。

 心臓が大きく上下に動いたような感覚。切り返す言葉が浮かばない。ただ、目に映るものすべてが、そう、すべてが、

 やけに眩しい。

 (まだ俺にも)

 (とにかく)

 そう、とにかく。だ。

「とにかく、よろしく頼んだぞ。」

 作り笑いを浮かべ、それが変わらぬ内に速足で歩きだす。背中に絡みつくような視線を感じながら。 勘違いするな。と、いつも自分を戒めるもう一人の俺は、遂に出てこなかった。

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