第14話 魂の居場所
営業に関する2日間の基礎教育を受けた後、3日間ずつ各課の中堅に付いて回って営業の基礎知識や仕事の流れと各課の役割学んだ。
そんなこんなで秋葉原の営業部に転勤してから半月が過ぎた頃、パワー装置営業課副課長という辞令が出された。
初の管理職。申し送りを受けた夜、寮で独りビールから始まった俺の宴はテレビがサスペンスドラマを流す頃にはウィスキーの水割りを繰り返すサイクルに突入していた。
副課長。という肩書に嬉しさが無い、といえば嘘になるかな。という程度の照れは、酔の中でも畑違いの仕事をまとめていかなければならない。という不安に頭を抑えられ、俺の胸の中で浮かんでは沈み、沈んでは浮かぶのを繰り返していた。
そんな気持ちも小振りなアジの焼き魚と納豆、みそ汁の朝食で少しずつ冴えてきた頭の中で現実に引き戻されて、パワー装置営業課の顔ぶれが頭に浮かぶたびに、不安だけが増し始めた。
電車に揺られ、やっと慣れてきた人の流れに乗りながら、何か楽しいことを考えようとしても新しく部下になる面々が脳裏に浮かぶ。そもそも今の俺には楽しいことをなど何もない
―あいつら俺の事をどう受け入れるかな。―
パワー装置営業課で受けたOJTでのあいつらの表情、「他所者は認めねえ。」と言わんばかりの射るような目。あの目は、「ただの営業じゃない。」という自負と、「誰にも文句は言わせない。」という強い拒絶反応の目だ。しかも俺は他所者のうえにあいつらの上司になっちまう。
パワー装置営業課は、工場、プラント、などの設備や、エレベーター、エスカレーターなど、主にメーカーの製品に組み込まれるインバーターを扱う、だから自分の製品だけでなく顧客の製品の知識も求められる。確かに誰にでもできる仕事ではない。
だがな、
―技術はお前らには負けないんだよ。―
俺にだって絶対に譲れないプライドってものがある。開発一筋でここまで来た技術者としての誇りがある。
握っていた拳に力がこもり、汗ばんできた。俺の中で不安が怒りに変換されていく。電車の窓に映る俺の眉間に皺が寄っている。
いかん、俺がこんなんじゃ何も始まらない。それに営業じゃ初心者なのは事実だ、熱くなっちゃダメだ。謙虚さを忘れるな。そして目標を忘れるな。
俺の新しい目標、
脳裏に営業部長の荒井の笑顔が浮かぶ
―お前達を育てる。誰にも負けない技術屋の知識を持った強い営業に―
プライドや縄張り意識、闘争本能、それは人間として当然の本能だ、いや、動物的な本能なのかもしれない。しかし同じ組織で働く俺達は、協力しあう事もできる。仕事だから、という上辺だけの協力ではなく、真にお互いを理解し合った組織こそ最大の効果を出せる。そしてそれはより良い仕事を産み顧客満足を高める。その過程で育まれるチームワークに顧客の反応がフィードバックとなりモチベーションを上げ遣り甲斐と成長に結びつく。
-相乗効果-
それは、お互いが理解することから始まる。理解されたければ、まず相手を理解する。こちらが相手を尊重していることに相手が気付くことで信頼が産まれ、こちらの事を真摯に理解してくれようとし始める。そしてその結果として1+1=2ではなくなる。それは3にでも4にでも、いや、場合によっては10にでもなるし、数字では表せない新たな価値を生み出す可能性だってある。
それが開発の頃、限界を感じてビジネス書を読み漁った俺が到達した答えだった。製品の開発には様々な部署が絡む。開発設計の中だけでもマイコンを始め電子部品を実装したプリント基板を設計する電子グループ、そのマイコンを動かす頭脳であるプロフラムを設計するソフトグループ、そして彼らの設計したものを様々な部品と結ぶ電気回路を設計し、部品の配置や配線を設計しインバータ装置として形にする装置グループ。俺が長年いた場所だ。開発は、ゼロからのスタート、自由度がありそうに見えるが実はそうでもない。顧客のニーズ、社会環境、他社の製品の実情などなど、様々な要素から開発する製品の仕様が決まっている。それは省エネだったり、省スペースだったり、低コストだったりする。「省」だの「低」だのばっかりだ。何が言いたいかって、最初から余裕がないってこと。「もっと小さく、もっと安く」それを省エネで作れっていうんだから、しかも少人数でね。自ずとスペースや目標原価に対して掛けられるコストの割合の取り合いになる。そう、場所と金の取り合いだ。新たな製品を開発するためには、今までを越える技術を出し合って最適に凝縮しなければならない。取り合いではダメなんだ。相手がどのような技術を駆使しているのかを知り、懸念する事を理解する。そうすることで、こちらが譲れる部分が見えてくる。そして相手に譲られるれる部分が増えてくる。簡単に言えば自分の影響できる輪を広げるようなイメージだ。お互いに影響の輪を広げて行くことで互いの輪がフィールドと重なれば重なるほど、相乗効果を発揮する。それは時として新たな価値を産み1+1が今までと全く違う形で昇華する。それは素晴らしい製品となって実を結び、顧客を始め関わる人々の反応が次へのモチベーションを高める。開発部署だけではない。製造やメンテナンスにだって同じ事が言える。いかに作業しやすい構造にするか、作業しやすくなれば人件費は下がる。しかし、無闇に作業性を良くするわけには行かない。それは構造を複雑にし部品のコストを上げる事になるからだ。良い製品は、相乗効果によって産まれる。それを俺は実践してきた。
だが、営業に対してはそんな雰囲気になれなかった。正直言うと、そうするつもりもなかった。
奴等は製品の知識に乏しく、すぐ問い合わせしてくる。こっちが忙しいのに「顧客に質問された。技術書を出してくれ」だ。その場で回答できないから顧客は不安になり正式な見解を求めてくる。
そして製品を安く叩き売りにする。俺達が現場や部品メーカと知恵を出し合い「1円1銭でも安く」と、やっとの思いでコストを絞っているのに奴等は、何千円単位で値引く。奴等は知ってるのか?性能や信頼性を損なわずにどうやってコストを下げているかを、ただ安い物を探すんじゃない。様々な検討と計算を行い、品証を始め各部署を納得させる、その上でもう一度製品として実証試験を行い確認するんだ。いくら計算で証明出来ても、実機で試験をしないと世の中には出せない。そんな世界なんだ。どれだけ時間と手間が掛かっているのか。奴等は、数を売れば成績が上がる仕組みだから理解しようともしない。
もっと酷いことがある、オーダー案件で他社が身を引いた、いわゆる「ゲテモノ案件」だ。何がゲテモノかって?それは色々さ、単純に利益が見込めない案件はまだましだが、組み合わせが不可能な仕様や、酷いのになるとオーダー製品の範疇を超えた不可能なことだらけの仕様なんてのもある。そもそもオーダー向けの製品は、大量生産の標準品よりも性能と拡張性に余裕のあるベース機種に顧客の要求に合わせたアレンジを加えて出荷する。そのアレンジ設計と製造への組立手配を行っているのが鳥井のいるオーダ設計課だ。その範疇を超えてしまったら開発案件となり、開発設計が新たな部分の設計を行い試作、そして機能試験が必要となる。新製品の開発や現行品のコスト削減のための設計変更で大忙しの毎日に、この余計な仕事はキツイ。特に現行品のコスト削減は、性能や価値を変えずにコストを下げるVE バリュー・エンジニアリングと呼ばれる手法で、これがなかなか厳しい。いろいろな部署のお偉いさんが集まった会議でネタやアイデアが出されるが、出来るかどうかを検討し実現するのは開発。出来ない理由も当然追求される。ハッキリ言って専門外の素人ほど突拍子も無いアイデアを出しておいて出来ない理由を納得してもらうまでに時間を有する。はた迷惑な話だ。しかも進捗は毎週会議で追求される。安く出来るかもしれない製品を毎日製造している訳だから、そりゃあもうお偉いさんは必死で俺達第一線の人間のケツを叩きまくる。開発も評価試験を行う品証も、部品調達を行う資材も課長から担当までその場でボロボロにされる。だから開発には仕事の波が無い。いつも高止まりだ。そこに営業の奴らがブッ込んで来る。出来もしない仕様を顧客と打ち合わせて来て「なんでウチでは出来ないんだよ。」と俺達には高飛車な態度。「イヤイヤイヤ、それはあんたらの営業事故でしょ。」
何度怒鳴ったことか。
そして製品が出荷されて間もなく社内報に満面の笑みの営業の顔が載る
-他社も手を出せなかった難しい案件を納入しました。-
「オイオイオイ、苦労して作ったのは俺達だろ。」
奴等は臆する事もなく自分達の手柄にする。
一品モノので量産効果の得られない大赤字の製品、下手したらその後も類似品の受注が無く、世界にたった1台の製品。な~んてのをオーダー価格で売ってしまう。最初から新規開発として売るべきモノを奴らは喜んで取って来る。他社が「出来ない」のではなく、採算に見合わないから「やらない」案件なのに、それに気付かず天狗になってる嫌な奴等。
「人の好き嫌いで仕事をするな」
懐かしい声がこだまする。最初の上司の声だ。
まずは奴等、もとい、コイツ等を好きになることから始めなきゃな。魂は開発でもいい、いや開発だからこそ、コイツ等にとって、メリットになれる。そして相乗効果の輪を広げよう。
ただ、これが容易ではないことも事実だ。なぜなら、根本にあるのは、俺も人間ならあなたも人間。関わるみんなも人間だからだ。つまり人格だ。それが自分に備わっているかは分からない。これまで開発で上手くやれたのはみんなの人格が共鳴し合った結果だ。最高の仲間だった。
そうさ、最高の仲間をここでも作ればいいんだ。最初は嫌われるかもしれない。でもきっといつの日か通じるはずだ。目的は一緒なのだから。
満員電車の車窓には様々な顔が映る、俺達の仕事がどこかでこの人達の暮らしを支えている。そして俺もきっとどこかでこの人達の仕事に支えられている。お互い名前も知らない、次に顔を合わせても当然分からない程度の存在。その中心にいい目をしたオッサンがいる。
やろうぜ、俺
窓に映ったオッサンが微笑む
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