第13話 景色
朝7時過ぎ、会社の寮を出てJR松戸駅から電車に乗り込んだ。
普段なら電車の微妙な揺れと音に眠気を誘われるところだが、初めて松戸の寮から出勤したためか、昨夜飲み過ぎたにしては目が冴えている。
いや、それが原因ではない。
重い頭で昨夜のことを思い出すと同時に酒の席で妙に視線が合った公子の熱い眼差しの意味を思い出し、その点は落胆する。ていうか、こんな時に何を思い浮かべてるんだ俺は。
頭を切り替えろ。
昨夜。
とある雑居ビルの地下に降りていくと植え込みまである和風の玄関が現れ、和服を着た店員が迎えてくれた割烹料理店、東京では普通の店構えなのだろうが、まずはビルの地下にこんな空間があることにこの歳になっても違和感を感じる。
「おおっ、御苦労さん。」
三谷課長とハムちゃんに続いて個室の座敷に入ると、奥で砕けて座っていた男が座り直しながら2人に声を掛けていた。
「どうもどうも、初めまして柿崎さん。部長の荒井です。」
正座になったところで改めてこちらを向いた荒井の姿勢の良さが、なおさらその長身強調した。
「ようこそ、営業部へ、部長の荒井です。正式な歓迎会は後日みんなでやるとして、今夜は気楽に飲みましょう。」
少年の頃から変わらないのでは、と思うほど屈託のない笑顔を見せる荒井は、その後の取り留めのない話題でも笑顔の種類を変えることはなかった。そして、俺より4、5歳は上に見える荒井の所々に敬語の混じった柔らかな言葉遣いもまた、部長という職位に
-俺は人間の表面を鵜呑みにはしない。-
冨川同様、年齢的に日滝から流れてきた「天下り組」に違いない。絶対に「ひと癖」ある。悪い意味で必ず何かがある。奴等にとって結局は退職までの腰掛けでしかない。それは役所に限った話ではない。日滝本体に戻って一花咲かせるような奴は、子会社の社長クラスのみだ。
-冗談じゃない。-
子会社の人間にしてみたら、そう叫びたい制度だ。どんなに頑張っても会社幹部に収まるのは親会社からの「天下り」の連中だ。これじゃあ夢なんて持てない。「なれる・なれない」のと、そもそも「ない」のは大違いだ。
いや、待てよ。
営業の若い連中だって、開発から来た訳の分からないオッサンが上司になったら夢を無くすかもしれないな。
これからは、嫌味や妬みの矛先が俺に向けられるんだろうな。本体から来る本物の「天下り」には、何を言っても張り合いがない。空しくなるだけだ。
若い連中には、夢のあるポストが必要だ。働いているのは人間だ。人間には夢と希望が必要だ。ゴールを思い描けるような目標が必要なんだ。この会社はそれが分かっていない。
人間に能力を発揮してもらいたいんだったら、モチベーションを上げてもらうのが一番だということが俺のモットーだ。一見良さげに見えるこの部長。一体どういう癖を持っているのだろう。
それも程なく分かってきた。というか酒の力はすごい。
二次会のスナックを早々に引き上げ「これからは男同士の夜の話だ。」とか言ってハムちゃんをタクシーで帰した部長は、三次会の席で本性を見せた。本性というよりは、本音に近い彼の癖は、俺に衝撃を与えた。
-こんな人が、営業の、しかも天下りにいたんだ-
俺は自分の了見の狭さと器の小ささを思い知った。
無邪気な笑顔は相変わらずだが、酒の力も回ってきて打ち解けた雰囲気が荒井部長の言葉から敬語を少しずつ取り払い、「さん付け」が辛うじて残った頃、彼は熱っぽく語り始めたのだった。製品に対する愛情と、作り手に対する思いを。
焼鳥屋の胃をくすぐる香りも消え失せ、俺は荒井部長の話に引き込まれていった。
「柿崎さん、俺、有田さんに感銘を受けたことがあって、それをずっと肝に銘じてるんだ。」
「有田さんって、あの制御開発の?」
荒井は俺の問いに頷くとお
「そう、その有田さんだ。やっぱ柿崎さんレベルになると知ってるんだね。俺は係長になった時、心に決めていたことを実行に移した。ペイペイの平じゃ口が滑っても言えなかった事をね。」
俺が注いだ日本酒に軽く口を付けてから荒井部長は先を急いだ。
「研発の懇親会の場で、工場で営業の新人を実習させてもらいたい。って訴えたんだ。工場には、開発も設計も品証(品質保証(検査))もいるし製造も資材もある。」
研発は、研究発表会の略で、大卒及び院卒2年目と高専卒4年目の社員が行う発表会で、業務で取組んできた課題解決の成果を発表する。発表用スライドのパワーポイントの作成は勿論、30ページ以上という論文作成も課せられた、いわば登竜門である。そのプレッシャーに負けて脱走する者も2,3年に1人はいる。優劣はないが、発表が終われば研修職から企画職に昇格する。発表会の夜は懇親会で発表者と指導に当たった上司を
「そしたら、当時は設計部長だった有田さんが、そりゃあいい。と言いながら目を丸くして喜んでくれたが、すぐに真顔に戻ってこう言ったんだ「金と時間の感覚のない奴は設計者の資格はない。分かりますか?」ってね。
柿崎さん、俺はビックリしたよ。設計者って性能が一番で値段や納期は二の次だって威張ってるってイメージがあったから、特に開発の連中なんて、独りよがりなもんばっかり作ってるって思ってたから、あ、気を悪くしないでくださいね。」
俺は正直驚いた。俺もその言葉で育った。その言葉には続きがある。「性能が出るのは当たり前。そのために知恵を絞って計算して図面を引くんだ。難しいのはコストと時間だ。高くても時間が掛かっても負ける。」
ま、この続きがあるって話は、次にとって置こう。今は、この部長がどう思ったかをもっと知りたい。
「全然気にしないですよ。で、荒井部長はどう思ったんですか?」
俺は徳利を差し出して荒井に酒を注ぎながら先を促した。
「あ、どうも、」
荒井は一口酒を
「こういう思いで設計してたんだな。って、俺達はとんでもない勘違いをしていた。開発の連中は独りよがりで競争力のない製品作りやがってってね。そんな不利な武器を手に持って競争しているのは俺達なんだ。俺達が設計や現場の人間を食わせてるんだ。って天狗になってたんですよ。でも違ってた。三槍より売れないのも利益が少ないのも俺達のせいだって、考えるようになった。」
有田さんは、定年後も嘱託として開発に籍を置いていた「電気設計の神様」だった。惜しくも昨年鬼籍に入られた。もちろん俺にとっても生き字引という存在の大先輩だった。
それにしても有田さんの教えが、営業一筋のこの人の心をも震わせた。やっぱり有田さん、あなたは凄い人だ。俺は一気に杯を
「残念ながらリーマンショックの不景気で実習生制度は無くなってしまった。今の若手は、また井の中の蛙になってしまうだろう。いや、もうそういう雰囲気になっている。技術も作る人の思いも知らずにね。
柿崎さん、あなたには2つのことをやってほしい。」
そこまで言った荒井は、一気に杯を干す。
「まず1つ目。
若い連中に一体感という文化を植え付けて欲しい。人は身近に敵を置きたがる、だが部門間でいがみ合っている時代じゃないし、そんな余裕はない。製品に対する思いを伝えて欲しい。
そして2つ目。これが本題だ。
近々、営業部の組織改革をやります。目的は営業技術課の強化。柿崎さんも知っての通り、今の営業技術課は、市場開拓の検討、新製品の事前売り込み、オーダー製品の営業、新技術の展開検討、技術的な顧客対応などだ。だから数を売ればいい。という普通の営業じゃあない。だけど、いろんなモノが電化されている時代に追いつけないことを思い知った。オーダー製品の営業、カタログに無い「まっさら」な仕様から打合せる。これは重い仕事だ。これじゃあ新しい分野の開拓に注力できない。
震災後、オール電化住宅が急速に普及したときにウチは完全に出遅れた。耐震基準の兼ね合いでの建て替えもあるが、バブルの頃に流行ったオーダー物の店舗用冷蔵庫やエアコン、エレベーターその他あらゆる置き換え需要がオール電化住宅の流行とカブった。それでもオーダー製品だからという理由で全て営業技術課が背負い込んだ。結果、オール電化の流行に乗り切れ無かった。今は少しずつ売り上げを伸ばしているが、日滝のブランド力をもってしても出遅れた製品でシェアを伸ばすのは難しい。
だからオーダー物を各々該当する製品を担当してる課に移す。例えばエアコンなどの家電品のオーダー物は営業一課、という具合にね。そして営業技術課には新しい分野の営業を先取りしてシェア獲得に注力してもらう。製品化してシェアを獲得したら、他の営業課にその製品を任せて、また新たな分野の電化に手を付ける。
このサイクルで常に日滝に新しい製品の需要を提案し、売っていく。 このためにはエンジニアの目と知識を営業技術課全員が持たなければならない。
柿崎さん。あなたには、新しい営業技術を育てて欲しい。」
そこまで一気にまくし立てるように熱く語った荒井部長の口の端には、唾が泡を作っていた。荒井はお手拭きで口を拭くと通りかかった店員に水を頼んだ。
「分かりました。いくらでも教えますよ。」
私は背筋を伸ばして深く頷いて見せた。
「それだけじゃない。」
と言ってから、受け取った水を一口で半分まで飲んだ荒井は、後を続けた。
「あなたには営業技術課の課長をやってもらう。あなたのこれま 」
「ちょ、ちょっと待ってください。私が課長?物を売ったこともないのに、そんなの無理です。出来ません。」
俺は慌てて荒井部長の言葉を遮った。
これ以上喋らせてはならない。
あまりにも唐突な部長の言葉に俺の自己防衛本能のブレーカーが動作した。
だが、荒井は止まらない。
「出来ないじゃない。やるんだ。やるんです。これには長年開発を続けてきたあなたの知識と経験が必要なんです。この分野には使える、とかどれぐらい開発コストと時間が掛かる。とか、新たな分野に踏み込む為の嗅覚と判断が出来る人間が必要なんです。補佐として大田を副課長に付けます。あなたの弟子でしょ?営業で最後の。そして育ててください。大田とそれに続く若手を。改革まではパワー装置営業課副課長として三谷さんの元で営業のイロハを見てください。そして、新しい営業技術課で使えそうな若手を見繕ってください。これには「みなとエンジニアリング」の未来が掛かってる。」
ヤバい。この人は本気だ。
俺の視界の隅で三谷課長が大きく頷いて見せる。
この人の癖。
それは熱いプロ意識だ。それが俺の製品に対する熱い心を震わせる。俺が仕舞い込んで堅く蓋をしていた心を「起きろ」と揺する。
起きちゃダメだ。俺の自己防衛本能が叫ぶ。
コバンザメのように親会社の日滝に吸い付いている子会社クソみたいな「みなとエンジニアリング」派遣になってから「開発は穀潰しだ」とまで言われて搾取され続けてきたんだ。挙げ句に俺達の仕事を「日滝のためにやったのであってウチの会社には何もやっていない。」一蹴して評価してくれなかったじゃないか。
技術者としての俺を育ててくれ、評価してくれたたのは日滝だ。
そもそも荒井部長。あんたなんか日滝の天下りじゃないか。なんでそこまで。あんたなんかが。何で!
「何で、何でそこまでこの会社を思うのですか?部長は日滝本体から来たんですよね?」
言ってしまった。この場で言って良い言葉ではない。
荒井は俺から目を逸らして下を向いた。そして自ら徳利のまま酒を呷ってから俺を真っ直ぐに見つめた。
「俺は、この会社に拾ってもらったんだ。確かに俺は日滝本体から来た。営業をやっていたんだ。誇りを持ってね。だが、手掛けたプロジェクトで大赤字を出した。明らかに見積りの甘さだった。ろくにその分野の技術を知らずに安くしかも短納期で受けてしまった。それじゃ無理だ。という技術屋の声も泣き言に聞こえた。結果、客のプロジェクトは大幅に遅れ、日滝はペナルティーを取られた。噂では、開発の主任が過労で倒れ、その後亡くなったそうだ。」
徳利を握る手は力が込められて白み、その目はみるみる赤く潤んでいった。そういう営業はどこにでもいる。反吐がでるほど嫌いな人種だ。
「俺は天狗になっていたんだ。俺はダメなやつだ。自信も信頼も無くし、日滝の中で職を転々とさせられた。最悪だった。だが仕方がない。悪いのは俺だ。俺は自暴自棄になっていた。自分が許せなかった。でも営業が好きだった。営業の仕事に誇りを持っていた。もう一度営業をやらせてくれたら、きっと上手くやれる。やってみせる。俺はもう天狗にはならない。でも日滝は俺に営業をやらせてはくれなかった。
そんな俺を拾ってくれたのが「みなとエンジニアリング」だった。俺にもう一度営業をやらせてくれた。そして有川さんに会ったことで知識だけじゃなく全体を考えることの大切さを確信した。
俺は、この会社に恩返しがしたい。
知ってるよ。柿崎さん。あなたの開発としての仕事が「みなとエンジニアリングのためには何もしていない」と言われてずっと評価されなかったのを。開発が派遣扱いになってから、そういう方針になったんだ。俺は危機だと思った。開発の技術者がいられなくなる。有川さんのDNAが他へ行ってしまう。ってね。冨川にも言ったんだけど、ダメだった。それはアイツも分かっていた。だが、給料の原資は決まっている。派遣先の為に活躍している人間の評価を上げてしまったら、自社のために頑張っている人間がヘソを曲げる。そしたら売り上げに直結だ。柿崎さん達が成果を出しているのは知っていたが評価してやれなかったんだ。
アイツを恨んだかもしれない。が、実態はそういうことだったんだ。このまま開発の人達が腐ってしまったら文字通り宝の持ち腐れになる。それを心配していた。だから開発から転職者が大勢出た時、アイツはね、泣き笑いして言ってたよ。
「腐りきって技術者としての部下が死ぬよりは、腐る前に技術者として巣立ってくれた方がいい。」
ってね。本当は冨川は無念で仕方が無かったんだ。」
俺は、我に返った。
転職していく後輩たち、その都度冨川部長は開発1課の土川課長に声を掛けて開発1課を挙げて送別会をやっていた。また、冨川部長は部下に色紙を用意させて送別会までに回覧していた。送別会の最後、みんなのメッセージの色紙を渡してから全員で記念撮影をするのが恒例になった。本来ならば、転職していく奴は裏切り者。仲間内ならともかく、部署を挙げて部長まで来て送り出してくれる。後ろめたく思っていた分感激して男泣きに泣いた奴もいる。
そういうことだったのか、俺は誤解していたのかもしれない。憎まれ口は、自分の元では報われることがない部下を奮い立たせるための演技だったのかもしれない。新しい道で技術者として幸せになるために。
「今度は、ウチの会社のために、頑張ってくれないか。柿崎さん。あなたは冨川のイチ押しだったんだ。だからウチに来てもらった。」
不意に込み上げてきた熱い思い。スライドショーのように何百枚もの開発の日々が脳裏を駆け巡る。滲んだ俺の視界に映る荒井営業部長の顔に冨川設計部長の笑顔が重なる。
俺は、差し出された手を強く握った。
そう、今朝は全ての景色が違って見える。いや、ここ何年かの腐りかけた俺は景色の見方が違っていただけなのかもしれない。懐かしいこの感覚。なんのしがらみもなく製品開発に打ち込んでいた日々の感覚に似ている。技術者としてみんなと成功というゴールだけを目指して突き進んでいた日々。
そう。眠くなんかない。
俺はまだまだ役に立てるんだ。こんなに嬉しいことはない。
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